【第8話:復讐―どくやり―】
その日は満月の夜だった。砂塵で濁っていた夜空も今日はどうしてか、はっきりと星々が輝いている様を見ることができた。
グルガルンの市街地から少し離れた場所に城はあった。尖塔が二つ立っており、奥の方には兵舎や馬小屋がある。そこから市街地では滅多に聞こえない、人々の歓喜に満ちた宴の声が聞こえてきた。
周囲を切り立った山々に囲まれており、入口は正面の門一つしかない。その門を守る騎士こそがエリーザを殺した大男、ガルドムである。門の左右に立ち並ぶ燭台の火がその巨躯を、鈍色に光る大剣と赤褐色の鎧を照らしていた
「奴だな……」
門の前に身の丈を超える大剣を持ち、頭から足の先まで堅牢な鎧で固めた騎士が立っていた。荒くれ者でも職務は全うしているのだろうか、侵入者を許すほど怠けている様子はない。それどころか堅牢な鎧に触れる間もなく大剣で薙ぎ払われてしまうのではないかというほど、猛者の印象を見る者に与えていた。
なるほど侵入しようとする者が現れないわけだ、とファイナは岩陰からその様子を見ながら思った。ファイナの後ろにはアリサもいた。ファイナを手伝えるほど強くはないかもしれないが、それでも見届けたいというのが彼女の想いだ。
「奇襲は無理そうね」
「真正面から打ち勝ってやる」
装備が万全で剣の腕も立つ大男と、廃材で作った毒槍しか持たぬ6歳の少女。
常識で考えたら、ファイナに勝目など無かった。しかしファイナの瞳は敗北の可能性を全否定し、己の道を切り開くことしか考えていない。おそらく敵が一切武器を持たない一般市民でも、帝国一の騎士であっても、この世の誰も敵うはずのない異形のものであっても同じ瞳をしていたはずだろう。
「そのために今日、ここに来たのだ」
毒槍を5本まとめた筒を背負ったファイナは、岩陰から槍を両手に持って飛び出した。燭台の光が照らす範囲から外れて接近すれば奇襲も可能であったが、殺気めいた素人の気配を察せないほど間抜けな相手にも思えなかったため、ファイナは敢えて何も考えずに真っ直ぐ駆け出していった。
「……誰かがガキの娼婦でも呼んだか、いや」
ガルドムはファイナの気配に気がつき、間もなく殺意を抱いていることを察して大剣を構えた。彼の巨躯が鎧の軋む音とともに動く。
「殺してから考えるとするかァ!」
瞬間、大剣がファイナに向かって振り下ろされてきた。しかし肉がすり潰れる音はせず、代わりに地面が大きく抉れ、砂煙が舞い上がってきた。
「かわしたのか!? ガキが!」
「貴様がァァァ!」
砂煙の中から毒槍が突き出して、ガルドムの腹部に刺―――いや。鋭い鉄片も彼の赤褐色の鎧に阻まれてしまった。ガルドムは毒槍を鉄の篭手で掴むと、砂煙が晴れてきてあらわになったファイナの怒りに満ちた表情を見て、歪んだ笑みを浮かべる。
「あの時のガキかァ……生きていたッてェわけだ」
「殺してやる!!」
何度この顔を見ても怒りしか湧いてこない。母の屍に抱かれたまま飢えて死んでいくだけの自分に救いの手を差し伸べ、昨日まで育ててくれた人を理不尽な行いで殺した奴だ。生かすものか。奴だけでは済まない。奴の家族も、友人も、部下も全員殺してやりたいぐらいだった。
「こんなもので俺様を殺せるとでも思ったかァ!」
毒槍を怪力でへし折ると、ガルドムは大剣を再び振り上げた。おそらく並みの兵士では幸運にも初撃を回避することができたとしても、この一撃で逃げ場を失って殺されるだろう。しかしここはファイナが6歳の少女であったことが功を奏した。
彼女の小さな体は、大きく開いたガルドムの股の間を抜けることができたのだ。再び地面に大剣は叩きつけられる。
「このォ、クソガキがァァァァァッ! ちょこまかと!」
「……どこなら刺さる」
