魔王は神代の扉を開く
最果ての森は広大だ。その内部には『森』とは呼べない地形があちこちに存在している。
湖に隣接する湿地帯。なだらかな丘陵地帯。土がむき出しの山岳地帯。
最果ての森の南東、大山脈にほど近いところに岩場地帯が広がっていた。小さな泉が点在する奇妙な地形だ。
ガリウスは巨大な獣と対峙する。
いや、あれを『獣』と呼んでよいかは甚だ疑問だ。
見上げるほど大きな体。蒼銀の体躯は岩のようにごつごつしている。かたちは人に近いが、短い脚と長い腕はアンバランスにもほどがあった。
こぶしを地につけ、四足歩行のごとく近寄ってくる。
ゴーレム種。その最上位に君臨するミスリルゴーレムだ。
『オマエがリムルレスタの王、ガリウスか』
「そうだ。そして貴方はこの一帯を統べる精霊獣、タイロスだな」
『いかにも。オレこそ『神代の扉』の守護者、タイロスだ。オレを尋ねてきた理由は知っている。だが念のため訊いておこう。何用だ!』
地響きのような怒声が轟く。
びりびりと空気を震わせる威圧感を真っ向からガリウスは受け止めた。何か妙なことを言っていたが横に置き、告げる。
「悪霊の発生を抑える魔法具について、その実地試験の結果を説明に来た」
『まず言っておく』
ミスリルゴーレムの鉱物のような両の瞳が妖しく光る。
『オレは頭が悪い。だから『飯を食わねば、腹が減る』くらい簡単に説明しろ!』
くわっと大真面目に言われ、ガリウスはしばし放心した。
(いきなり最高難易度だな……)
タイロスは地脈に干渉するのを良しとしない精霊獣の代表格だ。
彼を説得できれば、他の良く思っていない精霊獣たちを説得するのが楽になる。
自ら『頭が悪い』という彼を、言葉巧みに言いくるめることはできるかもしれない。
が、誠意のない態度で説き伏せたなら、他の精霊獣が黙っていないだろう。ガリウスの計画に好意的な精霊獣が疑念を抱いて手のひらを返しては、取り返しがつかない。
ガリウスは腰の聖剣を鞘ごとベルトから外した。地面に腰を下ろし、横に置く。
『なんのマネだ?』
「いや、腰を据えて話そうと思ってね。まずは貴方が心配していることを話してほしい」
『説明はオマエがするのではないのか?』
「俺は一方的に話がしたいのではない。対話がしたいんだ。貴方は俺たちのやり方が心配だから反対している。なら、その心配をひとつひとつ解消するのがよいだろう」
『うーむ……よくわからんが、まあいい。とくと聞け』
タイロスは押しつぶすように声を発する(実際に空気は振動しないが)。
『血の通わぬオレが言うのもおかしな話だが、地脈とは大地の血流だ。そこに干渉すれば血は淀み、いずれ大地の死を呼ぶだろう。だからオレは反対する!』
彼の主張は目新しいものではなかった。反対意見は大方このような感じで、繰り返しているにすぎない。
ゴーレム種は通常の魔物とは異なる。
彼自身が前置きしたように血は通っておらず、肉の体を持たない。ゆえに動植物を食べるのではなく、地脈を流れる魔力を吸って生きていた。
(不思議なものだな)
ガリウスがその事実を知ったのは最近だ。
王国にもゴーレムは少数ながらいたし、ガリウスも戦ったことがある。しかしその生態は謎に包まれていたので、『地脈の魔力を吸って生きる』と聞いて驚いた。
彼らにしてみれば、地脈への干渉はまさしく死活問題に直結するのだ。
「しかし貴方は一度、俺たちの計画を了承した。それはなぜだろうか?」
『調和ゆえだ。他の精霊獣たちの多くがこぞって賛成に回ったのなら、オレが駄々をこねても始まらん。が、その試みが失敗したと聞いた。ならばこれ以上、進めさせるわけにはいかん!』
失敗は実地試験の初期に起こったものだ。中盤以降は失敗と呼べるものはなかった。
だが、タイロスにとっては一度でも問題が起きたのが許せないのだろう。
食事の供給元が断たれる可能性がわずかにでもあるのだから、怒りや不安が生まれるのは当然ではある。
(食事、か。そういえば――)
ゴーレムの生態を伝え聞いたとき、もうひとつ驚きがあった。
彼らは、地脈を流れる悪意や、それが集まった悪霊をも食らうのだと言う。それらに絡む魔力を欲するがゆえである。
彼は『飯を食わねば、腹が減る』くらい簡単に説明しろと言った。
ならば――。
「俺たちの試みは、貴方たちの食事から不純物を取り除くことにもつながる」
タイロスが、微動だにせず固まった。やがて小首をわずかに傾げる。
「あー、つまり、地脈から悪意が減れば、貴方たちの食事が美味しくなるのではないか、と……」
『なに? 本当か?』
「俺たちがやろうとしているのは、地脈に流れる悪意を減らすことだ。そう、最初に説明したと思うが……?」
