魔王の雇われスパイ
ケラはガリウスと別れてから、トゥルスには戻らず、近場の村を訪れた。
ガリウスから渡された金で旅支度を整えて、馬を調達。ひと晩ゆっくりしてから西へ向かった。
追っ手の心配はしていない。
街を放棄して撤退を決めたグスガー将軍が、たった一人の逃亡兵に部隊の一部を使いはしないだろう。
実際、彼女を追う者は誰もおらず、ケラはのんびりと旅路を行く。
街道沿いを進み、宿場町で休み、久しぶりの旅を楽しみながら西へ。
とはいえ女の一人旅は、普通なら過酷なものだ。〝記録〟に特化した彼女の恩恵では冒険者の真似事もできず、資金はすぐに底をつく。
しかし女だからこそ、稼ぐ方法もあった。
そこそこ以上の容姿を選んだのは、こういうときのため。たいていの男は色目を使えば親切にしてくれるし、ひと晩付き合えばけっこうな金も手に入る。
肉体に固執しない彼女にとって、命の危険さえなければ貞操にこだわる理由がなかった。
さすがにのんびりしすぎたのか、道中で何度か、ガリウスから連絡が入った。常に首から下げているペンダントから、小さなスライムが飛び出して、だ。
〝グリア〟と〝アカディア〟の攻略は開始されたらしい。
『どうやら俺は、お前のいい加減な性格を把握しきれていなかったようだ。評価を下方修正する必要があるな』
そんな皮肉を聞かされもしたが、反省は毛ほどにも感じない。
王国の国境を越え、西方の国を進むと、山岳地帯に入る。
ただ街道は整備され、宿場町も多いので、険しいというほどでもない。むしろ困ることはほとんどなく、ルビアレス教国の国境にたどり着いた。
巡礼の旅だと言えば、国境を越えるのは簡単だ。賄賂を要求する不届き者も、宗教国家ゆえかさほどいない。
ケラは話のわかりそうな警備兵に金を持たせ、同じく話のよくわかる上級司祭を紹介してもらった。
近場の街でその人物と会い、入手困難な大聖堂への礼拝券を手に入れる。
聖都に赴いたのは、その二日後だ。
乗合馬車から見る石造りの景色は古く、伝統を感じさせるものだった。それでいて補修はしっかりなされているので、真新しさとは違った洗練した印象を受ける。
ルビアレス教国の国土は盆地になっており、都市国家の数倍はある。しかし人口はひとつの都市国家の半分に届かない。一方で、けっして豊かとはいえない土地では自給自足もままならなかった。
主産業は『宗教』だ。
大陸各地から届く供物が、彼らの生活を支えている。長い年月をかけて唯一神信仰を根付かせた結果、それだけで平均よりも高い水準での生活が行えていた。
と、白いローブをまとった少年三人を追い抜いた。
前後を多くの神官と騎士に挟まれ、厳かに進んでいる。
馬車の誰かが言う。
「あれ、〝選ばれし子〟たちかな?」
「そうだろうよ。あの年ごろで金の刺繍の入った聖衣は着られないからな」
たしかに白いローブは値が張りそうなものだった。
この国のもう一つの大きな〝産業〟は、『人材』だ。
多くの優秀な人材を抱えるこの国は、各国に彼らを派遣することで対価を得ていた。
この土地が、特殊な恩恵を持つ人物を多く輩出しているわけではない。
大陸中を渡り歩く巡教者が、各地から稀有な恩恵持ちの少年をいち早く見つけ、教国へ送っているからだ。
そうして徹底的に唯一神信仰を叩きこみ、神と教国に忠誠を誓わせるのだ。
先の少年たちは、他国で〝選ばれし子〟と認められ、招かれた子どもだろう。
(宗教を軸によいシステムを構築したものだ)
とはいえ、稀有な恩恵を持つ子どもたちを、他国がそう易々と手放したりはしない。
信仰の深い国や人物であっても、何かと理由をつけて教国に渡すまいとする傾向が年々強くなっていた。
際たる例はガリウスだ。
