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死と彼を想う瀬戸際に  作者: 彼方夢
第三章 歌手を目指して。

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歌手への道

  1

 

 二〇一三年。七月の後半、私と北川は夏の厳しい日差しに負けて、ファミレスに涼みには入った。


 北川はいくつか料理を注文し、その後テーブルに届けられたピザをちまちまと頬張っている。私は食欲がなかったので、料理は頼まずドリンクバーでコーラを汲んでそれを半分ほど一気に飲んだ。喉が渇いていたので炭酸の刺激と冷たさが心地よかった。


「でさ、一ノ宮。歌手になりたいってどうするつもりだ?」


 私はどう説明するべきか、しばし悩んでから答える。


「一般的にはレーベルへのオーディションですかね。それが一番メジャーなやり方だし、そうしようかなって思ってます」

「そもそも一ノ宮は歌が上手いのか」

「えっと、それは……」


 私の歌の下手さは筋金入りで、一度興味本意でカラオケに行った時、精密採点で六十点台を叩きだし、正真正銘音痴だと機械から評価を受けたことがある。


「すごい音痴です」

「壊滅的じゃないか。どうするんだよ」


 私はバツが悪くなって視線を宙へ移し、ぼんやりとした。

「誰か歌を教えてくれる人がいるといいんですけどね……でも私に友達なんていないし」


 北川はすると咳払いをして、「俺はお前のこと、友人だと思っているぞ」と言い出した。私は驚いて体が固まった。


 以前のような嫌悪感は、もう北川には抱いていない。今は自然に会話もできる。そしてこうして友人だとはっきり口にしてもらえることに嬉しさがあった。

「で、親戚に歌が上手い奴がいるんだけどそいつを紹介するわ」


 北川が電話をかけてから一時間後。私たちの席に金髪ロングの高級ブランドの衣類に身を包んだ女性が現れた。


「この子が江美ちゃんね。よろしく。聖斗の姉の希だよ」

「よろしくお願いします。……お二人、姉弟なんですね」


 希は温かな笑みを浮かべて北川の肩に腕を回した。


「そうだよ。江美ちゃんにもぜひ、お姉ちゃんって言ってほしいかな」

 えっ、と思わず声が出た。初対面でいきなりお姉ちゃんと呼べというのは少し、いや大分とおかしいんじゃないかな。


「何言ってんだよ。一ノ宮が困ってるだろ。早く座れって」


 希がはいはいと言って、北川の隣に座る。それから希は店員が持ってきたカルボナーラをかっさらう。

「おい、それ俺が注文したものだぞ。返せって」

「硬いこと言わないでいいじゃない」


 カルボナーラをずずっとすすってから希が私に問いかけた。


「江美ちゃんって好きなアーティストとかっているの?」

「『rein』っていう歌手です。すごく繊細な歌声が好きで」

「いい趣味してるじゃない」


『rein』は私が一番好きな歌手で、覆面アーティストというベールに包まれた存在。紡がれる歌声が女性の艶美な特徴を持つ。


「それで聖斗からさっき聞いたんだけど、すごい音痴なんだって?」

 私ははっきり口にされると恥ずかしくて俯いた。


「言っておくけど歌手の世界は厳しいよ。十年生き残れたらすごいし、最初の下積みだけでもしんどいし」

「……でも、私にはどうしても歌手にならなくちゃいけない理由があるんです」


 希がくすりと笑って、

「それって小野君がからんでそうだね。いやー、青春だね。恋心だね」

「ちょ、ちょっと……。ってか、健二君のこと知ってるんですか?」


 北川から話は聞いているのだろうか。そう思って訊ねると、


「会ったことあるのよ。キャバクラで」

 え、と私は絶句した。あの健二がキャバクラに……。信じられないと思うが、ヤクザの付き合いならあり得るかもしれない。そして、希はキャバ嬢なのか。まあ、この容姿ならつとまるだろう。


「かわいかったな。小野君、すごいピュアで」


 希の言葉に心がさざめき立つのを感じた。もやもやする。するとそんな胸の内を見透かしたように希は笑って、


「もしかして嫉妬してる? 江美ちゃんも純粋だな」

「そんなんじゃないですって」


 慌てて否定するも、説得力なんてなかった。

 北川が呆れて助け舟を出すように言った。


「そこら辺にしてやれよ」


 希はそんな北川を膝でつつきながら、「こりゃ小野君と江美ちゃんと聖斗の三角関係かな。お姉ちゃん、興奮するな」と微笑んだ。北川は照れながら「そんなんじゃねーよ」とグラスに入ったコーヒーを飲み干した。


*****


 二か月後。九月の初旬。夏休みが終わり、うだる暑さが尾ひれをひいているこの頃。

 私は校舎裏に夏木に呼び出されていた。内心、夏木に対する嫌悪感を抱きながらそこへ向かう。


 昨年、夏木に詰め寄られた私は彼女に心を許したが、結局裏切られて攻撃された。今でもそのことを思い出して苛々してしまうこともある。


 なんの用だと警戒して、校舎裏を覗く。すると夏木が思いつめた表情で煙草を吸っていた。そして私に気付くと煙草を地面に捨てた。

 私は夏木と距離を取って話しかける。


「何か用なんですか」

「あんた、健二が逮捕されたことは知っているわよね。それで一言、言っておきたくて」

 嫌味を言われるのだろうかと身構える。

「ごめん……」

「は」


 なぜか謝られた。それに戸惑っていると、


「私さ、健二のことが好きだったんだよね。こんな話、あんたにしてもわかんないと思うけどさ。私のおじいちゃんが『多田組』の総長でね、組の人が健二を入組させたいと考えているのを偶然知ったのよ。そこで自分が何か健二を守れる方法を考えてそれで交際を始めたのよ。でも全部駄目だった」