『知らん。オマエらは地脈をいじくる、としか理解していなかった』
「そ、そうか……」
前にタイロスに説明した者が誰かは知らないが、責める気はない。きっと懇切丁寧に説明したに違いないからだ。でも彼には正しく伝わらなかった、ということだろう。
ガリウスはこんこんと、一から説明する。かみ砕いた表現を用い、質問を随所で受け付けた。
『なるほど。理解した』
どっと疲れが肩に降ってきた。それでも理解してくれたなら上々だ。そう、安堵したのも束の間。
『では立て。そして剣を構えろ』
「……なに?」
異様な雰囲気に、ガリウスは聖剣に手をかけた。
『オマエの話は理解した。が、それが真実であるか、オレにはわからん。だからオレと戦い、オマエが正しいと証明してみせろ』
「言っていることがめちゃくちゃだぞ」
『言ったはずだ。オレは頭が悪い。真実を見抜く力もない。だから力でねじ伏せ、認めさせるがいい』
「拒否する。力こそ正義との考えは危険だ。道理に合わない」
『ならばその道理とやらもオレに教えてみせろ』
タイロスの鉱物じみた瞳が輝いた。口調が変わる。
『我は〝イルアの神殿〟を守護する者なり。神代の標を持つ者よ、我にその力を示すべし』
巨大なこぶしが大地を打った。巨躯がものすごい勢いで突進してくる。
ガリウスは聖剣を抜き、中腰に構えた。
もはや問答無用。
こちらの言葉が届くとは思えない。
ならばひとまずは力で押さえつけるしかなかった。
タイロスの体が光を帯びる。硬化魔法。ただでさえ地上で最も硬いミスリルの体を、さらに強化したのだ。
(聖剣の力ならば、斬ることもできるだろうが……)
それでは殺してしまいかねない。死に至らなくとも、大きな傷を負わせることになるだろう。
ガリウスは地を蹴った。風をまとって軽やかに舞い上がり、猛烈な突進をひらりと躱す。
上段に振り上げた聖剣を、すれ違う刹那、思いきり打ち下ろした。
斬ったのではない。刀身の腹で殴りつけたのだ。精神力を流しこんで。
ドゴォン、と。
轟音に続き、タイロスが前のめりに倒れた。勢いあまって顔面で地面を削っていく。
ガリウスは静かに舞い降りた。振り向き、突っ伏すゴーレムに声をかける。
「大丈夫か?」
『……体が痺れて動けん。オレの負けだ』
意識があるようでホッとする。光魔法の効果を流しこんだので、体の自由が一時的に利かなくなったらしい。
『認めよう。オマエの好きにやるがいい』
「残念だがそうもいかない」
『なぜだ?』
「これだと『力づくで言うことを聞かせた』と誤解されかねないからな」
他の精霊獣を説得するうえで、障害になり得ると危惧したものの。
『心配はいらん。みな、オレの性格はよく知っている』
「だと、いいのだが……」
それで納得してくれたとしても、釈然としないような……。
(他の精霊獣を含め、説得は別の機会にあらためて、だな)
タイロスが回復する間、ガリウスは「そういえば」と話を切り出す。
「『イルアの神殿』とは何かな? 貴方はその『守護者』と言っていたが」
ついでに『神代の標』も何か尋ねる。
『ん? オレは神代の扉を守護する者、門番として作られた。神代の扉は古の神々が造った神殿の入り口だな。その標はオマエが持つ聖剣……正確には聖武具のことだ』
「ちょっと待ってくれ。今の話だけでも、いくつか疑問が浮かんだのだが……」
ガリウスは頭の中を整理する。
タイロスが語った『古の神々が造った神殿』とは、遺跡と考えてよいだろう。その名はどうやら『イルア』であるらしい。
王国を含め、大陸中に古い遺跡が確認されている。いつ、誰が造ったのかは不明だが、現代では再現できない貴重な品々が発掘されていた。聖武具エルザナードも、王国の建国初期に発掘された品のひとつだ。
最近まで未踏の地だった最果ての森に、遺跡があっても不思議はない。
「貴方は、当時誰かに作られた存在なのか? それが今まで生きていると?」
『オレたちゴーレム種は、血肉ある者たちとは異なる。神殿を守護する目的で作られた存在だ。精霊格を得る前の記憶はオレにはないが、スケルトン種などもそうだろうよ』
わけがわからなかった。
スケルトンは墓地などで死体を依り代に発生する魔物で、死霊が憑りついたと人族の常識では語られている。遺跡にもいるにはいるが、ゴーレムともども、まったく関係ない場所でも確認されていた。
「そもそも、『神々』とはなんだ? この世界に『神』は唯一人だけだろう?」
『さて? 神が複数いて何かおかしいのか? むしろ一人であるほうが不自然だと思うが』
これまたガリウスの常識からかけ離れていた。
精霊信仰に近い、別の宗教観だろうか?
