魔王は帰還する
剣士を踏みつけたまま、ガリウスは問う。
「お前たちはなんの用があってここに来た?」
「けっ……俺たちは冒険者だ。依頼されたからに決まってんだろが」
両手を手首から失ってなお、悪態をつく。男の視線が一瞬だけ動いた。ノエットなる女が置き去った大荷物のほうだ。強力な回復薬が入っているのかもしれない。
「どこの誰に、何を依頼された? この期に及んで『依頼人の詳細は明かせない』とは言うなよ?」
踏みつける足に体重をかけると、男は苦悶の表情を浮かべる。
「ぐ…………マルギット・ドーレって女だ。帝国の、軍人らしい」
ガリウスの片眉がぴくりと跳ねる。聞き覚えのある名だ。
「帝国の駐留部隊がここの調査をするってんで、先に厄介なボスモンスターを倒してほしいって依頼だ」
「『らしい』と言ったな。依頼は女が単独で、か?」
「ああ。軍服も着てなかった。けど『秘密裏の調査』っつってたから、べつに疑っちゃいねえ。前金も弾んでくれたし、それに――」
「呪符も提供した、というわけか」
男は小さくうなずく。
「これ以上は知らねえ。連中が攻略済みの遺跡で何を調査するかなんて――かひょっ……」
そうだろう。金で雇われた冒険者が、これ以上の情報を持っているとは思えない。だからガリウスは男の喉に聖剣を突き刺した。
(マルギット・ドーレ……ケラめ。神殿最奥の秘密を知っているのか?)
依頼人の女は、【レコード・マスター】ケラに間違いない。
ガリウスが樹木化させたものの、帝国の女性兵士の体を乗っ取って逃れたのだ。その女の名がマルギット・ドーレだった。
(いや、制御室の存在を知っているなら、今ごろ動くのは不自然だ)
地位はそう高くなくても、あの女なら口車で上役をたぶらかし、軍を動かすこともできるだろう。
単純な興味。
もしそうなら、慌てることもないが……。
ひとまず現状に対処しようと頭を切り替えた。
いつしかへたり込んでいた女――ノエットへ近寄っていく。
ケラが絡んでいる以上、ガリウスがここへ現れたことは知られたくない。最良で簡単なのは、目撃者を全員始末すればよいのだが……。
「ひっ……ゃ、殺さないで……」
怯えきった彼女は完全に腰が抜けているのか、その場を動けずにいた。巻物は手から離れて転がっている。
「な、なんでもします。アタシ、そんな経験ないですけど、体つきも貧相ですけど、精いっぱいやりますから……だから、殺さないで……」
ノエットは自身の服に手をかけて、まごつきながらも脱ごうとする。
「待て。お前には訊きたいことがあるだけだ。余計なマネはするな」
「ひっ……。は、はい……」
「嘘は許さない。すべて正直に答えろ」
震えながらがくがくとうなずくノエットに、ガリウスは淡々と尋ねる。剣士にしたのと同じ質問だ。
「お前の依頼人は誰だ? 依頼内容も知っている限りを話せ」
え? とノエットは意外そうな顔をして、ガリウスの後方へ視線を移した。
「やはりお前、元からあの冒険者たちの仲間ではないのか」
「は、はい。アタシは、今朝あの人たちに雇われて……荷物持ちと、大きなスライムの気を引けって、言われて……。あの人たちの名前も知らない、です」
見た目は華奢だが、大荷物を持ち運ぶ力と高い運動能力を持っている彼女。臨時で雇われたのなら、騙されて囮役にさせられていたのも納得だ。
「そこのスクロールがどんなものかも知らないのだな?」
「魔法やなんかも跳ね返す、強力な護符だって言われて……違うんですか?」
「署名者が念じれば大爆発を起こす呪符だ。お前ともどもスライム・キングを吹っ飛ばすつもりだったのだろうよ」
さぁっとノエットの顔がさらに青ざめた。お尻を引きずって呪符から距離を取る。
「署名者が死亡した時点で発動はしない。それよりお前、見た目に反して身体能力が高いようだが、筋力や体力をアップさせる恩恵を持っているのか?」
「へ? ぁ、はい、えと……【パワー・アップ】ってのを……」
筋力を増す恩恵で、比較的持つ者が多いありふれたものだ。
が、ノエットは答える間、目を泳がせていた。
「嘘をつくな、と言ったはずだが?」
ガリウスが低く言い放つと、ノエットは恐怖に顔を引きつらせた。
