魔王に迫る執念
「聖女を蘇らせたのか!?」
ケラは水槽に駆け寄り、ガラス面に手を置いてじっくり観察する。どこからどう見ても、ティアリス本人以外の要素がなかった。
「ええ、そうです」
サラディオは孫娘から目を離さずに淡々と返す。
「さらっと言いおって。反魂の秘法……失われし神代の秘術をどうやって復活させたのだ?」
「偶然の産物ではありました。先々代がスペリア遺跡を調査した折、特殊なアイテムを見つけましてね。それを長く研究した末、数年前に特殊な恩恵持ちも現れたため、ようやくこの子で実現に至った次第でして」
「そこのとこ詳しく!」
「このお話は長くなりそうですからいずれ改めて。以前話していた『切り札』が、これですよ」
ん? とケラは首を捻る。
「おい、そなたまさか耄碌したのではあるまいな。もしくは孫娘可愛さから判断を誤ったか?」
ガチャリと金属の音がした。先ほどの聖騎士や、他にも数名の聖騎士がいつの間にかケラの背後に回り、剣に手をかけたのだ。
無言の圧力には『教皇への無礼な発言を撤回しろ』との意図がわかりやすく乗せられている。
サラディオが彼らを手で制してくれたので、ケラはこほんと咳払いして続ける。
「一度はガリウスに身も心も敗れている女が、切り札たり得るとは思えぬぞ」
サラディオはふっと小さく笑い、枯れ木のような細い手を掲げた。
「この部屋は本来、別の目的で作られた研究施設です。魔族に魔物、他にも特殊な恩恵を持つ人族から、その〝力〟を他者へ移す研究をしていました」
「驚いたな。そなた、神の御業たる〝ギフト・システム〟を人の手で再現しようというのか」
「あれだけの説明でよくそこに至りましたね。さすがは三百年もの間、世界を記録した賢者です」
「世辞はよせ。しかし、ふぅむ……反魂の秘法にせよギフト・システムの再現にせよ、教義に反するのではないのか?」
いずれも神の御業であるがゆえ、すくなくとも反魂の秘法は教義に『禁忌』と記されていた。だから実現可能性のある恩恵を持つ者を、教国はことごとく闇に葬ってきたはずだ。
かくいうケラも、人の寿命を超えた年月を生きるがゆえに教国から命を狙われた時期があった。
「貴女がそこを気になさるとは思いませんでした。なに、その辺りは解釈次第ですよ。神の御業である以上、真なる神の使徒であれば使うのになんら問題ありません」
「都合の良い解釈よな。ま、柔軟志向の教皇のおかげで我も生かされておるのだが」
それよりも、とケラは突き刺すような視線でサラディオを捉えた。
「反魂の秘法はさておき、ギフト・システムが再現されたのなら世界が根本から覆る」
魔族や魔物の強靭な肉体と高い魔力、加えて今の数倍に寿命が延びれば、人は〝種〟として完成する。今なお人側に傾くパワーバランスが、一気に人のみに移るだろう。
しかしサラディオは肩を竦め、首を横に振った。
「残念ながら、いずれも中途半端な成功にとどまっています。やはり人には荷が勝ちすぎる所業でしたでしょうか」
「む? この娘は成功例ではないのか? ゆえにこその『切り札』なのだろう?」
「反魂の秘法はとあるアイテムが必要となります。が、それはティアリスに使用して失われました。果たして同様のアイテムが、この世界に残っているかどうか」
そして、ギフト・システムの再現には致命的な欠陥があった。
「現状では、生者に力を委譲することは不可能なのです」
「……なるほどな。死したティアリスだからこそ成功した、と。唯一の成功例ではあっても、次に続かぬということか」
「ええ。加えて彼女自身も成功例と言えるかどうか……。残念ながら他者から恩恵を委譲するには至りませんでした」
「下手をすれば『上書き』になりかねぬしな。複数持てるのは生まれながらに金色の瞳を宿した者だけだろうよ」
それよりも、とケラは呆れたように言う。
「そも、こやつは使い物になるのか?」
話す間もドンドンとやかましい。歯を剥き出し、喚くように口を動かしていた。とても理性的な判断を持っているとは思えない。
「使いようはありますよ。なにせこの子は、稀有な恩恵を持っていますからね」
ドン、ドン、とさらに激しく水槽をこぶしで打ち付けるうち、ぴしりと重厚なガラスに亀裂が走った。
「ぬぉ!? これマズいのではないか!?」
ガシャーンッと水槽が砕け散り、大量の液体とともにティアリスが飛び出した。
「ご……ごほっ! ――かはっ!」
ティアリスは口から液体を吐き出すと、大きく息をついた。
「はあ、はあ、はあ……」
サラディオが彼女の肩に手をかける。
「ティアリス、苦しかったでしょうね。辛い思いをさせて申し訳ありませんでした」
「おじい、さま……? ああ、お爺様、お久しぶりです。ええっと……ここは? わたくしは、何をしていたのでしょうか……?」
ティアリスは虚ろな瞳で祖父を見上げる。先ほどとは打って変わって落ち着いていた。ただ記憶の混乱はあるようで、水槽内で暴れていたのは忘れている様子だった。
今はさほど精神に異常があるようには見えなかったが、しかし。
「ガリウス……っ! ガリウスゥ!!」
突如として表情を怒りに染めて叫んだ。こぶしを振り下ろすと、硬い床がいともたやすく穿たれる。
「あの悪魔が、近くにいるのです。早く、早く処断しなければ。わたくしが、この手で!」
「落ち着きなさい、ティアリス。魔王ガリウスは今、遠き最果ての地に戻っています。貴女はまず、心を平静に――」
「待て、サラディオ。こやつは妄想に囚われておるのではないぞ」
ケラはティアリスの正面に回った。まっすぐに向き合って問う。
「いるのだな? 近くに、ガリウスが」
「……はい」
その力強い瞳は、何かを感じ取ったものだとケラは判断した。
「どこにいる?」
「下です。そして――」
ティアリスは迷いなく一方向を指し示した。
「サラディオ、こやつを『切り札』と言いきったが、勝算はあるのか?」
「今の彼女ならば、聖武具を装備した魔王にも勝るでしょう」
細腕は変わらないものの、硬い床を一撃で穿つほどの力を持つ彼女。他にも魔族や魔物から何かしらの力を得たのだろう。
そして彼女の瞳が、虹色に輝いているのにケラは気づいた。
(『魅惑の声音』が完成されたのか。となればたしかに、ガリウスにも勝てるかもしれぬ)
どうやら、ガリウスとの馴れ合いもここまでのようだ。
亜人を統べる魔王を倒し、各神殿の情報をすべて奪取する。そのうえで未攻略の神殿は、思考が柔軟なサラディオを説き伏せて引き継げばいい。
「ガリウスは今現在、スペリア遺跡を攻略中だ。どうやって侵入したかは知らぬが、おそらく数日前から着手している」
ティアリスが暴れ始めたころからだ。彼女が水槽内で暴れていたのは、ガリウスの存在を感知したのを伝えようとしていたに違いない。
「おのれ悪魔め!」
「そう猛るな。そなたの力が増したとしても、楽に勝てる相手ではないのは承知していよう?」
ならば事前に準備は必要だ。
「まずはその力を我に示せ。そのうえで、策をくれてやる。我に記録された三百年の英知をな」
もう後戻りはできない。
仮にティアリスが敗れれば、自身もガリウスに殺されるだろう。
だが、それでも――。
「決着をつけてやる、元勇者にして魔王なる男よ!」