魔王は聖女と相対す
「ピュイ! ピュピュイ!」
「キキキキ!」
ちびスライムとちびグモが驚いたようにぴょんぴょん跳ねる。
「なっ……」
驚いているのはガリウスもだ。
追手がこれほど早く到達するのもそうだが、それ以上にあり得ないその姿に目を疑った。
「見つけた、見つけましたよ! ガリウス! 悪魔の使徒め!」
なぜ、彼女が生きているのか?
ティアリス・ジョゼリは白銀の鎧をまとい、手には巨大な馬上槍。かつての彼女なら両手でも持ちあげられないほど、大きく長い。
長く美しい金髪を振り乱し、歪な笑みでガリウスを見据えるその姿にも驚いた。かつて聖女と呼ばれ尊敬された彼女のたおやかな雰囲気は欠片も残っていない。
『反魂の秘法……教義に反してまで孫娘を復活させたとは、あの老人もずいぶんと人間臭いところがありますね』
「なんだそれは? 死者を生き返らせる術があるのか?」
『成功事例はわたくしも知りませんけれど、理論は確立されていたはずです。彼女が確実に死んだのはわたくしがもっとも近くで把握していますから、可能性としてはそれ以外に考えられません』
「だとしても――ッ!?」
「ガリ、ウスゥ!!」
床を蹴ったティアリスが、一足飛びで肉薄した。鋭い刺突になんとか反応し、聖剣で受け流して距離を取る。
(この力はなんだ? この女の恩恵は戦闘向きではなかった。彼女自身の戦闘力も、ここまででは……)
「逃げるなぁ!」
「ぐぅ!?」
ずずんと、体が床に引っ張られるような感覚。
何十キロもの鎖を体に巻きつけられたかのように、重い。
ガリウスは彼女が現れてすぐ、驚愕しながらもピュウイに指示して耳栓をしていた。
ティアリスの恩恵は【チャーム・ボイス】――その美声を聞いた者を強制的に従わせる力がある。
かつて彼女と対峙したときも同様に対処し、結果その力を無力化した。だというのに――。
(俺は今、何をされた? 唇を読む限り『逃げるな』と言ったようだが、俺の耳には届いていなかったのに)
地獄から舞い戻った彼女の力が、肉体面だけでなく恩恵までも高まったというのか?
再びの突進。
鋭い突きの連撃がガリウスを襲う。
最小限の動きでそれらをいなしつつ、気づく。
(やはり、瞳が……)
彼女の双眸が、虹色に輝いている。
『虹色に至りましたか。声とは空気の振動。たとえ耳に届かずとも、それを受けた貴方に少なからず影響を与えたようですね』
直接頭の中に響いてくる声に、ガリウスは小声で応じる。
「そのようだ。聖鎧も存外役に立たんな」
『何をおっしゃいますやら。わたくしの護りがあるからこそ、この程度で済んでいるのですよ?』
だからもっと大切にしてください、との不満には応じず、現状把握に努める。
体は動く。
重くとも苛烈な連撃に対処できている。だが――。
「逃げるな! 死ね! 死ね死ね死ね死ね串刺しになれぇ!」
見えない鎖がぎちぎちと絞めつけてくるように、体の自由が奪われていく。
『このままでは、いずれ彼女の攻撃に対応できなくなりますよ?』
そんなことは百も承知だ。
『不思議ですね。聖剣を使えば、容易く彼女を吹き消せるでしょう? なぜそれをしないのですか?』
魔法防御で固めた城壁すら突き破る聖剣の力なら、目の前の少女を消し飛ばすのはたしかに可能だ。
『ああ、力を温存したい、と? 遺跡の天井をぶち抜いて脱出する手筈でしたものね。けれど一度、制御装置で飛空戦艦に戻って休めばよろしいのでは?』
そこまでせずとも、聖鎧による自動回復で一発くらいはどうとでもなる。
『もし部屋が崩れて脱出や制御装置が破壊されるのを心配しているのなら、杞憂と言っておきましょう。壁の一部に大穴が開いても、この形状の部屋なら崩れることはありません』
それもまた、エルザナードの言うとおりだろう。
仮に部屋が崩れようとさほど問題はない。制御装置は最悪の場合、破壊する手筈になっていたし、脱出は一人ならやりようもある。
