コトバノモンダイ 1
異世界トリップもののお約束、その一。(言語の問題編)
①魔法でちょちょいと解決される。
②都合よく自動翻訳される。
③はたまた「言葉の問題?何それ美味しいの?」状態で、問題自体が華麗にスルーされる。
④苦労して地道に現地の言葉を学ぶ。
「リオ様は最初からずっと、ナスタリア大陸の公用語をお使いになられておりますわ」
「……ぇえっ!?」
⑤突然、異世界語が話せるようになっていた。
そんな馬鹿な。
自慢じゃないが英語すらまともに話せないのに、そんな聞いたこともない異世界語を喋れるはずないではないか。
驚く私に対し、ティアはただ不思議そうに首を傾げただけだった。
「わたくしてっきり、リオ様は公用語をご存知なのかと思っておりましたが……」
「いやいやいや、そんなわけないしっ」
私が喋ってるのは日本語だっ、と言いかけて、ふと違和感を感じた。
あれ?
私、本当に日本語喋ってる?
「………えー…あー…」
「リオ様?」
「とな、『隣の客はよく柿食う客だ』
「え?」
『私の名前は一ノ瀬莉緒です。異世界トリップしちゃった女子高生です』
「あのう?」
「今の、なんて言ったのか分かった?」
「いえ…わたくしにはさっぱり」
「……だよね」
まるで母国後のようにペラペラと話せていたから、すっかり自分は日本語を喋っているのだと思いこんでいた。
無意識とは恐ろしい。
改めて意識してみれば、どちらも全く違う言語であることが理解出来る。
頭の中に日本語の回路とナスタリア大陸の公用語とやらの回路が無理なく同居しているかんじだ。
とはいえ、何故わたしが異世界語を話せているのかは、全くもってさっぱり解らないが。
「リオ様?どうかなさいましたの?」
「いやぁ……なんで突然こっちの言葉が喋れるようになったのかな、と思って」
「それは興味深いですね」
そう言葉を返したのはティアではなく、どこかで聞いたことのある男の声だった。
振り返ると、入り口の所にいつの間にか銀髪の青年が立っていた。
輝く銀髪に冷たいアイスブルーの瞳。名前は確か……
「魔法使いのエル…エルなんとかさん」
「青の宮廷魔術師、エルレイディオ・ルーラレイトです」
「エルレ……ト」
「エルレイディオ・ルーラレイトです」
「エ、エルレルラ?」
「エルレイディオ・ルーラレイトです」
「エ…エルレ…?」
「エルレイディオ……いえ、もう結構です」
フッと溜息をつかれた。
覚えられない私が悪いんじゃない。そんな呪文のような名前が悪いんだ、と声を大にして言いたい。
「ルーラレイト卿、どうされたのですか?」
ティアが問うと、造り物のような美麗な顔に、ほんの少しだけ思案するような陰が落ちた。
「まだ痕跡が強く残っているうちに、少し調べたい事がありましたので。王の許可は得ております」
言うなり、滑るように私に近づいてきた。
「な、なに?」
思わずジリジリと後ずさる私の腕を、エル(もうこの呼び名でいいや)の手が掴む。
「ちょっ、」
「少しジッとしていて下さい」
男にしては滑らかな、指の長いホッソリした手が、まるで包み込むように私の側頭部を捕らえた。
訳が分からず身じろぎする私を無視し、そのままジッと瞳を覗き込まれる。
はたから見れば、今にもキスされそうな体勢に見えるだろう。
だがエルの顔に、そういった甘やかなものは一切浮かんでいない。ただ冷静に、観察するように、私を見つめ続ける。
私はただ魅入られたように固まったまま、その冷たいアイスブルーの瞳を見つめ返していた。
どれ位の時間が経っただろうか。
全てを暴いてしまいそうな視線に、そろそろ耐えられなくなってきた頃、ようやくエルの身体が離れた。
長く感じたけれど、多分時間にしたら1分程度の事だったと思う。
「やはり、肉体が再構成されていますね」
「は?」
サイコウセイ?
