魔王は舞台を整える
ガリウスが聖剣を腰に戻すと、
「ぴゅい! ぴゅいぴゅぴゅい!」
片耳から極小のスライム――ピュウイの分裂体が飛び出し、肩で跳ねた。
「ああ、捕らえたか。ありがとう、では連れてきてくれ。それともう一体をここへ呼んでくれないか」
「ぴゅぃぃぃぃ!」
極小ピュウイが叫ぶと、しばらくして礼拝堂の入り口からするするーっと大きなスライムが滑りこんできた。
「君に頼みたいことがある」
ピュウイを通じて説明する。
スライムは倒れたサラディオに覆いかぶさった。薄く彼を包み、透明度を増す。やがてゆるりとサラディオの上体が持ち上がった。
サラディオは棒立ちの状態でガリウスに向く。
「では練習だな。歩いてみてくれ」
サラディオががっくんがっくんと不自然に足を動かし歩き出す。
何度か練習するうちにこなれてきて、自然に人が歩くような動きになった。
「うん、いい感じだ。では次に――」
瞼を持ち上げ、適当な間隔を開けて瞬きさせる。
あまりやりすぎると起きてしまうが、その際はまた気絶させればいいだけだ。あるいはスライムがガチガチに拘束すれば、声を出すこともできないだろう。
「俺が右目をつむったらうなずき、左目をつむったら首を横に振ってみてくれ」
スライムはコツをつかんだのか、数回の練習で完璧に動けるようになった。
こんなものだろう、とガリウスは続けてピュウイに指示を出す。
「ダニオを呼んでくれ」
ピュウイを介し、音声だけでやり取りする。
「――と、いうわけだ。君はサラディオに長く仕えていたから、口調を真似るのはできるんじゃないかと思ってね」
『気恥ずかしさは横に置き、真似するくらいならできような。しかし……声が違うぞ?』
「長々と演説させるわけじゃない。誤魔化しようはあるさ。なるべく感情を重く吐き出すような低い声でやればわかりづらくもなるだろうよ」
『難しいことを言うなぁ……』
こちらも何度か練習し、ガリウスが納得できるほどの声真似にはなった。
セリフに合わせて口を動かすのには苦労したものの、短い言葉なら大丈夫、と思いたい。
「さて、準備は整ったな」
時間はかかってしまったが、むしろ好都合とも言える。
ガリウスは礼拝堂の隅まで歩き、踵で床をたたく。床の一部が横に滑り、階段が現れると。
「貴様が、魔王ガリウスなのか……」
怯えた女聖騎士の首から下は、粘性体に包まれていた。
スライムが彼女を体内に収めたまま、ずりずりと階段を上がってくる。
彼女がサラディオから手紙を預かり、秘密の通路を通ってどこかへ向かったのは把握していた。ケラと一緒に潜りこませていたピュウイの一部からの情報だ。
「教皇……」
サラディオは気絶したままだが、彼女には背を向け手を後ろに組んで立ち尽くしている、ように見えていた。
「おっと、余計なことはしゃべるなよ? 妙な合図を送られては困るからな」
ガリウスは女聖騎士に歩み寄る。
スライムの体から、ぽんと折り畳まれた紙が飛び出した。
ガリウスは受け取るや、遠慮なく開いて読む。
「これは……なんと悪辣で、神をも恐れぬ涜聖か!」
語気を荒げて叫ぶと、女聖騎士がびくりとした。
「涜聖、だと……? 教皇はいったい何を……」
「しゃべるなと言ったぞ? しかし……ふむ。どうやら君は知らなかったようだな。いいだろう、説明してやる。だが君だけに、とはいかないな。しばらく待ってもらおう」
ガリウスが口笛を吹くと、ガチャンガチャンとスペリアの守護獣たちが礼拝堂に入ってきた。
その中の何体かは、四本の腕で一人ずつ拘束している。騎士や聖職者、そしてたまたま礼拝に来ていた一般人もいた。
「教皇!」
「ご無事でしたか」
「貴様、いったい何が目的だ!」
主に武人が怒声を放つ。
サラディオが顔を彼らに向けた。無表情のまま目を閉じ、ふいっと顔を背ける。
「教皇には『余計なことをしゃべるな』とお願いしている。彼の言い分は後からじっくり聞くといい。まず俺が魔物を率いてこの大聖堂を強襲した理由から話そうか」
ガリウスはぐるりと皆を見回す。
「サラディオ・ジョゼリ教皇とは以前から親交があってね。人と亜人が共存できる道を探すべく、手を取り合ったのだよ」
捕らわれた者たちがざわめく。皆、信じられないといった表情だ。
サラディオは黙して立ち尽くす。
「なるほど、やはりそうか」
「何が『やはり』なのだ!?」
聖騎士の男が怒鳴る。
ちなみに彼はサラディオの側近ではなく、大聖堂の守備兵だ。
ピュウイの一部が内偵して側近が誰かは把握していた。彼らのほとんどは、この混乱ですでにガリウスが倒している。
「ああ、順を追って説明しよう。共存の道を探そうと提案してきたのは教皇だ。以降も彼と俺が直接交渉し、いくつか具体案を実行に移してきた。そのひとつが、我らの同胞を直接聖都へ招いての交流だ」
「バカを言うな!」
「あり得ない」
「教皇が魔族を聖都に招くなど!」
怒声にも動じず、ガリウスは淡々と話す。
「しかし同胞たちがいつまで経っても帰ってこない。書面で問いただしたところ、教皇はこう返してきた」
『流行り病で寝込んでいる』
『その多くが亡くなった』
『疫病をそちらに持ち出すわけにはいかないから、こちらで火葬する』
