魔王は聖武具の精霊と再会する
離宮の地下には広大な部屋があった。
ガリウスはその利用目的はおろか存在すら知らなかったが、離宮の床面積に近い広さで、天井までは四メートルほど。床は石造りで磨かれていて、多くの石柱で支えられている。
そして、細い幹が寄り集まった無数の樹木が林立している。枝葉はなく、どす黒い色が松明の火に照らされ不気味だった。
樹木の下には魔法陣が描かれている。それらは線で繋がり、中央にある大きな魔法陣に集まっていた。が、中央の魔法陣は一部が床ごと穿たれている。
完全に破壊されたのではないため、ロイは魔力を逆流させてしまったのだろう。やったのはもちろんアオだ。偶然にしても、ある程度システムの仕組みを理解していたと思われた。
そんな賢いアオはといえば、ガリウスに気づいたらしく一瞥したものの、横たわるオーガ族の男性に角を向ける。先端からぽわんと光が生まれ、オーガ族の男性に吸いこまれていった。
目も虚ろだった男は生気を取り戻す。上体は起こし、近くにいた別の男性と抱擁した。
アオの近くには、腰を落としたオーガ族の男女が何人かいる。彼らを介抱する別のオーガ族もいた。
全部で二十人ほどで、回復度合いはそれぞれ異なるようだ。
樹木化を解除して治療し、元気になった者はアオを手伝う、という仕組みができあがっていた。
今のところ人族はいない。
アオが樹木をくんくんと嗅ぎ、ワォンと鳴くと、魔樹の呪槍を持ったオーガ族の女性がその木を突いた。樹木化が解除され、中からオーガの少年が姿を現す。
(匂いで亜人かどうかを識別できているのか)
感心するガリウスの横では、ペネレイが身を震わせていた。目に涙を浮かべている。
無理もない。
最悪の事態を覚悟していた彼女にとって、少数でも元気に歩き回っている同胞を目の当たりにすれば感極まって当然だ。
と、アオの巨体の陰から、中年女性が姿を現した。見たところ他のオーガとは異なり、ガリウスは一瞬、人族かと思った。が、その額にはこぶのような角がある。
「母上!」
ペネレイが叫んだ。足をよろめかせながら女性へと駆け寄る。
「ああ、ペネレイ。貴女も無事だったのね」
女性は両手を広げて我が子を受け止めた。
ペネレイは大きな胸に顔を埋め、子どものように泣きじゃくっている。
ガリウスは母娘の再会に水を差すまいと、黙ってアオの体を撫でていた。のちに聞いた話では、女性はハーフオーガであり、ペネレイはハーフ同士の子だということだった。
「あらあら、困った子ね。しっかりなさい。貴女はもう代理ではなく、名実ともに里長なのだから、みなに示しがつかないわ」
ペネレイがハッとして顔を上げた。
「まさか……」
「……ええ。呪いの樹に変ぜられる前に、病気の者が何人か切り捨てられたわ。その中にあの人も含まれていたの」
ペネレイは目を赤く腫らしたまま、ギリと奥歯を噛んだ。
「憎しみに囚われてはいけないわ、ペネレイ。貴女はみなを引っ張っていかなければならないのよ? 冷静になりなさい」
「……はい」
女性は慈愛に満ちた笑みを浮かべうなずくと、ガリウスへ目を向けた。
「貴方がガリウス様ですね。ご挨拶とお礼が遅れた非礼をお詫びします。わたくしはペネレイの母、ルイヤです。この度は我が一族をお救いいただき、感謝の念に堪えません。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げる母――ルイヤと一緒に、ペネレイも姿勢を正して腰を折り曲げた。
「礼は素直に受け取ろう。が、同胞に力を貸すのは我が国の方針だし、まだ呪いが解除されていない者もいる。それと、『様』はやめてくれ」
「わかりました。では、ガリウス殿、と。我らが置かれた状況は、そちらのユニコーン・フェンリルさんが持っていた手紙で理解しています」
アオを単独行動させるにあたり、言葉を話せないアオの荷物に手紙を入れておいた。最初に回復した者にそれを見せ、協力してもらうためだ。
「うむ。実のところさほど時間はない。外では帝国兵と王国民が衝突しているが、指揮官を失った帝国兵は長く持たないだろう。こちらに殺到する前に、オーガ族のみなを呪いから解放し、治癒を急いでほしい」
ちなみに、とガリウスは冷淡に言い放つ。
「人族は後回しで構わない。ひと通り呪いを解いたら、治癒は一部のみでいい。彼らのために、こちらが無駄に魔力を浪費する必要はない」
二人はもちろん、周囲で作業していたオーガ族たちも目を丸くした。
「貴女たちは人族の争いに巻きこまれたに過ぎない。本来、彼らに手を差し伸べる義理はない、ということさ」
とはいえ、目の前で苦しむ誰かを、それがたとえ憎き人族でも放ってはおけないのだろうな、とガリウスは思う。
「さて、俺もこちらで治癒に当たろうと思っていたが、手は足りているようだ。こちらは任せていいかな?」
「はい、構いません。何かご用事が?」
