勇者は奴隷を解放する
城壁に向かって進んだ先は、閑散としたところだった。
まだ新しい街だが計画的な都市設計がなされていないからか、スラムにまでは至っていないものの、栄えた場所と寂れた場所に分かれている。
真新しい集合住宅にも人影はまばら。その一室にガリウスは案内された。テーブルと作業机があるだけの殺風景な部屋だ。
「あらためまして、エルフ族のマノスといいます。よろしくお願いいたします、ガリウスさん」
「あ、ああ。よろしく」
フードを取ったその容貌に、ガリウスは戸惑いながら握手に応じた。
頬に大きな傷。それもあるが、長い金髪から出ているはずのものがなかった。エルフの証である、長く尖った耳が。
「気になりますか? 私が人族の街に長く常駐して活動できている理由ではあるのですが……」
彼は以前、人族に囚われ奴隷になっていた。エルフはその美貌から男でも男娼に回されることが多いが、捕まる際に頬に傷を受け、鉱山で肉体労働に従事していたそうだ。
「一時期、『エルフの耳は魔法薬の素材になる』とのデマが広がったんです。鉱山主がそれを聞き、試しに私の耳を、という次第ですよ」
その後、マノスは鉱山を脱出。最果ての森を目指す途中で力尽きそうになったところを、偶然にも都市国家群へ向かっていた諜報員に助けられた。
仲間を置いて逃げ出した負い目から、彼は諜報員になる決意をしたのだと語った。
「本題に入りましょう。まずは現在、私が持っている情報をすべてお渡しします」
「その前に、俺は今日、偶然冒険者パーティーと接触した。その後、奴隷商の代表とも話ができたので、まずは俺が得た情報を話し、足りない分を君が語ってくれないか。そのほうが効率がいい」
「えっ? 奴隷商の代表って……ルチオーラ商会のムエトですか? 彼に会って、話を?」
「ああ。まあ、そちらも偶然が重なった結果ではあるがな」
ガリウスは淡々と事のあらましを話す。マノスは口を挟むどころか、ぽかーんと開け広げていた。
「今日一日で、それだけの情報を……。すごいですね」
話し終えると、マノスは目をぱちくりさせてから、お茶の用意を始める。
ガリウスが香りのほとんどないお茶をすすっている間に、彼は部屋の奥にある机から丸めた紙や書類を持ってきた。
「では、まずはこの街の現状と、他の都市国家の状況、それらのかかわりについて――」
マノスの説明は二時間に及んだ。
ガリウスは冷たくなったお茶をのどに流しこみ、仕入れた情報を吟味する。
他の街でも、数に違いはあれど多くの亜人たちが奴隷として虐げられていた。
「一度にすべては、難しいな……」
欲張って被害を出しては元も子もない。
フラッタスの街では来週早々にも、農作業に街に囚われているほぼすべての亜人たちが動員され、場外で活動する。
期間は二週間ほど。その間、亜人たちは農場の脇に野営するのだ。
こんな絶好の機会はそうそうないだろう。
ただ、仮に成功しても、他の街の亜人たちが苦境に立たされる危険もある。
それでも、今救える者を救いたかった。
「どうかしましたか? 怖い顔をされていますが」
マノスが不安そうに、淹れ直したお茶をガリウスのカップに注ぐ。
「ああ、囚われている亜人たちを救い出すことを考えていた」
「……えっ?」
カップからお茶があふれ出た。
「す、すみません!」
放心していたマノスは我に返り、慌てて布巾で床にまで落ちた液体を拭く。手を震わせながら問う。
「みんなを、救い出す……。本当に、可能なんでしょうか……?」
「策はある。君の話によれば、この街に常駐しているのは君を含めて四名だったな」
「は、はい」
マノスが立ち上がる。その目には、期待と不安がない交ぜになって涙の珠を作っていた。
「彼らとも話がしたい。今すぐ集められるか?」
チャンスは来週早々から、二週間の間。迅速に動く必要があった。
マノスが大きくうなずく。不安や迷いを無理やり断ち切ったかのように、部屋を飛び出した――。
会合を終えて、ガリウスは商店で酒樽を買った。
陽はとっくに落ちて城門は閉じられているので、風をまとって城壁を越える。そのまま冒険者たちと出くわした場所近くまで飛んでいった。
口笛を吹くと、宵闇に溶けるように飛竜――クロが舞い降りた。
ガリウスが抱える酒樽に瞳を輝かせている。
「すまないが、飲むのは向こうに着いてからにしてほしい。あっちでも振舞うから、頼む」
まさか、到着したその日に帰路に着くとは思ってもみなかった。
しかし時間が惜しい。
千もの亜人たちを救うには、大掛かりな準備が必要なのだ。そのために、リムルレスタの都に戻り、ジズルに相談しなければ。