あの時のファイナは怒りで何も見えていなかった。奴をメッタ刺しにして苦しませながら殺しているイメージしか頭に無かった。しかし今は違う。
どうやって殺すか。そのプロセスの一つ一つをイメージして動いていた。
だからこそ強い。
「ここか!」
右腕の関節部分……鎧が開いている。鎧と鎧の隙間だ。
ここを抜ければ奴の皮膚に到達できる。そして猛毒の塗られた鉄片を突き刺してやれば、間もなく奴は毒に苦しみながら死ぬだろう。
「くたばれぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
感覚を研ぎ澄まし、狙いを定め、突いた。猛毒の塗られた槍は鎧と鎧の隙間に入り込み、しかし皮膚を切り裂いた感覚はなかった。とてつもなく硬い何かに阻まれたのだ。
「な!?」
「悪いな、そっちは義手なんだよォ」
右腕が義手の状態であの大剣を持ち上げていたのか。驚愕の表情はやがて苦悶へと変わる。ガルドムの後ろ蹴りがファイナの腹部に入ったのだ。
「がぁぁッ!」
ファイナの小さな体は城壁まで吹っ飛んで、背中を灰色のレンガにぶつけさせる。怪力であったとしてもファイナはまだ幼い。そんな彼女の体に大人の蹴りが入れば、たとえ一発であったとしても致命傷になりかねないものだ。
それでも死ぬまで立ち上がってやると決意していたファイナは、地面に青い血を吐き出しながらもゆっくりと体を起こす。毒槍はあと3本。まだやれる。
「本当、馬鹿だよなァ……姉ちゃんの復讐だァ? 人間様に化物どもが歯向かうんじゃねェッて!」
ようやく起き上がったファイナのことなど、ガルドムの凶刃は考えることなく飛んできた。薙ぎ払われた大剣を、ファイナは姿勢を低くすることで回避した。しかしその中で二本の毒槍が筒から抜けて、大剣に切り伏せられてしまった。
残る一本の毒槍を両手で握り締めるも、またもや飛んできたガルドムの蹴りの前に成す術もなく吹っ飛んでいく。なんとか毒槍は守ったものの、吹っ飛んでいった背中は燭台を押し倒して地面に転がった。
「こっちは動かなくなったゴミに金払ってるンだよ! 弁償もした! 何が悪いのかさっぱりだぜ、ガハハハハ!」
散々煽ってきているように見えるが、その裏で鎧の隙間を突かれるのを恐れているようにファイナには思えた。さっきも無理をすれば大剣をもう一度振り上げられたはずだ。しかしそうしなかった。
またファイナがガルドムの後ろを取って、鎧と鎧の隙間を狙ってくるかもしれないという考えから、大剣で殺してしまうより確実にダメージを与えられる蹴りを入れてきたのだ。
「はぁッ! はぁッ……クソ、何か……何かあれば!」
奴の意識を逸らさない限りは難しい。そう考えていた時、暗闇の中から少女の叫び声が聞こえてきた。アリサだ。
「私だって、私だって!」
「な、なんだこのガキ!?」
アリサは何も持たずに駆け出すと、大剣を持っていたガルドムの右腕にしがみついた。アリサは倒れた燭台の炎の中にいるファイナに視線を向けて合図を送った。
この隙に突け、と。
「分かっているさ。これで終わらせる!」
ファイナは両手に持った毒槍を構えて突撃した。足底で地面を蹴りつけ高く飛び上がると、アリサを引き剥がそうとしているガルドムの左腕を睨みつける。鎧と鎧の隙間は―――あった。今度はその向こう側に浅黒い皮膚が見えた。
「死ね!!!」
最大級の殺意を込めてファイナは毒槍をガルドムの左腕、その鎧と鎧の隙間に見える素肌に向けて突き出した。鋭い鉄片は皮膚を貫き、肉や神経に突き刺さって止まる。
そこから猛毒が流れ込み、奴は死ぬはず。
特別、体の頑丈な種族の魔族でない限り、即効性のある猛毒を身体に流し込まれれば死は免れない。 ファイナは自らの勝利を確信した。