魔王に仇なす者
ガリウスと最後に通信してから三日の間、聖都は平穏に包まれていた。
しかし今朝になってやたらと外が騒がしく感じる。鎧を鳴らして駆けまわる音がケラの部屋にも響いてきた。
「ふむ、おぬしのご主人様が動き出したか?」
ソファーにもたれかかって書物を読んでいたケラは、床でぷるんとするちびスライムに声を落とす。
「ぴゅい?」
「こちらから探りを入れようにも返事はなし。直後に何やら始めたと考えるのが妥当ではあるが……さて」
ガリウスたちが攻めてきた――とは考えにくい。
いくらなんでも早すぎた。
帝国から奪った飛空戦艦ならば、最果ての地よりここまで三日で十分に到達できる。
しかし聖都を攻撃する人員や物資を準備する期間を考えれば無理があった。
仮に王都襲撃時と同じく、ガリウス単身で身軽に攻めてくるにしても、だ。
聖武具の封印が完全に解けているなら、大聖堂を蹂躙することくらいはさほど準備を必要としない。
しかしガリウスの目的はそこになかった。
(奴の目的は『スペリア神殿』の攻略だ)
敵の本拠地のど真ん中、その地下に入り口がある。
スペリア神殿に通じる遺跡は広大で、補給がなければいくらガリウスでも一人で攻略は不可能だろう。
ならばどうするか?
大聖堂およびその周辺を占拠し、物資を現地調達して補給に充てる以外にない。
最低でも一か月はかかる長丁場を考えれば、飛空戦艦に乗せられるだけの人員は必要となろう。
もっとも、ガリウスがその方法を選択する可能性も低かった。
街の一部を占拠しての略奪行為は、心優しい亜人たちはけっして用いない手法だ。
ただでさえ戦闘となれば敵を蹂躙しつくす〝魔王〟から、亜人たちの心が離れてしまいかねなかった。
むろん、何かしらの準備を事前に整えていた可能性は高い。
ガリウスのことだ、前回の通信では『今ある情報だけで対策を練ろう』などと言っていたが、すでにちびスライムから必要な情報を集めていたかもしれなかった。
「ま、ここで考えていても意味はないか」
慌ただしくしている理由を訊くのが先決だ。
ケラは本を伏せて立ち上がり、ドアへ向かった。
「ぴゅい」
ちびスライムが頭にのっかる。
「おぬし、もはや遠慮がなくなったのう」
教皇サラディオは知りながら黙認しているようだからこの魔物、わりと自由にあちこち動き回っている。
「とはいえ一般兵に魔物と認識されれば面倒だ。我が疑われてしまうからな。いいか、大人しく玩具のフリでもしておけよ?」
「ぴゅい♪」
お気楽な返事に不安が募るも、ケラは部屋を出ていった――。
廊下を進み、目の前を駆け抜けようとした兵士に声をかける。
「これはなんの騒ぎだ?」
立ち止まった兵士はケラの頭の上にいたちびスライムにぎょっとする。
「そう驚くな。これは魔物を模した玩具だ」
「玩具、ですか……?」
「我が玩具を持ち歩いているのは意外か?」
「いえ、そのようなことは……。ただ、魔物を模した玩具を大聖堂内で持ち歩くのはいかがなものかと感じます」
「まあ、そうだな……できれば大目に見てほしい。ところで先の質問だが、兵士たちがざわついている理由はなんだ?」
「それを貴女に説明する権限を、自分は持ち合わせておりません」
兵士は軽く頭を下げてすぐさま立ち去った。
「頭の固い奴よな。ま、ならばいちいち権限だのと言わぬ者に訊くとするか」
独り言ちてケラは歩き出す。
大聖堂の中心部――主礼拝場にはこの時間なら、サラディオが祈りを捧げているはず。
ところが――。
広大な部屋もどこか落ち着かなかった。
兵士たちが駆けずり回り、祭壇の前では司祭たちが困惑したように話し合っている。辺りを見渡しても背の高い老人の姿はなかった。
「おい、これはいったいなんの騒ぎだ?」
祭壇に近寄って声をかける。
いきなりの不躾な質問に司祭たちは眉をひそめるも、ケラだとわかるや逆に迫ってきた。
「おおっ、これはケラ殿、よいところに」
次なる言葉に、ケラは首を捻った。
「教皇がどこにおられるか知りませぬか!?」
「……我もその教皇を探しにきたのだがな」
「そ、そうですか……」
司祭たちはがっくり肩を落とす。
「ふむ、この騒ぎは教皇が行方不明となったことが原因か。最後に見た者は誰で、そのときの状況は把握しておるのか?」
「はい。昨夜遅く、見回りの警備兵が見ております。教皇は数名の聖騎士を連れ、とても急いでいる風に北翼廊を駆けておられた、と」
夜遅くとはいえ、いちおうは護衛を付けていたならさほど心配するほどではない。
しかし今は状況が状況だ。
「あの卑劣な魔王めが、教皇を連れ去ったのではないかと……」
誰かに言づける間もなく教皇がいなくなれば、たしかに騒ぎにもなろう。
(さて、間がなかったのか、あるいは――)
極近しい聖騎士にしか知らせられぬ事情があったのか。
(よもやガリウスが教皇を連れ去るとは思えぬ)
サラディオに人質の価値はない。逆に信徒の結束を固めるのに利用されるのがオチだと、ガリウスも承知しているだろう。
(となればやはり、誰にも言えぬ事情があって、今は姿を現せないとみるべきか)
ケラはしばらく考えてのち、
「事情は理解した。我も心当たりを探してみよう」
「お願いします」