「――とね。最初は信じていたのだが、聖都で病が流行っているとの噂が流れてこない。亜人特有のものだとしても、ならば逆に様々いる獣人種や人に近いエルフにも同じく罹患するというのはおかしい。こちらでも調査したいのでせめて生きている者を引き渡してほしいと願い出たのだが……」
ガリウスは大仰に首を横に振る。
「以降、教皇は連絡を絶ってしまった。ここに至り、我らは騙されたと感じた。ゆえに同胞を救うべく、交流のために作った地下道からここを襲った、というわけだ。頭に血が上って冷静さを欠いていたのは否めない。しかし同胞の命がかかっているのだ。理解はしてほしいものだな」
淀みない語り口に、いつしか怒声は困惑の表情に成り代わった。
縋るように教皇に目をやるも、サラディオは居心地悪そうに立ち尽くしているだけだ。
「そして、この手紙を見つけた」
ガリウスが指を鳴らす。
守護獣たちがいっせいに拘束を解いた。
スライムに捕らわれていた女聖騎士に向かって問う。
「この手紙は、教皇から直接渡されたものだな?」
「あ、ああ。そうだ……」
今度は年配の聖職者に近寄り、手紙を渡す。
彼は恐る恐る受け取って、手紙の頭からじっくり目を通した。徐々に、震えが大きくなる。
「魔族の、力を……、人に、移す……?」
ガリウスは聖職者が読み終わると優しく手紙を取り上げた。
「教皇が書いたもので間違いないかね?」
「は、はい……。字体も、印も、間違いなく……」
ガリウスはうなずき、冒頭から読み上げた。
研究者なら知って当然の研究内容、その意義が、念を押すように記されている。また研究施設を破棄して国外に逃れ、研究を続けるようにとの指示があった。
「大聖堂の地下にも、その忌まわしき研究施設があった。見ただけでは何をしていたのか不明だったが、液体で満たされた怪しげな容器に同胞が浸かっていたよ。みな、息絶えた状態でね」
ガリウスは怒りを吐き出すように続ける。
「まさかこんな忌まわしい実験で、同胞が犠牲になっていたとはな。俺たちは、騙されたんだ!」
一転して、絶句する者たちを憐れむように見渡した。
「俺はひとつ、誤解をしていた。亜人との共存は教国の総意であるのだと。もちろん反発はあるだろうが、それは教皇が誠意をもって説得してくれているのだ、とね」
だが、とガリウスはサラディオに歩み寄り、
「お前は信徒になんの相談も説明もなく、独断で進めていたようだな。いやはや、まるで自分が神にでもなった気でいるようだ」
その肩にぽんと手を置いた。
「弁明はあるかな?」
顔を覗きこむ際、左目をつむる。
サラディオは半身になって皆に視線を向け、首を横に振った。
『……今は、何を語ろうと無意味でしょう』
口の動きは不自然とまではいかないのでホッとする。
「ふん、俺がいないところでじっくりと諭す、か。まあいいだろう。これは君たちの問題でもあるからな」
ガリウスはサラディオから離れ、先ほど手紙を渡した聖職者に正対した。
「教皇の独断だとは知らずに大聖堂を占拠したことは大変遺憾に思う。この戦いで犠牲になったほとんどの者は何も知らなかったのだろう。残念だよ」
ガリウスは謝罪の代わりに小さく頭を下げた。
「だがこちらにもやむにやまれぬ事情があったのは理解してほしい。先に述べたように、我らの目的は同胞の奪還だ。たった今もうひとつ目的が生まれたが、それらが為されるのならば速やかに聖都から退去すると約束しよう」
「退去、ですと……?」
「そうだ。聖都を手中に収めるなど興味の埒外だからな」
年配の聖職者はちらちらと教皇に視線を飛ばすも、うつむいたまま動こうとしない。
仕方なくといった様子でガリウスに尋ねた。
「もうひとつの、目的とは?」
「むろん、忌まわしき研究施設の破壊だ。研究資料なども燃やさせてもらう」
聖職者の目が泳ぐ。
この中でもっとも高位の者を選んだつもりだったが、さすがに教皇がこの場にいるのに独断で承諾はできないらしい。
「サラディオ、君の判断を訊こう」
『致し方、ありませんね……』
震える低音は真に迫っていた。
なかなかどうしてノリノリじゃないか、とガリウスは内心で苦笑いする。
「ではサラディオ、研究施設に案内してもらおうか。ああ、そうだ」
ガリウスは聖騎士の男を一人選び、告げる。
「ここでの話を外に伝えてくれないか。我らはこれ以上の戦闘行為には及ばない。そちらも大聖堂の包囲を解き、我らに攻撃しないでほしい、ともね」
男は縋るように教皇を見る。
サラディオが無言でうなずくと、守護獣たちを警戒しながら入り口まで行き、走って出ていった。
「それから、君も一緒に来てくれ」
手紙を運ぶ役目を担っていた女聖騎士に声をかける。
彼女とサラディオの会話はピュウイを通じて知っていた。ゆえに施設の場所も把握している。
だが聖都の地理には疎い。だから念のため彼女に先導させるつもりだった。
女聖騎士を先頭に、ガリウスはサラディオと並んで礼拝堂を出ていく。周りを守護獣たちが固めていた。
「……っ!?」
(ふっ、ようやくお目覚めか)
サラディオは瞳をぎょろぎょろと動かしている。
「説明はしてやらんぞ? せいぜいその目で、事の顛末を見届けるのだな」
ガリウスは冷ややかに、小声で告げるのだった――。