勇者はお姫様を迎える
ガリウスはククルの両脇を抱え、静かに下ろした。大きなトカゲみたいな尻尾があるせいか、小さな体格に似合わずけっこう重い。
まずはお嫁だの結婚だのと口にした理由を問いたいところだが、ハッと我に返ったリリアネアに先を越された。
「ククル、様、なのですか……?」
「? あなたは、どなたですか?」
「あたしは、エレンフィールの里長の娘、リリアネア、です……」
ククルはにぱっと笑みを咲かせる。
「ゆうしゃさんとご一緒に旅をされた方ですね。たいへんお辛い経験をされたと聞いています。よくぞリムルレスタへいらっしゃいました」
ぺこりとお辞儀するククルに、リリアネアは「あ、いえ……」と恐縮した様子。
二人に面識はないようだ。
リムルレスタは以前『魔の国』と呼ばれていたころから封建的な政治体制ではなく、あらゆる種族が対等で運営する共和国家だ。
しかし竜人族は特別な意味合いを持っていた。
数が少なく、それでいて他の種族を多くの面で凌駕する力を持つため、『個』の力でヒトの軍勢に匹敵する彼らは、古くから象徴的な地位に就いてきた。
ゆえに竜人族というだけで尊敬と畏怖の対象であるのだ。
しかもククルは前〝魔王〟にして現在のリムルレスタ国家代表であるジズルの孫娘。
エルフでは高い地位であっても、リリアネアが恐縮するのは当然だった。
「ともかく、話が長くなりそうだから、中に入るか。リリアネア、すまないが君も来てくれ」
「へ? あ、あたしも? いいの?」
二人してククルに目をやると、「かまいません」と返ってくる。
ガリウスが歩き出す。ククルとリリアネアの後ろから、アオも尻尾を振ってついてきた。
ククルはテーブルには着かず、床に正座した。
ガリウスは藁で編んだ座布団を三つ持ってきて、ククルと正対する。リリアネアは横でアオをぎゅっと抱きしめて縮こまっていた。
作り置きの冷めたハーブティーを前に置き、ガリウスはこほんと咳払いする。
「それで? 君がここに来た事情を説明してもらえるかな」
「わたくしは、ゆうしゃさんのお嫁さんにしていただきたくて、参りました」
「いやだから……そこからしてさっぱり事情がわからない」
ククルはむむむっと眉間にしわを寄せると、しばらく考えてから言った。
「竜人族の女は、十になればみな伴侶を決めるのです。わたくしも今年で十になりますから。てきれいき? というのだそうです」
竜人族は数が少なく、繁殖力も弱いらしい。だからそういった風習があるのは理解した。
「ではジズルも了承済みなのか……」
肩を落とすも、ククルはなぜだかさっと目を逸らす。
「そういえば、『一人で来た』と言ったな。まさか、ジズルに黙って飛び出してきたのか?」
「い、いいえ。きちんとお話は、したのですけど……」
「反対されたのか?」
「いえ、その、なんと言いますか……」
どうにも要領を得ないので、ガリウスは質問を続けた。
「君は人族とのハーフだろう? 種族の繁栄を考えるなら、人族の俺ではなく、純血の竜人族から相手を選ぶべきなのではないか?」
「えっと……、どうしてですか?」
不思議にもククルはきょとんと首を傾げる。
「いや、だから、俺と君との間に子が生まれれば、竜人族の血はより薄まるという話だ」
なるべく淡々と告げたものの、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
対するククルはきょとんとしたまま答える。
「よくわかりませんけど、おじいさまは相手が人族でも構わないとおっしゃいました」
「むぅ、ジズルはそのあたりを気にしていないのか。だとすれば、ますますわからない。そもそも、どうして俺なんだ?」
「ゆうしゃさんは、おじいさまを救ってくださいました」
「それ以前に、君たちの同胞を多く手にかけている」
「そ、それは……」
言い淀むククルに胸は痛む。一方で、何かを隠しているように感じた。
詰問するのは躊躇われるが、しかしもやもやを抱えるのも我慢できない。
どうすべきか、と助けを求めて横に目をやる。
リリアネアはお茶を口へと運びながら、ジト目で『こっちには振らないで』と訴えていた。
そんな二人の様子を、ククルはじっと見つめ、ハッと何かに気づいたような表情になる。すぐさま座布団から飛び退いて両手をついた。
「申し訳ありません。知らなかったとはいえ、正妻さまを差し置いて、このような話をしてしまい――」
ぶっふぅーっとリリアネアが盛大にお茶を噴いた。ガリウスの顔はべっちゃりだ。
「せ、せいさ……いやいやいや! ちが、あ、あたしとガリウスはそんなんじゃ……」
「違うのですか?」
「そういった関係ではない」
もごもごとするリリアネアの代わりに答えたら、彼女はなんだかしゅんとしてしまった。
「そう、なのですか? とはいえ、仲がよろしいご様子です。わたくしとしては正妻にはこだわりませんので、リリアネアさんさえよろしければ――」
「だからぁ、まだそういうんじゃないってば……」
真摯に見つめられ、たじたじになるリリアネア。
と、そこへ。
コンコン、と扉が叩かれた。
