勇者は温泉に浸かる
湯気に煙るこの場所は、いわゆる温泉だ。
リムルレスタの都にほど近い森の中、岩に囲まれた場所に八十度近い源泉が湧き、そこへ近くの小川から水を引いて適温に保っている。
ガリウスは湯に浸かった。程よい熱さが身に染みる。
彼の正面には、雄々しい角を生やした竜の頭が、蕩けたような表情で湯からひょっこり出ていた。
「ふぃ~、いい湯じゃのう~」
亜人の国リムルレスタの国家代表ジズルだ。ガリウスは彼に誘われてここへ来た。それはよいのだが……。
「ふぅ~、ほんと、気持ちいね~」
ガリウスの横では、これまた猫の頭だけが湯から出ていた。
「リッピ、なぜ君が男湯にいる?」
答えたのはジズルだ。
「本人がよいと言っておるのだ。べつによかろうて」
「そうそう。ボクらは体毛で覆われてるしねー」
「ふだん服を着ているじゃないか」
「そりゃあ、外にいるのに裸だと変だもん。獣じゃないんだから」
そういうものだろうか。いや、そういうものなのだろう。こればかりは納得するしかない。
リッピとは以前、一緒に泉に入ったこともある。今さらと言えば今さらだ。
しかし、である。
今日、この温泉に来たのは、この三人だけではなかった。
「温泉、温泉♪ 嬉しいですー♪」
楽しげな声とともに、ペタペタと軽快な足音も鳴らし、向かってくる女の子。
タオルを体に巻き付けているとはいえ、これは……。
さらに、である。
「ククル様、走ると危ないですってば」
その後ろから、これまたタオルを巻いてはいるが、銀髪をまとめ上げた美少女が、
「なっ――!?」
追いかける姿勢で硬直した。
「ななななんでガリウスが!? ジズル様まで!」
「まあよいではないか。儂は同族以外に欲情はせんよ」
そういう問題か? 仮にそうだとして、ここには見た目が人族に近い種族に欲情する男もいるんだぞ、とガリウスはリリアネアのほうに視線を向かわせないよう、正面の竜頭を眺めた。
「……」
だというのに、リリアネアはなぜかジズルの視界から逃れるように、彼の後ろへ回った。当然、ガリウスの視界に入ってくる。
そのままジズルから離れたところにすらりとした足を湯につけ、首から下が隠れるように身を沈ませた。
「ふはぁ~、気持ちいですー♪」
ククルはジズルの隣に寄り添うように浸かる。
「はあ……」
ため息しか出ない。
「こうして心許せる者たちと湯に浸かる。これに勝る幸せはそうなかろうて」
「それが目的とは思えないのだがな」
「なに、それも、じゃよ」
ジズルは蕩けた表情のまま言う。
「どうじゃ? リムルレスタの国家代表、受けてはくれんかのう」
「はっ!?」と声を上げたのはリリアネアだ。
慌てて口を押えるも、『なに何なんなの!?』と表情は混乱しまくっている。
「そういう話になってるの?」とはリッピ。こちらも初耳らしい。
二人はジズルに説き伏せられたうえで説得役に抜擢されたものと考えていたが、違ったらしい。
もっとも、流れでそうなる可能性は十分にあった。
「すでに断ったはずだ」
「それで引き下がるなら、あの場で頼みはせんよ」
「では再び正式に断ろう。そも、俺は道具を扱うことしか能のない男だ。国を操る才はない」
「得手不得手は儂にもある。しかしのう、国の代表たる者に求められる資質は、その時々で異なるものじゃ。今は森の奥深くでひっそり暮らしてはおれぬ。現状、先頭に立ってみなを率いる者が求められておるのじゃ」
「それこそ俺よりも貴方のほうがふさわしい」
「儂に勝った男がそれを言うか?」
「聖剣と聖鎧があったからこそだ。今の俺は貴方に及ばない」
「本当にそうかのう? まあ、その辺りをほじくっても仕方あるまいな。この話は次に持ち越しじゃな」
諦めてはくれないらしい。
「それはそれとして、儂も寄る年波には勝てんのじゃ。次の救出作戦では裏方に回るわけにはいかんが、お前さんのサポートが精いっぱいじゃよ」
ガリウスは目を丸くする。
「もしかして、決まったのか? 俺が提案した作戦に」
「うむ。わりとすんなりな」
「意外だな。亜人には抵抗があると思っていた。俺が言うのもなんだが、人族が嬉々として使いそうな、とんでもなく卑怯な作戦だぞ?」
都市国家群は十一の都市が互いに独立しつつも連携し、交易して発展している。
それぞれの街に亜人たちが奴隷となっていて、フラッタスの街と同様、城壁の内側に囚われている。
ひとつひとつ順番に解放するには時間がかかる。
同じ手が何度も使えるとは限らない。
だから全部まとめて。
そのための作戦を、ガリウスは提唱していた。
「そりゃあ驚いたわい。人族の街をひとつ丸々人質に取っての解放作戦なんてなあ」
フラッタスは農業都市だ。都市国家群の中では穀倉として大きな位置を担っている。
そこを強襲し、街を丸ごと――もっと言えば『食料の供給元』を人質にして、他の都市国家に奴隷解放を求める作戦だった。
「やられたらやり返す。そんなことを続けておれば泥沼の未来しかないわい。じゃがのう、相手の思うままにさせて我慢し続けても、けして『対等』になれはせん。亜人は同胞を見捨てぬ。そして交わした約定は必ず守る。そのスタンスは明確にすべきと、満場一致で結論に至った」
人質は取る。
しかし亜人たちが解放されれば、同じく街は解放する。
仮に立場が逆であれば、人族側は奴隷解放後に街や畑に火を放つだろうとガリウスは思う。
しかし亜人はそうしない。
そうしてはならない、とジズルは言った。
「じゃが奇襲とはいえ、今回は相手が警戒している中で街ひとつを攻略しなければならん。被害がゼロ、とはいくまいなあ」
むろん、救う数より多くが犠牲になれば本末転倒。
犠牲を最小限に抑えるための新たなる策が必要だった。
「そこは申し訳ないがガリウス、お前さんにかかっておる」
「ああ。聖剣や聖鎧には及ばないが、俺にはシルフィード・ダガーがある。できるところまではやってやるさ」
決意を瞳に宿すガリウスだったが、ジズルは首を横に振った。
「たしかにシルフィード・ダガーは強力じゃが、それだけではお前さんの負担が大きすぎる」
「他に特殊効果付きの武器や防具があるのか?」
「ない」
ジズルはきっぱりと言いきった。ガリウスはずっこけそうになるも、ジズルは悪戯っぽく笑う。
「ないから、作ろうと思うてな」
次の瞬間。
『おっ? そろそろアタシの出番かなー? 聞くだけってのは退屈だったのよねー』
頭の中に、直接声が響いた。
(これは、まさか!)
ガリウスが身構えると同時。ジズルとの間、湯の中から何かが飛び出した。
上半身が馬、下半身が魚の巨大生物だ。緑色の体躯はうろこがびっしりと、対する背中にはふさふさのたてがみが茂っている。
『どもどもー。水底引きこもり系精霊獣、ケルピーのイシュケちゃんでーす。よろぴこ☆』
ジズル以外がぽかーんとする中、お気楽な口調で精霊獣は言った。
『あ、でもアタシ、クリエイターじゃないんで。素材を提供するだけだかんね。あとはがんばるよーに。それとお代は安くないですからーっ!』
また妙なのが出てきたな、とガリウスは言いかけたのをどうにか飲みこんだ――。