魔王の部下は売りこむ
マノスは迷うことなく、来た道を駆け下りていく。
迷宮探索の経験はさほどないが、魔物狩りで数日街を離れていれば自分たちがいる位置や帰り道を、正確に知っておく必要がある。
いちおう地図を作成しつつ進んでいて、それはすべて記憶していた。
なにより彼は森の民。『道』を把握する能力に長けていた。
道中で遭遇した守護獣は悪霊化していない。
マノスは牽制するのに徹し、負傷した男を背負ったノエットの安全を確保した。
彼女もまた恐怖を飲みこみ、脇目も振らずひたすらに駆ける。
そしてダニオが二人を狙う守護獣を背後から狩り、見事な連携で一気に塔の入り口まで降りてきた。
悪霊化したフィア・ゴーストは数階を降りてから振り切ったが、念のためダニオは入り口から少し離れて大剣を構える。
「マノス、男の容体はどうだ?」
「止血はしましたが、傷が相当深いですね。まだ意識はありません。私の治癒魔法では、これ以上は……」
マノスは地面に男をうつ伏せにして確認し、眉間にしわを作った。
ダニオは鎧の中から小瓶を取り出す。解放された扉を注視したまま、それを背後に放った。
「無理やりにでもそれを飲ませてくれ」
「これは……疑似神薬ですか?」
「とっておきだが、やむを得まい。死んでしまっては我らの苦労が水の泡だからな」
マノスはうなずくと、男を仰向けにして小瓶の中の液体を口に流しこんだ。
男は軽くせき込みはしたものの、中身のほとんどを飲み干す。
と、肌がほんのり光を帯びた。まぶたがゆっくりと開いていく。
「ぅ……ぁ、あ……?」
「気が付かれましたか? 傷は完全に回復していると思いますが――」
「どぉわ!? な、なんだお前ら!? って、あれ? 俺はたしか、魔物に吹っ飛ばされて……」
男は飛び起きてマノスから離れると、膝をついた状態で辺りを見回す。よくみれば若い男だった。二十歳そこそこだ。
ダニオが半身になって応じた。
「おぬしが魔物に襲われていたところに、たまたま出くわしてな。成り行きでここまで運び、治療した」
「治療……って、うおっ!? 全然なんともねえ! 内臓まで抉られたと思ったんだけど……」
「神の秘薬に迫る秘蔵の回復薬だ。安息日開けの朝のように気力も体力も充実しているだろう?」
ダニオがにかっと笑みを作るも、男は訝るように眉根を寄せた。
「他の連中は……? 俺の仲間や……いや、仲間はどうなった?」
「さてな。ワシらの前に飛びこんできたのはおぬしだけだ。他は知らん」
男は「そうか……」と目を伏せてから、三人に視線を移していく。
「助けてもらった、てのは理解した。感謝する。けど警戒はさせてくれ。あんたら何モンだ? 砂漠の民じゃ、ねえよな?」
「旅の冒険者だ」
「冒険者? まさか、他の部族の奴らに雇われたのか! ギルザか? もしかしてルクサルじゃないだろうな!」
「そう声を荒げるな。砂漠の民に会ったのはおぬしが初めてだ。にしても、まるで他の部族と競っているような口ぶりだな」
男が口をつぐむ。図星ではあるようだが、背景事情がいまいち飲みこめない。尋ねても無駄のようなので、ダニオは自己紹介をした。
「ワシは元王国の騎士でな。名をダニオという。引退はしたものの腕試しがしたくて、そこらを回っている。そっちはマノスとノエットだ。出会った場所はそれぞれ異なるが、意気投合して旅の仲間になってもらった」
「……なるほど、ね。名乗ってもらって悪いが、俺はまだあんたらを信用できない。そもそもあんたら、どうやってここに入った? あの風の壁を、どうやって越えた!」
男は怒声とも取れる強い口調で疑問を飛ばす。
ダニオはその様子をつぶさに観察した。
(逆に問いたいところだが、答えてはくれまいな。だが彼らには風の壁を越える手段がある、と考えてもよいだろう)
彼の信頼を得るには、こちらも答えないという選択は除外すべきだ。
とはいえバカ正直に『他の遺跡の転移装置を使った』とも言えなかった。
(こういう事態も見越して、であれば、ますますガリウス殿の深謀には恐れ入る)
ダニオは自らの恩恵を発動した。
突如その姿が消え、男は慌てふためく。その背後に立った。
「ワシの恩恵は【ショート・テレポート】。短い距離だが、瞬時に転移が可能だ。数人を抱えても行える」
試してはいないが、風の壁が十メートルほどの厚さなら実際に可能だ。転移できる距離以上の厚さだとしても、連続使用でどうにでもなる。
男は恐る恐る振り返り、愕然とダニオを見上げた。
「こ、この塔は俺ら砂漠の民にとって神聖な場所だ。それを承知で荒らしに来たのか?」
「はて? 砂漠のどこかに古代遺跡があると聞きつけてやってきたのだが……そうか。おぬしたちの聖地であったのか。知らなかったとはいえ、無断で立ち入った非礼を詫びよう。この通りだ」
ダニオが頭を下げると、男は膝をついたまま向き直る。表情には戸惑いが浮かんでいた。
「ワシらは塔を荒らすつもりもおぬしらと敵対するつもりもない。古代の遺跡にワシの剣技がどれほど通用するか試したかったのだ」
「荒らすつもりがない、だって?」
「魔物どもは必要に応じて蹴散らすが、ワシの目的は剣技のみで最上階に到達することだ」
「塔の宝を目当てにしてるんじゃないのか?」
「うむ。この歳でいまさら財を成しても意味がない。繰り返すが、ワシは己が剣技を試したい。より高みに上りたい。そちらの二人も承諾済みだ。まあ、相応の対価は支払うつもりではあるが……おおっ!」
妙案をひらめいたとばかりの大声に、男の体がびくりと跳ねる。
「どうだ? ワシらを雇ってみては。道中で見つけた宝はくれてやる。そう高い対価を要求もせん」
「い、いや、俺に言われても……。族長に訊かないと……」
「ならば族長とやらに会わせてはくれんか? 仲間も武器も失ったおぬしが、一人でここにいても仕方なかろう?」
男はしばらく悩んでいたが、諦めたようにつぶやく。
「そう、だな……。ここで次の新月を待つよりは――っ!」
何か言いかけて慌てて口を手でふさいだ。
「と、とにかく! 俺たちの村には案内する。族長にも話は通すが、期待はしないでくれよ? よそ者に頼るなんて、他の部族から何を言われるかわからないからな」
いろいろ事情がありそうだが、ここで尋ねても答えてはくれないだろう。
「では、さっそく壁の外に出るとするか」
ダニオは男を背負い、マノスとノエットを抱えると。
「三人を抱えては初めてだ。それだけ転移できる距離が短くなるので、もしかしたら嵐の中に突っこむかもしれん。しっかりつかまっていろよ?」
「は? 本気で言って――どわっ!?」
男が蒼白になるのも構わず、ダニオは恩恵を発動した――。