魔王は教皇を罠に嵌める
大聖堂を出る。
多くの兵士が忌々しく、それでいて困惑をにじませた瞳でガリウスたちを遠巻きに見つめていた。
(なぜ、こんなことに……)
サラディオはいまだ理解できないでいる。
気が付いたら、使いに出したはずの女聖騎士が先導し、ガリウスが側にいて自分は歩かされていた。
(体全体を何かが包みこんでいますね)
自由に動かせるのは目玉くらいだ。息はできるものの、口は動かせない。
口の中にもどろりとしたモノが入っていて、声を出すのもできそうになかった。
(どのみち抵抗するそぶりを見せれば、また気絶させられてしまうでしょう)
今は状況を正確に知ることを優先し、サラディオは周囲を見回す。
女聖騎士の先には、兵士たちが沿道に集まってきた市民たちを端に寄せていた。
ガリウスは半歩後ろを歩いていて、サラディオには音しか聞こえないが、後ろには四本腕の守護獣たちが長蛇の列を成している。
まるで彼らの道案内をしているようだ。
事実そうではあるのだが、サラディオにそんな気はさらさらない。
と、沿道の市民たちが後ろを指差していた。
「なあ、あれってなんだろうな?」
「布で覆われていてわからんが……」
「ずいぶん大きなものだぞ」
「光ってないか?」
守護獣たちが数体がかりで担ぐそれは、スペリア神殿の制御装置だ。ガリウスが指示して運び出したものであるが、サラディオが知る由もない。
(この道は……なるほど。あそこへ向かっているのですか)
表向きは兵士の詰め所。しかしその地下には研究施設がある。魔族の力を人に移す研究をしているところだ。
脱出せよとの指示は伝わっていない。使いの女が前を歩いているのだから明白だ。
大聖堂の地下にある研究施設は破壊されただろう。
兵士たちが表向き従順なのは、そこで何が行われていたかをガリウスが明かし、『もうひとつの施設を破壊したらすぐ引き上げる』とでも約束したと推測される。
(信徒を説得するのは骨ですが――)
この命を捧げての説得は可能だ。
国外にも研究を知る者はいる。あとは彼らに託せばいい。
とはいえ、今は何ができるとも思えなかった。
(誰か、この異常に気づく者はいないのですか……?)
せめて口が動かせたなら、舌を噛み切って異常を知らせることができるのに。
為す術なく時間は過ぎていき。
先頭を歩く女聖騎士が足を止めた。
「ここか。見たところ兵士の詰め所のようだが?」
女騎士は答えない。サラディオの反応を窺っているようだ。
(まあ、大きな研究施設を隠すなら、その場所は限定されるものだ)
ガリウスは思わずといった風につぶやく。
「地下か……」
ぴくりと女聖騎士の片眉が跳ねたのを見逃さない。
ガリウスが右目をつむると、サラディオは強制的にうなずかされた。
女聖騎士が諦めたように目を閉じる。
「では、ここから先は我らだけで向かわせてもらう。サラディオは引き続き案内をしてもらうがね」
またもこくりとうなずくサラディオ。
ガリウスは数体の守護獣を従え、サラディオを先頭に建物に入った。
詰め所の中にはほとんど人がいなかった。非常事態に出払っているのだから当然だ。
ガリウスの前に、スライムたちが姿を現す。
「通路は見つかったか?」
一体が移動を始めた。その後について行く。
壁面を押すと隠し通路が現れ、地下へ続く階段があった。
ガリウスはサラディオだけを連れて下へと向かう。
階段は思いのほか長かった。
降りてすぐは長い廊下だ。両側に扉がいくつも並んでいる。
「研究員をここへ住まわせているのか?」
サラディオの口の中から粘性体が出ていき、ようやく話せるようになる。
「ここを破壊するつもりなのですね」
「質問の答えになっていないぞ」
「ええ。研究は極秘裏に行われていますから、当然彼らの存在も秘匿されています」
「やけに素直に答えるじゃないか」
「今さら何をしようと、無駄に終わるでしょうからね」
肩を竦めようとしたが体の自由はまだ利かなかった。
ただし殊勝な態度は油断させるため。
(ガリウスが一人きり。私の身体にまとわりついているスライムは、すぐ戦闘状態には入れないでしょう)
隙を見つけたところで、聖武具を身に着ける元勇者にして魔王を倒せるとは考えていない。
刺し違える覚悟があっても、研究員の誰かを逃がすのがやっとだろう。
(ええ、それでいいのです。一人だけでも、外へ逃れてくれれば)