不満そうなクロの首をぽんと叩き、ガリウスは手綱を引く。そうして闇夜を切り裂き、都へと急いだ――。
ジズルには『無茶を考える男だ』と笑われた。しかし反対はされなかった。
救出のための準備のほとんどは、最果ての森で行われる。
そちらの作業はジズルに頼み、ガリウスは何度もリムルレスタとフラッタスの街を往復した。
そうして、農作業への動員が始まってから十二日が過ぎ、残り二日となったところで、すべての準備が完了した――。
深夜、ガリウスはフラッタスの街の一画にいた。
目の前には幌馬車。その荷台に次々と亜人たちが運びこまれている。みな両手両足を鎖で繋がれていた。そしてケガをしているか、病気でふらついていた。
数は十七。想定よりも少なかったのは幸いか。
ガリウスはずしりと重い革袋を持ち上げ、隣にいた男に渡した。
「適当に詰めたので、五百枚あるかわからない。足りなければいずれ持ってくるが、いいか?」
男――ムエトは革袋を受け取るや、中身を確認する。金貨が溢れそうなほど入っていた。
「いえ、いいえ! 十分ですよ。逆に、今ここで数えなくてもよろしいので?」
「急いでいるからな。もし余ったのなら、取っておいてくれ。貴方のものだ」
ガリウスは素っ気なく答える。金貨五百枚で、街に残った亜人を買い取ったのだ。
ムエトは内心でほくそ笑む。
長く商売をしていれば、重さでだいたいの額は量れる。おそらくは六百枚近く。
何に使うかは知らないが、半分は処分をも考えていた使えない奴隷たちだ。五百枚でも破格であるのに、それを上回るのだから、笑いをこらえるのに必死だった。
「門兵に話は?」
「通していますよ。この証書を見せれば、城門を開けてくれます」
ガリウスはムエトのサインが入った紙を受け取り、御者台に飛び乗った。
「では、すべていただいていく」
「道中、お気をつけて」
恭しく頭を下げたところで、ついに表情が崩れる。馬車が角を曲がったのを確認し、袋を抱えて笑った。
「おい、私たちも戻るぞ」
箱馬車に乗りこむや、革袋を開いて金貨を数える。
商会に戻ってからも、何度も金貨を数え、六百三枚あると確認するたび小躍りした。
ようやく満足し、秘書の女性に金庫へ入れるよう伝えたのち、一人で高級な酒を楽しむ。
その、最中――。
「ムエト様! 大変です!」
秘書の女性が血相を変えて飛びこんできた。
「いったいどうしたのだ?」
ひとり酒を邪魔され、ちょび髭を不満げにいじくるも、彼女に引っ張られて向かった先――金庫の前で呆然とした。
金庫が破られ、中にあった金貨が散乱していたのだ。
「盗賊に、入られたのか……どうして? 施錠は完璧だったはず……っ! いくらだ? 被害は!」
「千枚入りの大袋から半分以上……おそらく六百枚ほどかと……」
「六百、枚……?」
偶然、であるはずがない。
――適当に詰めたので、五百枚あるかわからない。
そんな声も脳裏をかすめた。
「あの豚面男かっ!」
事実、金庫を破ったのはガリウスだ。
ムエトが待ち合わせ場所である亜人の居住区へ出発するその瞬間。
秘書の女性や私兵たちが彼を見送る隙に建物の上階の窓から侵入し、楽々と金庫のある部屋に入った。
いずれも施錠されていたが、『鍵』自体がアイテムである以上、針金ひとつでも彼の【アイテム・マスター】なら造作もない。
頑強な金庫も同様だった。
ちなみに、侵入はこれが初めてではない。農場へ駆り出された亜人たちの名簿を、昨夜盗み出していた。代わりに偽の名簿を置いて。
「おのれぇ!」
ムエトは建物を飛び出し、馬を用意しろと喚き散らした。
奪われた金貨は戻ってきたが、使えない奴隷たちを考慮しなくても、ここまでコケにされて黙ってはいられない。
すでに城門は越えているだろう。しかし二十人近くを乗せた幌馬車だ。門兵に事情を話して追いかけても十分間に合う。
ところが、馬にまたがったそのとき。
「ムエト様! 大変です!」
若い男が馬に乗って現れた。こちらも血相を変えている。見覚えがあった。農場で奴隷たちの管理をしていた商会の従業員だ。
「今度はなんだ!」
「奴隷たちが、すべて逃げ出しました」
「なん、だと……?」
ムエトの顔から血の気が引いていく。
「今お前、『すべて』と言ったのか……?」
「は、はい。自分の管轄であったロモス地区の野営地にいた、六十八匹、すべてです……」
「ぎ、議会から、衛兵が派遣されていただろう? 連中は、何をしていた?」
「魔族に、やられました。闇に紛れて突如として襲いかかってきて、ほとんど抵抗する間もなく……。あれは、訓練された兵士の動きでした。上位の魔法も使っていましたし……」
この地に、まだ組織立って行動できる魔族が残っていたのだろうか?
