勇者は最果ての森へたどり着き――
かつて『魔の国』と呼ばれていた地域は広大でした。
野を越え山を越え。
途中、馬を放って馬車を打ち捨て、勇者とその仲間たちは東を目指します。
道中は多くの困難に見舞われました。
険しい道。
激しく打ちつける雷雨。
ときには熱病に侵される者。
魔物の扱いに慣れている亜人とはいえ、不慣れな土地を進めばうっかり彼らの縄張りに足を踏み入れ、怒りを買うこともしばしば。
それでもみなは手を取り合い、励まし合い、身を寄せ合い、勇者が薬を調合するなどして活躍したこともあり、すこしずつ、しかし確実に新天地へ近づいていきます。
ただ、やはり一番厄介だったのは――。
「リッピ、右方向に撃て!」
「う、うん! とりゃあ!」
ガリウスの叫びにリッピは尻尾の毛を逆立て、シルフィード・ダガーに魔力を注ぎこんだ。
風の砲弾が森の木々を避けて突き進む。
行く手には、弓を持った人族の男。
「ぎゃあ!」
男は風弾を食らい、吹っ飛んだ。
「見事だ。しかし……次から次へと忙しいことだな」
ガリウスは弓を構えてぼやく。
矢を三本同時につがえて引き絞り、撃ち放った。三本の矢はそれぞれ別の軌道をたどり、三人の男を捉える。軽鎧の隙間に突き刺さった。
「あたしだって!」
リリアネアが前に躍り出た。
「君はみなの誘導だ。ミゲルのサポートをしてくれと言っただろう?」
救い出したエルフ族はほぼ戦闘経験のない非戦闘員ばかりだ。その中にあって、ミゲルとリリアネアは里の長の子として高度な戦闘訓練を受けていた。
ミゲルは剣と弓の、リリアネアは魔法に突出した才能を持っていた。
「でも!」
「敵が来るのはこちらからだけとは限らない。逃げる方向に現れたら、君とミゲルで対処してくれ」
「わ、わかったわ」
リリアネアは後ろ髪を引かれながらも、森の奥へと駆けていった。
「さて、こちらはこちらで片を付けるか」
ガリウスはリッピから短剣を受け取ると、風刃を幾つも浴びせかけた。木陰に潜んでいた者も残らず斬り伏せる。
「お、終わったの……?」
「今のところはな。追撃部隊への警戒は必要だが、ひとまずみなに追いつこう」
ガリウスはリッピを抱えると、風をまとった。
木々を避けながら飛ぶ間、さっきの戦いを思い返す。
(連中は正規の王国兵ではなかった。かといって傭兵団とも思えない)
二十人ほどに襲われたが、彼らの連携は拙かった。集団戦に慣れていないような、いや、数名ほどの少人数での戦闘に特化したような動きだった。
(となると、冒険者か)
様々な依頼をこなし、ときには宝探しで一攫千金を狙う者たちだ。
魔の国は滅んだが、その領土すみずみまでを王国が支配したわけではない。手つかずの領域に、複数の冒険者パーティーが協力して探索しているところに出くわしたのだろう。
王国軍の動向はある程度予想できるものの、彼らが出しゃばってくるとなれば、その動きはまったく予測がつかない。
実際、その後の旅路で何度となく、冒険者たちには悩まされることになる。
亜人の残党には賞金が掛けられているから、彼らは話し合う余地もなく襲ってきた。
炊煙で居場所を特定されないような注意が必要で、気が休まる暇がない。
それでもガリウスたちは着実に東へと進み――。
大河の手前でエルフたちを救出してから一ヵ月近い旅の末、何度目かの山岳地帯を越えようとしていた。
ここはすでに魔の国の東端よりも東に位置し、王国の手はもちろん、冒険者の興味もいまだ及ばぬ辺境中の辺境だ。
山の頂上付近から見下ろす景色は、ため息も忘れるほど雄大だった。
眼下には見渡す限りの森が広がっている。
『最果ての森』。
辺境の先にある、まさしく最果ての地だ。
その遥か彼方には、天を衝くほど高い山々が連なり、うっすらとその姿を霞ませていた。
「ついに、ここまで来たのね……」
リリアネアは目を潤ませていた。
「ああ、ようやくだ。しかし最初の町まで三日ほど歩かなくてはならないがな」
ガリウスはむんっと表情を引き締める。
対するリリアネアは微笑みをたたえて彼に向き合った。
「あなたのおかげよ、ガリウス。誰一人欠けることなく、ここまで来れたのは。本当に、ありがとう」
「みなが一丸となって協力した結果だ。俺とリッピだけだと、迷子になっていただろうからな」
「ふふ、そうかもね。けど、あなたがいなかったら、今ごろあたしたちは人族の慰み者として売られていたわ。以降の旅だって、何度も助けられたもの」
だから、とリリアネアは手を差し伸べる。
「何度だって言わせてもらうわ。本当にありがとう。ガリウス」
ガリウスはその手を握る。しなやかで柔らかかった。
「こちらこそ、案内してくれて助かった。礼を言うよ、リリアネア」
「リリアでいいわよ」
「……わかった。リリア」