サラディオの夢に共感し、真に理解ある者たちだ。
信徒たちの説得も、彼らならやってくれると信じていた。
長い廊下の突き当り。大きな扉をガリウスは蹴破る。
大聖堂の地下施設と同様に、液体で満たされた透明な筒状の装置に亜人たちが浮いていた。
「な、なんだ?」
「誰だお前は!?」
「サラディオ教皇?」
「いったいこれは……」
装置の前にいた数人が驚きの声を上げ、サラディオの姿を見て緊張がすこし緩む。
「君たちに質問だ」
ガリウスは一歩前に出て、問う。
「この神をも畏れぬ所業を、君たちはなんの罪悪感もなく行っているのかな?」
怪訝と困惑が入り混じる中、一人が答えた。
「前提が間違っていますよ。これは神が与えたもうた崇高なる実験です。誇りと感謝はあれど、罪悪感など感じる必要はまったくありませんね」
自信あふれる言葉に、他の者たちもそうだそうだと声を上げる。
「亜人から力を奪い、死に至らしめる所業が崇高だと?」
「魔族、だよ。悪しき者どもに生きる価値を与えたのだ。天に召されることはないだろうが、存在そのものが罪である連中にはむしろ喜ばしいことじゃないか」
別の誰かが薄笑いを浮かべて言い放つ。
「教皇、こいつは誰です? どうしてここへ連れてきたのですか?」
ガリウスを指差し、サラディオに尋ねた男を――。
「そうか。我が同胞を『罪』と断ずるお前たちは、俺の敵だな」
ザンッ、と。
聖剣で一刀のもと斬り伏せた。
「ひぃっ!?」
「な、なにを!」
「助けて!」
「教皇ォ!」
地下の研究施設が阿鼻叫喚を極める。
サラディオに助けを求める悲痛な叫びも上がったが、彼は微動だにしない――できなかった。
(また、口の中に……)
体は固まり、声も出せず、ただ研究員たちが殺されるのを眺めるしかできない。
果敢にもナイフを手にガリウスに飛びかかる者がいた。
しかしあえなく斬り殺され、ナイフがサラディオの足元に転がる。
(ああ、隙を狙うなど……)
初めから不可能だった。そんな甘い相手ではなかったのだ。
物陰に隠れて震える女性研究員の首を刎ねたのが最後。
殺し尽くすのに一分もかからなかった。
「俺たちが運び出すのは同胞の亡骸だけだ。他は置いてここは燃やすが、構わないな?」
有無を言わせぬ口調にも、答えるつもりはなかった。
『認めましょう』
しかし口が勝手に動き、どこからか声が出た。
「ここを燃やしたら俺たちは撤収する。今後俺たちに干渉しないのなら、俺たちもこの国には関わらないと誓おう」
『ええ、そのように』
「ずいぶんと素っ気ないな。ま、いまさらどうあがこうがお前には何もできない。せいぜい信徒たちへの弁明に頭を働かせるんだな」
ガリウスは淡々と装置を破壊し、中にいた亜人たちを床に横たえる。
やがて四本腕の守護獣が何体もやってきて、その亡骸を袋に詰めて運んでいった。そんな中、ガリウスは目を閉じて黙とうする。そして――。
急に、サラディオは体が軽くなるのを感じた。ふらつくのをぐっと耐える。
(拘束が、解かれましたか)
なぜこのタイミングで? 疑問はすぐ頭から排除した。ガリウスが背を向けている今なら――。
サラディオは静かに、ゆっくり、腰を落とした。守護獣たちも遺体を運ぶのに集中しているのか、彼を気に留めてはいない。
ナイフを拾い、両手で逆手にしっかりと握るや。
「神よ……」
ガリウスには聞こえないほど小さな声で告げ、震えながら左胸にナイフを突き刺した。
敵陣営には、場面場面を記録して別の場所で映し出す不思議な魔法が存在する。
先ほどからあたかも教皇がしゃべっているように振る舞っているのを考えれば、今のこの状況を外で公開しているのは間違いなかった。
(これで……)
聡い信徒ならば気づくだろう。
教義で自死は禁じられている。教皇が自ら命を絶つなど、本来はあり得ないことだ。
ゆえに、この身は魔族たちに操られていたのだ、と。
人とは、信じたいものを信じる生き物だ。
言い訳できない死者の言葉を代弁する者が強く主張すれば、それは真実となり得る。
そもそも実際に操られていたのだ。教皇の言動を不審に思った者は少なからずいて当然。彼らもまた、自分が信じたいものを高らかに訴えてくれるだろう。
力が抜けていく。それでもなんとか踏ん張って静かに身を横たえた。
薄れゆく意識の中で、ふいに先ほどの疑問が浮かび上がる。
――なぜこのタイミングで?
