勇者は再び人の街を訪れる
都市国家群の中心地、グラム。
北側繁華街の大通りから一本外れた場所に、中規模の宿屋があった。最近営業を始めたばかりで、一階は酒場になっている。
名を『ククルン亭』。
他店よりもフレンドリー。接客態度も申し分なく、細やかな気配りと痒いところに手が届くサービスで人気急上昇中の新規店だ。
冒険者や旅の商人たち、さらには北門に詰める兵士たちで連日賑わっていた。
陽が暮れて、すでに七割の席が埋まった店内に、ずんぐりした男が来店する。
飛行用ゴーグルを眼鏡代わりに、鼻の下にちょび髭をくっつけた彼は何を隠そう、都市国家群が総力を挙げて探し回っている指名手配犯、ガリウスである。
彼は大胆にも朝から偽造通行証で堂々とグラムの街に立ち入り、そこらをうろついてからようやく目的のここ、ククルン亭を訪れた。
比較的空いているカウンター席に向かい、真ん中付近の席に腰を落ち着けた。
「いらっしゃい。お客さん、見ない顔ですね。旅の人ですか?」
カウンター越しに若く小柄な男性――ウェイターが笑みを振りまいてくる。
「ちょっと仕事を探しにね。ひとまずこれで、何か食事を頼む」
ガリウスはカウンターテーブルの上に銀貨一枚、銅貨四枚を置いた。
ウェイターがこくりとうなずく。
「そうだな、こっちでしか食べられない珍しいものがいい。ああ、甘いものは避けてくれると助かる」
自然な会話だ。ひとつ開けた隣の席の男も不審がる様子はない。
しかしウェイターは、注文の言葉から『合言葉』を読み取った。
「でしたらこちらにお任せでいいですか? 何かは出てきてからのお楽しみってことで」
「そいつは楽しみだな。賭け事は好きじゃないが、こういうのはいい」
ウェイターは「期待してくださいね」とウィンクして応じた。
愛嬌のある顔立ちの彼は、ゴブリン族の血を引いている。
元は王国内のとある町で孤児になり、迫害を受けていたが、流れ流れて『魔の国』へたどり着き、亜人に保護されたそうだ。
低身長を底の厚い靴で誤魔化し、牙のような犬歯も自ら抜いて、諜報員の任務に従事している。
この店は、ガリウスが提案して作った諜報活動の拠点だ。
旅の商人や冒険者などから、様々な情報を集めるため、主要な店員はリムルレスタから派遣された者たちだった。
やがて料理が運ばれてくる。
野菜たっぷりのポトフと、厚手のハムステーキだ。値段にしてはお手頃感がある。
「こちらもどうぞ。今後ともご贔屓に」
しかも細身のグラスで葡萄酒が出てきた。四角いコースターの上に載せられている。
「コースターはお持ち帰りいただいて構いません。裏に店の名前と所在が書いてありますよ」
この店ならではのサービスだ。
ガリウスは一気に酒を飲み干すと、コースターをポケットにねじ込んだ。
くっくっく、と二つ隣の席でくぐもった笑いが起こる。中年の、冒険者風の男だ。
「兄ちゃん、そんな銅貨一枚にもならねえモンをもらって嬉しいかよ?」
「要は宣伝してくれということだろう? 美味い飯にそこそこの酒を出してもらったんだ。それくらいはやるさ」
ガリウスはハムステーキにかぶりついた。
「へ、これまた顔に似合わず律義なもんだぜ。そういや兄ちゃん、仕事を探してんだってな」
「ああ。といっても見た通り、この体型は戦いに不向きでね。冒険者は諦めている」
「わかってらあ。兄ちゃんをこっちに誘おうとは思わねえ。ま、仕事は選ばなきゃそこそこある。けどよくこの街に来たもんだな。ちょっと前に魔族どもに襲われて…………ん?」
「なんだ?」
男はガリウスの顔をまじまじと見て、
「兄ちゃん、豚みてえな顔してんな。例の魔族どものリーダー……要は〝魔王〟だがよ、そいつはオークの血が混じってるって話だが……言われねえか?」
「手配書の人相書きに似ている、か? 俺も今朝この街に着いて、驚いたところだ。とはいえ、自分ではさほど似ているとは思わなかったよ」