いや、それよりも。
(あの豚面の男……あいつは人族ではなかったのか? それとも、人族なのに魔族に協力した……?)
疑心暗鬼が渦巻く中、別の男が馬に乗って駆けてきた。
まさか……。その不安は的中する。
「魔族の武装集団に襲われ、管轄する奴隷たちが連れ去られました!」
それからも次から次へと、しかもほとんど間を置かずに、まったく同じ報告がやってくる。
野営地は全部で十五。現在、十がつぶされた。
――すべていただいていく。
(あの男、本当に千匹の魔族すべてを、奪い去るつもりか!)
バカめ、とムエトは乾いた笑いをこぼす。
たとえすべてを連れ去ったとしても、その数は千。一般魔族をそれだけ抱えての逃避行が、成功するはずない。
そも、どこへ逃げるというのか?
最果ての森?
魔物の巣窟に、連中は飛びこむほどマヌケだったか。
いずれ流浪しているところを見つかるだろう。
ここへの報告の途中で、門兵にはみな知らせてあった。議会の連中は慌てて追撃部隊を編成するだろう。
(ああ、そうだった。奴隷たちはなるべく殺すなと、伝えておかなければ……)
どれだけ数が減るだろうか? 奴隷たちが戻るまで商売もできない。損害を考えると頭が痛かった。
ふう、と息を吐き、天を仰いだ。
(ん? なんだ、あれは……?)
夜空に、何か大きなモノが浮かんでいる。目を凝らしてよく見ると、箱のような何かが……。
「ムエト様!」
十一番目の報が届いた。もう驚きはしないと、ムエトは達観していたのだが。
その言葉に、馬からずり落ちた。
――奴隷たちが、飛んで逃げました!
ガリウスは冷たい夜風に身震いする。
けっこうなスピードが出ているので、振り落とされやしないか心配になった。
ここは、巨大な箱の中。
堅く軽い最果ての森で採れた樹木でできた、車輪のない馬車の荷台のようなものだ。頑丈さと軽さの両立のみを突貫で追求したので屋根はなく、雨が降らないことを祈るのみ。
彼は今、空を飛んでいる。
巨大な箱には鎖並みの強度を誇るロープがいくつも付けられて、その先は飛竜たちに結ばれていた。
彼らの協力を得るのに、ジズルは相当苦労したらしい。向こう三年は、モップを担いだ部隊が定期的に奉仕活動に赴かなければならなかった。
かかった費用、これからの労力。いずれも貧しい国には重荷だろう。
それでも、虐げられた同胞を千も救えたのだ。
誰も後悔はしていなかった。
(だが、まだ囚われた者たちがいる)
ガリウスが次なる策を思案するその横で、
「底が抜けたりしないかな?」
リッピが床をコンコンと叩いていた。
「……安心だよ。何度もテストした。リムルレスタの職人たちの仕事は完璧だ。それより、俺と一緒に来た者たちの具合はどうだ?」
「それこそ安心してほしいわね。エルフ族が調合した上級回復薬だもの。まあ、重体のひとはまだ苦しそうだから、早く入り口の町まで行きたいところよね」
リリアネアは得意げに胸を張ったが、すぐさましゅんとした。
「というか、だな……。なぜ、君たちもいるんだ?」
志願して戦闘に参加した二人はしかし、そのことは告げず、
「「もちろん――」」
満面の笑みを浮かべると、
「「ガリウスを迎えにね!」」
わっとガリウスに抱きついた――。