この身を自由にしたのか。
足元にナイフが転がってきたのは偶然だ。ガリウスが狙ってやったとは思えない。
しかし、あれほど慎重で機転の利く男が、たとえナイフ一本でも見逃すだろうか?
(まさか……)
痛みも忘れ、サラディオは恐怖した。その直後。
「サラディオ!? お前、何をやっている!」
ガリウスが叫び、必死の形相で駆けて寄ってきた。
「愚かな。自死は禁忌とされる教団のトップが、自ら命を断とうなどと……。なんと無責任な!」
胸からナイフを抜き、聖剣を掲げた。
「死にたいなら信徒たちへ説明する責を果たしてからにするんだな。エクス・ヒール!」
まばゆいばかりの光に包まれる。
その最中、ガリウスが歪に口の端を上げるのが見えた。
「なかなか迫真の演技だったぞ。いや、真に迫るにはやはり、当人の本気がなければな」
小さな声は、サラディオにしか届かない。
「初めから、私に……」
自死するよう仕向け、それを敵であるはずの魔王が救う。
あとで『自分は操られていた』との言葉を、多くの者が疑うようにするために。
「舌を噛み切られでもしたら困る。お前は生きて信徒たちに吊るし上げられなければならない男だ。孫娘と地獄で会うのはしばらくお預けだな。すこし眠っていろ」
バチッと全身が痺れた。そうしてサラディオの意識は闇の底に落ちていった――。
研究施設に火をつけ、サラディオを抱えて外に出る。
大きな影が兵士詰め所周辺にできていた。百メートルほど上空に、巨大な船が浮かんでいる。
飛空戦艦バハムート。
帝国から奪った空の要塞だ。
底部から四本のロープが地上まで垂れ、大きな荷台の四方に結ばれている。
荷台には、布で隠された巨大な物体。布の中に遺体袋が運ばれるたびに消えていく。遥か遠い亜人の楽園へと転送されたのだ。
続けて守護獣たちが布の中へ。彼らも転移装置で運ばれた。
最後に残ったガリウスは教皇サラディオを兵士に預けると、荷台に乗りこんだ。
燃え盛る兵士詰め所を一瞥したのち、高らかに宣言する。
「約束通り、我らは撤収する。追いかけてくるのは構わんが、かつて都市国家ひとつを滅ぼした飛空戦艦を相手にすると覚悟して来い」
恐怖も嫌悪も、見上げる者たちにはほとんどない。あるのは困惑。ガリウスが見せていた、教皇が禁忌を犯し自死を選び、魔王が救った一部始終。
遠く、飛空戦艦が東の空へと消えていく。
誰一人として、その後を追う者はいなかった――。
またも久方ぶりではありますが、語り部の役を果たしましょう。
意識を取り戻したサラディオ教皇に、信徒たちは詰め寄り説明を求めました。
もちろん彼はこう弁明します。
『私は魔族どもに操られていたのです』、と。
多くの信徒はその言葉を聞いて安堵しました。
しかし内に燻る疑念の火が、消えぬ者も大多数。真に迫った自死の場面が、本当に操られていたものなのか、誰にも答えは出せません。
そしてもうひとつの大問題。
亜人の力を人に移すとの実験です。
こちらは多くの者が拒否反応を示したため、教皇の夢は頓挫せざるを得ませんでした。
加えて聖女ティアリスが復活し、魔王と戦ったシーンまで流されては、教皇の異常性が広く認知されるのも当然でしょう。
教皇の求心力は滝の水が落ちるがごとく失墜し、教国は後継者争いに突入していきます。
此度はわたくしもずいぶんと気を揉みましたが、我が主はさほど気にも留めぬ様子。
だからといって気を許すなど毛頭ないものの、しばらくは最果ての森リムルレスタでのんびりすごそうと思います。
残る遺跡はあと二つ。
我が主が次なる目標と定めたのは、最果ての森の東にそびえる前人未到の大山脈、その向こう側でございました――。