「殺す、殺す殺す殺す殺す殺すぅ! 死ね死ね死ね死ね死ねぇ!」
もはや恩恵を有効に使う気もないのか、ティアリスは攻撃しながら呪詛を吐き散らす。
それでも効果がじわじわ浸透してくるのか、ガリウスの身体は重くなる一方だ。
『わかりませんね。何を躊躇うことがあるのです? 一度は殺した相手でしょう?』
苛立ちを含んだ声音が頭の中でこだまする。
『まさか情が移った、などと言いませんよね?』
キィン、と槍の切っ先が肩を擦った。
『それみなさい。このままではいずれ避けるのも難しく――』
「おい」
ガリウスは必殺の攻撃を躱しつつ、それでも眉ひとつ動かさずに問う。
「ずいぶんとよくしゃべるじゃないか。お前、何を恐れている?」
『――ッ!?』
息をのむ音まで聞こえるのか、とガリウスは不敵に笑う。
「ああ、たしかにそろそろ避けるのも限界に近そうだ。しかし、だからどうした?」
ガリウスはあえて刺突を胸に受けた。
破裂音じみた音が響き、後方へと飛ばされる。
「あはははははっ! やった! やりましたわお爺様! さあ、その穢れた身が跡形もなくなるまで、突き滅ぼしてくれましょう!」
ティアリスは嬉々として突進する。
しかしガリウスは兜の中で、嗤っていた。
「褒めてやるぞ、エルザナード。やはりお前の守りは鉄壁だ」
直撃を受けてなお、聖鎧には傷ひとつ付いていなかった。
ティアリスはそれにも気づかず、すでに勝利を確信したかのうように、歪な笑みで刺突を繰り返す。
「こいつの身体能力の高さに面食らいはしたが、一撃の威力で言えばここのダンジョンボスのほうが上だ。しかもあっちこっちから飛んでくることもない。【チャーム・ボイス】の効果程度ならちょうどいいハンデだな」
兜の中で、エルザナードにしか聞こえないほど小さな声でガリウスは話す。
『ガリウス、貴方は……』
ティアリスの攻撃のいくつもが、ガリウスの肩を、胸を、腿を貫かんと打ち付けてきた。そのたびにガリウスはバランスを崩し、体勢を立て直したところにもまた一撃。
傍から見れば苦戦を通り越し、いつ鎧の隙間に必殺の一撃が穿たれてもおかしくはない状況だ。
「お前が何を恐れているのか想像はつく」
しかしガリウスの注意のほとんどは、すでに目の前の敵から離れていた。
「俺が待っているものと一緒だろう?」
強烈な突きが、がら空きの胴へ迫る。
身を捻って躱すも、ティアリスはすぐさま槍を引いた。よろけたガリウスに対し、作戦通りとばかりに完全なる攻撃態勢を整える。
(気が触れたように見えて、考えているじゃないか)
狙いは首。
「悔い改めろぉおおおぉおぉぉおおおぉっ!」
鋭い槍の先端が、まっすぐに突き出された。
これ以上ないほどの、絶妙なるタイミングだ。
(ああ、そうだ。お前なら、ここを逃すはずがない)
崩れた姿勢で、ガリウスは渾身の力を込めて剣を下から振るった。
ガキィン、と火花を散らしランスを跳ね上げると同時。
ガリウスは飛び上がった。
空いた手を伸ばす。狙いは違わず、
「ぐがっ!」
「捕まえたぞ、ケラ!」
頭上から何か仕掛けようとしていた、今までは姿を見せていなかったケラの首をつかんだ。
身体能力の異常なまでの向上。
虹色に開眼した稀有にして高性能な恩恵。
しかしティアリス単独で、聖武具を身に着けた元勇者に必勝の確信をケラは持てなかったはずだ。
それでも彼女を単身向かわせたのは、戦闘の隙をついて自身が仕留める算段を付けたから。
ガリウスの読みは的中した。
「く、そぉ、エルザナード、貴様がぁ!」
「教えたわけではないよ。この場で俺とお前を会わせたくはなかったようだからな」
ガリウスはケラを捕らえたまま、空中で剣を掲げた。
「というわけで、お前はもう用済みだ。ここまでご苦労だったな」
刀身が光を帯びる。
聖剣による最大の技。
「聖なる光で、今度こそ跡形もなく地獄に落ちろ」
剣を振り下ろすと、まばゆいばかりの光の帯が、ティアリス目掛けて放たれた――。