【第1話:猛者―つよきもの―】
世界は赤い血が流れる人間と、青い血の流れる魔族という二つの生物に分かれていた。
ゴブリン、オーク、トロール、ドラゴン、ラミア、サキュバスなどといった種族がいる魔族は、その驚異的な身体能力と生まれ持って備わっている超常の力で、この世界の支配者となり人間を虐げてきた。
しかし今となってはそれも過去の話。
87年前、叛旗を翻した人間たちによって構成された「帝国」が戦争―――第一次人魔大戦が勃発した。魔剣と呼ばれる超常の力とそれを駆使する魔剣士たちの活躍によってに帝国は勝利し、今は魔族が虐げられる存在となっている。
魔王を中心とした魔族側の者たちは粛清され、その他の魔族たちは殺しても罪にならない物同然に扱われることとなり、命の価値を奪われた。帝国に近い都市部に住むことはまず許されず、多くの者が奴隷として取引され過酷な労働を強いられている。盗賊を始めとした違法集団に属していない限り、大多数の魔族は明日食べるものさえも無い貧困生活を送っていた。
ある者は雇い主である人間たちによって使い潰され、ある者は飢餓の中で他の魔族の肉を食べて生きながらえ、ある者は人間に反抗するもその圧倒的な兵力の前に成す術もなく殺され、そしてある者は理由もなく貴族階級の人間に捕らえられて剣の試し斬りに使われていた。
ゆえにかつては世界の人間と同数かそれ以上だった魔族も、現在は人間の総人口の1割にも満たないほど減少している。それでも絶滅しないのは魔族の生命力の強さと、魔族が奴隷階級として労働力となっていることから敢えて生き残らせている人間側の思惑の両方があると言えよう。
だがいずれは奪われるだけ奪われ、消えていく者たちだ。
魔族は人間の敵だったもの。
魔族は残虐非道な心を持っている。
魔族は悪。
魔族は死んで当然のゴミクズども。
魔族の命に尊厳などない。
これが今の世界。
生まれたその体を流れる血が、赤か青かで命の価値が決まる世界。
もはや善か悪かではない。
支配者が変わっただけの世界、夜明けはまだ見えず。
ただ深い闇に覆われた時代が続いていた。
魔剣歴87年、依然として世界は歪んでいた。
「こいつは上物だなァ……人間の女には無い魅力があるぜ」
「サキュバスの中は人間なんかと比べ物にならねぇぐらい気持ちいいらしいってよ」
「でもどうするんだ? 生け捕りなんかにして」
「楽しんだ後に殺しちまえばいいだろ。魔族なんだ、殺したところで何の罪もねぇ」
「むしろ武勲になるもんな」
銀色の甲冑を着た騎士たちが一人の少女を取り囲んで笑い話し合っていた。対する少女は節々が破れ黄ばんでいるボロ布しか着ておらず、ボサボサのフケだらけの黒髪の隙間から見える翡翠のような瞳は色彩を失い、ただ絶望に暮れている。
両手両足を縛られており動けない状態だ。いや、動けたとしても肋骨がくっきりと浮き出すほど痩せこけた体では、走ることすらも困難かもしれない。しかしそんなエロスの欠片も感じさせないほど痩せた体がどうでもよくなるほど美しいその顔立ちに、男たちは鼻息を荒くしていた。
そんなサキュバスの少女を取り囲んでいた騎士たちを押しのけて、一人の巨漢が彼女の前に立った。甲冑で顔は隠れているものの、そこから垣間見える刀傷の入った右眼は、歴戦の戦士であることを物語っていた。2mほどのメイスを背負ってもなお平然と歩くことのできる怪力の持ち主で、丸太のように太いその腕で少女の顔を掴んで持ち上げた。
「この鉄壁のフレゼリア城砦に盗みに入った愚かな魔族とはこいつか……他は?」
「あちらに」
近くの騎士が指さした先には青い血の海が広がっていた。黄緑色の小柄なゴブリンの死体がバラバラに切り刻まれて散乱していた。全部集めれば10~12匹ほどの体はできるだろう数だ。奥の方では縄に縛られた潰れた豚のように醜い顔をしたオークの巨躯が、騎士たちに剣で斬り刻まれていた。肉の表面だけを斬ることで痛めつけつつ、すぐには殺さないようにしているのだ。
オークは掠れた声で断末魔を叫ぶが、騎士たちには悪趣味なギャグにしか聞こえず声を上げて笑いながら斬り続けていた。
「サキュバス以外の魔族は剣の試し斬りに使っております」
「結構。騎士も永きに渡る僻地勤務で鬱憤も溜まっている。この機会に発散させてやれ」
「かしこまりました、サヴァル騎士団長」
サヴァルは騎士たちにそう言うと少女の顎を右手で掴んで強引に口を開けさせると、左手に持った鋭いナイフを突き立てる。
「サキュバスは耳元で呪文を囁き、男どもの生気を奪う。ゆえに危険だ。だから喋れないように舌を切り落としてから楽しむもの……」
