勇者は大河を渡る
かつての魔の国と王国とを分かつ大河。
そのすぐ手前までやってきたガリウスたち一行は馬車を停めた。
かなりの内陸ではあるが、川幅は三百メートルを超す。雄大な流れは緩やかで、夕焼けに赤く染まる様は圧倒的でありながら、わずかな時間にしか見られない儚さを醸していた。
美しい風景に見惚れる時間を惜しみつつ、ガリウスたちは今後について話し合っていた。
ミゲルとリリアネアの三人で、荷馬車の中で大きな紙を広げている。傭兵団から奪った荷物にあったもので、ミゲルはペンでさらさらと絵を描いていた。
地図だ。
「昨夜、我らが捕らえられていたところはこの位置です。そこから北東に向かって進み、今はこの辺りでしょう」
森の民である彼らは、毎晩のように星を観察しては現在位置を割り出していた。そうして旅を続けていたのだ。
「川を越えればしばらくは森や荒野、草原が続き、やがて山岳地帯へと突き当たります」
「馬車でも越えられるのか?」
「えっ? ああ、いえ。かなり険しいですから、難しいでしょうね。北を迂回すれば馬車で走る分、歩いて山を越えるより同じ場所に着くのは早いと思いますけど……」
「いや、そこで馬車は捨てたほうがいいな。北回りだと王国軍に見つかる危険がある」
魔の国侵攻にあたり、王国軍がどこに拠点を構え、どう領土を攻略したかをガリウスは知っている。
北回りのルートだと、遠からぬ場所にひとつ拠点があり、警戒網に引っかかる可能性があった。
旧魔の国の領域に入ったら、極力王国軍に出会わない道を進まなければならない。
戦闘になればガリウスの負担が増し、連戦になれば力尽きてしまうからだ。
「あの、ガリウスさん……」
「どうした?」
言いよどむミゲルに代わり、これまで発言を控えていたリリアネアが尋ねる。
「河を越えたあとも馬車で移動する前提で話が進んでるけど、向こう岸までどうやって運ぶの?」
「そうだね」とミゲルがうなずく。
「大河の流れは緩やかですから僕たちも馬も泳いで渡れますけど、荷車部分は水上を引っ張っていく構造にはなっていません」
「食料はもったいないけど、担げる分だけ持っていくしかないわ」
なんだそんなことか、とガリウスはしれっと言う。
「馬車は持っていく。その方法も考えてある」
「「えっ?」」
「荷車を引っ張るのではなく、それを乗せたいかだを引っ張ればいい」
「いかだ……って、作るの? この場で?」
「そうだ。幸い川沿いに木立があった。そこの樹木を切っていかだにする」
なるほど、と手を打ったのはミゲル。
「奪った荷の中にロープもありましたね」
「でも四台分のいかだでしょ? ロープは足りるのかしら?」
「足りなければ木の根で代用できる」
「掘るの!? この辺りの地面、川沿いのくせに固そうだったわよ? ロープ代わりになる根っこなんて、かなり深いところにあるし、連中が持ってたシャベルもなんだかオンボロだったし……」
「まあ、なんとかなるさ」
翌朝。
ガリウスは荷物の中から一本の剣を手に取った。使いこまれているが、刃こぼれはそれほどない。
「まさか、剣で木を? いくらなんでも無茶ですよ」
ミゲルもリリアネアも他のエルフたちも、不安そうにガリウスを見やる。
リッピだけは得意顔をしていた。
剣を両手で持ち、腰を落とす。
シュバッ!
