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「お前は……!」
重苦しい夜が街を包む。普段より一段と暗く感じるのは、おそらく今日が新月だからであろう。月明かりもなく、視界を闇で覆われた男はそう呟いた。
「おや?ワタシを知っているようだな」
大通りを背にして、ずり、と後ずさりをする男。目の前の‘それ’は、男の視線の先、路地裏からこちらへこちらへと歩み寄ってくる。
「くっ……、来るな!!」
「そう言ってワタシが歩みを止めるとでも?」
路地裏は大通りと違い街灯がなく、こちらから‘それ’の表情は読み取れないが、おそらくは嘲笑しているのであった。‘それ’はこの暗がりの中でも自分を目視出来ている。少しでも自分が有利になるようにと、男は街灯のある大通りへと飛び出した。
元より住民が少ない街だ。こんな時間―午前二時をまわっている―に出歩く人間がいるはずがない。だからこそ、男は外出したのだ。自分の目的を果たすために。
「もう、そんな下らないことはやめて、出ていった方が身のためだと思うがね?」
「な、何のことだ! ここは俺の故郷、お前にとやかく言われる筋合いは……」
今もなお、‘それ’はこちらへ歩みを止めない。路地裏から大通りへと、歩く速さは一定に、しかし確実に、その足取りには迷いがない。
大通りの街灯が、少しずつその姿を露わにする。白く長い、ロングコートのような白衣、腰まで届く長いブロンドの髪、薄ら笑みを浮かべた表情、大きい丸眼鏡。
――女だ。おそらくはどこかの研究員か何かだろう。しかしなぜか、男の脳は警鐘を鳴らしている。目の前の‘それ’は自らにとって危険因子だと、そう言っているのだ。
「ああ、ああ。 失礼した。 貴方ではなく、貴方の中にいる‘それ’に言ったつもりだったのだが、勘違いされてしまったようだ」
目の前の女は、頭を掻きながら男の胸を指差す。男は当然、女が何を言っているのか理解できない。
「何を言って……がっ!?」
突如、予想だにしない痛みが男を襲う。男はその場にうずくまり、痛みに喘いでいる。
「おや、ご本人のお出ましだな?」
女はそんな男の様子に見向きもせず、にやにやとした笑みを浮かべたままだ。その時、男は自分の身体の中からズルリ、と何かが這い出る感覚に襲われた。
「ふふはは。 まさか貴様のような若造に正体が暴かれるとは……我も墜ちたものだ」
女でも、ましてやうずくまる男の声でもない。明らかに第三者の発言に驚き、男は痛みに耐えながらも声が聞こえた自分の頭上に目をやる。そこには、この世のものとは思えないものがいた。
――影だ。もやもやとした、実態を持たない影が、あろうことか男の身体から這い出ていたのだ。
「ひっ、あっ、ゆうれ……!?」
「我を貴様ら人間が作り上げたものと一緒にしてもらっては困る、なあ? ずっと一緒にいたではないか。 我と貴様は書いて字のごとく一心同体、そうであろう?」
影が言葉を発するごとに、痛みが襲う。どうやら痛みの根源はこの影のようだ。
「知らない、お前のようなやつは、知らない……!!」
訳が分からない。目的のために外出したら謎の女に追いかけられるし、自分の身体は痛みだすし、おまけに変な影まで出てきた、男はそう思っていた。
「ははは、意識まで操作されてその言い草は流石にかわいそうと思うぞ?」
女が笑う。意識を操作?一体何を言っているんだ。男の心を読んだのか、女が口を開く。
「大体こんなど田舎、こんな時間に出歩くなんて普通の人間じゃありえない。何か目的があったんだろう? 例えば――親しい人の寝込みを襲う、とかさ」
「ッ!!」
ドキリ、と男の胸が高鳴る。
「人間を絶望に突き落とせばその代償として人ならざる能力、地位、名誉、莫大な金が手に入る。 自分と親しければ親しいほど、その効力は大きくなる――みたいな事、言われたんだろう?」
女が心を見透かしたかのように自慢げに語る。図星だった。
「若造、貴様は我々の手口を知っておるだろうに」
影がにやりと笑う。手口とは、一体何なのだろうか。女と影、二人で進む会話に、男はついていけなかった。
「だからこそ、助けに来たのだよ。 かわいそうな無知な仔羊を助けに、な」
途端、女のまとう雰囲気が変わった。只の素人にでも分かる程の殺気。相対する影は表情ひとつ変えず、只一言放つのみだった。
「ククク、身体を借りるぞ」
そこから、男の記憶は途切れた。
・・・
「んー、疲れた。 今回のはちとハードすぎだな」
新月の闇夜に響き渡る、女の声。ブロンドの髪を持つ女――カガミはそう言った後に、再起不能なまでに粉々にされた影の中から黒いビー玉サイズの水晶玉を取り出す。それは影の核であり、いわば心臓であった。
「お前が暴れるせいで宿主が死んでしまったよ。 はああ、また会長にどやされる……」
取り出した核を地面に置き、足で粉々に踏み潰す。同時に男に取り付いていた影は霧散し、動かない男の死体だけが残されていた。
「ほんとは助けられるのならそうしたかった、寄生度も低かったしな。 ただまあ、運が悪かったな」
‘つるぎ’、とカガミが呟くと、彼女の手には白銀の剣があった。それを男の死体に突き刺す。血が溢れると思いきや、死体は砂状になりサラサラと風に乗って飛んでいった。
「処理完了、証拠隠滅と。 これで貴方はこの世界の誰からの記憶からも消滅した。 安心して逝きな」
カガミが飛んでゆくカケラを見送っていると、物陰からまだ齢十歳ほどの少女が姿を現す。どうやら彼女は新人のようで、カガミが影を滅するのを初めて見たようだ。
「カガミさま、すごい!」
「はは、褒めても何もでんよ」
「そういえばカガミさま、意識を操るって、具体的にどういうことなんですか?」
自分に近寄ってきた少女の頭を撫でてやり、彼女の無垢な質問に答える。
「端的に言えば、"無意識を意識的に操る"、ということだ」
「……??」
「ふふ、難しいだろう? 例えばそうだな――アンジュ、お前ふとした瞬間に甘いものが食べたいと思うときはないか?」
「あ、ありますっ」
アンジュと呼ばれた少女は、カガミの話を熱心に聞いている。彼女なりに理解しようとしているようだ。
「奴らはそれを意図的に行うんだ。 アンジュにとってはふとした瞬間かもしれないが、それはそう思うように仕組まれたものであり、奴ら――<ファントム>の意思なのだよ」
理解できたのは半分くらい、という顔をするアンジュを見て、カガミはふっと微笑む。
「……まあ難しい話は会長直々に教わってくれ。 多分そのほうが理解もしやすいだろうしな。 という訳でアンジュ、今から帰還するぞ」
「はいっ、カガミさま!」
少女は満面の笑みでそう答えた。瞬間、二人の姿は数秒もせずして、闇夜に溶けるように消えていったのだった。