勇者は交渉(物理)に赴く
一夜明け、フラッタスの街は平穏を取り戻しつつあった。
出歩く者は少なく、不安が払しょくされることはないが、乗りこんできた魔族たちは四つの城門と街の中央にある議事堂に集まり、刃物を取り上げてからは住民の前にほとんど姿を現していなかった。
朝早く、北門が開かれた。
フラッタスは都市国家の中で南の端(正確には南東の端)に位置する。他の都市国家群へ向かうには、北門から街道を進むのが常だった。
人族の兵士たちがずらりと整列する。
街を守るべきほとんどの兵が北門の外に集まっていた。
彼らの前に現れたのは竜人族の老人――ジズルだ。
「それではみなさん、気をつけて行ってくだされ」
恐ろしげな顔に反し、のほほんと言う。
堪らず四門のひとつを預かっていた指揮官が一歩進み出て不満を口にした。
「丸腰で他の街まで行けとは非情に過ぎるのではないか? せめて短剣くらいは返してくれ。道中で魔物に襲われたら、伝令役は果たせない。貴様らも困るだろうに」
「ほっ、魔物が出たら逃げればよい。馬も馬車もそのために用意したのじゃからなあ。お前さん方は魔物とみればすぐに襲いかかっていかん。相手にせんかったら連中もすぐ諦めるわい」
彼らはこれから、十の部隊に分かれて他の都市国家へ赴く。
フラッタスが亜人の軍勢に占拠されたと伝えるためだ。
なぜそんなことを、しかも他の街で戦力になりかねない兵士たちにさせるのか?
理由は二つある。
これから奴隷解放交渉を行うにあたり、フラッタスの街が占拠されたことを『事実』として認識させる必要があった。
多くの兵士が丸腰でやってきて証言すれば、信憑性は限りなく高まる。
そしてもうひとつは――。
馬にまたがり、荷馬車に乗りこんだ兵士たちを見送ってから、ジズルは議事堂へ戻ってきた。
「なんじゃガリウス、もう起きたんか」
廊下を歩く男を見つけ、声をかけた。
「まとめては寝られなくてね。昼にまた休ませてもらうよ」
それよりも、とガリウスはジズルを誘い、小さな会議室へ入った。
「伝令役が一番近い街へ到着するのは四時間後、といったところか」
「最も遠い街へは二日半はかかるじゃろうなあ」
「解放が順調に行われ、合流地点に全員が集結するには、やはり最低でも十日はかかるな」
その間、城門を閉鎖して住民たちを軟禁すればどうなるか?
不満やストレスが溜まりに溜まり、いつか爆発してしまうかもしれない。武器は取り上げたが、包丁など生活に必要な刃物までは奪えない。テーブルの脚を棍棒代わりにもできるだろう。
兵士たちのほとんどを街から遠ざけたのは、戦闘のプロをできるだけ排除するのが狙いだった。
そして彼らを納得させるために、住民たちが日常生活を送れるよう配慮すると約束した。
今日から城門をすべて開き、農場での仕事を希望する者には農具を一時的に返却するとも伝えてある。
議員たち以外は、逃げ出すのも自由だ。
人質にしているのは街そのものであり、農場である。
駐屯する亜人に限りがある以上、人に割く管理コストは極力小さくする必要があった。
二人は現状を整理し、計画の微調整を行う。
概ね予定通りに進んでいた。
街の実質的トップであったヨーム・ワルトは早々に退場してしまったが、後任には軍の副司令官が就き、これが話のわかる男なので逆に助かっている。亜人を毛嫌いしているのは他の人族と変わらないものの、合理的、理性的判断のできる優秀な軍人だった。
「――と、今後の流れはこんなところか。第一段階はどうにか完了だな。俺は夕方に出発する」
「やはり一人で行くのかのう」
「心配か? 捕まるようなヘマはしないよ」
「そっちは心配しとらんわい。抑える者がおらねば、お前さんが派手にやり過ぎやせんかと思ってなあ」
なんだそんなことか、とガリウスはにやりと笑って言った。
「今回の交渉はね、派手にやったほうが成功の確率が上がるのだよ」
夕方、ガリウスは飛竜のクロに乗ってフラッタスの街を後にした。
残る十都市すべてを野宿しながら回るため、大きな荷物を背負っている。そこには弓と矢も含まれていた。
飛ばしに飛ばし、陽が落ちる前に隣街の城壁が見えてきた。
城壁の上にいた兵士が何やら喚いている。
ガリウスは速度を緩めず、竜操の手綱を口に咥えて矢をつがえると。
ヒュン!
