勇者は決断する
準備中の食堂に入ったら店主がオークだった。
緑色のごつごつした皮膚。ぱっと見では体毛が見当たらない。太っているというよりは頑強な筋肉の塊といった巨漢が、エプロン姿なのは実にシュールだ。
あらためてその顔を眺める。目は腫れぼったく、上向きの大きな鼻。そこへ向かって下あごから牙が伸びていた。
「? 私の顔に何か付いていますか?」
「い、いや、じろじろ見てすまない。俺は昔から、オークに似ていると言われていたので、つい……」
幼いころは、ガリウスがオークとのハーフだと信じて疑わない者もいたほどだ。
十二歳で恩恵を授かるまでは、〝人〟と認められてはいなかったのかもしれない。
実際、それまではとても辛い思いをしてきた。
特に母親は、ガリウスを心底忌み嫌っていた。恨んでいた、と言える。なにせ『オークとまぐわった淫売』などと口汚く罵られていたのだから。
そんな彼女はいつしか心を病み、体も壊して、ガリウスが十歳になるころには死んでしまった。
母も被害者だと今でこそ理解しているが、顔を合わせるたびに罵倒され、深く傷ついたのも事実。けっきょく彼は、葬式の日以降は墓前に立つことはなかった。
「ふむ、似ている、ですか。人族に言われると、妙な感じがしますね」
「すまない。気を悪くさせるつもりはなかった」
「いえいえ、そうではなく」
オークの店主はわかりにくいが相好を崩し、ガリウスと、なぜかリリアネアを交互に見た。
「私からすれば、貴方に似ているのはそちらのエルフのお嬢さんですよ」
「えっ?」
とんでもなく失礼な発言ではないか、と動揺したものの。
「まあ、そうだよね。ボクもそう思う」
なんとリッピが同意したではないか。
しかも、である。
「なに驚いてるのよ? 当然じゃないの」
リリアネアまでが『当然』と言い放った。
「私のような獣人系の亜人にとっては、似ているのはヒトではなく、豚や猪でしょう。肌の色や質は違いますし、私の頭には毛がありません。耳は横ではなく頭から生えています。そしてこの立派な鼻は、人族にはまねできないと自負していますからね」
「それは、その通りなのだが……。俺とエルフでは、美しさが段違いというか……」
「またそれ? 人族の感覚なんてボクらはわかんないよ。それに、ボク的にはガリウスって可愛いよ?」
「そ、そうね。お兄様も他のみんなも、そう言ってたし。あたしは、まあ、そこそこってくらいだとは思うけど」
リッピやエルフたちからの評価はすでに把握済みであったが、これまで散々『似ている』とされてきたオーク族本人から具体的かつ論理的に『似ていない』と否定された以上、もう間違いない。
(亜人は、俺の容姿をまったく気にしていない!)
得も言われぬ感動が、あらためてガリウスの内からこみ上げてきた。
彼が打ち震えているのを不思議そうに見やりつつ、店主はメニュー表を差し出す。
「何をお作りしましょうか? スープがまだできていないのと、魚料理は時間がかかりますので、それ以外なら」
二枚の板を紐で綴じ合わせたメニュー表を開く。飲み物は豊富ながら、食事は次の物しか記されていなかった。
シェフの気まぐれサラダ
シェフの気まぐれスープ
シェフの気まぐれパスタ
シェフの気まぐれ丼
シェフの気まぐれ肉定食
シェフの気まぐれ魚定食
シェフの気まぐれコース※昼のみ
(なぜ、気まぐればかり……? 要するに『お任せ』ということか?)
ちなみに、欄外には『※豚と猪の肉は使いません。あしからず』とも書かれている。
呆気にとられるガリウスをよそに、リッピとリリアネアはすぐに決めた。
「ボクは肉定食! お肉はたっぷりね。あ、辛いのはなしでお願いします」
「あたしはサラダだけでいいかな。量は少なめで。香辛料も控えてほしいわ」
初めての店だというのに、あれこれと注文を付ける二人。
人族の店でやれば、『ごちゃごちゃうるさい』と追い出されるだろう。
「では、俺はパスタをお願いする」
「承知しました。少々お待ちください」
店主が奥に引っこんだところで、ハタと気づく。
「そういえば、支払いはどうする? 持ち合わせがないぞ」
「ボク、持ってるよ」
リッピはポケットをまさぐると、数枚の金貨を取り出した。
「王国金貨が使えるのか?」
旅の途中で、ほぼ使い道はないがリッピにいくらか渡しておいたものだ。
「大丈夫じゃないかな? ダメならあとで払いにくればいいよ」
これまた注文後にそんな態度でいたら、人族の店主は料理を投げつけてくるだろう。
まったく異なる場所に住んでいた、リッピとリリアネア、それに店主がこうも似た振舞いをするのだから、亜人特有の感覚なのかもしれない。
ガリウスは流れに任せることにした。
しばらくして、予想よりも早く料理がやってきた。
リリアネアには数種の野菜が木の器に盛られ、ドレッシングが申し訳程度にかかっている。
リッピの料理は何かの肉を焼いたものが平皿に、そのわきに固そうなパンが置かれていた。量は注文通り多い。
そしてガリウスのパスタはクリーム系で、しかし具がほとんどなかった。
昨夜の宴の席でも、けして豪華とはいえない料理だったのを思い出す。
新しく生まれた国は、食糧事情があまりよくないらしい。
ただ、味のほうは文句ない。少ない食材を丁寧に調理し、素材の味をぞんぶんに引き出していた。見た目は豪快だが、繊細な料理人なのだろう。
「ね、ねえ、ガリウス」
サラダをフォークでつっつきながら、リリアネアが声をかけてきた。
「ジズル様についていくの?」
「……酔いつぶれてしまったから、まだ返事はしていない」
ジズルからは、定住するかどうか決めるまで、都で一緒に暮らさないかと誘われていた。国の代表者の客人ともなれば、人族の自分でも不自由な生活はしなくて済むだろう。
しかし――。
「俺は、この国でずっと暮らしたいと思っている」
見た目で疎まれるのは、もうこりごりだ。
けれどこの国の者たち――亜人たちは、外見を気にしない。ガリウスが切に望んでいたものが、この地にはあった。
「っ!?」
「ッ!?」
「ならば客人としてではなく、しっかり地に足をつけて――」
「だったらあたしたちと一緒に行きましょうよ!」
「そうそう、それがいいよ!」
決意の告白という、いい感じの話を邪魔された。
それはそれとして。
「君たちは、同じ集落で暮らすのか?」
「旅をしてきたみんなもね。まだどこに割り振られるかは決まってないみたいだけど」
「ボクはジズル様に誘われたんだけど、やっぱりみんなと離れたくなくってさ。だからガリウスも、ね?」
見知った者たちと一緒だと、甘えにつながる危険がある。
しかし右も左もわからない異国の地で、ともに旅した仲間たちが側にいてくれるのは、とても心強かった。
「そうだな。俺も、君たちとともに在りたい」
ガリウスが決意を言葉にこめると、
「よし!」
「やったね♪」
リッピとリリアネアはハイタッチして喜んだ。
「……もしかして、俺を連れ出したのは説得するためだったのか?」
「え? あー、うん、まあ……」
「えへへ、バレちゃった」
妙な心配をさせてしまったか。その意味でも、早く決断してよかったと思う。
ガリウスは残ったパスタにフォークを差し、口へと運んだ。
薄い味付けではあるが、クリームがほんのり甘く、優しい味がした――。