表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選ばれた夢  作者: はいぼーる
第一章
3/13

ハルトだってやればできるよ!

 目覚めとは悪いものである。ハルトは睡魔と戦いながら通学路を歩いている。


 昨夜の出来事の後、つまり、リタと名乗る人物がハルトの前に突然現れ、殴られ、脅迫され、難解なご高説を賜りながらなぜか、最後にキスされて、ふと出て行った出来事の後、ハルトは混乱した頭を収めるために、自分の身にふりかかった状況を朝まで整理していた。


 まず、ハルトのもとにリタと名乗る人物が現れた。彼女がこの複雑な事態を引き起こしている中心人物である。そもそも、どのようにハルトの部屋に入ったのか、そこからわからない。ハルトはリタが消えた後に、家の中を捜したが、彼女はいなかった。また、玄関や勝手口のドアの鍵もかかっており、開いていたのは二階の窓だけである。


 ・・・窓から出入りしたのか?いや、二階の窓からどうやって出入りする。まさか、飛んだのか?はたまた消えたのか?


 青い髪の美少女に対する謎は他にもある。彼女が言っていた『運命の使者』という言葉だ。彼女はまるで職業のようにその言葉を使っていたが、ハルトはそのような仕事も会社も知らなかった。インターネットで検索をしてみたが、リタにつながる情報はなかった。


 もっとも、最大の謎は彼女が提案したその内容であった。


 現実世界への不満を尋ねた後、リタはハルトに夢の世界へ行くことを提案した。また、彼女は『夢のスーパー超人はると』と『ハルト』が同じ人物であることを根気強く説明していた。しかし、ハルトにはイマイチ、納得ができていない。夢の中の人物と現実の人物が全く同じなどあり得ない、と未だに彼は思い続けている。


 『夢と現実どちらの世界を生きるのか、あなたに選ばせてあげる。あなたの運命をあたしに預けてみない?』


 昨夜のリタの言い方だと、ハルトには夢と現実の世界のどちらを生きていくのかの選択権があるようだった。


 ・・・まぁ、オレには世界が選べるようだな。また、とんでもなく大きな”ホラ”を吹いてくれたよ。


 夢の世界と現実の世界、どちらかを選ぶなどというあまりにも現実離れした話である。何の対価もなく、世界が選べるのなら、多くの人間は自分の都合のいい世界を選んでいるだろう。だが、そんな話を一度も聞いたこともない。また、世界が変わるなどということがあったら、周りの人間がどうなるのかという点もハルトには疑問であった。他にも世界はいくつも存在するのかどうか、夢の世界と現実の世界というのは別物なのだろうかなどもハルトが気になってしまった点である。


 こういった疑問点から、ハルトは昨夜の出来事が全て悪夢だったということにして、いつものように何も考えず、嫌なこと、関わりたくないことを忘れようと試みた。


 しかし、彼にはそれができなかった。昨日の頬の痛みと柔らかな感触が彼の中に残っていた。あのリタという女は昨日の夜、彼の目の前に現れたのは事実なのであろう。


 『あなたの運命をあたしに預けてみない?』


 幼く見えた顔の割には随分と大袈裟なことをいう女であった。全てを知り尽くしたような物言いは腹も立つし、胡散臭い部分もあった。しかし、ハルトには彼女が嘘をついているようには見えなかった。人を心底疑えないところが彼の欠点ともいえるのだが、ハルトはリタが悪い人物ではないだろうということを感じていた。だからこそ、昨夜の出来事を悪夢とは思いたくないのである。


 ・・・う~ん。よくわからん。


 今の時点では情報が少なすぎる。それに彼女は再び現れると予告しているので、その時にまた色々と話を聞こうというのが朝までかかって彼が何度も行きついた結論だった。


 信号は本日三回目の赤である。こういう部分の運のなさは相変わらずであったが、今日に限っては、休み休み歩いている寝不足のハルトのペースに合っていた。ハルトが横断歩道の目の前で立ち止まると一台の自転車がハルトの横に止まった。


