第11話 王都の機能停止
牢獄は、想像以上に寒かった。
石造りの壁。鉄格子の窓。
暖房など、あるはずもない。
湿った石とカビの匂いが鼻をつく。
私は、藁の敷かれた床に座り込んだ。
藁はかすかに腐臭がした。
吐く息が白い。
指先が、かじかんでいく。
「……寒い」
思わず、呟いた。
前世でも、いつも寒かった。
オフィスの冷房。冬の暖房不足。そして——死ぬ間際の、あの冷たさ。
だが、今回は違う。
この寒さは、私が選んだものだ。
◇
逮捕されてから、数時間後。
牢獄の外から、声が聞こえた。
「ヴォロディナ嬢!」
ユーゼフだ。
鉄格子の向こうに、彼の姿が見える。
仮面越しでも、焦りが伝わってくる。
「今すぐ助け出す。俺には騎士団がいる」
「だめよ」
私は、首を振った。
「動かないで」
「だが——」
「これは、法廷に引きずり出すためのエサよ」
ユーゼフの動きが、止まった。
「エサ?」
「ヤノフは焦っている。選挙に負けると分かっているから、こんな強引な手を使った」
私は、立ち上がった。
鉄格子越しに、ユーゼフを見つめる。
「でもね、これは違法逮捕。正式な裁判をすれば、私は無罪になる」
「それは……」
「ヤノフは裁判を開かざるを得ない。そして裁判は公開される」
私は、微笑んだ。
「その場で、すべてをひっくり返すわ」
ユーゼフは、しばらく無言だった。
仮面の奥で、深い吐息が聞こえた。
「……分かった。お前を信じる」
「ありがとう」
「だが、一つだけ聞かせろ」
彼の目が、私を射抜いた。
「お前は、本当に大丈夫なのか」
私は——少し迷った。
大丈夫?
正直に言えば、分からない。
ヤノフが何をするか。裁判がどうなるか。
確実なことなど、何もない。
——本当にこれでいいのか。 一瞬、そう思った。
私は今、たった一人だ。
この冷たい牢獄で、誰にも頼れずに。
……いや。
頼れる人はいる。
ユーゼフがいる。セルゲイがいる。そして——民がいる。
私は、一人じゃない。
「大丈夫よ」
私は、笑った。
「私には、切り札があるから」
◇
ユーゼフが去った後。
私は、再び床に座り込んだ。
寒い。
本当に、寒い。
だが、それは問題ではない。
問題は——
「そろそろね」
私は、呟いた。
牢獄に入ってから、六時間が経った。
つまり——
私が魔力を送らなくなってから、六時間。
◇
同じ頃。
王都の中心部。
貴族街の屋敷で、悲鳴が上がっていた。
「暖炉が消えた!」
「ガスが来ていない!」
貴族たちが、使用人を怒鳴りつける。
「何をしている、早く直せ!」
「申し訳ございません、原因が分かりません——」
だが、いくら調べても、原因は分からなかった。
なぜなら——
パイプラインそのものが、止まっているからだ。
◇
ヤノフ侯爵の屋敷。
彼もまた、凍える屋敷の中にいた。
「どういうことだ!」
使用人が、震えながら報告する。
「ヴォロディナ商会からの供給が、完全に止まっています」
「止まった? なぜだ」
「分かりません。パイプラインの中継地点に、何らかの魔法がかかっているようで——」
ヤノフの顔色が、変わった。
「まさか——あの女」
そうだ。
私は、パイプラインに「私の魔力がないと動かない弁」を仕込んでいた。
私が定期的に魔力を送らなければ、自動的に供給が止まるように。
デッドマン・スイッチ。
私がいなくなれば——すべてが凍る。
◇
一方、貧民街。
そこだけは、暖かかった。
「聖女様のカイロがあってよかったなぁ」
「ほんとだ。貴族連中は今頃凍えてるぜ」
琥珀色に光る魔石。
私が配った携帯カイロは、ガス供給に依存しない。
独立したエネルギー源を持っている。
「聖女様は俺たちのことを考えてくれた」