女性に屈託のない笑みを向けられるのに慣れていないガリウスは、急に気恥ずかしくなった。
手を離そうとしたものの、リリアネアはぐっと握って離さない。
「ま、ぶっちゃけてしまうとね。ずいぶん前からあんたのことは認めてたわ。自分のためだけじゃなく、みんなのために頑張ってくれてたもの」
「そ、そうか……」
「町に着いて、もしあんたを認めないってやつがいたら、あたしがタダじゃおかないわ」
「いや、まあ、信頼は自ら手に入れるものだぞ?」
「そ、そうだけど! とにかく、あたしも目いっぱいあんたの実績をアピールしておくわ。だから、その……」
リリアネアは寂しそうに目を伏せると、ささやくような弱々しい声でつぶやいた。
「ずっと、いればいいじゃない。亜人の、新しい国に……」
ガリウスはいまだ進路を決めかねていた。
リッピとエルフたちを送り届けた後どうするか。結論を出せないでいたのだ。
重い沈黙が降りてくる。と、そこへ。
「手を握ったまま黙りこんでどうしたの? もしかしていい雰囲気かな。リリア、ガリウスに惚れちゃった?」
リッピが目をキラキラさせて現れた。
「なぁ――!? ち、ちち違うわよ! これはその、なんていうか、えーっと……、そう! 仲間。苦難の道を乗り越えてきた、仲間同士の友情の話でしょ!」
「そうなの?」とリッピはガリウスに尋ねる。
「そうらしいな」
「そ、そうよ!」
慌てた様子で手を離すリリアネアの顔は真っ赤だった。
今度はミゲルがやってくる。
「ガリウスさん、僕はひと足先に町へ行き、迎え入れてくれる準備をお願いしようと思います」
「一人でか?」
「いえ、あと二人を選びました。もう人族の脅威はありませんし、魔物なら僕たちだけでどうにか対処できると思います」
「わかった。気をつけてな」
ミゲルは二人を連れ立って、山を下っていった。
ガリウスたちもまとまって歩き出す。
そうして、三日後――。
深い森の中に、突如としてぽっかり開けた場所が現れた。
広い。
町ひとつが入る、まさにそれほどの広さだ。
木の柵で囲まれた向こうには、低層の家々の屋根がちらほら飛び出している。
そして町の入り口と思しきところに、ガリウスは意外な人物を見つけた。
「よう来たのう、王国の勇者よ。だいたい二ヵ月ぶりくらいかの?」
雄々しい角と長い尻尾。白いあごひげをたたえた竜人族の老人だ。
「貴方が、どうして……?」
かつて勇者ガリウスと相対した、魔王と呼ばれた男――ジズルだった。
ジズルは巨躯をのっしのっしと前に進め、ガリウスに近寄ると、にかっと笑みを咲かせた。
「たまたまこの町に視察に来ておってなあ。そうしたら、お前さんが来ると言うじゃないか。滞在期間を伸ばして待っておったのじゃよ」
言いながら、ガリウスの顔をしげしげと眺める。
「にしてもお前さん、なかなか良い面構えをしとる。あのときはけっきょく兜の下は拝めんかったからのう。ずっと心残りじゃったわい。まさかこうして再びまみえるとは、儂も運がいい」
カラカラと笑うと、一転して今度は真面目な顔になった。
「事情は聞いておる。お前さんほどの逸材を手放すとは、王国の連中は何を考えておるのやら。それで? お前さんはこれから、どうするんじゃ?」
「俺は……」
迷いに瞳を揺らすガリウスを、ジズルは目を細めて見やると。
「なに、今すぐ決めんでもよかろうて。じっくり腰を据えて、この国で考えればよい。なんなら、死ぬまで結論を出さんでもよいぞ?」
またもカラカラとジズルは笑った。
「それって――」
ガリウスの声を遮るように、ジズルは手を差し出した。
「お前さんは儂の客人じゃ。後ろにおるワーキャットや、エルフたちのでもあるがの。ま、好きなだけ滞在するといい」
恐る恐るその手を握る。ごつごつとした、岩のような感触。それでいて、あたたかい。
「ようこそ! 王国の勇者よ。我ら亜人による新たなる国――最果ての楽園、『リムルレスタ』へ!」
痛いほどに強く握られ、ガリウスもしっかりと握り返す。
重なった手の上に、どこからともなく金色の小鳥が、舞い降りた――。
あるところに、醜い男の子がおりました。
やがて彼は勇者となり、しかし放逐されて、亜人たちの楽園へと流れ着きました。
はたして、人族の彼は受け入れられるのでしょうか?
はたして、勇者の彼は許されるのでしょうか?
いずれにせよ。
ただ醜いからと蔑まれ、命じられるまま生きてきた彼は、初めて容姿にこだわらない仲間を得て、自らの意思で進んできました。
皮肉なことに、彼が〝ヒト〟らしく在る最初の一歩が、〝ヒト〟ならざる者たちとの交流だったのです。
長いようで短い、短いようで長い彼の〝ヒト〟としての旅は終わりを迎えました。
これより先は、我が主の新たなる人生を見守ることにいたしましょう――。