巻き戻り8
ウズガという市場では普段見られない光景があった。
国中から集まった人々が、長い列を作って自分の順番を待っている。その列の関係者がこぞって贈り物を買っていく。皿、食器、食べ物。露天に並べた側から売れて、まことに、稀有なことであった。
その列が何のための列か知らない店主達も千載一遇の機会に色めき立って、あれこれと聞いていく。列の先頭は宿屋にあるらしい。その先頭から順繰り店の前を通るにいたるまで、ずーっと並んでいるのだそう。その目的は、神様に会うためという。
そのうち、騎士達がきた。総勢200名の大部隊、その兵士が生きるために持ち込んだ世話人は400名にも及ぶ大部隊だ。バラと剣をあしらった団旗を前に、白馬、栗毛、黒など多種多様な馬を引き連れた旅団である。
口々に「邪神を殺せ!」と馬上で叫びながら走っていくので、付いていく世話人は大変だ。馬の立てる砂塵の中を懸命に沢山の荷物を抱え走って追いかけている。店主が付いていくと、もう既に戦いは始まるところだった。
食事を用意する世話人を蹴り飛ばして騎士達は悠々と剣を抜いた。
騎士が対するのは異形の化物。この世の恐ろしいものを掛け合わせたような、タコのようなヌメヌメとした身体に、虫のような多量の手足を持った化物であった。この世の心地の良いものが全部奪い取られたような有り様である。誰もがそれから目を反らす。それはそういう姿をしていた。
騎士は言った「人間にも化けるらしいな!正体を暴いてやる!」
化物は一瞬たじろぎ、身を引いた。すぐさま騎士達は決壊を発動。
「完璧なる障壁」
化物を囲うように赤い六方最密構造の監獄が現れた。
対邪神用に開発、構成された特殊術式で、かけられた魔術の精度は文字通り最密、六角柱の中は空気さえ通さない最高の密室と言えた。
邪神はその中でペタペタと醜い腕で壁をなで回している。出れないだろう。例え出れたとしても第六騎士団の全力でそれを叩き潰す用意があった。正に、鉄壁である。
「諦めろ!醜い虫め!貴様はここで死ぬのだ!!」
「諦めるかバカ!!」
やはり、そうか。この化物は人の言葉を使う。なぜならば、人が化けているだけにすぎず、教会を貶めようと画策しているのだ。
術士が、すぐに特別な術式を用意する。そのために世話人が幾人かつれていかれて膝を付かされた。強力な術式にはそれ相応の代価が必要となるとのことで、見物人達には、世話人が奴隷であって、このために連れてこられていることを示す立て看板が示される。
「真実の鏡」
化物は騎士の掛け声に合わせて白い光に包まれた。それはとても神聖な光であって、直接見ることもできないような強力な光であった。幾人かの人間が倒れ、世話人の中には、人の姿ではなくなる者も表れ、見物人はパニックに陥った。
人間の中に化物が紛れていたのだ。それは騎士団の中にまでいたのである。
その怪物達は、一斉に空へと飛び立つと、結界の中の化物を庇うように降りたって棋士達と対峙した。
「なんだ貴様らは!! 退かないとたたっきるぞ!」
騎士団がそれを実行しないのには訳があった。あぶり出された化物はざっと40匹。それらを全て相手取って戦う術が騎士団にはなかった。その中の一番小さな一匹が首からかけている飾りは、見覚えがあった。隣国の騎士団の団旗を破いたような物がぶら下がっているのである。
なんということであろう。騎士団の旗とは、その命よりも重く、旗を守るために文字通り命をかけて戦うものである。代々受け継いできた大切な宝であった。金を引き伸ばして作られた糸で編み込まれた意匠はまず間違えのない物だった。とても高価で真似して作ることはできない。あれは本物なのだ。
訓練で顔合わせたことのある騎士団が今度は身じろぐ番であった。それほどまでの力をもっている化物なのだ。自分達にかなうだろうかと。
その上、結界の中の化物は、先ほどよりも恐ろしい姿となってそこにいた。情報では、人間が化物に化けて人を騙しているという話であった。その術さえ消せば、後に残るのは人間だけという話だったはず。しかし、そこに残ったものを見よ。人間の欲と渇望の権化。夢と野望を形づくりし者。その化物が再び結界に触れると、それは黄金色に輝いて中が見えなくなる。
凄まじい力だ。結界は本物の黄金へと変わり、薄い絹のように風に吹かれて飛んでいった。騎士の顔に砂のようなものが顔に触れ、ぬぐって見れば、キラキラと輝く砂金である。足元に転がる石はいつの間にか砂金の大粒となり、街道横を流れる小川からは、桃のような香りまでしてくる有り様だった。
見物人は大変なパニックになった。
道に落ちる砂金をかき集め、ポケットにつめてもつめても地面は黄金のままであった。小川に一歩踏み込めば、たちどころに足から傷も皺も消えて若返る。それを一口飲めば老婆は美しく変わり、髪は濡れ烏の様に輝き、肌は新雪のように染みひとつなく、胸は張り裂けそうなほどに張る。一瞬にして見違えるほど若返ってしまうのだった。
老い、死に行く恐怖。金に縛られ、失う事への焦り。人間のなんと弱い事だろう。化物はその事を良く分かっているようだった。
それを、だ。強いたげられてきた世話人が見てどう思うか。人生のほとんどを腹を空かせ、殴られて生きていた人々が、それで、稼げる金などたかがしれている上に、待っているのは壁となっての死。
彼らにとってすれば、どちらを主人として頭を下げるのか難しい話ではなかった。
痛みと悲しみばかりを広げる騎士と、道を黄金へと変え、命を永遠の安泰へと変える神様である。迷う余地はなかっただろう。
「お、お前達!!何をやっている!!」
世話人が次々に騎士達を取り囲んだ。それは、自分達の意思をお伝えするため。そして、役に立つことを証明するため。誰に命令されたわけでもなく、人間らしく生きるために。
「やめ、やめろ!、金、金をやる!一人当たり50金貨だ!」
一人の世話人が足元をすくえば、金がごろごろと、中には輝く大粒のダイヤや血のように赤い宝石まであるのだった。黄金の隙間を伝う雫は、腕にできた出来物をたちどころに消し、長年連れ添った痛みすら癒してしまう、掘っても掘っても財宝はつきないのである。たかが、50枚の金貨がなんと言うのだろうか。世話人は泣いていた。その慈悲深い黄金の山に泣き、感動までしていた。
「命乞いをしろ。それがあの方の望みだ」
この日、神々に捧げられたのは、血よりも赤い団旗である。騎士達が着ていた鎧はそのまま世話人が引き継いでいる。
神様は良い顔をしなかった。むしろ、人が近づくのを極端に嫌うと側には寅をはべて、そればかりを子猫を扱うように撫でている。人間が苦手なのは当たり前であろうと異形の従者達は口々に言った。人間はあまりにも強欲だ。神は、そのために襲われたことすらあるのだと。
大勢いるところは落ち着かないということで、姿を隠されてしまった。
後に残されたのは財宝の山。
人間達は歌い、酔い、夜はふけていった。