魔力聖珠 《ディアボリー》
「す、すっげえええええええ、人っ!!!!」
「その田舎者丸出しな態度やめてくれない?」
岸壁を削られて出来ている天然に近い門構えを抜け、その街、トンプソンに入ると、そこに広がっていたのは先程までと全く異なる光景。
まず目に付くのは、凄まじい程の人集り。
岩肌の見える道が螺旋状に街の上部へと伸びている中、そこには無数の人で埋め尽くされている。
それに加え、この独特の賑やかさに満ちたこの街は、薫の気持ちを興奮させるには十分だった。
上部へと伸びゆく道の脇にはいくつもの露店が並び、見た事のない品物がそこには並ぶ。
嗅いだ事のない香りが、鼻腔を刺激する。
活気ある人々の呼び声やざわめきが、心を高揚させる。
「とにかく、ギルドに向かうわよ」
「……ギルド?」
「仕事の斡旋所の事よ。そこに行けば情報も集まるし、護衛を雇う事も出来るの」
なるほど、と薫は納得する。
要するに、求人案内所みたいなところなのであろう。
やがて再び先導し、人混みをかき分けながら進むレフィアの姿を見失わないように注意しながら、薫は進んでいく。
幸いにも、銀髪というのは珍しい髪色のようで、レフィアのそれは人混みの中でも非常によく目立つ。
様々な人種の坩堝にもなっているように見えるこの街で、そのような状況なのだから、この世界全体としても、元来銀髪という髪色は珍しいものなのかもしれない。
その綺麗な銀髪と髪質は常に煌めいているように見えて、他の人々のそれとは一線を画しているようにも見える。
だからこそ、薫は容易くレフィアの後を追う事が出来ると、
そんな風に、思い込んでいた。
ーーーーーー
「……どこだよ、ここ?」
歩き始めてほんの数分の事だっただろうか。
いつの間にやら綺麗な銀髪は姿を消し、周囲に広がるのは、全く見覚えのない景色。
人混みに揉まれ、押され、辿り着いた場所は比較的人通りの少ないところ。
先程まで並んでいた露店がなく、周囲に岩を削って作られているような小さい建造物が並んでいる所を見ると、ここは住宅街といったところだろうか。
「……俺が迷子になるわけないし、あいつが迷子か!」
などと、自身に言い聞かせて、薫はレフィアを探すべく住宅街へと踏み入れていく。
土肌が剥き出しとなっている道を踏みしめ、周囲に広がる新鮮なものに目移りしながら奥に進んでいくと、やがて一際大きな建造物が見えた。
その周囲にのみ舗装された道が広がり、構造もレンガを積み上げたようなものになっているところから察するに、この辺りはお金持ちが住んでいるところなのかもしれない。
薫は好奇心に従うままに奥に向かい、近くで見ると更に大きいその屋敷と呼ぶべきであろう建造物を見上げた。
三階建てくらいだろうか。
所々に派手な装飾や彫像があったりと、どこか主張が激しいようにも見える屋敷。
周囲にも、同じような大きな屋敷が並んでいるところを見ると、この辺りは高級住宅街であるのかもしれない。
「……でかっ……」
薫にとっては、そんな感想しか出ない。
それ以上に言う事もわからなかった。
「……へ、平民の方がこんなところに入ってきてはダメでございますよっ!!」
ふと聞こえてきた震えた声。
怒っているのか、萎縮しているかわからない声の元を辿ると、そこには小さな少女がいた。
白のカチューシャに黒と白とを基調にした給仕服、いわゆる、オーソドックスなメイドスタイルだろうか。
そんな衣装に身を通した、年端もいかない少女がそこにはいた、
「……えっと、君は?」
「君は、じゃありません! 早く出て行って下さい! それに、御主人様にこんなところを見られたら…………」
声と身体を震わせながら言い放つ少女。
そこまで言われたなら、常識的に考えて退散せざるをえないだろう、と考えて身を翻そうとした瞬間ーー。
「何をしているんだ、リル!」
低く、年季を帯びた声が屋敷の入口から響く。
そちらに目を向けると、そこには赤と黒を基調とし、煌びやかな装飾品を数多く身に付けた、趣味の悪い中年の男がいた。
「……申し訳ありません、御主人様。平民の方が入り込んでしまいまして……」
