勇者は亜人の町を見て回る
朝、ガリウスはひどい頭痛で目が覚めた。
起き上がるのも億劫で、しばらくは寝ていたい。
しかし再び目を閉じることはできなかった。
「あ、ガリウス起きた? おはよー」
手の届く距離に、もふもふがあったからだ。
さっそくわしゃわしゃする。
ああ、なんという心地よい手触り。ふわふわのもふもふで、頭痛が癒される。あごのところを撫でると、「ふにゃ~」と気の抜けた声が出てきた。
いつまでもこうしていたかったが、節度は守らなければならない。
手を止め、身を起こすと、ズキズキと頭の芯が痛んだ。
「辛そうだけど大丈夫?」
「なに、ただの二日酔いだ。水でも飲んで休めばすぐによくなる」
ここは最果ての森にある亜人たちの楽園、リムルレスタ。その外周にある『入口の町』のひとつ。
昨日、ようやくたどり着いたその町で、かつて魔王と呼ばれていた竜人族の老人ジズルにガリウスは再会した。
昨夜は旅の疲れを癒すとの名目で宴が開かれた。
町の中央にある大きな屋敷で、ガリウスとリッピ、エルフの面々が招待されたのだ。
普段から酒を飲み慣れていなかったガリウスは、勧められるまま酒をあおり、日を跨ぐことなく酔いつぶれてしまった。
そしてものの見事に二日酔いである。
「いいものもらってきたよ」
リッピがポケットをごそごそして、小瓶を取り出した。
「二日酔いのお薬だって」
「それはありがたいな」
ごくりと飲み干すと、すぐ効果が出た。頭痛が治まり、すっきりする。
「驚くほど効き目があるな。どこで手に入れたんだ?」
「リリアからもらった」
リッピがあっけらかんと答えたその瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれ、
「黙っててねって言ったでしょ!」
リリアネアが飛びこんできた。
「あ、そうだった」
「あんたはもう! ほんとにもう!」
てへへと舌を出すリッピと、顔を真っ赤にするリリアネアを交互に見る。
「というかリリア、君が直接持ってくればいいのでは? どうして秘密にする必要がある」
「それは……なんていうか、こんな程度で恩を売ったように思われたくないっていうか……」
「恥ずかしいからって言ってなかった?」
「だからもう! あんたはもう!」
よくわからないが、なんだか哀れに思えてきたのでガリウスが口を挟む。
「しかし、君が二日酔いの薬を持っているとは意外だな。昨夜はひと口も酒を飲んでいなかったようだが」
「まあ、お酒は好きじゃないわね。ていうか、エルフは森の民だもの。薬草を調合するのはお手の物よ」
「では、今の薬は君が?」
「ぁ、ぃゃ……。あたし、そっち方面は苦手だから……。他のひとにお願いしたのよ」
得意げな顔から一転、しゅんとうつむいたあと、今度はつんと開き直る。
目まぐるしく変わる表情に、ガリウスは思わず笑みをこぼした。
リリアネアは口を尖らせる。
「なによ?」
「いや、他意はない。ところで二人とも、薬を届けに来てくれただけなのか? 俺に何か用事があったのでは?」
彼女が標的をこちらに移しては堪らない、とガリウスは話題を切り替えた。
「元気になったんならさ、町を見て回らない?」とリッピ。
「辛い旅が終わってゆっくりしたいところだけど、ひと晩ふかふかのベッドで眠ったら、逆に体を動かしたくてうずうずしちゃったのよね」
なるほど。たしかにそれはあるかも。
ガリウスはベッドから降りると、
「そうだな。散歩でもするか」
さっそく着替えて、二人と外へ出かけたのだった――。
屋敷を出て、大通りを歩く。
昨日は町並みを観察する余裕がなかったが、あらためて見ると不思議な感じがした。
道幅は馬車四台が通れるほどの広さで、左右には木造の低層家屋が連なっている。
そう、家屋だ。
町の中心部で、大通り沿いともなれば商店がひしめいているはずだが、飲食店はそこそこの数あるものの、専門店らしきはちらほら程度で、ふつうに暮らすための家々がほとんどだった。
道行く誰かもまた、ガリウスには異質に見えた。
狼や虎、獅子といった獣の顔を持つ者たち。中には兎もいる。
二足歩行の蜥蜴に、下半身が蛇の男性。
ヒトの外見を保っているほうが圧倒的に少数だ。その意味では、異質なのはガリウスやリリアネアのほうかもしれない。
亜人は多種多様な種族がいるので、不思議ではない。