「おはよう、ハルト!なんか元気ないわね!」


 朝から目の前の自動車に負けないぐらいの大声で話しかけてくる同年代の女性をハルトは一人しか知らない。幼なじみの夏野マユ。ハルトとは正反対の位置にいる人物である。



※ ※ ※ ※ ※



 夏野マユ。生徒会会長で、成績優秀、運動神経抜群、身長一六五センチメートル。人を吸い込んでしまいそうな深い緑色の瞳、緑色のリボンで留められた黒い髪、そして、人一倍輝いて見えるその笑顔は初めて彼女に会った人がまず目がいく点であろう。その上、快活で義理がたい性格は自然と人から信頼を集めた。ハルトと同じ高校二年生で、ハルトとは昔から同じ学校で家も近い。


「よう」


 ハルトは右手で答えながらそっけない返事をした。


「ほんと、元気ないね!朝からそんなんじゃ、一日持たないわよ!」


 マユは自転車から降り、ハルトに横に並んだ。自転車から降りると、マユはハルトを見あげなくてはならない。


「ちょっと考え事をしていただけさ。お前も朝練じゃあないのかよ」


「今日は休みだよ!」


 マユは目の前の流れていく車の流れの中で、窓から顔を出す小型犬を見つけると目が追いかけ、顔もついていく。屈託のない笑顔はそのまま、ハルトへと向けられた。


「そういえば、お前。また練習試合でホームランを決めたそうじゃないか。オレのクラスのソフト部のやつが騒いでいたぞ」


 マユはソフト部の主将であり、エースで四番バッターだ。


「そうだよ、わたし活躍したよ!会心の当たりだったんだよ!」

 マユはハルトに向かって手だけでバッティングをするマネをしてみせた。一瞬お気に入りのオレンジ色の自転車が倒れかけたが、すばやく彼女はつかんだ。


「よかったじゃないか。お前は昔からソフトボールを続けてきたもんな」


「まぁね!ソフトには自信持ってるよ!」


 マユの頑張りというのは人一倍すごかった。ソフトボールの素振りと投げ込みは毎日早朝にやっている。ソフトボールだけでなく、勉学でも学年一位の成績がその頑張りを示していた。他にも生徒会の活動やゴミ拾いなどの地域活動、町内会のもちつき大会にまで全力で取り組む姿は学校のみならず近所では有名だった。そんな同じ年の存在をハルトは幼い時から見続けていた。


「やっぱり、お前には敵わないな。お前がうらやましいよ」


 ハルトは昔からマユに対して思っていた素直な感想だった。そして、お決まりの返事をマユはした。


「いや、そんなことはないよ!」


 マユの目線は下から上へ、ハルトを突き上げていた。


「ハルトだってやればできるよ!」


「はいはい、いつもありがとう」


 ハルトはいつもマユをほめる時に「お前はすごいな」というが、そういうとマユは決まって「ハルトだってやればできるよ!」と返すのであった。『山』と言ったら『川』の世界である。


「もぉ、いつもハルトは頑張りもせず、何もやろうとしないでいるよね。そんなハルト嫌いだよ!」


 こいつも頬を膨らまして怒りを表現している。ハルトは、昨日リタに対して途中から慣れた一つの要因は日ごろマユの扱いに慣れていたからであるとこの時、気付いた。


「まぁ、やりたくても、できないんだな。これが。努力できることも才能なのさ」


 ハルトは両手の手の平を返して、どうしようもないことをジェスチャー付きで表現した。普段はこれでマユが頬を再び膨らませて終わるのだが、今回は続きがあった。


「そんなことじゃ、もったいないと思うな!ハルトだって頑張れば色々できるはずだよ!『後悔先に立たず』だよ!」


 めずらしい。マユが口を『へ』の字に曲げて怒ることは稀なことである。考えられる主たる要因は信号が変わらないことであるが、マンネリ化した受け答えにマユが、ウンザリしたのかもしれないと、ハルトは考察した。マユのハキハキとした物言いは、ハルトの回りくどい言い回しと対照的にハルトの心を何度も突っついている。そのことがハルトをこんな考えへと導いたのかもしれない。


 ・・・まぁ、できる人間は何でもいえるよな。


 ハルトはマユのことを努力家だと評価しているし、彼女の日々の苦労を考えると尊敬に値する人物だと思っている。しかし、それは時に何もできない自分へのあてつけなのかと思ってしまう時が凡人ゆえにあることも事実である。自分が彼女の何十分の一の努力もしていないのにも関わらず、である。