「ゾルトの石化を解く。できるかどうかはわからないが、いちおう試してみたくてね。あとは――」
「ガリウス殿! ゾルトも救えるのですか!?」とペネレイが食いついてきた。
「いやだから、できるかはわからない。石化状態をアイテムとみなしてくれれば、俺の恩恵でどうにかなるかと思ってね」
とはいえ、自信はない。似たような樹木化は解除できなかったからだ。ただ、『樹』は生物であり、『石』は無生物だから可能性はなくはない。
また、アイテムと認識されずとも希望はあった。
ゾルトが聖武具エルザナードとなんらかの接触があったのなら、解除キーがガリウス自身だと考えられるからだ。
「とにかく試してみよう。ペネレイ、君も一緒に来てくれ」
ガリウスは彼女を連れて、離宮の外へ出た――。
離宮前の広場に、大岩が鎮座している。
四メートルを超える巨躯がうずくまったのを加味しても、一回りは大きかった。
ガリウスは歩み寄り、大岩に手を添えた。
【アイテム・マスター】が大岩をアイテムと認識してくれるかを確認する前に。
ぴしり。
大岩に亀裂が走った。ぴしりぴしりと亀裂は無数に生まれ、やがてバキバキと石の〝殻〟が剥げ落ちた。
灰色の肌をした、巨大オーガが姿を現す。
背を丸め、うずくまった彼はやがて、ぐらりと横に倒れた。
慌ててペネレイが駆け寄る。
「ゾルト、おいゾルト! しっかりしろ!」
「ぅ、……ぉ、お嬢?」
ぼんやりと目を開けたゾルトは直後、ぐぅぅ~……お腹の虫が騒いだ。
「いやあ、すみません。どんだけ時間が経ったか知りませんが、腹が減って腹が減って……立てねえです」
「お前という奴は……」
ペネレイは目を潤ませて笑う。
ガリウスは腰のポーチから小瓶を取り出して、ゾルトに渡した。
「上級回復薬だ。腹は膨れないが、体力は回復するはずだ」
「アンタ……ガリウスさんですかい?」
「俺を知っているのか?」
ゾルトは「へい」と答えてから、身を起こして小瓶の中身を飲み干し、抱えていたものを地面にそっと置いた。
「この精霊さん……ですかね? アンタの姿を頭に流しこまれまして」
金色の剣と全身鎧。
聖武具エルザナードで間違いない。
『ええ。その節はお世話になりました。同時に、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした』
頭の中に直接声が響いた。
「そういえば封印途中だったか。そこから出られないのか?」
『はい。ほぼすべての機能も発揮できません。お役に立てず、重ね重ね申し訳なく』
ガリウスは鎧に手を触れる。だが、封印魔法はアイテムではないのでガリウスには破れなかった。
簡単にこれまでの経緯と今の状況を説明する。
『そうですか。リムルレスタの存在が明らかに……。わたくし、無駄に騒いでこの方の命を危険に晒してしまったのですね』
「そうでもない。あの時点でユルトゥスに知られていたら、俺たちは後手に回っていた。多くの犠牲が出たかもしれない」
『そう言っていただけると救われる思いです』
「エルザナードの封印を解くのはリムルレスタに戻ってからだな。さて、のんびり話をしている場合ではない。ゾルト、体調はどうかな?」
「まだ腹は減ってますが、力はみなぎってますぜ。なんでも申し付けてください」
「では、君はここで聖武具と離宮を守っていてくれないか。まだ民衆が押し寄せるとは思えないが、念のためな」
「武器はねえですが、任されましょう」
ゾルトが胸をどんとたたく。
ガリウスはペネレイに向き直った。
「君は俺と一緒に来てくれ。王宮へ向かう」
「? 王宮、ですか。みなの救出を手伝うのではないのですか?」
首を傾げるペネレイに、ガリウスはしれっと答えた。
「ついで、というのも変だが、せっかく王都まで来たのだからな。手土産を漁りに行く」
「手土産?」
「王宮の地下には宝物庫がある。帝国があらかた持ち出していなければ、稀少な素材やアイテムが手に入るだろう」
ペネレイとゾルトが頬を引きつらせた。
「よ、よいのでしょうか……?」
「帝国が略奪したモノを、俺たちは敵から戦利品としていただくに過ぎない。なに、さすがに全部は持っていけないだろうから、残ったモノは王国に返してやるさ」
言って、ガリウスは口笛を吹き、クロを呼び寄せた――。
のちの顛末は、久方ぶりに語り部が伝えましょう。
といっても山も谷もない、他愛のないお話です。
帝国は宝物庫からいくらかの武具やアイテムを持ち出していましたが、ほとんどが手付かずでした。王都を拠点としていたためでしょう。
ガリウスたちは金品には目もくれず、稀少な素材やアイテムを抱えられるだけ拝借します。
囚われたオーガ族を救い出し。
馬車と馬をかき集め。
飛竜に乗った〝勇者〟が先導し。
陽が落ちるころには、王都を脱出したのです。
数日後、王国内のとある農村では、上空をたくさんの飛竜が舞う姿が目撃されます。
さらに数日後。
故郷を失ったオーガ族は、〝魔王〟とともに新天地へたどり着くのでした――。