教皇自らが国王と直接交渉に挑んだものの、決裂した過去がある。
結果、今の混迷の事態を招いていた。
当時の様子をケラは伝え聞いただけだが、教皇は相当悔しがっていたとか。
そうこうするうち、馬車が停止した。
他の乗客に続いてケラが降り立つと、正面に巨大な建物があった。
大聖堂だ。
王宮もかくやというほどの大きさ。白く、厳かな雰囲気で空気が張り詰めている。
唯一神信仰の中心地にして、現教皇が住まう場所。
(そしてこの地下に、〝スペリア〟の神殿がある)
ケラはぐっとペンダントを握り締める。
馬車の停留所で神官数名が待ち構えていた。
乗客たちは彼らの説法を聞いている。これから彼らの案内で、大聖堂へ礼拝に向かうのだ。
ケラもその集団に紛れ、神官に礼拝券を提示する。
ぞろぞろと大聖堂への階段を上り、入り口をくぐった。
ここから先は、しばらく大聖堂内部の案内となる。
(その後に会食があり、長ったらしい礼拝へと続くのだったか)
実に面倒くさい。
が、会食には教皇が顔を出すはず。それまで空腹を満たして待っていればいい。
そんな風に考えていたものの。
(く、苦痛だ……)
周囲は浮ついた者たちばかりで、やたらと話しかけてくる。いくら世界を記録するのがライフワークと言えど、老夫婦の馴れ初め話には微塵も興味がわかなかった。
黙々と食べてやり過ごそうとするも、これがまた微妙だ。〝聖地で採れた作物のみを使用した〟と謳いつつ、さほどよい食材とは思えない。味も薄くて美味くも不味くもないのがある意味厄介だった。
(早く……早く来ぬか教皇め!)
ようやく食事が終わっても、礼拝参加者たちが歓談中に恰幅のよい中年男たちが寄ってきて、あしらうのも面倒だった。
いよいよ我慢の限界を迎えたとき。
「敬虔なる信徒の皆様、本日はようこそ大聖堂へお越しくださいました」
低いがよく通る声音が響いた。
皆が一斉に目を向けた先。
長身痩躯の聖職者がにこやかに微笑んでいた。二メートルを超す身長ながら、頬はこけ、手足は枯れ木のように細い。目じりが緩んで垂れ下がり、見た通りの老人だ。
「おおっ、教皇様!」
「教皇様だわ!」
「なんと神々しい……」
礼拝参加者たちはまるで神が降臨したかのようにありがたがっている。
(ようやくお出ましか)
タイミングを見計らうつもりだったが、一秒でも早くこの場から離れたい一心で、ケラは立ち上がった。つかつかと無遠慮に教皇へ近寄っていく。
「久しぶりだな、サラディオ・ジョゼリ」
ぎょっとした騎士二人が、ケラの前に立ちはだかる。
「興奮するお気持ちはわかりますが、それ以上は近寄らないよう、お願いします。後ほど教皇と語らう場は設けますので――」
「我はあやつめの友人だ」
え? と騎士の一人が教皇を見やる。
だがこの姿で教皇と会うのは初めてなので、当然のように教皇は首をひねった。
「我が名はケラ。【レコード・マスター】だ」
彼はケラの恩恵を知っている。他の肉体に移る能力のことも。だから名と恩恵を告げれば理解できるはず、なのだが。
「はて? 知らぬ名ですな」
「ぇ?」
「本日の礼拝参加者の名簿にも、ケラなる人物は記されていませんでしたし……」
教皇はまたも首を傾げる。困ったような表情を加えて。
「ぇ、ぃゃ、だから、我はそなたの古い友人で――」
なんとか思い出させようとしたものの、騎士が二人してケラを押さえにかかった。
「長旅でお疲れなのではありませんか? 別室でお休みになっていただくのがよろしいかと」
言葉は丁寧だが、騎士たちはケラの腕をつかみ、強引に連れて行く。
「お、おい。ちょっと待て。サラディオ、我を本当に忘れてしまったのか!? ちょ、サラディオ!」
信者たちの乾いた笑いを背に受けて、ケラは連行されていった――。