「ぁ、えと、その……」
言い淀む理由がわからない。恩恵はものによって虐げられる対象となり得るが、赤色眼でもなければそうそう該当するものはない。自身を強化するタイプなら、話して困るはずがなかった。
(もしかして、こいつ……)
ガリウスは可能性のひとつに思い至り、心持ち柔らかに尋ねた。
「君は、恩恵を持っていないんじゃないか?」
びくりとノエットの体が跳ねた。ガタガタと震えている。どうやら嘘や誤魔化しが下手なタイプらしい。
「やはりか。君、亜人の血を引いているな」
ぎゅっと目をつむった彼女は震えるだけで答えない。
人とまったく変わらぬ容姿。元の種族は不明だが、おそらく祖父母あたりがクォーターなのだろう。身体能力の高さを考えるとオーガが順当なところか。
(さて、どうしたものかな……)
亜人の血が流れる者は、人の社会で暮らしていたらその思想に毒されている場合が多い。
自身に『魔族』の血が受け継がれているのを忌み嫌い、知られるのを極度に恐れ、亜人に対する憎悪が人族よりも強い傾向がある。
「家族はいるのか?」
またもびくりとして、しかしノエットはふるふると小さく首を横に振る。
「仲間は?」
ふるふる。
「よし。では君は俺と来い」
「………………ぇ?」
ようやくノエットが目を開いた。
「君を正式に雇いたい。俺たちが帰るまでの荷物持ちだ。言っておくが、君に選択権はない。強制だ。断れば……わかるな?」
震えながらも、ノエットはこくりとうなずいた。
「脅して悪いが、こちらにも事情があってね。ちなみに報酬はそれなりを約束しよう」
ガリウスはノエットに半ば無理やり回復薬を飲ませると、冒険者たちの荷物を彼女に背負わせた。スクロールを荷物に押しこむ。
警戒色から変化のないスライム・キングの脇をすり抜け、神殿入り口に隠れていたリリアネアに引き合わせる。
「魔族っ!?」
「俺の妻で、見てのとおりエルフ族だ。俺ともども、名前は伏せさせてもらう。まだ君を信用してはいないのでね」
わけがわからないといった風のノエットを横目に、今度は彼女を紹介する。
「で、こっちはノエット。諸事情により荷物持ちで同行してもらうことになった」
「遠くから見てただけだから事情がよくわかってないんだけど、よろしくね、ノエット」
「ちなみに俺は人族だ。恩恵も持っている」
「妻……魔族を……? え……え?」
ガリウスとリリアネアを何度も交互に見て、ノエットはいっそう混乱する。しかしやがて考えるのをやめたのか、諦めたように無表情となった。
リリアネアは彼女を気にしながら、ガリウスに言う。
「妙なトラブルに遭遇しちゃったけど、これで帰る方法を探すのに集中できるわね。でも、どこから手を付ける?」
「それなんだが、案外早く見つかるかもしれない」
ガリウスは巨大スライムに体を向け、頭部かどうかはわからないが、なんとなく上部を見上げて問う。
「貴方が俺たちの求める答えを持っている、と考えているのだが、どうだろうか?」
スライム・キングは微動だにせず、しかしこちらの様子を窺っているように感じた。
「俺は〝イルア神殿〟のマスターだ。そこからここ〝イビディリア神殿〟に転移してきた。以前、制御室の直前までは攻略していてね、その広間に、不本意ながら飛ばされた」
だが制御室の道は閉ざされていた。神殿は破壊しつくされ、扉を開く条件は誰にも満たせない状況だ。
「神殿守護者の代表と思しき貴方なら、こういった事態に対応する方法を知っているのではないかな? もし知っているのなら、協力してほしい」
これほど立派なスライムなら、言葉は通じるはず。実際、さっきは話が通じたからこうして待っていてくれたのだろう。
と、スライム・キングの色が変わった。
色鮮やかな虹色になり、泡の膜に光を当てたように変化を繰り返す。
やがて、スライム・キングの体は水色になり。
ポン、と。
てっぺんから何かが飛び出した。
ぽよんとガリウスの目の前に落ちてきたのは、両手で抱えられるほどの、ぷりんとしてぷよんとしたゼリーのような……。
「か、可愛い……」
リリアネアが思わずつぶやく。
「スライム、なのか……?」とはガリウス。