「ガリウス、いるか?」
野太い声はこの町の長、テリオスのものだ。「ああ」とガリウスが応じると、扉が開かれ、巨躯を屈めて牛頭の男が入ってきた。
「おおっ、ククル様。こちらにおいででしたか。ふむ、ならば話は早い」
テリオスはちょいちょいとガリウスを手招きする。
近寄ると、彼はひそひそと耳打ちした。
「ククル様が飛び出した、と都から早馬が来てな。貴様の嫁になるとかなんとか、その話は聞いたか?」
「ああ。だが事情は呑みこめていない。どうして彼女は俺を結婚相手に選んだのか、知っているなら教えてほしい」
テリオスは言いにくそうに小声で語る。
「以前から貴様を気にかけておられたのだが、貴様の暮らしぶりが妙な伝わり方をしたらしい」
ガリウスは町外れで一人古い小屋に住み、寂しくしている。
そう誤解したククルは、とても心を痛めたそうだ。
やはり人族であり勇者だった彼が、亜人の国に馴染むのは難しい。
そう考えた彼女は、自分と結婚すれば周囲の目も好意的に変わると結論付けた。
「俺は楽しく暮らしているのだがな。ジズルは誤解を正さなかったのか?」
「貴様の生活状況を逐一都へ報告はしていない。ジズル様も現状を正確に把握なされていなかったのだろうよ。となれば推測でしか語れない。ククル様がそれで納得できなかったから、今こんな状況になっている」
なるほど。ならばたしかに話は早い。
「俺が直接、今の生活に不満がないと告げればいい」
ガリウスは楽観したものの、テリオスは待ったをかける。
「そう簡単にいくかな? 本人が語ったところで、『もしかしたら我慢しているのかも』と不安になろう。むろん、当事者であるオレや町の者たちが言ってもな」
素直な彼女は、信頼する者たちの言葉を信じはするだろう。
だがやはり、『もしかして』との不安を完全に拭い去ることはできない。
「では、どうすればいい?」
「これは、ジズル様の提案なのだが――」
テリオスはいっそう声を落とし、
「しばらく共に暮らし、貴様が楽しく生活しているところを見せてやるのはどうだ?」
「なんですってぇ!?」
ガリウスが答えるより先に、大音声が室内にこだました。
聞き耳を立てていたらしいリリアネアが、わなわなと震えて叫んだ。
「共に暮らすだなんて、そんなの、そんなことしたら…………赤ちゃんができちゃうでしょ!」
呆然とする、ガリウスとテリオス。
ククルはなぜかワクワクした様子で、
「そうなのですか?」
「そうなのです! 若い男女がひとつ屋根の下で生活すると、女のお腹にいつの間にか赤ちゃんが宿るのですククル様」
「わたくしは以前、赤ちゃんはシロクロドリが咥えて運んでくると聞きましたが……」
「それは子どもをごまかす迷信ですよ」
「むむぅ……そうだったのですね。では具体的には? ただ一緒に暮らしていると、自然にお腹に宿るものなのでしょうか?」
「そう、だと思います。あたしも詳しくは知らないんですけど……」
(なぜ、二人して俺を見る……?)
ガリウスの肩に大きな手が置かれる。
「ひとまず誤解は解いておけ」
「俺が、か? 二人に?」
ククルは幼いからよいとして――いや説明が極めて困難なのでよくはないが、それはそれとして、見た目が成人女性であるリリアネアにまで説明義務があるのはなぜなのか?
「エルフは老いが緩やかであると同時に、子ども時分は成長が早く、外見で年齢が計りにくい。彼女は大人に見えても、実際は十三歳だ」
「待て。初耳だぞ」
若いどころかリッピより年下である事実に愕然とする。
たしかに振り返ってみれば、彼女の言動には背伸びした感じがあったような気が、しなくもない。
「そうらしいから教えてやった。里長の娘として英才教育は受けているが、そっち方面はサボったようだな。文句はミゲルに言え。ちなみに奴は三十を超えているはずだ」
ずいぶん歳の離れた兄妹だな、と現実逃避するガリウス。
「それと、手は出すなよ?」
「冗談でもやめてくれ……」
ガリウスはこの難問に対し、いろいろぼやかすことで対処するのだった――。
その夜。
エルフの居住区にある自宅で、ミゲルはのんびりハーブティーを楽しんでいた。
種族の代表となり、毎日忙しくしている中で、このくつろいだ時間は欠かせないものだった。
「ただいま……」
妹のリリアネアが帰ってきた。どこか元気がないというか、悩みを抱えているように眉間にしわを寄せている。
声をかける前に、彼女が重そうな口を開いた。
「ねえ、お兄様……」
「うん? どうしたんだい?」
ミゲルは深刻な話かと身構え、お茶をすすって気を落ち着かせようとした。
「赤ちゃんって、どうやったらできるの?」
「ぶっふぅーっ!」
盛大にお茶を噴き出した。
「ちょ、なんなのよ、もう!」
リリアネアの顔はべっちゃりだ。
だがミゲルはそれどころではない。
ついに、この日が来てしまったか。
父から託された、最大の難問にして試練。つまるところ、正しい性教育。
この難題に対しミゲルは――。
「シロクロドリって知ってるかい?」
やっぱりいろいろぼやかすことにした。むろん、激しく詰め寄る妹にタジタジになってしまうのだが――。