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ソードランス・ディアボロス―蒼の叛旗―  作者: 豆腐(税込108円)
第1章:絶望からの旅立ち(過去編その1)
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【第10話:破壊者-きぼう-】

 こんなもの、勝てるはずがない。

 アリサは目の前で起こっている一方的な暴力を成す術もなく見つめていた。迫り来る理不尽に屈し、立ち上がる気力すら湧かずに地面に崩れてしまう。

ああ、もう全てが終わるのだ。

 どうやっても受け入れるしかない絶望がこの世にはある。たとえどれだけ強い意志を持っても、それに対して抗うことはできない。ファイナや自分が弱いからどうしょうもできなかったのではない。いつか誰にでもやってくる死という名の運命と同等なほど確実に起こり、避けることのできない不幸であったからだ。

 アリサが忌み子として産まれてしまい、産んだ赤子を育てることもできずに死なせてしまったことも。

 ファイナの大切な人が理不尽に殺され、それに復讐するために立ち向かうも適わず、その命を汚されながら奪われようとしていることも。

 全ては抗うことのできない運命なんだ。

 希望も意志も、全て奪われる。


(何故なら、私たちは奪われる側なのだから……)


 結局のところファイナは屈してしまったのだ。この世界の絶望的なほど巨大な不条理に。そもそもこの不条理を破壊することのできる絶対的な強者など存在しえないのだから。

 アリサはそう確信した。




 日が沈んでいき、茜色に染まる路地裏。そこに血を流しながら蹲っている女性がいた。長く鋭い巻き角に艶やかな紅の髪を胸元まで垂らした魔族だった。サラマンダーといったか、炎を司るとされる非常に珍しい種族だ。


「この子の名は……ファイナ。ファイナ・ドラグレイド」


 一人の赤子を抱きながら、目の前に立つトロールの女性―――エリーザに言った。松葉杖を地面に置いて、エリーザは跪くと赤子に手を伸ばす。


「そうなんだね……」

「ファイナを、ファイナだけは……守るって決めたの……だから」


 胸元を何本もの剣で抉られたようで、そう長くは持たないだろう。何があっても彼女が生きる道を探すまではこの世界にしがみついてやろうという強い意志が、命の炎が消えかかっている瞳から感じられた。


「なんとしても守るの……この子を、それ、までは、逝けない……ッ!」

「もういいよ、わかった」


 エリーザは赤子を渡されると、しっかりと抱きしめた。


(この人が私のお母さん……)


 どうしてだろう。死ぬ間際に思い出すなんて。あの日、エリーザに拾われた時の記憶は曖昧で実感の沸かないものであったが、今は何故だか鮮明に覚えている。てっきり歳を重ねるごとに薄らいでいくものだと思っていたが、そうではないらしい。


(強く気高い、そんな人だ……)


 泥を食って、汚水を飲んで、異臭の中で呼吸をして、地獄の苦痛に苛まれながら、それでも生きようとする強い意志を持った女性がファイナの目の前にいた。


「いつか……この子が、希望に……私たち魔族の希望となって世界を変えてくれると、信じている。それぐらい強い子だもの……」

「……そうね、貴女と同じ目をしてるわ」

「ありが、と……」

「だからもう逝きなさい。命尽きる限り足掻いてみせたはずよ。あとは私に任せて」

「ええ、そう、す―――る」


 最後まで生き抜いたサラマンダーは全身を辛うじて立たせていた糸が切れたように、路地裏の汚水が溜まった水溜りに崩れていった。


「希望か」


 エリーザがファイナを見る。優しい顔だった。ファイナがこの6年間ずっと見てきた、自信と生きるエネルギーに満ちた素晴らしい女性の顔だ。


「お前が私たちの希望か……私には分からないや。でも―――」


 地獄のようなこの世界で、エリーザは笑ってみせた。


「強い目をしてる。きっとそれが希望になるんだ、私たちの……だからそれまで私が育ててあげなきゃね。この子を―――」


 そうだ。


 私は。


 生きて希望になるんだ。


 この残虐、理不尽、差別、無慈悲、歪んだ世界をぶっ壊す。


 そんな存在に……私は!


 視界が開けた。




 残虐と強欲の化身とも言うべき醜い顔がそこにはあった。鉄の右腕でファイナを掴んで城壁に押し付けている。意識を失ったと知ってもなお、掴む力を弱める気配はない。荒々しい息遣いで憎しみを込めて自分を見つめてきているのがわかった。


「……生きて、やる」

「んン?」


 息を吹き返したファイナは頭を上げて、ガルドムに真っ直ぐな視線を突き刺した。憎悪、嫌悪、殺意、そのどれでもない感情を込めたものだ。何があっても折れることのない剣がそこにあるように思えるほど、鋭く研ぎ澄まされたもの―――。