「そうだな。よし、明日から本気出す」


「もぉ、茶化さないで!」


 マユは頬を赤く膨らませて、眉をよせてさらに怒りながら見上げている。車道の信号は黄色へと変わり、まもなく赤へ変わった。


 幼なじみとこんなに会話したのは久しぶりかもしれない。最近は学校の廊下で会っても軽く挨拶して一言二言交わす程度であった。ソフトボールの話にいたっては前回、夏の地区大会準決勝で強豪校に敗れた時に、声をかけて励ました時以来なので、半年以上も前のことであった。


「ゴメン、悪かったよ。けど、そこまで怒ることでもないだろ?」


 ハルトは謝ることにとくに抵抗がない。いらぬ争いを避けることが彼の処世術のひとつであった。だ

が、幼なじみにはすぐに見抜かれてしまったらしく、むしろ事態を悪化させてしまった。


「もぉ、ハルトのバカ!人が心配して言っているのに!」


「いや、ホントに悪かったって思ってるって。けどさ、お前みたいにはなれないのさ。どんなにがんばっても、やはり、人には才能ってもんが、はじめから・・・」


「そういうことをいってるんじゃないの!!」


 歩行者用信号はとっくに青に変わっており、ハルトとマユ以外の歩行者はすでに渡り終えていた。ただ、ハルトの目の前の幼なじみは目を真っ赤にさせて訴えているので、ハルトは道を渡れなかった。彼女のまっすぐな正義感が、ますますハルトの心に突き刺さってくる。ハルトは顔をそむけながら


「・・・悪かったな、ふざけたりして」


 といって、マユの頭をポンポンと撫でた。昔からハルトがマユに謝る時の儀式のようになっていた。


「・・・もぉ、恥ずかしいじゃんか・・・」


 マユは怒りよりも恥ずかしさによって再び赤くなっている。そんなマユを見て、ハルトも赤くなってきた。傍からみれば、朝からカップルのけんかを見せつけられて、勝手に仲直りしているとんでもなく迷惑な話のように見えるかもしれない。


「・・・と、とにかく、ハルトはもったいないよ・・・」


 マユは目線を落としながら、ハルトとは反対に顔をそらして続けた。青信号は点滅している。


「・・・ハルトはやればできるんだよ、だからさ・・・」


 マユは急に、自転車に足をかけてこぎ出した。そして自転車で道を渡りながら振り返る。朝日を浴びた溢れんばかりの笑顔で。


「学校まで競争よ!わたしに勝ってみなさい!!」


 ・・・おい、さっきまでヘコんでいたやつはどこのどいつだ?


 ハルトはマユの頭に手をのせた姿勢のまま、マユの後姿を見ている。どこか子どもっぽいが明るく周囲に元気をもたらす存在、それが夏野マユであり、今、いつもの彼女に戻ったのであった。


「・・・いや、無茶だろう!お前が勝つに決まっている!」


 ハルトが渡ろうとした時、信号は赤になっていた。行き交う自動車の合間から、道路の反対側で自転車に乗ったマユはハルトに向かって手を振っている。


「ハルト!先行くから!」


 というと、マユは先に行ってしまった。いつも通りの彼女に戻って。そして、遠くでチャイムが鳴るのが聞こえる。どうやら今日も遅刻のようである。


 ・・・また、今日もついてない・・・。


 マユはあの調子なら、ギリギリ間に合うだろうが、ハルトはギリギリ間に合わない。ある意味、いつも通りの状態に戻ったことに、ハルトは安堵したのだった。もう昨日のことは、些細な悪夢として記憶の端に追いやられていたのである。



※ ※ ※ ※ ※



「こんにちは。今お暇かしら?当然、あなた様のような暇人は時間を浪費しておりますよね?」


 なんなんでしょう、この丁寧なのか馬鹿にしているのかよく分からない物言いは。だが、誰が話しかけてきているのかはすぐに分かった。こんな失礼なやつは、記憶の片隅に追いやりたいやつは、ひとりしかいない。


「お前、なんでこんなところに・・・」


 深く透けるような青い髪、強い意志が伝わってくる大きな紅い瞳、そして外見に似合わない膨らみを胸に抱えた小柄な少女をハルトは一人しか知らない。運命の使者、リタである。


