6話 黒い液体は「帝国の血液」
ローゼンブルク領主館。かつてはカビ臭い書類が散乱していた執務室は、今や最新の魔導計算機と、分刻みで更新される各地の相場表が壁を埋め尽くす「司令室」へと変貌していた。
「セシリア様、失礼します。例の『検体』の精製が完了いたしました」
入ってきたのは、元王宮魔導師でありながら、あまりに理屈っぽすぎて追放されていた青年、ヨハンだ。彼もまた、私の「高給と知的刺激」という餌に釣られた有能なはみ出し者の一人である。
彼が差し出した小瓶の中には、ドロリとした不気味な黒い液体が揺れていた。
「……これよ。これこそが、この国の、いいえ世界のパワーバランスを根底から覆す『帝国の血液』だわ」
私はその瓶を掲げ、窓から差し込む夕日に透かした。
この世界では、魔導具の動力源は「魔石」が一般的だ。しかし、魔石は天然資源であり、採掘コストが高いうえに埋蔵量に限りがある。結果として、魔導具は貴族や富豪だけの贅沢品となっていた。
だが、このローゼンブルク領の地下に眠っていたのは、前世で言うところの「石油」に近い性質を持つ魔導原油だった。
「ヨハン、燃焼テストの結果は?」
「驚異的です。既存の最上級魔石と比較して、体積あたりの出力エネルギーは約十二倍。しかも、燃焼後の魔力残渣が極めて少なく、魔導回路への負荷も無視できるレベルです。……セシリア様、貴女は一体どこでこんな術式を学ばれたのですか?」
「学んだのではないわ。導き出したのよ。……既存の魔石ギルドが利権を守るために隠蔽していた物理法則をね」
私は不敵に微笑んだ。
前世でエネルギー関連の多国籍企業を相手に立ち回った経験が、この異世界で火を噴く。
「ギルバート、次のステップへ移るわよ。この液体を『ローゼン・オイル』と命名し、まずは領内の全家庭に無償で配布しなさい」
「む、無償ですか!? セシリア様、それでは利益が……」
老代官ギルバートが、心臓を押さえながら絶叫する。
「目先の小銭にこだわってどうするの? これは『インフラの独占』よ。一度この便利さと安さを知れば、人間は二度と不便な生活には戻れない。市場を完全に依存させてから、王都の魔石市場を叩き潰す……これが私の戦略よ」
その時、ドカドカと騒々しい足音が響き、執務室の扉が勢いよく開いた。
「セシリア様! 本日の騎士団……いいえ、『土木作業大隊』のノルマ、完了しました!」
現れたのは、上半身裸に作業ズボン一丁という、およそ貴公子とは思えない姿のアルヴィスだった。その後ろには、同じく泥にまみれたディートリヒが、なぜか誇らしげに巨大なスコップを担いで立っている。
「寄るなイケメン! 汗の臭いで私の執務室の空気品質が下がるわ! あと、服を着なさい。視覚的なノイズよ」
「クッ……相変わらず厳しい。だが、その冷たい一喝が、疲れた筋肉に染み渡る……!」
アルヴィスが恍惚とした表情で胸筋をピクつかせる。
「セシリア、報告だ。隣接する森の開墾は予定より三時間早く終わった。……それで、次は何をすればいい? 木をなぎ倒すか? それとも、あの黒い泥水を運ぶパイプラインを素手で埋めるか?」
ディートリヒの目も、完全に「労働の悦び」に毒されていた。
かつて私を「悪女」と蔑んでいた高潔な騎士たちは、今や私の掲げる「超効率的経営」という宗教の熱狂的な信者へと成り下がっている。
「……ちょうどいいわ。二人には『広報』になってもらうわよ」
「コウホウ……? サンドイッチ……?」
「ええ。貴方たちのその無駄に整った顔面と、筋肉という名の広告資源を活用して、王都に『ローゼン・オイル』の噂をバラ撒いてきなさい」
私は二人に、漆黒に塗り固められた美しいランプを手渡した。
「これは、ローゼンブルクの『光』よ。……これを王都の広場で掲げ、こう言いなさい。『セシリア様は、闇を払う女神である』と」
「……女神。ああ、その通りだ。セシリア様こそが、俺たちの魂を導く真の主……!」
「王太子などという矮小な男に仕えていたのが恥ずかしい。セシリア、君の言葉を世界に刻んでくる」
二人は私の机の前に跪き、恭しく頭を垂れた。
私はその光景を冷めた目で見下ろしながら、ペンを走らせる。
「……マックス、追加の指示よ。彼らの出発に合わせて、王都の有力商人に『魔石の先物売り』を仕掛けなさい。一週間後、王都の魔石価格は暴落するわ。……その時が、ローゼンブルクが王国の首根っこを掴む瞬間よ」
「御意に、CEO」
セシリアの計算通り、歯車は狂いなく回り始めた。
恋に浮かれ、甘い言葉を囁き合う王太子たちの頭上で、巨大な「経済」という名のハンマーが振り下ろされようとしていることなど、まだ誰も知る由もなかった。




