18話 ガリア皇帝、受付に並ぶ
ローゼン・タワーの1階ロビーは、今や世界経済の心臓部として、一国の王宮を凌駕する威容を誇っていた。磨き抜かれた白磁の床には、各国の外交官や大商人たちが、我が社の「受付番号札」を握りしめて列を作っている。
その最後尾に、ひときわ異彩を放つ一団が現れた。
豪奢だが煤けたマントを羽織り、泥に汚れた軍靴を鳴らす男たち。中心にいるのは、北の軍事帝国ガリアの頂点に君臨する男、皇帝ルーデンスその人であった。
「な、なんだこの屈辱は……! 我が帝国の威信を、このような『行列』に並ばせることで踏みにじるとは!」
ルーデンスが震える声で吠える。しかし、受付カウンターで微笑むのは、我が社の「笑顔採用」を勝ち抜いた精鋭の受付嬢だ。彼女はマニュアル通り、一切の私情を挟まずに告げた。
「恐れ入ります、お客様。ガリア帝国様のご予約は一三時四五分となっております。現在は一〇時三〇分ですので、あちらの待合スペースで『ローゼン・コーラ』でも飲んでお待ちください。……あ、お支払いは『ローゼン・ペイ』のみとなっておりますが、残高はよろしいですか?」
「……っ! 貴様、私が誰だか分かって……!」
「……ルーデンス様、おやめください。今の我が国の国家予算では、そのコーラ一本すら買えません」
大臣が涙ながらに皇帝の裾を引く。かつて大陸最強と謳われた鉄騎兵団の主は、今やコーラ一本の決済すらままならない「不良債権の象徴」へと成り下がっていた。
同時刻、最上階の執務室。
私はモニター越しに、ロビーで醜態を晒す皇帝の姿を眺めていた。
「……マックス。あの皇帝の『怒り』をエネルギーに変換する装置、開発は間に合わなかったかしら? もったいないわね、あの高純度のフラストレーション」
「あいにく、試作段階でアルヴィス様が『俺の筋肉の熱量に勝てるわけがない』と破壊してしまいまして……」
「……あの脳筋。あとで減給ね。……さて、そろそろかしら。カイル、ガリアの反乱分子への『融資』の準備は?」
影からカイルが音もなく現れる。彼の指先には、ガリア国内の不満分子をリストアップしたホログラムが浮かんでいた。
「完了しています、セシリア様。彼らには『民主化資金』という名目の無利子融資を提案しました。条件は、新政府樹立後に我が社のオイルを独占輸入すること。……今ごろガリアの王宮周辺では、パンを求める民衆と、給与を凍結された衛兵たちが合流し始めています」
「素晴らしいわ。……外圧(私)と内圧(民衆)、両面から挟み撃ちにして、一気にガリアの『企業価値』を底値まで落とす。……これこそが、平和的かつ合理的な買収(M&A)の真髄よ」
私は立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。
すると、窓の外で宙吊りになりながら窓拭きをしていたアルヴィスと目が合った。彼は片手で重い清掃用具を操り、もう片方の手で爽やかに敬礼してくる。
「セシリア! 見てくれ! 窓を磨く摩擦熱で、新型の熱電素子を動かしているぞ! 俺の筋肉が、貴女の視界をクリスタルより透明にする!」
「寄るなイケメン! 貴方の筋肉の反射光で、私のモニターが見えづらくなっているのが分からないの!? ……今すぐ地上五〇〇メートルから自由落下して、地面に激突する瞬間の衝撃エネルギーを蓄電池に貯めてきなさい!」
「……っ! 衝撃エネルギー! なんという過酷な試練だ! 愛しているぞ、セシリアッ!!」
彼はそのまま「ヒャッホー!」と叫びながら、命綱なしで眼下の雲海へとダイブしていった。……まあ、あの身体能力なら死なないでしょう。死んだら「減損処理」するだけだわ。
そこへ、内線が鳴る。
「CEO。ガリア皇帝が、受付で泣き崩れて『靴を舐めるから、せめて小麦の関税だけは下げてくれ』と懇願しております」
「……靴を舐める? 不衛生ね。そんな暇があるなら、我が社の『債務整理計画書』にハンコを押しなさいと伝えて。……それから、彼らの『皇帝』という肩書き。……あれ、維持費が高いから廃止しましょう。今日から彼は、ローゼン・グループ『北ガリア支部・臨時管理人』よ」
私は不敵に微笑み、契約書を一枚、手元に引き寄せた。
ガリア帝国。かつての軍事大国は、今この瞬間をもって私の「ポートフォリオ」の一部となった。
「……さて、次なるターゲットは……砂漠の商業国家フェルゼンかしら? 彼らの『金』を、私の『計算』で紙切れに変えてあげるのが楽しみだわ」
私の指先が、世界地図の次の領域を冷徹に指し示した。




