16話 宣戦布告は「非効率」の極み
ローゼン・タワーの最上階。地上五百メートルの執務室からは、私が「買収」した王都の街並みが一望できる。かつては魔導石の煤煙で薄汚れていた空も、我が社の低公害型魔導オイルへの切り替えにより、今やクリスタルのように澄み渡っていた。
「……ふむ。東部第3区の物流センターで、荷分け用ゴーレムの関節駆動にコンマ二秒の遅延。原因は、潤滑油の粘度設定ミスね。マックス、担当ラインの主任に始末書と、改善案を三十分以内に出させて」
「承知いたしました、CEO。……それと、非常に『コストパフォーマンスの悪い』知らせが入っております」
マックスが、漆黒のバインダーを開いた。そこには、北の軍事帝国ガリアの紋章——剣と盾を象った、いかにも時代遅れな意匠が刻印された親書が挟まれていた。
「……ガリア帝国からの最後通牒、ですな。内容を要約しますと、『貴殿の魔導オイル独占は世界の安全保障に対する明白な脅威である。直ちに技術を無償開示し、全供給ルートの管理権を我が帝国へ委ねよ。さもなくば、五〇〇パーセントの不当関税を課し、場合によっては武力による「市場開放」を行う』とのことです」
私は、手にしていた最高級の魔導万年筆を置き、ゆっくりと背もたれに体を預けた。
「……五〇〇パーセントの関税? プッ……あはははは! おかしくて、涙が出てきそうだわ。ガリアの皇帝は、算数すら満足にできないのかしら? それとも、自分の脳細胞を関税で保護しすぎて、思考回路がデフォルト(債務不履行)を起こしているの?」
「彼らにとって、経済は武力の補助に過ぎないのでしょう。……いかがいたしますか、セシリア様。騎士団を出動させますか?」
窓の外では、最近「筋肉こそが唯一の安定資産」と信じ込み、上半身裸で超大型タービンを回しているアルヴィスが、こちらに向かって爽やかな汗を振り撒きながら手を振っている。……視覚的なノイズが酷すぎるわね。
「いいえ。暴力なんて、現代ビジネスにおいて最もハイリスク・ノーリターンな投資よ。兵士の食費、装備の維持費、死傷者への遺族年金……そんな負債を抱えるくらいなら、その予算で新しいデータセンターを建てたほうがマシだわ」
私は立ち上がり、壁一面に投影された世界経済のホログラム・チャートを指し示した。
「ガリア帝国。彼らの主要産業は鉄鋼と重工業。だが、その工場の動力源の八割は、すでに我が社の魔導オイルに依存している。……そして、彼らの軍資金を支えるガリア中央銀行。あそこの大口債権者のリストを洗ってちょうだい」
「すでに入手しております。……驚くべきことに、皇帝直属の近衛騎士団の給与振込口座、その決済システムを管理しているのは、我がローゼン・グループ傘下の『ローゼン・フィナンシャル』です」
「……完璧だわ。勝負は戦う前に決まっているのよ」
私は冷たく微笑み、端末に指を滑らせた。
「マックス。直ちにガリア全土への『オイル供給全面停止(禁輸措置)』を発動しなさい。……あ、それから、彼らの唯一の自給自足源である『北方小麦』。今年の先物相場を、今この瞬間に全額買い占めるのよ」
「……小麦まで。ガリアの民衆を餓死させるおつもりで?」
「まさか。私は慈悲深い経営者よ。……ただ、『市場原理に基づいた適正価格』で売りつけてあげるだけ。……そうね、今の市場価格の二十倍くらいが、彼らの『不当なプライド』への授業料として相応しいかしら?」
その時、執務室の扉が勢いよく開いた。
「セシリア! ガリアの特使が、門前で剣を抜いて暴れているぞ! 俺が全員、物理的に『解雇』してこようか!?」
飛び込んできたのは、アルヴィスだった。汗の滴る筋肉を見せつけながら、彼はやる気満々で大剣を担いでいる。
「寄るなイケメン! 貴方の汗が、私の最高級ペルシャ絨毯の資産価値を下げているのがわからないの!? ……特使なんて放っておきなさい。……それより、貴方の回転数が予定より三パーセント落ちているわ。……今の貴方の価値は、発電量でしか計れないことを忘れないで」
「……っ。資産価値……! 発電量……! なんてシビアな評価だ! ああ、もっと俺を効率的に使い潰してくれ、セシリア!」
……もう嫌だわ、この筋肉。
「……さあ、戦争を始めましょう。ただし、血ではなく『数字』を流す戦争をね。……ガリア帝国。一週間以内に、彼らの国旗を我が社の『雑巾』として買い取ってあげるわ」
私は不敵な笑みを浮かべ、キーボードを叩いた。
これが、世界を揺るがす「経済大戦」の、あまりにも静かな開戦合図だった。