「ほんとに斬れた!」とリリアネアは驚きを隠せない。他のエルフたちも同様だ。
ただガリウスは、不満げに剣を眺めた。
(さすがに力がいるな。気をつけないと折れてしまう)
剣は何本かあるが、不測の事態が起こればエルフたちが武器として使うものだ。数は減らしたくなかった。
シルフィード・ダガーを使えばもっと早く行えるが、できるだけ精神力は使いたくない。
せめて剣一本がダメになるまでは、と。
ガリウスは慎重に、それでいて大胆に木を切り倒し、適当な長さに切りそろえる。枝も切り落とし、いくつかの丸太ができた。
次にガリウスはシャベルを持ってきて、切った木の周囲を掘る。リリアネアが言う通り固い地面だが、【アイテム・マスター】ならさほど苦もなくさくさくと掘っていけた。
リッピやエルフたちは根を引っこ抜き、ひも状にして丸太を結び付けていく。数本の丸太を組んだところで、だいたいの手順が明確になった。
「って、ほとんどあんたが働いてるじゃないの!」
「木を切るのと土を掘るのは俺にしかできないからな」
ある程度それらが進めば、分業には移行できる。
「君には他にやることがある。食事の支度でも手伝ってくれないか」
「ぅ、料理はちょっと……。ふ、ふん、木を切るだけなら、あたしにだってできるわよ」
リリアネアは静かに目を閉じると、何事かつぶやき始めた。
「森の精霊、火の精霊、我が声を聞きたまえ。エレンフィールのリリアネアがここに願う――」
(魔法の詠唱……? こいつ、魔法使いだったのか)
しかし、その呪文を聞く限り、嫌な予感しかない。
「まさかとは思うが、火炎系の魔法ではないだろうな? 燃やす気か?」
「ひゃぅ!? ちょ、ちょっと、集中してるんだから驚かさないでよね!」
この程度で集中が乱れるなら、不安しかない。
リリアネアがまたも詠唱に入ったので、ガリウスは何が起こっても対応できるよう、シルフィード・ダガーを握った。
「――炎よ、切り裂け!」
叫びとともに突き出した手から、炎が円盤状になって飛び出した。衝撃音を伴って木の根本を破壊し、別の木も薙ぎ倒して消え去った。
焦げた臭いが立ちこめるも、燃え盛ることはない。
「ど、どうよ?」
「驚いた。乱暴ではあるが、素晴らしい威力と精度だ」
ふふんと得意げに胸をそらす。今まで注目していなかったが、大きくもなく小さくもなかった。
ただ――。
「汗がすごいぞ?」
「ぜ、ぜんぜん平気だし! あと五、六発は余裕だからね!」
威力はそこそこでも力加減の難しい高度な魔法だ。そのくらいでも助かる。
「あまり無理はするなよ?」
「だから平気だってば!」
一抹の不安を覚えながらも、作業は順調に進んでいき――。
「「できたー!」」
リリアネアとリッピがハイタッチして歓喜の声を上げる。他の面々からも笑みが零れた。
荷馬車は一度バラし、馬をつなぐ部分をいかだに組み替えた。これで馬がいかだを引きやすくなる。
すでに日暮れを迎えているが、明るいうちは遠くからでも誰かに発見される恐れがあるため、多少危険であっても渡ることにした。
いかだを河に浮かべ、静かに船出する。
流れは緩やかであるので、しばらくは順調に進んでいた。
「む? ひとつ、流されているな」
一番最後に出たいかだに乗ったガリウスが気づいた。
リリアネアが乗っているいかだだ。
引っ張っている三頭のうち、一頭の様子がおかしい。水面から長く首を伸ばし、左右に振っていた。
ガリウスはシルフィード・ダガーで風をまとい、そちらに乗り移る。
「ど、どうどう、いい子だから落ち着いて」
リリアネアが馬に声をかけるも、静まる気配はなかった。残り二頭もつられて気が荒くなり、収拾がつかなくなってくる。
同乗していたエルフの男が言う。
「そいつを切り離すしかないですよ」
「でも、二頭だけで引っ張れるかしら? 最悪の場合は、このいかだごと捨てていくしかないわね。あたしたちは泳いで他のいかだに移りましょう」
深刻な二人の会話にガリウスが入る。
「リリア、君は馬の扱いは得意か?」
「リリアネアよ。気安く呼ばないで」
「ああ、すまない。気をつけよう。で? どうなんだ?」
リリアネアはよくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張って答える。
「ふふーん、お兄様より乗馬は上手いんだから」
「では暴れている馬を切り離し、君がどうにか岸まで泳がせてくれ。残る二頭もだ。他の誰かが乗って、岸まで泳がせてほしい」
「……積み荷は諦めるのね。ま、仕方ないか」
「いや、いかだは俺が向こう岸まで運ぶ」
「は? こんな大きな物、ヒトの力でなんて――あ! もしかして……」
リリアネはガリウスが手にしている短剣を見た。
ガリウスはにっと笑ってみせる。
「そうだ。こいつの力で運ぶ。さすがに持ち上げるのは無理だが、水の上を滑らせるならなんとかなる」
実際、なんとかなった。
むしろ一番早く岸にたどり着いたのはガリウスのいかだだ。
切り離した馬もどうにか落ち着いて、岸に到着する。
「ホント、呆れるくらい便利よね」
「なにせ国宝級の短剣だからな」
「そうじゃなくて……あんたが、よ。いろいろ、その……ありがとう。おかげで助かったわ」
つんけんしたところのある彼女だが、感謝の気持ちを忘れず、必ず言葉にして相手に伝えるのは見習いたいとガリウスは思う。
「ま、とりあえずはお疲れ様。ゆっくり休んでよ」
「ああ、そうさせてもらう……」
かなり精神力を削られたガリウスは、夕食もそこそこに、眠りについた。
一行は無事、大河を越えることに成功したのだ――。