「それは、昨日も話したではありませんか、またお伺いすると。それとも、そんなことも記憶できないぐらい頭が退化なさっていらっしゃるのですか?」


「いや、お前、そんなことより、どうして・・・」


「あっ、もしかしてこれですか。このコスチュームですか?」


 そういうと、リタはスカートの裾を指先で持ち上げた。濃紺ベースのチェック模様のスカートが扇をさらに広げるようにハルトに示された。


「どうですか、制服は似合いますか?あたし的には少々胸の周りがきついのですが、急いで借りてきたものですので我慢しているところです」


 そういうと、リタは胸の前に両手を重ねて首を傾けてハルトに返答を求めた。大きな赤いリボンが学校指定の紺地のブレザーに映えているが、それ以上にリタの胸は制服が本人のものでないことを示している。


「ハルト様、どうかされましたか?もしかして、本当にあたしの美しさに目を奪われ、言葉も奪われてしまったのですか?まったく、日ごろから経験がないからって、こんなところでいやらしいことを考えないで下さいよ」


「いや、そうじゃなくてだな、なんでお前はこんなところにいるのかと聞いているんだ」


 一人でしゃべりながらポーズを様々にとりづけるリタに対してようやく、ハルトは反論の機会を得た。そう、彼はリタと再会した場所についての疑問を投げかけているのだ。


「それは、ハルト様がこの時間は学校にいらっしゃることはリサーチ済みですし、それにハルト様がいらっしゃるところと言えば、こんな所だろうと予想していましたから」


「そうか、オレは昼休みになったらここに来るだろうと予想していたのか」


 ハルトは目を細めながら、リタに問いなおした。そこには屈辱と諦めが込められていた。


「はい、現にハルト様はいらっしゃいました。あたしの予想は大当たりでしょう?」


 リタは自信満々で問い直す。


「・・・そうか、それでお前は『男子トイレ』で待っていたのか。男子トイレに必ず来ると予想して」


「はい。あなた様のような人間は昼休みにひとり、男子トイレで弁当を食べるのではないかとそうしていたのですが、弁当はもってきていないようですね」


「持って来ないわ!」


 ハルトはリタの頭に突っ込みを入れた。男子トイレの中心で美少女に突っ込みを入れたのだ。


 昼休みも中盤、弁当を食べ終わり(もちろん、クラスの友人と昼に弁当を一緒に食べた後であるが)、用を足そうと廊下の端にあるトイレに入ると、その中央でリタが制服姿で待っていたのだ。さすがにこれにはハルトも動揺した。


「そんなことより、お前、オレじゃなくて他の男が入ってきたらどうするつもりだったんだ?」


「(うぁ、女の前でそんな話する?キモイ、そういう話は薄い本の中だけで考えてろよ。マジでいやらしいわぁ。ドン引き)」


「いや、おねぇさん、心の声、全部聞こえてますから」


 もはや、リタの蔑むことを隠さない目線がハルトを襲った。ハルトの声には諦めしか残されていなかった。その直後、


「・・・それよりも、場所を変えて昨日の話の続きをしませんか?」


 リタは何事もなかったかのように心が行方不明の営業スマイルをしながら、ハルトに語りかけた。


「そうだな、ここでは何かとマズイし・・・!?」


 とその時、ハルトはこの男子トイレに近付く足音に気がついた。足音はどんどん近付いてくる。


「おい、誰か来るぞ。どうするつもりだ」


 ハルトはリタに近付いて問いかけた。この状況はマズイ。男子トイレに男と女、それも幼く見える少女がいると男は社会的に再起不能な損害を被る可能性が十分にあった。そして、リタの発言がハルトをさらに追い込めた。


「大丈夫ですよ。あたしは無理やり連れ込まれたって証言しますから、あたしは対応できますよ」


 この女につかまったのが運の尽きだったのかもしれない。足音は複数で、同時に話し声から男二人であることがハルトの錆色の脳細胞が叩きだした答えであった。


「と、とにかく隠れるぞ!」


 ハルトはリタの手をとると、個室に逃げ込んだ。間一髪、ハルトが鍵をかけた後、男子生徒二名がトイレに入ってきた。くだらない、とりとめもないことを話しながら連れだって用を足している。


