ソウルイーター
巨大イタチはすぐさま動いた。
ボロアーが穿った喉元の大穴などないかのように、一飛びで僕のの眼前に迫り、憎悪と敵意のこもった赤い眼が見えた。
〈そのガラクタ、喰ってやる!〉
突然、心に轟いた声は大変に禍々しく、浴びせられる圧に体も頭も反応できない。
さっきの声みたいなのは、恐らく巨大イタチの恫喝?
すっかり恐慌に陥った僕は、巨大イタチの大きく開かれたあぎとに腰が抜け、噛み切られることを想像して気持ちだけが逃げた。
逸らした目にチラと、ボロアーが穿った穴が再生されていくのが見えた。
グレイグやルーシアが逃げろと叫んでるのが聞こえる。でも、だめだ。遅い。
僕の身体は巨大イタチに咥えられてしまっていて、逃げることも抵抗することも間に合わない。
僕が、できることはこれだけ……。
「パラ・ダミア コクォーロ デ・イ スクゥーウ」
ミッダ神教の信徒ならば挨拶よりも多く唱えている一節。
『ア・ミッダよ、強き心で、すべてを救い給え』
なんのことはない。ありふれた、どんな信仰にもある根源的な祈りの一節。
だから……だろうか。
恐怖の最中・痛みによる混乱・動かない身体・停止した思考・死という想像が駆け巡る頭では、この一節を無意識に繰り返し唱えるしかなかった。
五遍……十遍……と、必死に早口で繰り返す。
と、胸元に光が生まれ、雄々しくて明瞭な言葉が起こった。
《汝、声に意志を込めよ。力とは心から湧くのだ》
僕は、ハッとしてその通りに行動する。
「パラ・ダミア! コクォーロ! デ・イ スクゥーウッ!」
瞬間、虎皮の首巻きとシャツの下に隠れているにも関わらず、『鎮静の鎖輪』が真昼の日光のように一層眩く発光した。
同時に、身体を拘束していた巨大イタチの牙は消え失せ、僕の体を羽が舞うようなゆったりした浮遊感が包み、ゆっくりと地面に降下していく。
キエェェェ――ッ……
暗闇に落ちていく意識の中、僕の耳に小動物の呪詛と悲鳴が聞こえたが、気を失ってしまった。
※
目が覚めると、まず朝の明るさが飛び込んできて、やや厚めの雲に覆われた空を見上げていると知る。
「起きたのね」
穏やかな女性の声がしたので、思わず「母さん?」と確かめてしまったが、にべもなく「ハズレ」と返されてしまった。
では、誰だろう?
声の主を探してみると、布切れや薬箱を抱えたルーシアが立っていた。
どうやら別の用事で通りがかり、僕が目覚めたことに気付いただけ、といった様子だ。
それにどこか複雑な表情。
それでもルーシアは、「呼んできてあげる。寝てなさい」と告げ、歩いて行った。
治癒の魔法や手当てがされていたからか、身体に痛みはなく、横たえていた体を起こし、辺りをしっかりと見回す。
僕が寝かされていたのは、巨大イタチが圧し潰した家屋の近くの広場。両手の指の数より多い負傷者が、ライルや医者や村の婦人らから手当てを受けている。
職人や農家や牧人ら男手は、破壊された家屋や村を囲う柵などの対応をしているようだ。
しばらくして母さんがやってきて、僕の体調を気遣うとともに、状況を教えてくれた。
巨大イタチによる被害は、家屋の倒壊が三軒。村を囲う柵や、村の水源の一つである川の水汲み場や洗濯場の損壊。一部の牧場と田畑が荒らされ、家畜や作物に被害がでたそう。
しかしもっとも辛い知らせは、人的被害がでたことだ。
「……お二人、亡くなられたわ。怪我はあなたを含めて十人。でも、あなた以外まだ意識を取り戻せていないの……」
じいちゃんや母さんは、軽度の傷を治癒する魔法を行使できる。僕もそのお陰で復調し、目覚めることができたみたいだ。
