勇者は国を揺るがす
ミッドテリア王国は建国から二百年の節目をもうじき迎えます。
近隣ではもっとも栄えた大国で、北は大海にまで進出し、南の小国家群に睨みをきかせ、西は中堅国家と良好な関係を築いていました。
その長い歴史の中で、王国には何を差し置いても成し遂げたい悲願がありました。
東を流れる大河の向こう、『魔の国』を滅ぼすことです。
王国は数に任せて幾度となく大河を渡り、魔の国へ攻め入りました。
ところが亜人たちは何度大きな敗北に見舞われようと、国土を削られようと、長きに渡り『国』を維持し続けます。
強い絆で結ばれた彼らは、少ない力を結集し、強大な『柱』に支えられて耐えに耐えてきたのです。
しかしついに、彼らは力尽きました。
王国はその悲願を果たしたのです。
この偉業は、歴史的にみても快挙と言えるでしょう。
しかし時の国王エドガー・ミドテリアスは果たして、歴史に名を刻むに値する王でしょうか?
――否。
のちの歴史家がどう評価するかはおくとして、現代での彼の評価は『凡庸』のひと言に尽きます。
剣を振るう才はなく、魔法を操るの言うに及ばず。
人々を導く力もなければ、臣下を動かす技量もありません。
恩恵にも目立った特徴はなく、あらゆる点で並以上にはなれない男でありました。
凡庸なる彼が、国の頂に据えられたのは不幸と言わざるを得ません。他に誰もいなかった、との理由が最も大きいのですからなおさらです。
彼はただ凡庸なまま、重責をのらりくらりと躱し続けてひっそりと、歴史に埋もれてしまえばよかったものを。
幸か不幸か――おそらくは後者でありましょう――彼の代に、勇者の資質を備えた男の子が現れました。
エドガー国王は、この男の子を利用しようと考えます。
しかしそれは、彼の中にわずかに残った野心が膨れ上がったからではありません。国王は自身を弁える一点をもって、優れた王ではあったのです。ゆえに歴史に名を刻もうとは、微塵も考えていませんでした。
彼はただ、復讐がしたかったのです。
そのために男の子を勇者に仕立て、我が子――ジェレド王子に手柄のすべてを与える決意をしたのでした――。
エドガー国王の目の前で、ジェレド王子の片腕が両断された。
側にいた兵士は、微動だにしない国王の様子をのちに述懐する。
王は、ぞっとするほど歪な笑みを浮かべていた、と。
ジェレド王子は前王妃が遺したただ一人の子である。
エドガーは前王妃を心から愛していた。信頼もしていた。淑やかで慎み深い彼女に、微塵も疑いを持っていなかった。
彼が視察などで王宮を留守にしている間、夜な夜な誰かと逢瀬を重ねている――たとえそんな不穏な噂が流れても。
最初に疑念を抱いたのは、ジェレドを初めて抱いたときだった。
あまりに似ていない我が子に、頬がひきつった。
王子が成長するにつれ、疑念はどす黒い何かに塗りつぶされていく。
整った容貌。すらりとした体躯。聡明とは言えなかったが、要領が良くそつがない。
どれもこれも、自分が持ち合わせていないもの。
前王妃の特徴をすべて受け継いだかといえば、細部に違和感が拭えなかった。
ジェレドが五歳の誕生日を迎えたとき、エドガーはついに確信する。
(コレは、余の子ではない)
決断は早かった。凡庸で優柔不断な彼らしからぬ行動力を伴って。
翌日、王都の南にある町で、一人の男が行方知れずとなった。彼は凛々しく逞しい、数年前まで王宮で庭師をしていた男だった。
半年後、前王妃は原因不明の病で帰らぬ人となる。
ブラン・ゴッテを重用したのはこのころだ。
彼は当時から群を抜く戦闘力を持っていたが、同時に策謀にも長け、王の気持ちを汲み取ってよく動いてくれた。
誰にも悟られることなく、すべてを迅速に処理してくれたのだ。
エドガーは血のつながらない王子に手をかけなかった。
それどころか、あらゆる我がままを聞き入れ、贅沢のかぎりを与えたのだ。
いつか最高のタイミングで、最悪の絶望を与えるために。
そんな中現れた、勇者の資質を持つ少年。
彼に魔王を倒してもらい、魔の国を亡ぼす。その功績をすべてジェレドに与え、いずれその化けの皮を剥がすのだ。
自身の信用すら失墜しかねない暴挙に、いつしかエドガーは邁進した。
準備がちょうど整ったところで、図らずもジェレドは何者かに襲われる。
〝勇者〟のくせにあっさり腕を切り落とされ、無様に這いつくばっていた。
これが、笑わずにいられようか。
事、ここに成就せり。
あとはもう、どうなろうと知ったことか。残った四肢も切断し、勇者を騙った罪で晒しものにしてくれよう。ああ、ならば共犯として、豚のように醜い本物も捕らえなければ。
エドガーはしかし、まだ気づいていなかった。
自身が、またも同じ過ちを繰り返していたことに――。
ゴッテ将軍が死んだ。
その報は王妃イザベラの耳にも届いた。
ジェレドの抹殺に失敗したばかりか、自らも命を落とすとは。
(なんて使えない男なの!)
イザベラは激しく奥歯を噛みしめた。
計画は水の泡。
次はもっと若くて強い男を篭絡しなければ。
強かな彼女はすぐさま思考を未来へと切り替えた。そのときだ。
「イザベラよ」
離宮にはめったに寄り付かないエドガー国王が現れた。
「そなたには、問いただしたいことがある」
エドガーの冷淡なまでの声に、イザベラは戦慄する。
ガリウスとゴッテのやりとりは、その場にいた兵士たちが一部を除き把握していた。耳のよい兵士は、ゴッテが小声で認めたこと以外はすべて聞いていた。
決定打は最後にガリウスが独り言い放った言葉だが、『いくらなんでも将軍と王妃がそんな大それたことを?』と兵士たちはみな懐疑的だった。
しかし報告の義務がある。
そうして、話は国王に伝わった。
「なんですの、陛下。まさか一兵卒ごときが語った世迷言を――」
「黙れ! 宝物庫からシルフィード・ダガーを持ち出せるのは余と王子、それにお前以外にはおらぬ。洗いざらい、吐いてもらうぞ」
「お、お待ちください陛下。わらわの話を――」
「黙れと言っておる! よくも……よくも余を裏切ってくれたな! 愛して、いたのに……。どうして? なぜだ! またも、またもこのような……」
「へ、陛下? わらわだって、陛下のことを愛しておりますわ」
「黙れ黙れ黙れぇ! 連れていけ。すべてを語るまで、何をしても構わん」
鎧姿の兵士たちがイザベラの両脇をつかむ。舌なめずりするような、下卑た視線を向けて。
「違う……、違うの。これは何かの間違いよ。わらわは何も悪くないわ!」
イザベラの独りよがりな訴えは、当然届くはずもなく――。
さて、王妃はこのあと、どうなったのでしょうか?
怒りと嫉妬に燃える国王は、彼女を許しはしませんでした。なにせ二度目ですからね。
王妃は筆舌に尽くしがたい拷問を、三日に渡り受け続けます。ゴッテ将軍との蜜月の日々や、計画の全容を白状したのち。
秘密裏に首を刎ねられたのです。名目上は病死として。
そして失意の国王は自室に籠りきりになり、政治は停滞、国は衰退の一途をたどるのですが、それはまた別のお話。
これより先は、王都を脱した真なる勇者の旅路を、わたくしも見守ることにいたしましょう――。