だがガリウスは、ひとつのコミュニティーはなるべく特徴の似た種族――もっといえば単一の種族で形成するものだとイメージしていた。
その理由はいくつかあり、昨夜ジズルが宴の席で語っている。
酒に翻弄されながらも聞いていた内容を、ガリウスは思い出した。
『亜人というのはな、種族の絆が非常に強い。ま、当然ではあるがのう』
ゆえに結束力は人族を遥かに凌駕する。
しかしそれは、亜人内でも他種族との対立に発展しかねない諸刃の剣でもあった。
『〝ヒト〟の脅威から一時的にでも解放された今、その懸念は現実のものになりかねぬのじゃ』
故郷という礎を失った彼らは、同族の絆をいっそう拠り所にする。
それが強くなり過ぎれば、小さな不満が大きな爆発を生む危険があるとジズルは語った。
『それにのう、新天地はまさしく未踏の地じゃ。何が起こるかわかったものではない』
狭い範囲に同じ種族が固まり、万が一全滅の危機が訪れたとすれば、その種族が絶えてしまうだろう。
だからなるべく分散させ、できる限り相性のよい種族を複数まとまらせる方法を選んだ。
『ま、この施策自体も不満の火種ではある。国ごと引っ越すなんてことをやらかしたからのう。儂、信頼値が最低レベルまで落っこちとるんじゃ』
だから各地を歴訪して、不満の解消を努めているのだとか。
そんな事情がある中で、この町は特殊な意味を持つ。
ここは新生国家の外周に位置する。
仮に人族が攻めてくるとしたら、真っ先に戦場となる場所だ。
ゆえに、ここには多くの戦士が集まっている。
というか、まんま兵士の駐屯地であった。
それにしては木造りの柵で覆うのみという脆弱さではあるが、そのあたりの理由はジズルが語ったようで思い出せないのでさておき。
彼らはこの地に根を下ろして一生を過ごすのではなく、任期制で入れ替わる。
平時はこの辺りにしかない薬草などを採取したり、資材や素材を集めたり、自給自足用の畑仕事をしたり、狩りをしたり。
必要な物品は内側の町から定期便がやってきて、集めた薬草などと交換で支給される。
だから通常の商店は必要最小限にとどまっていた。
(しかし、ジズルは不安がっていたが……)
町の様子を眺める限り、実にみな楽しそうに過ごしている。
故郷を失った悲しみや怒りはあるだろうが、ようやく手に入れた平和を噛みしめている。そんな風にガリウスには思えた。
また、昨日エルフの集団が逃れた話は伝わっているようで、
「よう、エルフの姉ちゃん」
「よく来たなあ」
「なんもないとこだけど、ゆっくり休んでくれよ」
このように、気さくに声をかけてくる。
一方、王国の勇者を伴ってきたとも聞いているらしく、しかしどう接してよいかわからないのか直接ガリウスに声をかける者はいなかった。
(こればかりは仕方ない、か。俺はよそ者なのだからな)
むしろ石を投げつけられないだけ、ここの住民は冷静だと思う。
醜いと蔑まれ、道具のようにこき使われていた以前に比べれば、きっと――。
「ガリウス、どうしたの? なんか元気なさそうだけど」
「まだお酒が残ってるのかしら? おかしいわね。お兄様にはちゃんと効いたのに」
声をかけられ意識を戻したところ、タイミングがよいのか悪いのか、くぅと腹の虫が鳴った。
「お腹空いてるの?」
「朝は食べてないものね」
「そうだな」
二日酔いが治って、そのまま出歩いていたから胃が何かを求めたらしい。
「あ、あそこに食堂があるよ!」
リッピが駆けた先へ行ってみると。
「まだ営業していないぞ」
店の扉には大陸共通言語で『準備中』の札がかかっていた。今は十時をすこし過ぎたあたり。昼の営業に向けて仕込みでも行っているのだろう。
「大丈夫なんじゃない?」
「そうね。入ってみましょうか」
「えっ?」
まったく気にした様子を見せない二人に驚きが隠せない。仮に王都でそんなことをすれば、店主がフライパンを振り上げて威嚇してくるに違いなかった。『客は大人しく待っていろ』と。
リッピが扉を開き、中に入る。リリアネアも続き、ガリウスは遠慮がちに後を追った。
「すみませーん。今いいですかー?」
リッピが声を張り上げると、店の奥から野太い声が返ってきた。
「ええ、すぐ参りますよ」
実に物腰柔らかで丁寧だ。
そして、ぬっと現れたのは――。
「仕込み中なので出せるものは限られますが、よろしいですか?」
身長二メートルを超す、横幅もたっぷりな巨漢。
豚のような猪のような頭を持つ、オーク族の男性だった――。