 それは意志。

 決して誰にも譲ることのない意地と、揺らぐことのない信念が込められている。


「私は……生きて希望に。このクソッタレな世界をぶっ壊す存在になる!」


 体の内側で燃え盛っている炎が大きくなり、全身から吹き出してきそうな感覚がした。


「そのために生きる。生きるために戦う。何があっても退くものか。もう誰にも奪われない強さを手にし、全てをぶっ壊すまで暴れ続ける!」


 ファイナの血と肉と骨が炎に変わっていく。


「それが私の道だ!」

「今のお前にィ、なァにができるって言ぅンだァ!」

「邪魔する奴は誰であろうと燃やし尽くす!!!」


 最後まで自分を守り抜いて逝った我が母、自分を希望と信じて育ててくれたエリーザ、希望を見つけるためにともに歩んでくれるアリサ……路上で介錯したゴブリン、この街の共同墓地に眠る人間や魔族の屍。

 この世界を変えようと足掻き苦しんだ者たちの魂が、今のアリサを燃やしている。

 ならばその命の炎が消え去るまで、精一杯足掻き、希望となってみせよう。

 魔族だから、力なき子供だから、地位も名誉もない存在だから。

 そんなの関係ない。

 ファイナが望み、ファイナが己の信念とし、ファイナが歩む道だ。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――――ッッッ!!!!!」


 叫べ。

 そして世界の不条理全てを焼き尽くし、希望となれ。


 ファイナの咆哮に呼応するかのように、彼女の背中から炎が吹き出した。それらは渦巻きながら、左右に別れて翼となる。灼熱の炎で形成された翼は今まで無念の中に散っていった全ての魂が蘇り、一つとなって燃え盛っているようにも見えた。

 サラマンダーは炎を司る魔族だ。竜になり人間たちの驚異となっていた。今は翼を失い竜もなれず炎を司ることもできない存在となった……が、こういう伝承がある。今でもごく一部のサラマンダーは炎の翼を生やすことができるというものだ。

 しかし伝承である。その存在は公には知られていない。


「あれが……ファイナなの……?」


 現実には存在しないはず……少なくとも、アリサはそういう認識だった。

 だが今、確かにファイナは炎の翼を発現させている。背後にあるレンガの城壁も熱して歪めていくほどものを。先ほどまで絶望に暮れていたアリサはただその光景を見ていることしかできなかった。


「なッ!? 何なんだよ、これはァ!」


 ファイナ自身、何が起こっているのか理解不能であった。自分の背中から炎が吹き出している理由も何もかも。こんな現象初めてだ。今まで生きてきた中で感じたことのない力が体の内側で絶え間なく爆発している感じだった。

しかし使い方は分かる。背中に生えた炎の翼を、まるで手足のように自由に操ることができた。


「その手を」


 炎の翼はガルドムの右腕を掴むと高熱で焼き溶かしていく。


「離せぇぇえぇぇッ!」


 ドロドロに溶けた鋼鉄の義手をいとも容易く千切ると、そのまま炎はガルドムの全身にまとわりつき表皮を焼いていく。瞬く間に火だるまになったガルドムの体は、不規則で不格好なダンスを踊り狂う。


「うぎやぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁ! あぢぃぃっぃぃぃぃぃッッッ!!!」


 地面に落ち立ったファイナは近くに転がっていたガルドムの大剣を両手に持つ。まるで鉄の塊のような大剣だったが、何とか持ち上げることができた。そして地面を引き摺りながらも、火だるまになったガルドムに向かってファイナは駆け出した。

 炎が大剣を中心に渦巻き、熱される。高熱を帯び赤く光った大剣は、地面と砂煙と周囲の何もかもを焼き尽くしながら、ガルドムに向かって突き進んでいく。


「いっけぇぇぇえぇ、ファイナぁぁぁぁぁ!!!」


 アリサは叫んだ。一度は諦めた希望への道を、己の意地と強さで勝ち取ろうとしているファイナに向かって。


「人間様に魔族風情がァアァァァッ!」

「黙れ、下衆が!!!」


 ファイナは燃え盛る大剣を持ち上げて、ガルドムの腹部に突き刺した。もはや堅牢な鎧は何の役にも立たない。ただ高熱によって溶かされていくのみである。大剣がガルドムを完全に貫いた瞬間、燃え盛る炎によって彼の体は一瞬にして焼き尽くされた。

 ドロドロに溶けた鎧が地面に落ち、ガルドムの血と肉と骨と汚れた魂が燃焼してできた灰が夜の風に乗って飛んでいく。


「邪魔者は誰であろうと焼き尽くす……」


 ファイナは渦巻く炎の中、大剣を地面に突き刺してそう言った。全身から力が抜けて倒れそうになるが、それでもなお必死に立っていた。ここで倒れるわけにはいかない。自分の道はこれから先もずっと続いていくのだから。いや続けなければならない。

 自分を希望として生かしてくれた者たち、そしてこれから先で自分を希望だと信じ共に歩んでくれる者たちのためにも。

 あとはこの力を使い、残酷な運命が渦巻くこの世界をぶち壊すだけだ。

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