魔王は砂漠の民に思う
塔で助けた男は、アザムと名乗った。
アザムの案内で砂漠をひた走る。半日ほどで砂だらけの景色が岩だらけに変わった。
「砂漠の民っつっても、さすがに砂地には住めねえよ。ま、岩場でも水がなくちゃ生きていけないけどな」
丘のような岩山を越えると、窪地に住居が点在していた。石造りの低層住宅が村を形成している。
窪地の中心部には小さな池があった。
時刻は昼前。
水分補給が手持ちの水筒だけだったので、ダニオたちは限界に近い。池に突撃したい衝動を抑え、アザムの案内で族長の家に入った。
五メートル四方の座敷に通される。
正面に、しわ深い老人が胡坐をかいていた。砂漠の民、カイーラ族の族長ムハメドという。
「事情は把握した。アザムを救ってくれたことに感謝の意を表わそう」
ムハメドが目配せすると、ダニオたちの前に石のコップが運ばれてきた。中にはなみなみと水が注がれている。
目を輝かせてノエットがコップに伸ばした手を、ダニオがつかんで制す。
「なに、アザム殿の件は成り行きだ。人として見殺しにはできぬよ。それよりも、知らなかったとはいえ、こちらは貴公らの神域を侵したのだ。貴重な水まで振舞っていただき、感謝の念に堪えない」
「塔への侵入は……まあ、これから話すことにしよう。ひとまず喉を潤してほしい」
「はっはっは。たしかに喉はカラカラで声を出すのも億劫だが、そう急かされては飲むに飲めんよ。何が入っているかわからないからな」
ぴしりと場の空気が凍る。
「毒を盛った、とでも?」
「さすがに殺しはせぬだろうが、得体の知れぬ部外者を無力化する程度のことは考えよう。ワシならそうする」
ぎろりとムハメドが睨み据えるも、ダニオは飄々と笑みを浮かべた。
あちらではアザムがおろおろし、こちらではノエットがあわあわし、重い沈黙が流れていく。
やがてムハメドが大きく息を吐きだして、またも目配せすると、ダニオたちのコップが片づけられた。すぐに水で満たされた木桶が運ばれ、双方の中間に置かれた。
ムハメドはひとつきりのコップを持ち、木桶から水をすくって飲み干す。
無言でコップをダニオに突き出した。
「では頂戴しよう」
ダニオは疑うそぶりもなくコップを受け取り、水をたっぷりすくって一気に喉へ流しこんだ。
「ぷはあ! 生き返るわい」
続けてノエット、マノスと水を回し飲みする。
その様子を眺めてから、ムハメドが表情を緩ませた。
「ひとつの盃で大地の恵みをいただいた。そなたらを客人として認めよう。村の者にも徹底して周知しておく。むろん、私の非礼に我慢ならないのであれば、その大剣で斬って捨ててもらって構わない」
「言ったろう? 『ワシならそうする』と。痺れ薬か何かで無力化してのち尋問し、安全が確認できれば笑ってごまかす。村人の命を預かる者なら、ワシらのような怪しげな部外者を警戒するのは当然だ」
「……さすがに笑ってごまかすマネはしない。この首を差し出す覚悟はあったぞ」
「ほう。なかなか出来た男だな、貴公は」
がっはっは、と豪快に笑い飛ばすダニオを、ムハメドは呆れたように見てから頭を下げた。
「あらためて非礼は詫びよう。そのうえで、重ねての非礼を承知でお願いしたい」
「む?」
ムハメドは両手をついて、床に額を擦りつけた。
「この村を……我が一族カイーラを救ってもらえないだろうか」
その日は夜まで、ダニオたちは詳しい説明を聞く中で盛大なもてなしを受けた。
盛大と言っても貧しい村らしく、出てきたのは薄い酒と粗末な料理だ。
それでも必死さは伝わってきた。
寝所を用意してもらい、マノスとノエットが寝息を立てたころ。
ダニオは一人、村の中央にある池の側にやってきた。
ピュウイを介し、現状の報告と相談をガリウスにする。
『なるほど。部族間の対立か』