「ふふふ、ハルト様って意外と大胆なんですね」


 リタはほとんど声にはならないぐらい小さな声量で、個室の便座に腰かけてハルトの顔を見あげながら、話しかけている。そして、わざとハルトに密着してその反応を楽しんでいた。先ほどよりも距離が近く、さらに、このトイレが北側にあって薄暗かったため、昨日の出会った場面が一瞬ハルトの脳裏に浮んだ。


「うるさい、少し黙ってろ」


 ハルトも声にはならない声で社会的地位を失わないためにリタに話しかけている。リタは眉を寄せながら、手を口の前にあてて、楽しむように笑っている。


「おや、赤くなってる。もしかして、緊張してます?」


「だ・か・ら、・・・」


「ほらほら、静かにしないとばれますよ。あたしはバレても大丈夫なんですから」


 ・・・くそ、なんて男は弱い生き物なんだ・・・。


 ハルトは、この時ばかりは性別に後悔しながらも、外の様子を伺った。どうやら、先程の男子生徒達は出て行ったようだ。ハルトは注意深く外の様子を確認すると、リタを個室から連れ出した。


「どうですか、屋上にでもいきません?」


 リタは個室から出ると具体的な提案をしてきた。とにかく、早く男子トイレから出たいハルトは二つ返事でその提案をのんだ。



※ ※ ※ ※ ※



「う~ん。外は気持ちいですね。さっきの臭い部屋とは大違い」


 男子トイレを出た後、ハルトとリタは学校の西側の階段から屋上へとやってきた。リタはどこで用意してきたのか、屋上の鍵を前もって用意しており、屋上へ出ることができた。


「で、どんな話をするつもりなんだ?」


 リタに従うまま屋上までついてきたハルトはフェンス越しに遠くの街を眺めているリタに話しかけた。


「もちろん、昨日の続きです。昨日の補足をしようと思っています。その後で、質問タイムも設けようと思っています。疑問点にはできるだけお答えするつもりです。」


 リタは振り返ると手を後ろに回しながらハルトにそう話した。先程までとは違っていたって真面目そうな顔つきをしている。日の下では彼女の髪も瞳もより一層輝いて見える。リタは歩きながら話を始めた。


「まず、こちらから幾つか補足説明を先にさせていただきます。ひとつは仮契約の申し込み締め切りの日時についてです。こちら側の都合で申し訳ありませんが、あまり時間がありません」


「時間がないっていつまでだよ。」


「はい、本日中です」


 リタはこの時ばかりは申し訳なさそうに下を向きながら話している。一方、ハルトはこの時ばかりは解放されることが分かったことに喜びを覚えていた。こんなやつに振り回されるのも今日までということが彼を元気づけた。


「そうなのか。今日までなのか」


「はい、申し訳ありません。本日が仮契約の期限となるそうです」


 リタは歩みを止めハルトの前で軽く頭を下げた。そして、そのまま話を続ける。


「実は昨日のお話の後、上の者に確認をとりましたところ、あなたは本日中に仮契約を結ぶ『運命』になっていたそうだったのです。確認を怠っていた私の落ち度も重ねてお詫び申し上げます」


「いやいや、そんな謝らなくても・・・」


 と、ここまで言いかけて、ハルトにはひとつの疑問が頭に浮かんだ。本日中に仮契約を結ぶ『運命』?ここでも、彼は運命という言葉が気になった。


「なんだ、オレが仮契約をお前と結ぶことも『運命』によって決まっているというのか?」


「はい、そのように上から連絡がありましたので」


 と、リタは顔を上げるも、うつむき加減で答える。


「ちょっと、待てよ。お前は昨日、『運命』だか『事実』だかについてなんか言っていたよな。変えられるだの変えられないだのって」


「はい、そんなことも言いましたね。『運命』は変えられないけど『事実』は変えられると申し上げました」


「だったら、オレは今日お前と仮契約を結ぶことは『運命』だってさっきお前はいったから、オレは今日お前と仮契約を結ぶっていうのか?」


 ハルトは興奮してきた。こんな面倒なことに、これからも付き合っていかなくてはならないと思うと、ここで彼女を問いただす労力が安く思えた。彼はうつむき加減で静かにしているリタに問いかけた。