「あっ……ああっ……やめて……」
掠れた少女の声は誰の耳にも届くことなく夜の寒空へと消えていった。そのままナイフを口に刺し込んで、舌は切り落とされた。少女の舌は青い血とともに地面に落ちると、取り囲んでいた騎士の一人に拾い上げられた。
「これがサキュバスの舌か! これ持ってると精力増強するんじゃね?」
「迷信だぞ。汚ねぇから早く捨てろって」
「それよりも早く味わっちまおうぜ」
騎士の一人が我慢できずに甲冑を脱ぎ出す。ゴツゴツとした男たちの腕が少女を掴む。声を出せなくなった少女の口元から「ヒュー・・・ヒュー・・・」と空気が漏れ出す音がする。抵抗する四肢には力が全く入らず、周囲の騎士たちに押さえ込まれてしまう。
救いのない世界だった。善が報われることもなければ、悪が報いを受けることもない。そんなことを考えながら、少女は抵抗をやめ、汚辱も惨死も何もかもを受け入れることにした。
奪われるだけの人生だった。
生まれてから死ぬまで飢えと絶望以外感じたことのない人生だった。
サキュバスの少女は心のどこかでもうすぐ死ねることを嬉しく思った。心は完全に閉じ、来るべき終わりの時まで続く苦しみを覚悟する。
自分の開いた股の間に、騎士の粕まみれの汚らしい陰茎が侵食してこようとしたその時。
剣閃が夜を斬り裂いた。
少女を陵辱しようとしていた騎士の体が真っ二つに割れた。四散する血飛沫、踊り狂いながら飛び出す贓物、裂けていく肉の音。それら全ての中心に、一本の長剣があった。
返り血がこびりついた白銀の諸刃が騎士の体を両断していた。たしかに刃だけ見ればごく普通の長剣のようであったが、刀身には機械のような鉄の塊あり、純粋な剣としては無駄に大きすぎる異様な得物だ。銃口が備え付けられているわけでも、盾に変形するような形をしているわけでもない。
その異様な長剣の持ち主は両断した騎士の体を蹴り飛ばして、少女の前に立つ。
「危ないから下がってろ」
長剣の持ち主の女性は少女と同じかそれ以下の幼さのある顔立ちをしており、肩まである紅の髪を揺らしていた。瞳の色は赤、頭には二本の巻き角を生やしているところから魔族であることが分かった。竜のような尻尾が生えており、輝く紅の竜鱗が月光を乱反射している。
自分と同じぐらいの歳で、魔族で、虐げられるだけの存在であるはずなのに。彼女の瞳には絶望など存在しなかった。尊厳を失ったはずの命が過酷な運命に抗うかのように燃え盛っている。
血飛沫と灰で汚れた白いマントの下には鎧などを着込んでいる様子はなく、丈のあっていない上着と破れかけた短いスカートがあった。少なくとも騎士や傭兵のように敵の攻撃から身を守る気は感じられない。
「貴様、何者だ!? 名乗れ!」
「魔族だ、魔族の襲撃だ!」
「う、うゎぁぁあァァァァァァァァ!!」
突然の襲撃にうろたえる騎士に向かって、その長剣を彼らに向けて言い放つ。
「ファイナ・ドラグレイド、それが私の名だ。面倒だからまとめてかかってこい」
狼狽えていた騎士たちもファイナが女であることが分かると、少し気が落ち着いたようにも見えた。さっきのは奇襲だから上手くいった。長剣の扱いは上手いが数ではこちらが優っている。女だ。騎士たちは恐怖を振り払うために様々な言い訳を思い浮かべ、剣や槍、手斧など各々の得物を構えて突撃してきた。
四方から襲いかかる騎士の数は十名を軽く超えていた。長剣で薙ぎ払える数でもない。
しかしファイナは突撃してくる騎士たちの中で出遅れた一人を見つけ出すと、そちらに向かって地面を蹴って素早く潜り込む。騎士の剣を右に避けることで避けると、その騎士の腹部に長剣を突き刺す。肉を切り裂く音と血が漏れ出し、絶叫する騎士の体をそのまま持ち上げて、他の騎士たちに向けて投げつけた。それは騎士たちをなぎ倒しながら吹っ飛んでいく。
「敵は一人だ! 我らフレゼリア防衛騎士団の集団戦術を見せ―――」
騎士たちの指揮を執っていた男の元にファイナは長剣を投擲した。長剣の刃は騎士の首を切り落とすと、そのまま後ろにいた者の腹部に深く突き刺さる。突き刺さった長剣を引き抜いて回収すると、近くにいた三名の騎士に長剣を構えて飛び込む。
「ひぃっ!」
「やめ……ッ!」
「助け」
逃げ出そうとする騎士の背中をファイナは捉えると、
「逃げられると思うな」
長剣を大きく横に振って騎士たちの胴体を一斉に薙いだ。肉を切り裂かれ胴体を両断された騎士たちの血と贓物が戦場を舞い狂う。気づけばファイナの足元には無数の騎士の屍が並んでいた。
連載頑張ります!