 夏木は歯を食い縛って何かを耐え忍んでいるようだった。きっと罪悪感だろう。夏木が沈鬱な溜息をついた。


「何話してんだろ。ごめん、私の話なんか聞きたくなかったよね。忘れて」


 私はこの時思った。夏木も苦しんでいたのかもしれない。好きな人が堕ちていく姿を見て、でもどうすることもできない自身の無力さを嘆いた。その想いなら、私も同じだから。私はそっと彼女の隣に腰掛けた。


「織田さん。私たちもう一度友達になりませんか。本当の」

 夏木は口をあんぐりと開けて驚いた。「……どうして」


「私は織田さんのことを憎んでいた。でもあなたを理解できる。きっと私たちは根っこの部分は同じなんですよ。なら、仲良くしませんか?」

 夏木はきっと私をいじめることに何か深いわけがあったのかもしれない。誰かをいじめるような人が、他人のために行動は起こせないだろう。いじめる側は常に利己的だからだ。


「何それ、同情?」

「友達になりたいんですよ。いけませんか?」

 夏木の顔がくしゃりと歪んだ。「なんかあんた変わったね。強くなった」


 そう言われても自覚はないのでよくわからなかった。


「いいわ。友達でも恋人でもなんでもなってあげる」

「いや、恋人はちょっと……」

 夏木が一本煙草を取り出して私に差し出した。「一本吸う?」

 私は丁重に断った。煙草は苦手だ。


*****


 私は広めのダブルベッドに腰掛けて項垂れていた。


「どうしてそんなにはしゃぐんですか……」


 豪奢な内装の空間。ここはただのラブホテルだが、一緒に来た人物は七色に点滅するバスタブを見てはしゃいでいる。その人物とは——北川希だ。

「すごい綺麗だよーこのお風呂。一緒に後で入る?」

「入らないですよ……」

 希が寝室にいる私のところに来て、

「もしかして初めて? ラブホ」

「そうですよ……」


 すると希がベッドに膝を乗せて私の頬に手を当てる。希の顔が近づき吐息がかかる。衣類から微かに香る香水の匂い。


「私さ……百合に興味があるんだよね」


 私は、その希の言葉を聞いて女性同士の絡み合う姿を想像してしまい——咄嗟に身を引いた。

「な、何言ってるんですか! 百合って、希さんそんな趣味があったんですか!」

 希が腹を抱えて笑い出した。「大丈夫、安心して。そんなんじゃないから」


「かわいい年下をからかうって面白いわ」


 なぜラブホテルに来たのかというと、元々カラオケ店へ行く予定だったのだが、休業だったため希の提案で防音が施されているラブホテルへと足を運ぶことになった。でも今となってはここまで希に馬鹿にされるのなら提案になど乗るんじゃなかったと後悔している。


「小野君とは来なかったの?」

 私は学生恋愛でこんな場所になんて来ないだろうと少しむっとして、

「来ませんでしたよ」

するとまた軽快な口調で私を馬鹿にし始めて、「純粋でピュアで愛くるしいなあ」と言った。


「じゃあ希さんこそ誰かと来たんですか」

 希は思案するポーズを見せて、

「高校生の時に二、三回彼氏と来ただけかな」


 学生恋愛で来ている人、いたんだと軽い衝撃を受けた。でも、ある疑問を投げかける。


「キャバクラで働いていると、お客さんとそういう関係になったりしないんですか?」

 希がゲテモノを思い出したようなげんなりとした表情を見せた。


「キャバクラに来る客なんてほとんどが中年のおっさんだよ。そんな気分になんてなれないって。何十回と言い寄られたけど一線は越えなかった。まあ、中には客欲しさにそういうことするキャバ嬢もいるんだけどね」

 それから希は自分のペースで話題を切り替えた。「じゃあ本題に入ろっか」


「歌う時の基本は腹式呼吸。江美ちゃんが普段やっているような胸式呼吸ではなくてね。腹式は呼吸の時に腹を膨らませる方法のもの。それからまず練習しましょう」


 私は指示されてベッドに寝転がり、鼻から息を吸い、腹を意識して膨らませる。これを何千回と繰り返すことで習得できるという。

 腹式呼吸を習得すれば、声量が増えたり、高い声が出やすくなったり、芯のある声が出たりするという。


 三十分ほどして、希がもうやめていいと言ってきたので起き上がる。ただ呼吸をしただけなのに脱力感と疲労感が感じられる。

 次に、部屋に備え付けられていたカラオケ機械のデンモクを希から渡されて、操作する。最新機器らしく、豊富な曲数があった。私は好きな『rein』の曲を送信した。静かなイントロが流れる。


 私はゆっくりと歌い出す。曲が終わる六分半、希は黙って聞いてくれた。そして、「相当の音痴だね。これで歌手になんてなれるのかな」と不安気な声で言った。


「まずはメロディをしっかり暗記して、それを意識しながら歌ってみて。それだけでも大分と変わるはずだから」


 それから他にも言われたことを意識しながら三曲歌って、そうしたら希が休憩しよっかと言ったのでそうすることにした。

「小野君のどういうところが好きになったの?」

「えっと……、とても優しいところです」

 すると希は屈託なく笑って、

「ただの優しい男じゃつまらないけど、あの小野君なら楽しいかもね」

 希は私の肩をそっと抱き締めてきた。

「聖斗から聞いたよ。小野君としばらく会えないんだよね。なら会いたい気持ちを糧にがんばって。私もずっと応援してるから」


 その言葉に心が温かくなる思いだった。基本的には希はお調子者だが、真面目な場面ではこうやって励ましてくれる。すごく優しい人なのだ。



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