「それなのに、あの連中は聖女様を捕まえやがった」
声が、だんだん大きくなっていく。
「聖女様を返せ!」
「評議会を許すな!」
民衆の怒りが、爆発寸前だった。
◇
牢獄の中。
私は、窓の外から聞こえる声に耳を傾けていた。
遠くから、叫び声が聞こえる。
民衆が、評議会に押しかけているのだろう。
「……計画通り」
私は、微笑んだ。
ヤノフには、二つの選択肢しかない。
一つ目。私を殺す。
だがそうすれば、ガス供給は永久に止まる。王都は凍りつき、暴動が起きる。
二つ目。私を裁判にかける。
公開裁判なら、私には勝ち目がある。
どちらを選んでも——ヤノフは負ける。
「さあ、どうする? ヤノフ侯爵」
私は、鉄格子の向こうの空を見上げた。
雪が、舞い続けている。
だが、私の心には——火が灯っていた。
◇
翌日。国王選挙の当日。議事堂。
私は、兵士に連れられて議場に入った。
円形の広間。天井は高く、ドーム状になっている。
中央には演壇があり、それを取り囲むように評議員の席が階段状に配置されている。
壁には歴代国王の肖像画が並び、その目が私を見下ろしていた。
寒い。
暖房が止まっているから、議場も凍えるような寒さだ。
議員たちの吐く息が白い。歴代国王の肖像画さえ、寒そうに見えた。
だが、私だけが平気だ。
私には、こっそり持ち込んだカイロがあるから。
評議会議員たちが、私を睨みつけている。
全員、厚着をして震えている。毛皮のコート、分厚い手袋。
それでも寒そうだ。
傍聴席には、民衆の代表たちがいる。
聖女を見守りに来た人々。彼らの目には、不安と期待が入り混じっている。
ヤノフ侯爵が、高らかに宣言した。
「ユリアーナ・ヴォロディナ。国家反逆罪で起訴する」
私は、黙って立っていた。
「被告人は、帝国と結託し、我が国に対する陰謀を企てた。ガス供給を人質に取り、国家を脅迫した。これは国家への背信行為であり、死刑に相当する」
でたらめだ。
だが、反論しても無駄だろう。これは裁判ではない。茶番だ。
「では、評議会議員による投票を行う」
ヤノフが手を挙げた。
「有罪に投票する者は、挙手を」
私は、買収した議員たちを見た。
三人。中立派の議員を、事前に味方につけていた。
彼らが私に投票すれば、過半数は取れないはず——
だが。
「……は?」
一人目の議員が、手を挙げる。
ヤノフ側に。
二人目も。三人目も。
買収したはずの議員たちが、次々とヤノフに票を入れていく。
「なに……」
私は、言葉を失った。
寝返った。
全員、ヤノフ側に寝返っていた。
「ははは! はははは!」
ヤノフが、高笑いを上げた。
「過半数は私が握った! ヴォロディナ、お前の負けだ!」
彼は、私を指差した。
「私は——この国のためにやってきたのだ! 貴様のような成り上がりに、この国を渡すわけにはいかん!」
彼の目には、狂気と——ほんの一瞬だけ、恐怖が見えた。
「死刑決定だ!」
議場がどよめいた。
「嘘だろ!」
「聖女様が何をしたってんだ!」
「ふざけんな!」
傍聴席から怒号が飛ぶ。
誰かが椅子を蹴倒した。兵士たちが傍聴席に向かう。
議員たちの裏切り。
これは————予想外だった。
ヤノフに脅されたのか。それとも、より高い金を積まれたのか。
どちらにせよ、私の計算は狂った。
だが——
私は、微笑んだ。
「そう」
ヤノフの笑いが、止まった。
「なら、こちらも——本気を出すわ」
私は、マントの内側に手を入れた。
あの日、帝国で買い取った羊皮紙。
すべてを決める、最後の切り札。
指先が、冷たい羊皮紙に触れる。
「ヤノフ侯爵」
私は、彼を見つめた。
「この国の借金、いくらか知っている?」




