勇者は毛を刈る
ボルダルの町の北側は丘陵地帯に面していて、そこでは羊や山羊を放し飼いにしている。麓には養鶏場があった。
町は農業主体だが、この辺りは羊毛や食肉、山羊乳の生産拠点になっていた。
この一帯を居住区とするのは、
「よろしく頼む」
「こちらこそ、今日はよろしくお願いします」
丁寧にお辞儀したのはガリウスの目線でかなり下。
赤みを帯びた肌に、額には小さな角を生やした小躯は、ゴブリン族の青年だ。そしてその隣には、
「ウフフ♪ 今日はダーリンと一緒にのんびり羊を眺めて過ごせるのねー」
彼のお嫁さんがぴっとり寄り添っていた。
「お、おい。あんまりくっつくなよ。恥ずかしいだろ」
「あ、ごめんなさい。わたしったら、つい嬉しくて」
頬を赤らめて……いるかどうかはわかりにくいが、少女と思しき若い娘は照れながら青年から離れた。
彼らは新婚ほやほやの若い夫婦らしい。
ガリウスの(というか人族の)ゴブリン観とは随分かけ離れてる。
彼らは人の娘を攫っては洞窟の奥深くに監禁し、苗床として死ぬまで非道のかぎりを尽くすとされている。凶暴かつ凶悪。
ゆえにひとたび出会えば皆殺しは必須であり、拠点とする洞窟を破壊し尽くさなければ安心できないと恐れられている存在だった。
が、それは人族が作り上げた妄想、あるいは為政者に都合の良い虚言だったのだろう。
彼らは種族全員がひとつの家族であるかのように助け合い、互いを尊重して暮らしている。
住居が洞窟であるのは本当で、蟻の巣のように深くたくさんの部屋を構えているらしかった。
夫婦は放牧した羊たちを監視するため、出かけていった。
ガリウスは厩舎の掃除が担当だ。
これが意外に重労働。
ゴミを寄せたら水を桶に組んできて、バシャバシャと床に撒き散らす。ブラシでごしごし擦ったら、またも水を撒く。何度も往復するのが大変だった。
ただしブラシを使った掃除自体はてきぱきこなし、羊たちが戻って来るまでどうにかノルマを達成する。
「わあ、すっごぉい。わたしがやるより全然きれ~」
「ゼパルさんから話を聞いたときは驚きましたけど、本当にすごいですね」
もちろん褒められて嬉しいのだが、ガリウスは時間の関係でやや物足りなかったのもあり、すこし戸惑う。
ちなみにこの仕事もゼパルから紹介されたものだ。
あの老人は町の最古参のひとりで、相当顔が広いらしかった。
「せっかくですから、他の仕事も体験してみますか? もちろん相応の報酬は支払います」とゴブリンの青年。
「う、うむ。いろいろ挑戦してみたくはあるのだが……」
ガリウスは言葉を濁す。
今回、牧場の仕事を手伝ううえで、彼にはひとつの懸念があった。
「いいじゃないですかぁ。さ、行きましょ行きましょ」
ゴブリンの娘に引っ張られ、向かった先。
もこもこふわふわの毛がもっさりと生えた羊が十数匹、草を食んでいた。
「羊毛を刈ります」と青年はニコニコ顔。
対するガリウスは苦い顔だった。
「ガリウスさんはどんな道具でも自在に操ることができるんですよね? 実は僕、これが苦手で……」
青年は困ったような笑みに変え、手にしたバリカンを掲げてみせた。
ハサミのように手で握ってざくざくと毛を刈る道具だ。
「いや、たしかに道具を扱うのは得意なのだが……」
稀有にして至高の恩恵、【アイテム・マスター】。
どんな道具であろうと最大限に性能を引き出せるが、それにはひとつ、制限と呼べるものがあった。
意志を持つ生物は道具と見なされない、というものだ。
ある意味、当然の制限ではある。生き物はアイテムではないのだから。
例えば乗馬。
彼はとても苦手意識があった。
手綱は馬を操作するための道具である。だからガリウスの手綱捌きは世界最高峰と言えた。
が、彼自身は並以下の能力しか持ち合わせていないため、馬を手綱で自在に動かせたとしても、振り落とされることがしばしばあった。
一方、馬車ならばすこし安心できる。御者台の上は安定しているから。
ただし、飛び出してきた獣を避けるような不測の事態には、やはり馬を手綱で上手く止められても、御者台から放りだされる危険があった。
不思議なことに、ガリウス自身をアイテムと一体化することはできる。
剣だろうが金槌だろうがバリカンだろうが、【アイテム・マスター】に身を委ねれば、自身がアイテムとなったがごとく自然に体が動いた。
しかし乗馬のように、全体をひとつのアイテムと捉えたときの範囲に別の生き物が絡んでくると、自身をアイテム化できず、低能力が足を引っ張るのだ。
(剣で敵と斬り合うとき、この制限は当てはまらない。羊の毛を刈るのも、同じようなものだろうか?)
さっそく試してみた。
暴れる羊の頭が顎にヒットし、一瞬意識を持っていかれる。
「僕が抑えていますから、その間に」
「二人とも、がんばって!」
青年が羊を抱えこんだ。
ここまできて後には引けない。羊はもふもふで気持ちがいいし。
ガリウスは我が身をバリカンと一体化させ、すうっと皮膚のすれすれに刃先を滑らせた。
じゃきじゃきじゃきじゃきじゃき!
「「おぉ~」」
感嘆の声が上がる間も、ガリウスは一心不乱に毛を刈っていく。
一匹を終え、調子に乗って二匹目にも着手。こちらも素早く片付け、三匹目へ。さらにさらに……。
その場にいた最後の一匹を刈り終えると。
「「「「うお~っ!」」」」
大音声が巻き起こった。刈り上げられた羊たちもびっくりである。
騒ぎを聞きつけたのか、他のゴブリンたちが集まってきていた。
「あんたすげえな!」
「見事なもんだっ」
「おら感動した!」
この後ガリウスは、ゴブリンたちにもみくちゃにされながら就職を迫られるのだった――。