城壁に矢を放った。
勢いよく飛び出した矢はまっすぐ城壁へ飛んでいき。
轟音とともに城壁に大穴を開けた。爆裂の鏃の効果だ。
大穴から街の中に飛びこむ。
そのまま脇目も振らず、中心部までやってくると、大きな建物の前にある広場に矢を放つ。
爆音が轟く。もうもうと土煙が立ち昇り、それが晴れると、広場には巨大な窪みが生まれていた。
そこへ、小さな包みを落とした。中には手紙と、この街に囚われている亜人たちの名簿が入っている。名簿は事前にガリウスが各街に侵入し、手に入れていたものだ。
これで、この街での交渉は終えた。
(直接話し合わないのだから、交渉とは呼べないが……)
こちらの要求は揺るがない。妥協も譲歩もないのだから、そも顔を突き合わせて話し合う意味がない。
だから一方的に通達し、全都市が同意しなければフラッタスは農場ごと焼き払う。
そのための力は示した。
城壁を穿ち、広場を窪地と化したのだ。農場がタダでは済まないと思い知るだろう。
爆裂の鏃に限りはあるが、都市国家群はそれを知らない。
(あとは連中が、どれだけ亜人を低く見ているかだな)
奴隷にさほど価値を見出していなければ、彼らの中の天秤はフラッタスに大きく傾く。
ただ人族はプライドやメンツにこだわるので、素直に要求を呑んでくれるかは不安だった。
もっともその不安は、彼らの浅ましい思考によって払拭されることになる――。
城塞都市グラム。
都市国家群の地理的にも経済的にも中心に位置する最大の街だ。
他の都市国家と同じく、この街も豚面の男の襲撃を受けた。
すでにフラッタスから武器を取り上げられた兵士たちが逃れてきて、街が魔族に占拠されたと伝わっている。ちょうどその対策を話し合っている最中の出来事だった。
城壁には大穴が開き、街の南東にあった兵舎が跡形もなく一撃で破壊されたのだ。
議場は怒号であふれている。
「徹底抗戦だ! すべての都市の力を結集すれば、千程度の魔族など恐るるに足らん!」
「奴隷が欲しいならくれてやればいい。すべて死体にしたうえでな」
「ならば盾にでも使うか」
「それがいい。魔族どもに目にもの見せてくれる!」
感情的な意見が目立つ中で、でっぷりした男が何度も脅迫文に目を通していた。
名はザイール・オーギー。元は中流の貴族だったが、グラムで商才を発揮してのし上がった男である。その発言力はこの街にとどまらず、全都市国家に波及していた。
彼の前にあるテーブルには、他にも数枚の手紙が広げられている。
他の都市――豚面の男の襲撃を受けたところから、早馬で伝えられた似たような脅迫文の内容が書いてあった。
「まあまあ皆さん、すこし落ち着きましょう」
オーギーが穏やかな口調で言うと、立ち上がって興奮していた議員たちが委縮したように腰を下ろした。
「他の都市から進軍が確認されれば、速やかにフラッタスの街と農場を焼き払う、とここには書いてあります。野蛮な魔族のことだ。実行に移すのにためらいはないでしょうな」
「では、オーギー殿は要求を呑むべし、とお考えか?」
「ええ」
オーギーは鷹揚にうなずく。
「そもそも奴隷と我らの食糧庫、天秤にかけるまでもありませんよ」
「しかし、都市によっては貴重な労働力だ。すべてを返す必要はないのでは? 適当に数を誤魔化しても……」
「ご丁寧に奴隷の管理名簿まで添えられていました。誤魔化せるにしても数十匹。ならば、すべて返してあげたほうがよいでしょうね」
ぐぬぬ、と議員たちは奥歯を噛む。
怒声が飛んだ。
「しかしですな、オーギー殿。魔族にいいようにされたとあっては、帝国の増長を招きましょう」
それ以前に、メンツをつぶされたのではプライドが許さなかった。
誰も彼もが納得していない。