「……何をやっとるんだ、お前は! 平民なんぞを儂の敷地に入れよって!」
「も、申し訳ございません!!」
額にいくつものシワを寄せて怒鳴り散らす男と、何度も何度も頭を下げ、「申し訳ございませんっ」と繰り返す少女。
それらは薫にとっておかしく見えて、それでそのまま言葉が出ていた。
「そ、そんなに謝ってるんだからもういいじゃないか! それに、勝手に俺が入り込んだだけだし!」
「平民風情が何を言うか……、さっさと出て行くがいい! それにリル! お前にはもう一度しっかりと教育してやるからな!!」
「……っ……」
鈍い、拳がめり込むような音が響く。
それは、男の拳から響いていて、その拳は少女の腹部に深々と突き刺さっていて。
少女の身体は九の字に曲がり、口元から唾液を吐き出しながら、苦しそうに地面に崩れ落ちていた。
「……かっ! ぐ…………」
我慢するようにうずくまる少女。
その腹部に向かって、男は今度は足を振りかざしていてーー。
「や、やめろよ! なんでそんな事してるんだよっ!!」
「平民が……、出て行けと言っただろうがっ!!!」
「平民がなんだよ! その子だって謝ってたし、それで十分だろ!! 人を傷つけて、そんなに楽しいのかよ!?」
「……何を言っているんだ、お前は?」
男の表情から、突然怒りが消えた。
その代わりに気味の悪い笑みが浮かび始めていて、気分が悪くなってくる。
「だから、人を傷つけて、何がそんなに楽しいんだよ、ってーー」
「ふ、ふはははははは!! 何を世迷い事を! お前はこいつを人だと思っているのか!?」
「そ、そうに決まってるだろ!」
「そんなわけなかろう! こいつは魔力聖珠に決まってるだろう! お前も知ってるだろう、こいつらは人間の為に生き、人間の為に死ぬ存在だ!!」
「……何を、言って……」
この男が何を言っているのか、全くわからない。
その少女が人間ではないと言いたいのだろうか。
そんなわけはない。
彼女は言葉を話し、歩き、表情を持っているのだから。
「……それくらいにしていただけますか、ゴモリー公爵」
背後から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
煌めく長い銀髪に、意思のこもった碧の瞳。
やってきたのは、レフィアに違いなかった。
彼女は薫の横を過ぎ去り、男の眼前まで行くと立ち止まって、恭しく頭を下げた。
「お、お前はっ……」
「王宮直属遊撃魔導師、レフィア・シーランスです。この少年の身柄は、私に任せていただけないでしょうか?」
「くっ……、わかった……。お、王にはよろしく頼むぞ。……来い、リル!!」
「それと、一つ言い忘れていましたが、その魔力聖珠に過度の虐待等があった場合はーー、……わかっておられますね?」
「わ、わかった。当然であろう……」
レフィアの言葉を聞いた男は、リルという少女を連れて、慌てた様子で屋敷の中へと戻っていった。
これで大丈夫なのだろうか。
あの少女が傷つけられる事はないのだろうか。
などと薫が考えを巡らせていると、屋敷を睨みつけているようなレフィアの横顔が目に入ってきた。
その顔は今までで一番厳しく、怒りを噛み締めているような表情に見えた。
「……これだから、人間はっ…………」
そのレフィアの声も怒りが隠れているように聞こえて、どこか寒々しいものさえも感じた。
――――――
「まったく、迷子になった挙句、トラブルを巻き起こしてくるのはやめてほしいわね」
「別に、俺は迷子になってなんか……」
「いつの間にかいなくなって、道もわからずふらふらと歩き回る、これはあんたの解釈では何て言うのかしら?」
「道を見失いながらも、歩みを止めない少年?」
「要するに迷子でしょうがっ!!」
横を歩くレフィアの小言を一身に受けながら、薫は再び人通りの多い活気ある坂道を登っていく。
レフィアの様子は、先程の寒々しい印象を受けたものとは全く異なっており、昨日今日とで慣れてしまっていたどこか高圧的なものにすっかり戻っていた。
さっきの様子は一体何だったのだろうか?