『疑問があるなら、扉を開いて中を見てくればいい。保証はできんが、何かしらあるかもしれん』
「何かしら、ねえ……」
『守護者のオレを倒したオマエには資格がある。ついでに標を持っているからな。扉は開く』
「これが、鍵なのか?」
ガリウスは聖剣に疑いの眼差しを向ける。にゅっと人の首が生えてきた。
『わたくしに自覚はありませんが、器たる聖武具がそうであっても不思議ではありませんよ』
「わざわざ頭を出す必要はないだろう」
剣の腹から生首が出ている光景は気持ちが悪い。あえて言わないが。
『それでガリウス、神代の扉とやらに行くのですか?』
『行くなら案内しよう』
妙な流れになってきたな、とガリウスは考える。
冬までにやりたいこと、やるべきことはたくさんあった。
しかし人の領域では発掘され尽くした遺跡が、手つかずで残っているのなら、探索して損はない。いや、損どころか、聖武具級のアイテムや、闇水晶クラスの素材が手に入る可能性があるのだから、ぜひとも探索しておきたかった。
「そうだな。見るだけ見ておくか」
今の段階で探索は無理でも、扉が開くかどうかは確認しておきたい。
『では、オレの背に乗れ』
痺れが取れたのか、タイロスが起き上がる。有無を言わせずガリウスをつかんで背負うと、先ほどの突進と変わらぬ速度で走り出した――。
一時間ほど。ガリウスは必死にミスリルゴーレムの背にしがみついて、ようやく目的の場所に到着した。
ふらつきながら見上げたのは、断崖絶壁。
正面を見据えても、扉らしきは見当たらなかった。
タイロスが前に出る。何やらつぶやき始めた。頭の中に直接響く声ではなく、実際に空気を震わせて音を発している。が、その内容はつかめない。聞いたこともない言葉だった。
背筋に、得も言われぬ悪寒が走る。
堪らず膝を折りかけたが、ぐっと下腹に力を入れた。それほど異様な気配が、正面から吹きすさんできたのだ。
壁面が光を帯びる。
中央に直径十メートルほどの魔法陣が生まれ、周囲にも大小さまざまな魔法陣が出現した。
やがて巨大な魔法陣から浮かび上がるように、同じほど巨大な扉が姿を現した。
くすんだ鉄のような色をした、重厚な扉。しかし醸す雰囲気は神々しさを含んでいる。見慣れぬ文様、さらには文字らしきも描かれ、妖しい光をにじませていた。
『オレができるのはここまでだ。どうやって開くかは知らん』
なんとも無責任ではあるが、べつに困りはしない。
ガリウスはゆっくり扉へと近づき、手を触れた。冷たくもなく、熱くもなく。温度というものが感じられない。それどころか、硬いとも柔らかいとも知覚できなかった。
しかし、確実に触れている。
【アイテム・マスター】を発動すると、扉の詳細が頭に流れてきたからだ。
「なるほど。たしかに聖武具は鍵としての役割を果たすようだな」
そこまではいい。
だが、この扉を開くには、もうひとつ条件が指定されていた。
幸いにも条件は、すでにクリアしている。
だがそれは、ガリウスを混乱させるに十分だった。
「なぜ、だ? どうして、こんな条件が……」
人族にしか、満たし得ぬ条件。
十二歳を超えていなければ、けして扉は開かない。
それは、特定の恩恵を持つこと。
虹色眼に到達していようと、マスタークラスであろうと、条件を満たせない者は掃いて捨てるほど存在する。いや、おそらくは現代において、一人を除いて誰も条件には合致しない。
【アイテム・マスター】――その恩恵を有する者のみが、聖遺物を扉にあてがって。
――開け。
ただ、そう念じる。次の瞬間。
重厚な扉は、大地を震わせて開き始めた――。