スライムはどろりとした粘性体だが、こちらはつるりとした球体に近い形で、つぶらな目もある。色は水色だ。
「ぴゅい」
しかも鳴き声を発したではないか。
小型スライムはぴょんぴょんと跳ねて、ガリウスたちの横を通り過ぎた。突き当りで振り返り、その場で飛び跳ねる。
「ついてこい、ってことかしら?」
「そうかもしれん」
小型スライムの後を追うと、ガリウスたちが飛ばされた場所――広間にたどり着いた。
ぴょんぴょんと小型スライムは広間の中央に跳ねていき、そこで今度はどろりと形を崩した。べちゃーっと床に広がったかと思うと、床に染みこむように消えてなくなる。
どうしたものかと立ち尽くしていると。
ゴゴゴと広間が揺れた。小型スライムが消えた床の、縦横三メートルほどがせり上がってきた。十メートルもの高さまで持ち上がったところで、下部にある扉が外向きに開く。
中には小型スライムがいた。
「ぴゅいぴゅい!」
元気に跳ねる様は、『こっちへおいで』と誘っているようだ。
今さら罠もないだろう。
怯えっぱなしのノエットの手をリリアネアが引き、ガリウスはその後に続いて乗りこんだ。
扉が閉まり、またもゴゴゴと音が鳴る。
続いて扉が開くと、イルア神殿と同じように、台座の上に球体が浮いた薄暗い部屋になっていた。
≪ようこそ、〝イビディリア〟の『主の部屋』へ。代表者はマスター登録を行ってください≫
イルア神殿のときと同様に、感情のこもらぬ声が降ってきた。
ガリウスはリリアネアたちを伴い、台座に手を添える。帯状の魔法陣が激しく回転した。
≪確認が完了しました。問題ありません。おめでとうございます。貴方を七神殿のひとつ、〝イビディリア〟の主として登録しました≫
ただイルアのときと違い、続く声があった。
≪ただし現状、マスター権限の範囲内で稼働中の機能は限られています。『マスタールームへの出入り』『守護獣の使役』および『他神殿への転移』のみが利用可能です≫
守護獣とは神殿を守っていたスライムたちのことだろう。
(彼らを使役できるのか。もしイルアでも同じ権限が付与されているのなら――)
復活したスケルトンたちを、人手不足の解消に役立てられるかもしれない。
(まあ、あまり無理や無茶はさせられないがな。彼らにも意思というものがあるだろうし)
扉を守護するタイロスを含め、彼らと話し合うべきだろう。
横にいたリリアネアがホッと息をつく。
「とにかく、これで帰れるのよね」
目の前に半透明の四角い領域が現れ、六つの神殿名が表示された。
「そのようだ。イルア神殿の名が白くなっている。ここを選択すればあちらのマスタールームとやらに戻れるだろう」
「他を選ぶとどうなるのかしら?」
「おそらく神殿か、それを守る遺跡の入り口に飛ばされると思う。下手にそちらへ飛ばされると、遺跡を一から攻略しなければ帰れないかもしれないな」
「ぅ……それは勘弁」
「ああ。どこに存在するかわからないものばかりだから、しばらくは手を付けないほうがよさそうだ」
それに、とガリウスは続ける。
「冬の間にやることはたくさんある。そちらを優先しなくてはな」
イルア神殿からの素材回収。
悪意反射装置の実運用。
生産性を上げるために農具なども開発し、量産する必要がある。
「あとは聖武具だな。こいつが完全復活すれば、他の遺跡を攻略するのが楽になる」
聖剣を掲げると、にゅっと美女が頭を出した。刀身から突如生首が現れて、ノエットが「ぎゃっ!?」と悲鳴を上げる。
『事のついでのように言わないでください』
「いちおう最優先ではある。時間がかかっているだけだよ」
『本当に早くしてくださいね。わたくし、もうぞんざいに扱われるのには耐えられません』
完全復活しても扱いを変えるつもりはない、とは言わないでおいた。
「では、帰るとするか。俺たちの国へ」
ガリウスはリリアネアの手を取り、表示された項目から〝イルア〟を強い眼差しで凝視した。
リリアネアはノエットの腕をつかむ。
そして――。
「ぴゅい♪」
なぜだか小型スライムが、ガリウスの頭に乗っかって。
≪〝イルア〟が選択されました。転移を開始します≫
三人+一匹は、白い光に包まれるのだった――。