魔王は遺跡管理者の思惑を粉砕する
『ああ、ついにここまで辿り着いたか』
『この日をどれだけ待ったことか』
『彼こそ真なる勇者であろうよ』
深い深い闇の中。三つの同じ声がこだまする。
『しかもあのユニークスキルを』
『虹色に至ることなく使いこなしているとはな』
『実に驚くべきことよ』
歌うように。囁くように。
『しかし』
『しかし、だ』
『まだひとつ、残っているのに』
同じ声音、同じ口調ながら、その声はたしかに三つある。
『最後の聖域にはまだ早い』
『ルクシアへの転送を』
『干渉もやむを得まいよ』
しかしここで、別の声が割って入る。
『いいや、もはや順序になど意味はない』
柔らかな声音でありつつも、どこか威厳に満ちていた。
『彼がここに在る。それがすべて。余計な手出しはせず、我らは黙って待つのみだ』
さらに別の声が応じる。
『ええ、我らの干渉は彼の先行きに影響を与えます。良い方向か悪い方向か、いずれにせよ悪しき先例がある以上、やるべきではありません』
『承知した』
『了解した』
『では静観を選択しよう』
三つの声が沈黙する。
それを確認したのか、残る二つは話し始めた。
『やれやれ、耄碌した老人を宥めすかすのもひと苦労だな』
『ご機嫌取りしていたつもりはありません』
『では〝言いくるめる〟と訂正しよう。にしても、いまさら干渉も何もない。そもそも〝彼〟は三賢者の干渉の上に生まれいでた者。虹色に至らず虹色の力を使いこなすのはそれが故だろうに』
『生まれながらにユニークスキルを使いこなしているのはあの体型から明らかですね。そのせいで迫害の対象になっていましたから、果たしてここへ辿り着いて真実を知ったらどうなることやら……』
『〝契約者〟もけっきょく機能していないどころか、おそらくあいつは邪魔をしていた。やはり我らが干渉してよいことなど何もない。悪しき先例とは言い得て妙だな』
『とはいえ、です。〝箱庭〟を脱した〝彼〟の実力は認めざるをえませんが、世界の王たる格があるかどうかを見定める必要はあるでしょう』
『格を見定める、か。その傲慢ゆえに我らは大地を失い、滅んだというのに』
『自虐は後でいくらでも。ひとまず〝彼〟には迷っていただきましょう。仲間を捨てて先に進むか、仲間と共に引き返すか』
『さて、その二択に乗せられるかどうか』
『他に道は用意しません』
『だとしても、だよ。まあ好きにするといい』
わずかな沈黙が降りてのち。
『では、好きにさせていただきます』
以降、声はぱたりと止まった――。
遺跡に入って二日が経った。
入り組んだ廊下を抜けると、広い空間に出る。天井も高く、部屋全体が一段明るくなっていて外に出たのかと錯覚するほどだ。
「あ、ガリウス見て。また果物があるよ」
置いてあるのではない。実がなった樹木が生えているのだ。
迷宮内で植物が育つとは考えにくいが、実際こうして床に根を下ろしている。
それだけでなく、樹木の側には澄んだ小さな泉が沸いていた。
加えてこういった場所には守護獣が近寄らない。
リッピは嬉々として駆け寄って、赤い実を取りかぶりついた。
「あっまーい。おいしい♪」
不用心にも思えるが、先の言葉のとおり今回が初めてではない。
トラップかどうかを調べ、ガリウスが毒味をして問題ないことは確認済み。毎度そうであったから、いつしか確認が疎かになっていた。
(まあ、トラップでないという確信もあるのだがね)
ガリウスは肩に小さなスライムを乗せ、虚空に半透明の画面を表示させた。
事前に得ていたこの遺跡の攻略情報――迷宮の地図だ。
「ガリウスもどうぞ。やっぱり地図はおかしいままなの?」
「ああ。この場にこんな空間は存在しないし、今来た通路は行き止まりのはずだった」
赤い実を受け取り、かぶりつく。シャリシャリと瑞々しい。
「途中までは地図と同じでしたよね?」
アオに乗ったククルも果実を味わいつつ尋ねる。
「じゃあ、途中からぜんぜん違う地図になっちゃったのか。遺跡を作った人が間違っちゃったんだね」
リッピが残念そうに言うが、しかし。
「いや、実のところ今は戻っている最中でね。前と道が変わっている」
「えっ、そうなの?」
「まるで生きているようですね」
リッピとククルが目をぱちくりさせる。
「迷宮のかたちが変わる遺跡はあったよ。王国の南部にあるイビディリアがそうだった」
「でも、攻略情報に『迷宮のかたちが変わる』なんてなかったよね? なんか意地悪だなあ」
「ですが、果実や泉が配置されているのは助かりますね。水も食料も限りがありますから」
「そういや、それも攻略情報にはなかったのか。変なの」
そう、妙だ。ガリウスは思案する。
攻略情報を得ての探検は今回で二度目。最初のスペリア遺跡では情報と食い違うことはなかった。
今回は途中から、地図がまったく意味をなさなくなった。
かと思えば存在しないはずの果物の木と飲料になる泉が用意されている。これらは地図がおかしくなってから現れるようになったのだ。
「意地悪、か……」
腑に落ちる言葉だった。
地図と実際の道筋が一致しなくなって以降、ガリウスは慎重に検証していた。
そしてひとつの結論に至る。
(先へ進もうとすればこうした安全地帯は現れない。加えて道が閉ざされたりと進みにくくもある。逆に戻ろうとすると――)
安全地帯があるだけでなく、道も出口へ向けてまっすぐ拓いていたのだ。
(まるで『どうぞお帰りください』と言わんばかりじゃないか)
遺跡の設計者が初めから騙すつもりで嘘の攻略情報を提示したのだろうか?
否、だ。
ガリウスはそう感じた。
七つの遺跡の設計者は基本となる四つを攻略したなら以降はむしろ攻略しやすくなるよう詳細な情報を提示する。
その推測には確信があり、今の状況が否定する根拠にはなり得ない。
(あまりに姑息。そして稚拙だ。いくらなんでもちぐはぐにすぎる)
スペリアで喜ばせて次で落胆させる。
そういった効果しかないのに事前に仕組む意味はない。となれば――。
(我ながら突飛ではあるが……こう考えるほかない)
今、この瞬間、
(誰かが俺たちの邪魔をしている)
その誰かとは、
(七つの遺跡の設計者。いや、現時点で存在しているなら『運営者』あるいは『管理者』か)
本来なら攻略してほしいのに、何かしらの問題が発生して自分たちを押しとどめようとしているのではないか。
そんな風に感じざるを得なかった。
用意した水や食料は攻略情報をもとにしているため、この状況で先に進んでも、いずれ飢餓と水不足で立ちいかなくなる。
聖鎧を身に着けた自分一人ならどうにかなるが、リッピやククルを見捨てる選択をしなければならないだろう。
促されるまま引き返したところで得られるものは何もない。
次の手立ては『自分一人でもう一度挑む』以外にないのだ。
(向こうがなりふり構わないのなら、もはやお上品にする必要はないな)
ガリウスは虚空に浮かぶ地図を見やる。上階へ進む階段の位置を頭に叩きこみ、その方向を見据えた。
(階段も移動している可能性は高いが、まあ試してみるか)
ガリウスは聖剣を抜く。
「出発しよう。二人はアオに乗ってついてきてくれ」
腰を落とし、ぐぐっと力を溜めに溜め。
「はあっ!」
飛び出してのち、壁を剣で粉砕した――。