「ま、そうだろうな。聞いた話じゃ、ちゃんと魔族っぽく牙が生えてたらしいしよ」
そこまでは知らなかったが、人の噂がいい方向へ捻じ曲がっているのは幸いだな、とガリウスは思う。いや、おそらくはこの街に常駐している亜人が流したものだろう。
「そもそも魔王がのん気に酒場で飯食ってるはずはねえか」
さすがに街の上層部や兵士たちはいまだピリピリしているが、一般レベルの危機感はかなり薄れているようだ。
ガリウスは料理を平らげると、男に別れの挨拶をして店を出た。
路地に入り、人通りが少なくなったところでポケットからコースターを取り出す。裏を見ると、たしかに『ククルン亭』と店の名前は書いてあった。が、所在を示しているのは店ではなく、別の場所だ。
リュックから街の地図を出し、記された所在と照らし合わせる。ここから五百メートルほど離れた居住区だ。
ガリウスは人目を避けるようにその場所を目指した。
集合住宅が立ち並ぶ中、ひとつの建物に足を踏み入れる。すえた臭いはそこかしこに落ちているゴミからだろう。
ゴミを避けながら石の階段を上り、三階にある部屋で立ち止まった。
今日の日付を思い出す。日ごとに変わる合図の数。三回、二回、二回、と扉をたたいた。
「どちら様ですか? 家賃ならもう少し待ってください」
扉の向こうから、あらかじめ決められていた合言葉が告げられた。こちらも返すべきなのだが、聞き覚えのある声にガリウスの悪戯心がくすぐられる。
「ガリウスだ。開けてくれ」
「えっ? ちょ、はあ……」
ため息とともに扉が開く。美形ながら頬に傷のある青年が顔を覗かせた。
ガリウスはするりと中に入る。
「名前を言うなんて不用心すぎますよ」
「なに、周囲に人の気配はなかったし、相手が君だとわかったからな、マノス」
マノスは肩を竦めつつも、笑みを浮かべた。
「お久しぶりです、ガリウスさん。まさか貴方がいらっしゃるとは思いませんでした」
「ちょうど手が空いてね。伝達役を一度はやってみたかった」
ガリウスは今回、グラムの街で集めた情報をリムルレスタに持ち帰るためにやってきた。
情報を得たらとんぼ返りするだけのお仕事だ。
マノスはククルン亭で集めた情報を伝達役に報告する役割を担っている。
通常は報告役と伝達役が街の外で落ち合うのだが、今回はガリウスの要望で街中での伝達方法を取った。マノスは不定期に住居を変えるので、一度ククルン亭で現在の居住場所を知る必要があったのだ。
「手配書が出回っていますけど、大丈夫でしたか?」
「ああ。君たちのおかげでね。念のため変装してみたが、意味はなかったかもしれない」
部屋に置かれたテーブルに着く。
マノスはお茶の準備を始めた。
「にしても、この『ククルン亭』という名前はどうなんだ?」
「みなククル様が大好きですからね。人族に名前は知られていませんし、ちょっと変えていますから問題はないと思いますよ?」
マノスは火魔法で湯を沸かしながら答えた。
「君はこの街でなんの仕事をしているんだ?」
「冒険者ですよ。特定のパーティーは組まず、フリーでやっています。ただ、なるべくエルフ族だとバレないよう、弓や魔法は使っていないので、ちょっと苦労しています」
特に魔法は人族とは系統の違う精霊魔法だ。使えば即、疑われるだろう。
「危険な仕事だな」
「組むパーティーと依頼は選んでいますから、危険自体はそれほどでもないですよ」
マノスは笑顔でお茶を運んできた。
「そういえば、ご結婚おめでとうございます。お相手はエレンフィールの里長の娘さんでしたか。直接の面識はないですけど、同じエルフ族として、心からお祝い申し上げます」
「ありがとう。まあ、生活にさほど変化はないがね。式も延び延びだし」
マノスは苦笑して正面に座った。
「では、これまで集めた情報をお伝えします」
さて、どんな話が聞けるのか。
ガリウスは居住まいを正してマノスを見つめた――。