「う~ん、少し説明が難しくなるのですが、こういうと分かりやすいですかね。あなたは今日中に私と仮契約を結ばざるを得ない状況になる『運命』だ、と。もちろん、あなたがその時に仮契約を結ばないという選択をなさることも可能です。それはあなたがこちらの世界を選んだということになります。いうなれば、こちらの世界を選択するという仮契約、いや一気に本契約まで結んだということになりますから」


「ということは何か。お前と契約を結べるのは条件があるのか?」


 ハルトはリタの目を見て話す。彼は昔から人を疑えないが、人を見極めようとする時には目を見るようにしている。リタの目は、うつむき加減のためにはっきりとは見えないが、昨夜と同じく輝きを失っていない。


「いいことに気がつきましたね。私が説明しようとしていたことの一つですが、この契約は条件があり、期限を過ぎてしまうと二度と契約できなくなります。また、契約の機会も一人の人生で一度きりと決まっています」


 リタもハルトの目を見て話す。頭一つ分の身長差から自然と上目づかいとなってしまう。


「じゃあ、質問いいか。お前と契約してオレは何ができるんだ?」


「具体的なことは機密レベルが上がってしまうので、現段階では言えませんが、大雑把に言ってしまえば、世界の選択権が与えられます」


「ちょっと待て、何の対価もなしに世界を選べるのか?」


 ハルトが昨日から考えていた疑問点を問いただした。リタは再び驚いた様子で


「まぁ、ハルト様は見かけによらず優秀なお方なのですね。そうなんです、あなたがこの権利を受けられるのは通常ありえないことなんですよ。そうですね、仮契約をしないと具体的にはお教えできませんが、対価は別の方がお支払い済みになっているとお答えしましょう」


「えっ、いや待てよ。オレは他人が払った代償で世界を、自分にとって都合のいい世界を選ぼうとしているのか?」


「自分にとって都合のいい世界が、他の人にとっても都合のいい世界であるかもしれないじゃあないですか。」


 冗談じゃない、とハルトはリタに迫った。いくらなんでも人様の権利を自分が使う訳にはいかないと考えたのだ。


「とにかく、オレはそんな人の物を使うようなことはしたくない。その対価を払った人間に権利を返してやれ」


「それはできません。繰り返しになってしまいますが、まだ仮契約を結んでいないので、あまり具体的なことは言えません。ただ、お支払いいただいた方があなたに世界を選んでもらうことを望んでいらっしゃるとだけお伝えしましょう」


「とにかく、オレはそんなことで世界を選ぶなんて、信じられない話を聞かされるなんてゴメンなんだよ」


 ハルトは平凡な人生を送ってきたが、それは人様に迷惑をかけないことを幼い時より心がけてきたからで、何にも事件がない訳ではなかった。友達とけんかをしたり、負けて悔し涙をながしたり、時には人を傷つけてしまうこともあった。だからこそ、今のリタの話には怒りを覚えているのだ。


「ハルト様のおっしゃることも分かります。人に権利を譲ることはなかなかないことですので。ただ、私はその対価を払った方のご希望をかなえるためにこうしてあなた様のもとに現れたのですよ。その点はご理解ください」


 気分を悪くするような経緯と、いたく真面目なリタの様子にハルトの調子は狂わされた。ただ、リタの立場も考えるとリタに怒りをぶつけることも可哀そうである。ハルトは顔をそらして苛立ちもそらそうとした。


「では、最後にもう一点、仮契約から世界の選択までの流れをご説明させていただきたいと思います。仮契約を結んでいただけましたら、こちらで用意させていただいた資料を提供させていただきます。資料を参考にしてもらいながら、どの世界を選択するのかを本契約の時に決定していただきます」


 ハルトはリタの説明を聞いてはいるが、腕を組みながら口角の筋肉をゆがめて不機嫌なのを隠そうとしない。


「・・・ハルト様、大切なお話なのできちんとお聞きください。選ぶのか選ばないのかはあなたの自由ですが、選ぶとなった時に必要となる知識ですから、真面目にお聞きになってください」


「・・・聞いてるよ」


「はい、ありがとうございます。先程も申しましたように、人生で一度しか機会が与えられないので、必要な情報や起こり得る可能性について確実に、かつ正確に伝えるために多少、強引な手法を用いる場合もございますので、その点もご了承ください」


