【第2話:剣槍―ソードランス―】
赤い血溜りに浮かぶ騎士の腸を踏みつけ、ファイナは騎士団長サヴァルを睨みつけた。
「その大層な鎧……貴様が隊長か」
「如何にも! 我が名はオルフェリア流戦棍術正当継承者でありフレゼリア防衛騎士団団長、サヴァル・オルフェリア! 魔族である貴様に一騎打ちを申し込もう!」
「あの馬鹿みたいに大きなメイス。当たると痛いだろうな」
サヴァルは身長の程はあるだろう巨大なメイスを両腕で構えた。丸太の先に鉄塊がついている……という表現が的確だろう。いったいこれで何人の魔族を肉ミンチにしてきたのだろうか。
「我が部下たちの仇討ちである。さぁ一騎打ちであれば、その所属と名を言え!」
「さっき……名乗った!」
だがファイナは間髪入れずに長剣を構え、サヴァルに迫った。同時に薙ぎ払われたサヴァルのメイスに対し、地面を蹴って跳躍することで回避する。あれほど重そうな長剣を持っておりながら、メイスを軽々と飛び越えるほど高く飛んだファイナはそのまま長剣をサヴァルの脳天に向かって突き立てる。
サヴァルは慌てて巨大なメイスを手放すと、腰に備えていた腕の長さほどはあるもう一本のメイスを右手に持ち、ファイナの斬撃を受け止めた。剣閃が火花となって四散し、両者は鍔迫り合いとなった。
「ぬぅっ!」
「馬鹿でかい鉄屑も、当たらなければ意味はないな」
「生意気な魔族風情がッ! 我が戦棍術を愚弄するか!」
全身の筋肉を使ってファイナの長剣を弾き返すと、サヴァルはもう一度メイスを振り下ろしてきた。獣の如き雄叫びとともに。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
サヴァルのメイスとファイナの長剣が何度もぶつかり合う。素人目から見れば振りかざす数の多いサヴァルのほうが圧倒していると感じられるかもしれないが、その全てをファイナは受け流していた。メイスは強力な武器だが相手を殴り潰すという性質上どうしても重くなる。それを何度も振っては戻してを繰り返しているのだから、サヴァルの体力は著しく消耗していた。
「貴様は、貴様ら魔族は奪われるだけの存在!」
「メイスを振り下ろすだけの雑魚に言われたくはない」
「そもそも人間様を侮辱することが罪なのだと知れ!! 大人しく命を、尊厳を、剣を我がメイスに奪われろ!」
サヴァルは地面に落ちていた巨大なメイスを再び持ち上げた。
「……アレを試してみるか」
「オルフェリア流戦棍術奥義、鎧砕きィィィィィィィィ!」
振り下ろされた巨大なメイスは地面を大きく抉るのみで、肉をすり潰す音はしなかった。舞い上がる砂煙の中、一本の長剣の影が浮かび上がる。
「残念だが、私は鎧は着ない主義だ」
後ろに飛んで回避したファイナの剣だ。同時にファイナの背中から炎が左右に吹き出し、灼熱の翼を形勢した。やがてその炎はファイナの全身を包み込み、激しく燃え盛るのであった。
「その距離では貴様の剣も届くまい!」
「剣……ならな」
ファイナの長剣にある機械部分が変形を始め、刃の部分は大きく左右に開く。持ち手の部分が伸び、巨大な長槍に変形した。長槍の大きく開いた刃の部分は灼熱の炎を帯び突き進む。防御に使用していた小さい方のメイスも、炎によって吹き飛ばされて無効化される。そして刃はサヴァルの頭部を捉えると、そのまま甲冑の鉄を、肉を頭蓋骨を脳を切り裂く。
頭部の半分を切断されたサヴァルは死体となって力を失い、脳漿を周囲にぶちまけながら地面に崩れていった。
「敵将、討ち取ったり」
その死体を踏みつけたファイナは騎士団長の敗北に動揺する周囲に向かって槍を突き立てて叫ぶ。
「我が命を、我が尊厳を、我が剣を! 奪えるものなら奪ってみせろ!」
サキュバスの少女はただその背中を見つめていた。絶望の世界にも屈することなく、最後まで燃え続ける炎のような存在に見えた。
ファイナが叫ぶと同時に正面の門が何者かによって突破されたようで、大勢のゴブリンやオークが城砦内になだれ込んできた。3mほどの巨躯のトロールは、向かってくる騎士の槍を受け止め岩のように大きな拳で次々と潰していく。下半身が大蛇になっているラミアの女戦士は騎士たちに巻きつくと、そのまま絞め殺していた。
掲げられた戦旗は魔族の血の色を表現したであろう青色に、剣と槍が交差した紋章が描かれていた。聞いたことがある。人間たちから恐れられている、魔族たちだけで構成された盗賊団がある、と。
その名は「蒼の義賊」。
蒼の義賊にはとても強い切込隊長がいると聞く。戦士は11歳の少女でありながら、各地の名だたる名将を討ち取ったという。彼女の種族はサラマンダー。かつて世界を支配していた魔族の王、魔王の系譜にのみ生まれる炎を司る種族だ。かつてドラゴンになる能力を持っていたものの、人間の支配の際に翼を切り落とされその能力を失った。だがその驚異的な身体能力と炎を操る能力は健在で、数こそ少ないものの人間にとっては驚異以外何者でもない魔族である。巻き角と紅い尻尾がその証だ。
そして今まさに、サキュバスの少女の眼前にいるのが蒼の義賊の切込隊長であり、魔王の系譜に属する炎の魔族ファイナ・ドラグレイドだった。
「我らは蒼の義賊なり! 奪えるものは何でも奪え! 戦おうとする人間どもには容赦するな!」
「…………っ…………ぅ」