「異界から召喚される物体は、界と界を通る際に1度分解され、出現時に再構成されます。だからこそ、質量の大きなものは召喚に向かないんです。過不足なく物体が再構成されるかどうかは、術者の力量があってなお、運の要素が強いですから」
エルの話を理解するにつれ、わたしはぶっ倒れそうになった。
「そ、それって、わたしの身体が1回分解されてて、そのうえ運が悪けりゃバラバラのまま死んでたってこと!?」
「まぁ、簡単に言えばそうですね。人為的な生体の召喚自体、成功するのが稀ですし、それが事故によるものとなると殆ど奇跡に近いと思いますよ」
運が良かったことを喜ぶべきなのか、今すぐ目の前の男をぶん殴るべきなのか……。
「あなた、もう少しで死ぬところだったんですよ」って話を、こんな研究発表するみたいに淡々と話されると、なんだか無性に腹が立つ。
「先程貴女は、突然こちらの世界の言語が話せるようになった、と言っていましたね」
「……」
「外的要因がないとするなら、恐らく肉体の再構成により、一度存在が造り変えられたことが要因の1つかもしれません」
その言葉に、思わず自分の身体をベタベタ触ってしまった。
「見た目の問題じゃありませんよ」
今はこれ以上話すつもりはないのか、エルは言葉を切ると小さく首を振った。
「ルーラレイト卿、リオ様のお身体は大丈夫なのですか?」
エルの話を聞いていたティアが、心配そうに訊ねた。
「見たところ特に問題はなさそうですが、一応クラウス殿の所へ連れていきます」
「クラウスって誰?」
「王宮の専属医ですわ。とても優秀な方ですのよ。クラウス殿に診て頂けるのでしたら安心です」
瞬間、もの凄く嫌そうな顔になったのが、自分でも分かった。
「べ、別にどこも悪くないし、医者に診せなくても平気だよ」
「自分では気付かなくとも、万が一ということがございますわ」
「で、でも、わたし健康には自信あるし!」
「……何をうだうだ言ってるんですか。さっさと行きますよ。あ、シェスティア様はそろそろ部屋に戻ってお休みになって下さいね。あまり無理をなさると陛下がご心配されますから」
「でも、わたくし……」
何かを言い掛けたティアは、けれど逡巡したのちコクリと頷いた。
「ええ、わかりました。ではルーラレイト卿、リオ様をお願いしますね」
「もちろん、御任せください」
「ちょっ、ちょっとまって!」
腕をガシッと掴まれ、そのまま引き摺られそうになったわたしは、慌てて懇願した。
「だったらせめて!その前にお願いがっ!」
「…なんなんですか、一体」
面倒臭そうな冷たい眼差しに見据えられ、わたしは急いで愛する机ちゃんに駆け寄った。
「この机なんだけど、一応部屋に運んでくれるという話ではあるんだけど…その、誰にも中を見られたり、いじられたりしないように出来ない?魔法的な何かで」
「……そんなに大事なものなんですか?」
そのボロい机が?、と言わんばかりの口調である。
「やっぱり離れるのは少し不安で。…元の世界に関わりのある唯一のものだし」
敢えて寂しげな表情を浮かべて見せると、エルは溜息混じりに「仕方ありませんね」と言って、机に魔法をかけてくれた。
原理は分からないけど、私以外の人間には引き出しを開ける事が出来ないようにしてくれたらしい。もちろん机の上に出していたものは全て中に仕舞っておいた。
因みに初めて目の前で見る本物の「魔法」なわけだが、机の上に何か指で書いただけで、想像していたような光輝く何かがあるわけでもなく、なんというか地味だった。
「その机は後で貴女の部屋に運ばせておきますから……って、今度は何をしているんですか」
「あ!ついでにコレも何とかしてもらえないかな。腐らないように保存する方向で」
とっておきの笑顔とウィンク、おまけにちょっぴり舌まで出したというのに、わたしの両腕に抱えられた大量のケーキを見たエルの瞳からは、氷点下のツンドラブリザードが放たれただけだった。