 リタは改め頭を下げる。そして、顔を上げる時に一息ついてから、右手のこぶしを口の前に持ってきて、ひとつ咳払いをした。


「これで、こちらからの補足説明は以上です。ここからはハルト様からの質問を受け付けたいと思います」


 どうぞ、とリタは再び営業スマイルで問いかけている。


「オレが違う世界を選ぶと他の人間はどうなるんだ?」


「ハルト様がどのような世界を選択するかによって程度の違いはありますが、影響は出ます。たいていの人は記憶のごく一部が書きかえられるだけで何も変わらないのですが、人によっては生い立ちや性格、はたまた生死に関しても変わってしまう場合もございます」


 リタはハルトの目をまっすぐに見て話している。


「よく分からないのだが、世界っていくつもあるものなのか?異世界とか別時空みたいな話はSFの世界ぐらいだろう。あとその世界がオレの夢の世界だっていうのか?」


 ハルトの話にリタはうなずきながら聞いている。


「『世界』といういい方は『可能性』とでも言い換えが可能かもしれません。いくつもの可能性、無数のあり得る未来の中から、あなたにはその先の未来を自分で決定していただくというのが今回の契約の趣旨だと思っていただいてもかまいません。それが、私たち運命の使者の仕事なのです」


 リタは一つ一つ言葉を選びながら、話しかけている。


「ただ、今回のハルト様のケースでは、夢の世界とお伝えした方が分かりやすいかと思いましたので、そのように説明させていただきました。あともう一つ言わせていただくと、ここからは私の私見のようなものですが、ハルト様は夢の世界を選ぶのではないかと思います」


「いや、なんでそんなことが言い切れるんだ?」


 ハルトは心の中が見透かされているような気がして嫌だった。リタは落ち着いた様子で話を続ける。


「あくまでも、私見ですが、私の運命の使者としての経験からそのように思うのですよ。ハルト様の性格や行動パターンを調べさせていただいた時に、ハルト様は人に迷惑をかけないことを第一に行動されていらっしゃるので、今回もそのパターンに当てはまるのではないかと勝手に予想させていただいているのですよ」


「オレの行動パターンって、お前はそんなにオレのことを調べたのか?」


 確かにハルトは人様に迷惑をかけないようにすることを心がけてきた。先に謝ってしまうことはその表れのひとつとも言える。しかし、それをいきなり他人から言われるのはどうも気になる。


「まぁ、お仕事ですから」


 というとリタはブレザーのポケットから懐中時計をとりだして時間を確認する。金色ではあるが、いささか塗装が剥げて黒ずんでいるから使い込んだものだろう。リタは時間を確認すると一息ついてから


「他に質問はございませんか?なければ、私は一度ここから退散したいと思います。本日中にもう一度お会いするとは思いますが、いったんお別れです」


 と、急に話を打ち切ろうとした。いや、まだ聞きたいことがあると言おうとするハルトをしり目に、リタは続けた。


「申し訳ございません。そろそろ後ろの方たちが限界を迎えているようなので、では」


「後ろ?」


 ハルトが振り返ると屋上の扉がガンガンと音を立てている。その向こう側からは複数の教師が怒声を上げていることにハルトは気づいた。


 ・・・あぁ、屋上は立ち入り禁止だったな


 そう、屋上は生徒の無断での立ち入りが禁止されている。さらに、ハルトは腕時計で時間を確認した。昼休みは終了してはや二十分が経過していた。


 ・・・これは、絶望的な状況というものなのだろうか


 ハルトがそう思った矢先、鍵穴から金属が重なり合い、回る音がした。と同時に、教師三名が屋上に侵入してきた。


「おい、お前なにしてるんだ?」


体格のいい体育教師がハルトに最大限近づく。何も言い返せないハルトはただ立ち尽くす。冬空の下、寒さが全身をさらに襲っているのが分かったが、何とか言葉を絞り出す。


「いや、ちょっと話し合いをしていただけで・・・」


「話し合いって、お前は一人で話し合いをしていたというのか!もうちょっとはマシないい訳を考えろ!」


 えっ、一人?とハルトが疑問に思い、後ろを振り返るとそこには誰もいなかった。先程までいた青い髪の女は跡形もなく消えていたのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