第9話 見捨てられた英雄
ウライア王都の執務室。
暖炉の火が燃える暖かい部屋で、私は一人の男と向かい合っていた。
セルゲイに紹介された情報屋だ。
騎士団長、ユーゼフ・セヴェリン。
その名前を口にしただけで、情報屋の顔色が変わった。
「五年前の戦いで、大火傷を負ったんです。今は仮面で隠している」
「……ただ」
情報屋は、声を潜めて言う。
「援軍を要請したのに、評議会が握り潰したって噂があります。ユーゼフ卿は……見捨てられたんだと」
私は、眉をひそめた。
「評議会が?」
「ヤノフ侯爵の派閥です。ユーゼフ卿は、当時から目障りだったらしい」
五年前。
北方の蛮族との戦い。ユーゼフは民衆を守るために、燃え盛る橋の上で敵を食い止めた。
その代償が、顔の半分を覆う火傷だったという。
「英雄として讃えられるべきなのに……」
「貴族連中は、醜い顔を見たくないんですよ。だから表舞台には呼ばれない」
私は、眉をひそめた。
「でも、民衆には慕われている?」
「ええ。あの戦いで救われた人々が、今でもユーゼフ卿を支持しています。特に北部の民は、彼を『守護者』と呼んでいる」
清廉潔白。民衆の支持。評議会からの冷遇。
私が求めていた条件に、ぴったり合致する。
「……会いに行くわ」
◇
ユーゼフの屋敷は、王都の外れにあった。
古びた石造りの館。手入れはされているが、豪華さとは無縁だ。
騎士団長の屋敷とは思えない質素さ。
門番が、私を訝しげに見た。
「ヴォロディナ商会の者だ。騎士団長にお目通り願いたい」
「商人が? 騎士団長に何の用だ」
「商談がある」
門番は、しばらく私を見つめていた。
門番は舌打ちし、渋々と門を開けた。
「……お待ちを」
◇
応接室に通された。
質素な部屋。暖炉には火が入っているが、調度品は最低限だ。
壁には、一振りの剣だけが飾られている。
しばらく待っていると、足音が聞こえた。
扉が開く。
入ってきたのは、長身の男だった。
黒い髪。鋭い目つき。
そして————顔の右半分を覆う、銀色の仮面。
ユーゼフ・セヴェリン。
彼は、私を一瞥した。
「……商人か」
低い声。感情の読めない口調。
「はい。ヴォロディナ商会のユリアーナ・ヴォロディナです」
「何の用だ」
私は、立ち上がった。
「単刀直入に申し上げます」
ユーゼフの目が、わずかに細くなった。
「私は、あなたを国王にしたい」
沈黙が落ちた。
ユーゼフは、しばらく私を見つめていた。
その目には、驚きも、怒りも、何も浮かんでいなかった。
長い沈黙の後、彼は口を開いた。
「帰れ」
「————」
「商人の駒になる気はない」
彼は、踵を返した。
「待ってください」
「待つ理由がない」
「この国を変えたいとは思わないのですか」
ユーゼフの足が、止まった。
「評議会は腐敗しきっています。ヤノフ侯爵は、民衆から搾取するだけ。このままでは、ウライアは————」
「知っている」
ユーゼフが、振り返った。
「知っているからこそ、断るのだ」
「……なぜ」
「お前のような人間が、私に近づく理由は一つしかない」
彼の目が、私を射抜いた。
「私を傀儡にして、自分の利益を追求するためだ」
私は、言葉を失った。
図星だった。
私は確かに、ユーゼフを「駒」として考えていた。
「違うわ」
だが、私は首を振った。
「私には、この国を変える力がない。だからあなたの力が必要なの」
「同じことだ」
ユーゼフは、扉に手をかけた。
「私は、誰かの道具にはならない。それが商人であれ、貴族であれ」
「でも————」
「帰れ」
扉が、私の目の前で閉じられた。
屋敷を出た私は、馬車の中で考えていた。
「……完全に失敗したわね」
予想はしていた。
清廉潔白な人間は、金で動かない。
だからこそ民衆に慕われているのだ。
では、どうする?
諦めて、別の候補を探す?
いや、駄目だ。
ユーゼフほどの民衆支持を持つ人間は、他にいない。
今回は、アプローチを間違えた。
「あなたを国王にする」では、彼の心には響かない。
彼が何を望んでいるのか。
それを知る必要がある。
私は、窓の外を見た。
雪が、舞い続けている。
彼の火傷。
五年前の戦い。
守った民衆。
————待って。
情報屋の言葉が、蘇った。
『あの戦いで救われた人々が、今でもユーゼフ卿を支持しています』
彼が守ったのは、民衆だ。
彼が今も気にかけているのも、きっと————
「三日後。また来るわ」
◇
三日後。
私は再び、ユーゼフの屋敷を訪れた。
門番は、呆れた顔をしていた。
「また来たのか……」
応接室に通される。
今度は、それほど待たされなかった。
扉が開く。
「……また来たのか」
ユーゼフは、溜息をついた。
だが、前回よりも声が柔らかい。
「三日経ったもの。ほとぼりも冷めたでしょう?」
「帰れと言ったはずだが」
「聞こえなかったわ」
ユーゼフの眉が、わずかに動いた。
怒りではない。それは————呆れ、だろうか。
「……何の用だ」
「今日は、提案しに来たんじゃないの」
私は、椅子に座った。
「あなたの話を聞きに来たの」
「私の話?」
「あなたが何を望んでいるのか。それを聞かせてほしい」
沈黙が落ちた。
ユーゼフは、しばらく私を見つめていた。
沈黙が続く。そして彼は、仮面に手をかけた。
「……珍しい人間だな、お前は。いいだろう」
彼は、仮面を外した。
私の目の前に、素顔がさらされた。
顔の右半分を覆う、赤黒い瘢痕。
皮膚が引きつれ、歪んでいる。
眉も、睫毛も、半分が焼け落ちている。
これが、彼が隠しているもの。
これが、表舞台から遠ざけられた理由。
ユーゼフは、私を見つめた。
その目には、挑戦的な光がある。
「どうだ、逃げるか」と問いかけている。
「これでも、話をするか?」
私は、目を逸らさなかった。
「もちろん」
「……」
「私が見ているのは、あなたの顔じゃない」
私は、椅子に座り直した。
「あなたの『価値』よ」
ユーゼフの目が、わずかに見開かれた。