薫はそんな事に考えを巡らせるが、これといった明確な答えは浮かび上がってこない。
加えて、あの魔力聖珠と呼ばれていた少女の存在が薫の頭に影を覗かせてくる。
あの場ではレフィアが何やら口約のようなものを取り付けていたが、本当にこれ以上あの少女があのような扱いを受けないで済むのであろうか。
そんな疑問と懸念が、薫の脳内に何度もちらつき、反芻する。
「……あの子は、大丈夫なのかな?」
「あの魔力聖珠の子の事? きっと大丈夫、って言いたいけど、正直なところわからないわ。あの人間が、これくらいで懲りるとは思えないし……」
「それなら、やっぱりあの時に助け出しておいた方がよかったんじゃ……」
「っ……それが出来るなら、とっくにやってるわよ……」
顔を伏せたレフィア。
その表情は見えなくとも、小刻みに震えている肩が、その感情を物語っているように思えた。
「……なあ、その、魔力聖珠って何なんだ?」
「そっか、あんたは知らないんだったわね。魔力聖珠っていうのは、意識や感情を持つ魔器の事よ」
「……魔器?」
「魔器は魔力によって生み出される武器の事。私が昨日今日と使っていたのも魔器の一種ね。つまり、魔力聖珠は人の姿を併せ持つ魔器の種族の事なのよ。それも、人間の道具なんかじゃなく、人間と同等の一つの種族だっていう事」
「なるほど……、でもなんであの子はあんな扱いを……?」
「あいつが魔力聖珠を道具だと思っているからよ」
「道具って……、あの子はあんなにーー」
薫はあんなに、人間らしくと言おうとして、躊躇った。
レフィアの話によると、あの子は人間とは違う種族だという。それでも、あの子は確かに感情を持っていて、表情を持っていた。
それなのに、あんな扱いを受ける事はおかしい。
人間ではないにしても、確かな個なのだから。
「……あの子は、逃げれないのかな?」
「無理だと思うわ。きっと、あの公爵がコネクトしてるから」
「コネクト?」
「魔力聖珠と人間の契約の事よ。魔力聖珠が人間に自身の魔器としての力を与える儀式みたいなものね。それがあると、魔力聖珠はどうしても人間に縛られてしまうの。
コネクターになる人間にもよるけど、多くの魔力聖珠はこの契約の犠牲者になりつつあるわ。魔力聖珠は道具なんかじゃないけど、この世界はそんな状況を暗黙の了解としているからっ……」
吐き出すように言うレフィアの表情と声色は先程の寒々しいものと似通っていて、どこか背筋に冷たいものを感じた。
それでも、薫にとってその世界の状況は全く理解の出来ないもので、明らかにおかしいとも感じた。
「そんなの、おかしいだろ。人間がそんなくだらない理由でその、魔力聖珠を差別していいわけがない」
「……人間はみんな、表面上はそんな事を言うわ。でも、本心は違うっ! 彼らは”私はこんなにも優しい人間ですよ”って体面を取り繕ってるだけよ」
「違うっ、俺は本心で……」
「きっと違わない。人間なんて偽善ぶって害を為す存在よ。だから、私は人間を信じないし、それはあんたも例外じゃない」
薫の反論が、喉元に詰まってしまったかのように出てこない。
レフィアの無表情とは異なる冷え切った表情に威圧されてしまったのもあるのかもしれないが、きっとその明確な理由は違う。
わからなくなってしまったのかもしれない。薫は、自分自身が完璧な人間であるとこれっぽっちも感じていないから。
たとえこの世界の現状がおかしいと感じる事が出来ても、“危険があるなら、避けて通る。”“怖いなら、逃げる。”“助けを求める人がいても、どこかで自身の保身を考えてしまう。”といった人間の本質のようなものを持ち合わせているとわかっていたからこそ、薫はレフィアの言葉を否定しきれなかった。
「……変に話し込んじゃったわね。とっとと行くわよ、一応今日いっぱいのあんたの面倒はみてあげるから……」
その言葉の後に、“信じてはいないけど”という言葉が付随しているようにも感じる。
それでも、薫は先導するレフィアの背中を黙って追う事しか出来なかった。
自身のこのもやもやとした感情がはっきりとしない以上、言うべき言葉も、為すべき行動も全くわからないのだから。
ただ、考えた。
色々な事を。
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きっと、こいつも同じだ。
偽善ぶった発言をして、魔力聖珠に対して利用する為だけに近づく。
そんな奴らと、きっと同じ。
……異世界から来たらしい変な奴だけど、心を許してはダメ。
こいつもきっと、同じ。
……きっと、そうだから。
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