深々と頭を下げられたが、当然心当たりはまったくない。サラディオはケラに語らぬ多くの秘密を持っているのだから。
しかし――。
人気のない廊下に移動する。
頭の上に手を伸ばし、ちびスライムをむんずとつかんだ。
「おぬし、サラディオがどこへ行ったか知っているな」
日ごろからあちこち探索して回っているのだ。予想くらいはできるはず。
「ぴゅい♪」
にゅにゅっと体の一部を伸ばすちびスライム。
「あちら、ということか?」
「ぴゅい!」
なんとなくだが魔物と意思疎通できている。ちょっと嬉しかった。
ちびスライムの案内で向かった先。『立入禁止』の立て看板とロープが引かれた、地下に通じる階段だった。
「ここは……スペリアの入り口に通じる階段だな。またあそこに行ったのか?」
となればガリウス絡みで間違いなさそうだ。
しかしなぜ? との疑問が鎌首をもたげる。
「さすがにここを調べない者はおるまいよ」
すでに探した後だとケラは思うも、ちびスライムは『こっちだ』と言ってきかない(ように振る舞っている)。
疑念を抱きながらもケラは進んだ。
片手にはちびスライムをつかみ、もう一方の手には明かりを灯して階段を下りていく。
螺旋階段に到達し、ぐるぐるぐるぐる歩を進めた。
「本当にこの先におるのか?」
人の話し声もなければ気配も感じなかった。
「ぴゅい! ぴゅーい!」
しばらく下りたところでちびスライムが暴れ出した。ケラの手からすぽっと逃れると、ばいんと床を跳ね、
ばちーん。
壁面に体当たりした。
「……おぬし、何をしておるのだ?」
その後もちびスライムは壁の一点に何度も何度も体当たりする。
「む? 壁が……沈んだ?」
石を積み重ねた壁の一ブロックが、わずかにへこんでいた。
「これを押せば隠し通路でも現れるのか?」
「ぴゅい♪」
どうやらそうらしい。
面倒だがやるしかないようだ。ケラはへこんだ部分に手をかけた。
「我は肉体労働が苦手なのだがな。ぬ、ぬぬぬぅ……ぐぐぐぐぐぅ!」
全体重をかけ、必死の形相で押しこむこと数分。手首が隠れるほど壁面の一部が沈むと、ガコンと奥で音が鳴った。
ゴゴゴゴ……。ケラのすぐそばの壁がせり上がり、暗い廊下が現れる。
「ふぅ、はぁ、ふぅぅぅ……。もう二度とはやらんぞ……」
多少の身体強化の魔法は使えるが、それでも体力のほとんどをもっていかれた。
廊下は狭かった。天井までは二メートルほどあり、幅もケラの体格なら二人分はある。しかし妙な圧迫感があった。
しばらく進むと。
「おい、行き止まりではないか。まさか……またさっきのように隠し扉を開かねばならんのか?」
「ぴゅいぃ……」
ちびスライムの反応が妙だ。
「もしかして、この先に何があるかまでは知らぬのか?」
「ぴゅい……」
なんだかしょんぼりしてしまう。
「ぴゅ? ぴゅぴゅぴゅいぃぃ!」
「なっ、おい、ちょっと待て! どこへ――」
ちびスライムがぴょんぴょん跳ねて来た道を戻っていく。その背(?)に呼びかけたとき。
ゴゴゴゴ……。
行き止まりだったところがせり上がる。
奥へ通じる道はしかし、立ちふさがる者によって遮られていた。白い重厚な鎧を身に着けた巨漢がぎろりとケラをにらむ。
「えーっと……、サラディオを探しているのだが、この先におるかな?」
厳つい男はしばらく彼女を見下ろしていたものの、半身になって顎で道の奥を示した。そして――。
「この先に教皇がおられる。しかし会えば貴様はもはや、後戻りできんと覚悟しろ」
「ほう? あやつが言っておった『切り札』とやらを隠しておるのかな? なんにせよ、好奇心をくすぐられては脅し文句にならぬ」
世界を記録することを使命とするケラにとって、そもそも後戻りなどするはずがなかった。
無言の聖騎士を通り過ぎ、ケラは足取りも軽やかに奥へと進んだ。しかし――。
「な、なんだ、これは……」
行きついた先で異様な光景に目を見張った。
円柱状の大きな水槽がいくつも立っている。中は透明な液体で満たされ、その中心部にはどういう理屈でか、人が浮いていた。
亜人や魔物、中には人族と思しき成人男性もいる。
水槽の下には床に魔法陣が描かれていたが、三百年もの世界の英知を記録してきたケラにも術式を解読できなかった。
床の魔法陣がほんのり光を放ち、広い室内はぼうっと妖しく光っている。
(みな、死んでいるのか……)
水中にとどまっているのだから当然ではあるが、半開きになった瞳から生気はまったく感じられなかった。ところが、ひとつだけ――。
ドン、ドン、と乱暴に、分厚いガラスを内側から打ち付ける音。
ひときわ大きな円柱状の水槽の中で、身長ほどもある長い金髪を振り乱して暴れる女性がいた。
何事かを訴えるように口を動かしているが、水中で声が発せられないのか響いてはこない。ただこぶしでガラスを何度も殴打し、鈍い音が室内を震わせていた。
(あり得ぬ……なぜ、こやつが……?)
一糸まとわぬ彼女の姿、その容貌には、見覚えがあった。
だからこそ、あり得ない。
「これはどういうことだ! サラディオ、そなたまさか――」
大きな水槽の前で、暴れる女性を眺める老人に、ケラは叫んだ。
「聖女を蘇らせたのか!?」
教皇サラディオの孫娘、聖女ティアリス・ジョゼリ。かつてガリウスに聖剣で胸を貫かれ、絶命したはずの女だった――。