サキュバスの少女はファイナに向けて手を伸ばすが、そこには届かない。絶望に暮れて生きることを諦めていた自分の手など届かない場所に、ファイナはいたのだから。二人の間は燃え盛るサラマンダーの炎によって大きな壁が築かれていた。
「逃げる者は逃がしておけ、いいな!?」
「だからそれは団長である俺のセリフだッてんだろうがぁぁァァァ!」
馬に乗ってやってきた隻眼のゴブリンはファイナの頭にゲンコツを入れると、酒に酔った中年のような怒鳴り声をファイナに浴びせた。自分の身長の半分もないゴブリンだったが、その迫力はトロールでも腰を抜かしてしまうほどのものであった。しかしファイナは怯えるどころか、むしろそれと同等かそれ以上の声量で怒鳴り返す。
「うるさい! あんたの代わりに私がやってあげているだけだ!!!」
「団長である俺のセリフを奪うんじゃねぇ! こっちも示しがつかねぇだろうが!」
「示しをつけねぇクソ親父が悪い! そもそも来るのが遅い! 凄まじき剣の使い手と称される蒼の義賊団長のダルク様は、一体どこで道草食っていたんだろうなぁ!」
「てめぇが独断専行しちまっているだけだろ!」
「一番乗りで何が悪い? もしかして一番乗りする勇気がないのか? 怖いのか?」
「ンだと、コラァ!」
「やってやろうじゃないか、ヘタレクソザコ親父! 私のソードランスで金玉切り裂いてやろうか、あぁ!?」
炎の壁が夜風に流れて消えていったと思えば、その向こうには炎を司る気高きサラマンダーの戦士と、隻眼の盗賊団団長のゴブリンが取っ組み合いの親子喧嘩が繰り広げられていた。
しかしさすがに団長であるダルクには適わなかったのか、その小柄な体を活かした素早い動きに翻弄されてファイナは拘束されてしまった。
「今日の晩飯はカビの生えたパンだ、バカ娘!」
「結構! 晩飯なんざ自分で用意するから問題ない!」
「……ったく」
ダルクはファイナを突き飛ばすと、溜息をつきながらも親が子に諭すような口調で言った。
「一人で無茶すんじゃねぇ」
「敵将を討ち取って武勲を立てる事の何が悪い」
「武勲ってのは、煮ても焼いても揚げても食えねぇ。俺たち盗賊にとってはそんなもんより、明日食うパンのが大事だ。少々カビが生えていても食えるしな。それよりも―――」
ダルクは足元で跪いているサキュバスの少女を見て、
「そこのお嬢さんは息があるようだ。ここは俺たちに任せて、行け」
「分かった……」
そう言うとファイナはサキュバスの少女の元に歩み寄り、彼女を見下ろした。
「目立った怪我はないようだな。立て」
しかし立つことができなかった。信頼できる仲間も、ようやく見つけた居場所も、全部失った。
魔族にちゃんとした働き口はない。サキュバスは危険なため体を売ることもできず、かといって肉体労働であっても女である自分が雇ってもらえるところは皆無だ。飢えをしのぐために同じような立場の魔族たちと結託して盗みを行う……飢えて体もやせ細った彼らに戦う力などなかった。
逃げて逃げて逃げて、逃げ切れずに奪われて。
もう生きることに疲れてしまったサキュバスの少女は首を横に振り、俯いた。
「話せないのか。サキュバスを無理やり犯す時は、安全のために舌を切り落とすものと聞くが」
「…………ゅ……ぅ」
「立て。舌はなくとも、足はあるだろう」
「……ぅ…………」
「奪われるのが嫌なら、奪われないために強くなれ。たとえどんな絶望や困難が待ち受けていても戦い続けろ。それがこの世界の残酷な運命に抗う唯一の手段だ」
自分は強くなれない。ファイナのように。
「殺されるまで死ぬな」
ファイナは地べたを這いつくばる少女にそう言った。
自分にはまだ生きていける力が残っている。生きていればこの人のようになれなくても、強く生きていけるかもしれない。自分から奪おうとしてくる者全てを振り払えるだけの強さを。
サキュバスの少女は必死に細い手足を使って立ち上がろうとした。それでも力が入らない。息が苦しい。今にも骨が砕けてしまいそうだ。口の中いっぱいに広がる血の匂いが吐き気を催してくる。思わず吐瀉物を地面に撒き散らしてしまい、その上に倒れてしまう。
だが諦めず、もう一度、血と吐瀉物まみれの体で立ち上がろうとした。破れたボロ布が体を離れていく。もう何も着ていない。何もない。仲間も大切な人も、希望も。
それでも強く生きたい。
生きたい。
少女の強い思いとは裏腹に、全身の力は抜けて倒れそうになった。
その時、少女の手をファイナが掴んだ。ファイナは少女の首に下げられたボロボロの懐中時計に刻まれた名前を見て、
「メルメリアか、気に入った。今から貴様は私の配下だ」
「…………ぅ」
「暖かいスープとカビの生えていないパンを団長に用意させよう」
「あっ……………ぅ……ぁ」
メルメリアは心の底から強いと思える人に出会えたことの嬉しさを噛み締めながら、枯れたはずの瞳から涙を流しながら弱々しいながらもはっきりとした笑みを浮かべ、ファイナに抱きしめられた。
ファイナの胸の中はたしかに温かかった。
人間が支配し、魔族が虐げられる世界。
ほとんどの魔族が生きることに精一杯で奪われるだけの生活を送っているなかで、誰にも屈することなく自分の信じた道を己の剣と槍で斬り開く少女がいた。
彼女の名前はファイナ・ドラグレイド。
後に魔王と呼ばれる最強の魔族である。