砂漠の民はいくつかの部族がそれぞれ村を形成している。互いに不干渉を貫いていたが、近年は事情が変化したらしい。
一部の部族が台頭し、他の部族を吸収せんと迫っていたのだ。
『もともと砂漠の民は蔑まれてきた者たちだ。人族でありながら過酷な環境に追いやられた末裔と聞く』
それは今でも変わらない。
彼らは好んで砂漠に住んでいるのではなく、迫害されて仕方なく『他の誰も暮らさない土地』で暮らしていた。
「亜人と似たようなものか」
『素性を隠せば溶けこめるだけマシだよ』
もっとも、砂漠に隣接する国々の警戒は亜人に対するものと同等らしい。よほど使い勝手の良い恩恵でも持っていない限り、一般市民にまで上がるのすら難しかった。
『話を戻そう。部族間の均衡が崩れつつある中で、突然〝アカディア〟への道が拓けた、ということか』
これまでは特殊な恩恵を持つ者しか近づけなかった神域。
しかし数か月前から、月に一度、新月の夜に一時間だけ塔を守る風の壁が消え去るようになった。
そこで各部族長が話し合い、塔の最上階に一番早く到達した部族に従う、という取り決めが為された。
「戦をするよりは平和的ではあるが、腕自慢の集まる部族が優位であることに変わりはない」
『そうでもないさ。ダンジョンは力だけで押し通れるほど甘くない。おそらく提案したのは弱小の部族……貴方が接触したカイーラ族だろうな。話を聞く限り、部族長は強かな老人らしい』
「うぅむ。悪い人物ではないように思うのだが……」
『だからといって油断はできない。彼らも亜人を忌み嫌う、人族ではあるのだからな』
「理不尽に虐げられている者同士、仲良くはできんのか?」
『残念だが、そう簡単な話ではないよ。〝自分たちより下がいる〟との考えが、彼らの矜持を支えている。リムルレスタが関与していることはしばらく伏せておいたほうがいいな』
むろん、最終的には仲良くしたい。塔を攻略し、砂漠地帯への転移が自由になれば、彼らの村々を拠点にできる。良好な関係は築いておきたい、とガリウスは続けた。
『基本方針に変わりはない。カイーラ族に協力し、塔を攻略しよう。その結果うまくカイーラ族が砂漠の民を掌握したなら、国家として交渉に入る』
「うまく……いくものか?」
弱小の部族が最速で塔の最上階に到達したとして、他の部族が約束どおり従ってくれるとはダニオには思えなかった。
そんな心配をよそに、ガリウスはさらりと言ってのける。
『ごねた連中は武力で黙らせればいいさ』
慎重かと思えば要所で大胆不敵。ダニオはあらためて舌を巻いた。
『……ところで、ひとつ確認したい。風の壁が定期的に消えるようになった正確な時期だ』
はっきりとは聞いていないし、最初を砂漠の民が見過ごしている可能性もあると前置きして、ダニオがおおよその時期を答えると。
『やはり、俺がイルア神殿を攻略したころだな。何か関係しているのだろうか?』
「貴公は勇者時代に王国内の神殿を攻略していたのではないか?」
『いや、〝攻略〟はイルアが初めてだ。イビディリアは攻略目前までだった』
「ふむ。となると、他の遺跡にも何らかの影響があると?」
『可能性はある。所在が不明な二つと、ペネレイたちに任せた〝グリア〟はいいとして……もっとも厄介なところの情報が早く欲しいな』
ルビアレス教国の中心部にあるとされる、〝スペリア〟神殿。
「あの女め、まだ到着していないのか。相変わらずマイペースな奴だ。人選を誤ったのではないか?」
『俺が擁護するのも変な話だが、仕事はきっちりこなすタイプだと思うがね。ま、気長に待つつもりはない。そろそろこちらからせっついてみるか』
「それがいい。こちらはこちらで仕事をきっちりこなすとしよう」
『ああ、頼む』
話を終え、ダニオは翌日から再びアカディア神殿の攻略に着手した。
そしてガリウスは、ケラへ連絡を入れるのだった――。