「ええ、わかります。私も貴方がたと同じ気持ちですから。ただ、どうにも皆さん、誤解なさっているようだ」
オーギーは困ったように眉尻を下げる。
「魔族の要求は呑みましょう。ええ、脅迫文に書かれている通りにね。しかしながら私は――」
今度はニコニコと笑顔になり、冷徹に告げた。
「その後、黙って見逃すとは、言っておりませんよ」
議員たちの目の色が期待に変じる。しかし不安の声も聞かれた。
「フラッタスが解放されたら、すぐさま追撃する、と? しかし奴らは以前、飛竜を使って飛んで逃げたそうですが……」
「ほっほっほ。ご安心ください。連中は今回、飛竜は使いません」
ざわめく議員たちの不安を、オーギーは笑い飛ばす。
「この脅迫文には、実に興味深いことが書かれています。解放した奴隷は、南東の森に向かわせろ、とね。そこに迎えの魔族がいるそうですよ」
「? それが、飛竜を使わない理由なのですか?」
「ええ。飛竜を使うのなら、この街の北側、平原地帯を指定するはずです。開けた場所でなければ、大きな荷台に数十匹の飛竜をつなげて飛び立てませんからね。他の都市に送られた脅迫文からも、奴隷たちをおそらくどこか一ヵ所に集めようとの意思が透けて見えます。飛竜を使うのなら、それぞれの都市近辺で運び去ったほうが効率的であるのに、ね」
それでも不安を拭えない議員たちをぐるりと見回して続ける。
「連中にもそこそこ頭の回る者がいるのでしょう。そもそも飛竜を使って飛んで逃げてくれたほうが、我らには助かるのです」
いいですか、とオーギーは饒舌に語る。
「いかに飛竜とて、大荷物を抱えては高くも速くも飛べぬでしょう。宵闇に乗じようと、遮蔽物のない空中ならばその行く先は一目瞭然。馬より速く走れる恩恵持ちをそろえ、連中の拠点を突き止めれば――」
にやりと笑うと、他の議員が言葉を継いだ。
「一網打尽にできる、というわけですな」
「その通り。飛竜の選択肢は頭の隅にでも置いておけばよいでしょう。そして陸路を取ったなら、数千もの非戦闘員を引き連れての進みは遅いでしょうし、そも隠しようがありません。いずれにせよ、我らの勝利は揺るぎませんよ」
各都市と今の内から示し合わせ、相手の行く先を予測し、いくつかに部隊を分けて強襲を試みる。
フラッタスから逃れてきた兵士を含め、十一の都市国家の総力を挙げれば、必ず魔族どもを駆逐できる。
そうオーギーは語った。
「なるほど!」
「さすがはオーギー殿」
「二度とふざけたマネができないよう、徹底的に叩きのめしてやる!」
議場が歓喜に湧く。
「奴隷どもの解放と並行して、各都市に早馬を向かわせましょう。ここグラムは都市国家群の中心地。本作戦も我らが中心になりませんとね」
主導権を握って成功すれば、自身の発言力はさらに高まる。いずれ都市国家群を統一し、そのトップに立とうとの野心があった。
こうして、対応を決めかねていた一部の都市国家も、グラムに追従することになる。
各都市からは続々と、亜人たちが街の外へ解放されたのだ。
飛竜は使わない。
空を飛んで逃げることはない。
オーギーの推測は正しかった。
救うべき亜人の数が多すぎて、飛竜の数が足りなかったのが大きな理由。
また精霊獣に頼ってばかりいては、作戦が成功したとしても後のパワーバランスに悪影響を与えかねない、との懸念もあったからだ。
しかし――。
ガリウスは脅迫文に、わざとそう思わせる情報を入れておいた。
追撃はやり易しと思わせ、亜人たちの解放を確実に行わせるためだ。
都市国家群の首脳たちはいまだに『狩る側』の認識でいる。
今回の解放作戦で最も難しいのは、解放後に最果ての森まで全員を無事に連れ帰ること。
その難問を解決するためにガリウスがたどり着いた策こそ、
逆に追撃部隊を『狩る』というものだった――。