勇者はぬくまる
しんしんと雪が降る中、ガリウスは家を出てシャベルを手にした。
小屋の隣にはそれ以上に大きく立派な木造りの厩舎がある。中には毛長馬が一頭、ゴブリンから譲ってもらった山羊が二頭、雌鶏が五羽。
そしてアオもこちらに住んでいるのだが、どうやら早朝から出かけたらしく、中を覗いてもいなかった。
せっせと雪かきを始める。
この作業も慣れたものだ。朝食後の運動にはちょうどいい。
彼が亜人たちの国家『リムルレスタ』へ来てから、三度目の冬を越そうとしていた。
この時期は冬将軍が最後の力を振り絞るかのように猛威を振るい、一年でもっとも寒い日が続く。
だがこれを過ぎれば雪は呆気なく溶け、春の風が吹いてくる。
ガリウスが玄関周りと厩舎の周囲の雪をどかし、ひと息ついていると。
「やっほー、ガリウスー」
猫人族のリッピが駆けてきた。
自前の毛皮があるにもかかわらず、幾重にも服を着こんでいる。毛糸の帽子に耳は隠れ、マフラーで目元しか出ていなかった。
「う~、さっぶーい。ガリウス、早くあれ、あれやってよ」
足踏みしながらリッピは急かす。
「準備はしてあるよ」
告げるや、リッピは目を輝かせて家の中に飛びこんだ。
やれやれと肩を竦め、その後を追う。
家に入ると、
「ふわ~、あったか~い……。やっぱりコタツはいいよね~」
帽子もマフラーも取らず、リッピは幸せそうな顔をテーブルの上に乗っけていた。
低いテーブルに毛布を被せ、その上に板を置いて再びテーブル状にした家具。中には炭を入れた壺が置いてある。
コタツと呼ばれる暖房器具で、嘘か真か、最果ての森のさらに東にそびえる前人未踏の山脈を越えた先にある、黄金の国から伝わったらしい。
勇者時代に王国兵たちが語らっているのを聞き、この冬、うろ覚えながら作ってみた。
それがリッピたちには大好評で、冬の間は防寒装備でやってきては、そのまま泊まっていくこともあった。
ただ、密閉空間で使い続けると危険もあるため、まだ試作の域を出ていない。
ガリウスは香りの弱いハーブを煮立たせてお茶にし、カップに注ぐと、ブロック状に固まったハチミツを加えた。
木製の小さなスプーンを添え、リッピの鼻先に置く。
リッピはようやく帽子とマフラー、上着を脱いだ。
出会ったころに比べて身長が少し伸び、体つきも丸みを帯びていた。
スプーンでハチミツブロックを転がす。半分が溶けたところでスプーンでお茶を掬い、何度も息を吹きかけてからすすった。
「体の中もぽかぽかだね~」
「それだけ冷まして温まるのか?」
「気分の問題だよ」
身もふたもない言い方に苦笑が漏れる。
「今日はリリア、来てないの?」
「冬とはいえ、彼女も忙しい身だ。そう毎日は来ないさ」
リリアネアはエルフの居住区で代表補佐の地位にいる。忙しい身であるのは間違いなかった。
「いい加減、くっついちゃえばいいのに」
「時期尚早だと、俺は考えている」
三年近く接していれば、リリアネアが好意を抱いてくれているのは、さすがにガリウスもわかっていた。
容姿うんぬんはもはや人族の常識から外れていると理解して、彼女の想いには真正面から向かい合っている。
ただ15という年齢はエルフでも結婚には早すぎるので、慎重にならざるを得なかった。
「もっと焦ったほうがいいと思うんだけどなあ」
「時間をかけることで、気持ちが変わってしまうのは覚悟の上だ。いずれにせよ、彼女が大切だという俺の想いは変わらない」
もったいなくはあるが、いい相手が見つかればそれでも構わなかった。
やはり同じ種族であるほうが、彼女も周りの者たちも、幸せである気がする。
「いや、ガリウスに言ったんじゃなくて、リリアのほうが、さ。『早くしないとぽっと出の誰かに盗られちゃうよ?』って脅しておくね」
「余計なことはしなくていい。それより君自身はどうなんだ? 浮いた話のひとつもないじゃないか」
「うーん……お誘いはあるんだけど、なんか気が乗らないんだよね」
なんでだろう? とリッピは腕を組んで首をひねる。
ワーキャットは早熟なので、彼女はそろそろお年頃。パートナーを見つけてもおかしくない年齢だった。
ちなみに三年近く付き合いがあれば、さすがにリッピの性別は知れた。それはそれとして、彼女にもよい出会いをしてほしいものだ、とガリウスは頭を悩ます。
二人、しばらく無言でぬくまっていると。
「ウォオオーーーンッ!」
遠吠えが響いた。
「アオだね。出かけてたの?」
「ああ。しかし、遊びに行ったにしては戻るのが早いな」
ガリウスはコタツから出て、扉を開いた。リッピが肩まで潜る。
大きな影が、雪の上を駆けていた。青みがかった銀の毛並みが美しい。額から伸びた鋭く長い角が、雲間から差す陽の光を弾いた。
アオだ。
拾った当初は小型犬ほどだったが、今ではガリウスが見上げるほど――馬くらいの体高がある。
そしてその背には、雄々しい角を二本生やした、愛らしい女の子が跨っていた。
「ガリウスさーーーんっ」
女の子――ククルはぶんぶん手を振る。その姿は、出会ったころとほとんど変わりない。竜人族は生涯通じて成長が緩やかであるためだ。
「朝からいないと思っていたら、都まで行っていたのか」
「アオさんはすごいのです! 昨夜、口笛を吹いて試しに呼んでみたら、今朝本当に来てくれました!」
聴覚がどうのより、魔法的なやり取りが行われたのではなかろうか?
頭を下げてすり寄ってくるアオを撫でてやりながら、そんな疑問を抱く。
「ん? 『アオを呼んだ』ということは、俺に何か用があるのか?」
「はい。ガリウスさんに、お伝えしたいことがあります」
寒い中で立ち話もなんなので、ククルを招き入れる。
「ククル様、お久しぶりです。ささ、どうぞー」
リッピは毛布をめくり、隣に誘う。
ククルはコタツに正座して入り、「ふわ~」と幸せそうな顔になった。彼女もコタツが大好きなのだ。
「それで、俺に伝えたいこととは?」
ハチミツティーを用意すると、ククルはカップを両手で包むように持ち、またも「ふわ~」と蕩ける。が、すぐさまキリリと表情を引き締めて、告げた。
「ミッドテリア王国が、滅んだそうです」
ガリウスは、しばらくその言葉を反芻してから、
「「えっ?」」
リッピと声を合わせて、驚いた――。