【第9話:覚悟-さつい-】
「痛ッてェ……が、そンなもん、どうってことありゃしねェ!」
毒が塗られていたことに気づかず余裕ぶっているガルドムはしがみついていたアリサの小さな体を振り払い、大剣でファイナの持っていた毒槍を叩き割った。アリサは近くの岩盤に背中を打ち付けてしゃがみ込む。体力も殆ど残っていないアリサは立ち上がろうにもその力がなく、震えた両手で体を持ち上げようと必死だった。
「ファイ……ナ、やったの!?」
「やったさ……」
二人の思惑通り、ガルドムは疼きだした左腕を抑えて悶え苦しんでいた。全身の血が内側から暴れだし、血管が異常なまでに膨張していく感覚だった。間もなく毒は全身に回り、体中の穴という穴から出血し死んでいくだろう。
「がぁッ!?!?? 何を、何をしやがったァァァァァ! クソガキどもガァァァァァ!」
ガルドムの息が荒くなっていく。目の焦点が合わなくなってき、その巨躯を左右に振り回していた。左腕の中で暴れまわる猛毒に今まさに殺されようとしていた。
「毒か……毒を盛ったのか!!! この腕に!!!」
しかしガルドムの眼はこれから迎える死に絶望している様子もなければ、ただひたすらに暴れ狂っている様子もなかった。それよりも、何か重大な決断を下し、覚悟を決めていたように、ファイナには見えた。
「ならば! さらば! 我が左腕よォォォォォォ!」
「な!?」
ファイナは驚愕した。
毒が全身に回るよりも先に、奴は自らの左腕を大剣で切り落としたのだ。いくら生死がかかっているとはいえ、それだけの決断をこの一瞬でできるほどの人間だったのか。
いや覚悟というより、生への異常なまでの執着かもしれない。
血走った奴の眼は戦士の覚悟ではなく、欲望と憎悪を混ぜ合わせた汚い色をしていた。
断面から吹き出す鮮血をものともせず、猛獣のような咆哮を夜空に打ち上げた後、ガルドムはファイナに向かって駆け出していった。途中で大剣は地面に投げ捨てられ、鋼鉄の右腕でファイナの左手を掴むと、その小さな体を城壁に叩きつけた。
「あがッ……!」
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁぁぁぁぁッ! クソがクソが! クソが!!!」
何度も左手を掴んで振り回し、城壁に体を叩きつけさせる。もう全身に力を入れることのできないファイナは抵抗すらもろくにできぬまま、怒り狂ったガルドムに押さえ込まれてしまった。左腕が壁に貼り付けられたように固定され、両足は地面から離れていた。
「右腕の時も同じだッたァ! てめぇと同じ魔族の女に抵抗されて、鈍器で滅茶苦茶に潰されて……それはそれは痛かったさァ……ぢぐじょうぁぁぁ!」
涙と鼻水と唾液を歪んだ顔面から垂れ流しながらガルドムは、虚ろな瞳で衰弱していっているファイナを睨みつける。
「その女がどうなったかってェ知りてェかァ……うぐッ! うぐがぁッ!」
血を流し続けてもなお右腕の力は弱まることを知らない。
「手を縛り上げて、精肉場の豚のように肉を削ぎ落としながら犯してやったさァァァァアァ! 潰された右腕分、しっかり苦しんで、もう二度とこの世に生まれたくねぇッてぐらいの苦しみを与えながら殺してやったよォ……」
奴はただの悪党ではない。残虐と欲望が化物となって表現されたような存在だった。
「今からてめェがそれを味わうんだよォ!!!!!」
「誰が……貴様などに、殺されるものか……」
「オォん!?」
「殺されるのは貴様のほうだ!!!」
ファイナはナイフを手に取ると、自分の体を押さえつけているガルドムの右腕にそれを突き刺した。しかしナイフの刃は鋼鉄の義手に傷一つ与えることはできない。かといって奴の右腕以外を攻撃しようにも、手が届かない。
「エリーザ姉ちゃんを殺した貴様を殺さずして、この世から消えてたまるものか!」
それでも、何度も、何度も、何度も何度も何度も突き刺した。
ナイフの刃が折れてもそれを続けた。
「もう私は誰にも奪われない! 己の命も尊厳も、大切な人たちも!」
「なァに、奪われるだけの魔族風情が言ってンだよォォォォォ! 俺の左腕を奪っておきながらァ! 膣が裂けるまで犯されながら死んでいけぇぇ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
覚悟などいらなかった。
ただ今、どうやって生き抜くか。
己の道を邪魔する障害を如何にして排除するか。
それのみを考え、ファイナは折れたナイフの切っ先で自らの左腕の関節を切り裂いた。青い血が滲んで激痛が走るが関係ない。何度も、左腕が千切れるまで切り裂いてやろうとファイナはナイフを振るった。
「てめェ!?」
「貴様は殺す! 殺すためなら私の血肉など、惜しむものかァァァァァァァ!」
「正気じゃねぇなァ、俺もてめぇもォ!」
「うがぁ! ががうあッ! があぁぁぁッ! ぁああ!?」
しかしナイフを握る手にガルドムは噛み付き、ファイナが左手を千切ることで自由になろうとするのを防いだ。ガタガタの歯が幼き手の肉を抉り突き刺さる。
「きれひな体、じゃ、なひゃ、犯す価値もねっひぇっひぇっっ!」
「それでも! それでも、私はァァ! 私は…………」
両手を押さえられ動けなくなったこの時でも、ファイナは諦めることなく叫び続けた。己の全てが朽ち果てるまで必死に抗おうとしている。
しかし出血、度重なる暴行によって意識は消えようとしていた。
ファイナ自身、体が己の意志に耐え切れずに力を失っていくのが分かった。
悔しい。
どうして自分は奪われるばかりなのだろう。
踏みにじる存在に抗うこともできぬまま、皆死んでいくのだろうか……。
(エリーザ姉ちゃんも、そんな気持ちのまま死んでいったのか? 必死に抗っても、負けを認めず戦い続けようと覚悟を決めても、結局命を奪われるまで己を汚され続ける人生)
消えていく。
(……それが……私たち、魔族―――)
消えて。
(なの―――)
消。
(か?)
。