しかし十人もの人たちが、魔法による治癒でも意識が戻らないというのは、かなり深刻な事態だ。
一通り負傷者の手当てが終わると、じいちゃんが雇傭兵の三人と僕と母さんを村長宅に集めた。
ミッダ神教と雇傭兵の意見をまとめ、村長から領主へ報告してもらうためだ。
ボロアーが口火を切る。
「彼奴は、ラーテルだな?」
ライル司教が応じた。
「間違いない。
伝承では、最初に姿を現した巨獣は、アワーリティア――すなわち『強欲』を象徴した獣で、キツネであったとされている。
しかし、姿形、所業や振る舞いを見るに、イタチ科――それも無鉄砲で獰猛なラーテルに違いなかろう。
もっとも、『強欲』というよりも『底なしの欲張り』といった印象であったが」
司教の応答に、ボロアーは首肯で追認し、グレイグは「デカイとか、強いとか聞いてたが、ありゃ反則だわ」と肩をすくめた。
ルーシアと母さんは沈黙し、村長は話の展開が見えずおろおろしている。
僕はというと、少しだけ違って、小さな疑問が引っかかっており、誰かに聞かずにいられなかった。
「どうして僕だけ意識が戻ったんだろう? 他のみんなは、まだ目覚めないのに……」
「ミッダ様のご加護、だな」
即座にじいちゃんらしい慰めの言葉があった。が、ボロアーの見解は違うようだ。
僕の方を指して、言う。
「少年の身に着けた宝具のお陰であろうよ。
恐らくそれは『鎮静の鎖環』だろう?
かの宝具には、悪心を滅却し巨獣を粉砕した、とある。
事実、ラーテルが少年を咥え込んだとき、強烈な光が起こって、首から上を粉砕・霧散させよった。
また少年は記憶も情緒も保ったまま目覚めた。
儂はこれを糸口と見るが、どうかね?」
ボロアーが指摘と予測をしたあと、矛先は僕からじいちゃんに向けられた。ライル司教の判断次第で、領主への報告や要請の内容が決まるからだろう。
またじいちゃんが応じる。
「七種七頭の巨獣は、どれも見境なく『喰う』ことに固執しておったと伝承に聞く。
その対象は、動物の肉だけでなく、植物や、岩石や水や炎であったと。
無論。人肉も、だ。
ラーテルに傷付けられた村人らが、魔法を使っても意識を取り戻さないということは、物質的な肉ではなく、人間としての欲求――。
すなわち、生きること・感じること・考えること・人としての記憶や情動を喰われた、と考えられる。
つまり、巨獣らが『ソウルイーター』と呼ばれる由縁だ。
パッシュが記憶も感情も、思考や意欲を損なわずに覚醒したことは、間違いなく宝具の加護であろう。
であれば、ボロアー殿の考えが、もっとも現実的で高い効力を持つと認めざるを得ない」
ライル司教は、明確にボロアーの意向を認めつつも、どこか歯切れが悪く、迷いのある言い方をした。
ボロアーは早く結論をだしたいのか、再びパッシュに向き直って告げた。
「少年――いや、パッシュくん。君がその宝具を使って獣と相対する、という方策なのだ。やれるかね?」
ボロアーの試すような視線。
じいちゃんの孫を案ずる表情。
母さんの毅然とした佇まい。
反してグレイグとルーシアは、僕が答えるまで視線を合わせるつもりはないようで、壁にもたれたり腕組みしたりと、この判断に関わらないようにしている、ように見える。
だから僕は、『自分が決めなければならない』と強い覚悟を持つことができた。
じいちゃんに鎮静の鎖環を託された時から、この決断をすることは定められていたのだろう。
一度、深く深呼吸し、僕は応じる。
「僕が、やります!」




