巻き戻り5
第24期勇者候補生ハインツベルグは、その日のことを忘れもしないだろう。
それは良く晴れた日のことだった。暗い森の街、イズガでは、珍しく雲一つ無い青空が空一杯に広がっている。それはまるで自分の門出を祝しているかのように感じたという。
その日は、ギルドの入団試験だった。4年間の歳月と金貨8万枚もの資金を投じて勇者育成学校を卒業したハインツは、同じ試験を受けるのにも関わらず、みすぼらしい浮浪者のような格好をした青年がいることに少々の優越感があった。
血筋も違えば力も、金のかけ方もたがう。それはまるで、ドラゴンとゴブリンとの差であると言えた。ギルドがみすぼらしいやつらが入試に来ることを許可しているのは、対外的に平等であることを示すためという噂である。どうせ他の街からの流れ者だ。人は生まれながらにして平等ではない。親が裕福ならば学校に通えるがそうでない子供は一生水汲みの仕事が待っているのだ。
「試験を受けるものは木剣をもつこと。開始の合図があるまでは待機せよ」
試験官は珍しいことにギルドマスターがつとめるらしい。これは、やはり、気になる候補生がいるからに違いなく、それは自分のことだとハインツは思った。
「試験は一度きり。相手に致命傷を負わせれば勝利となる。なお、木製だからと言って油断しないこと。相手を傷つける可能性があることを十分注意して試験を行うこと。勇猛さ、および自身の技量を証明することに力せよ。では、まず最初に誰が行うか」
ハインツは返事をして前に一歩出た。自主性を重んじるギルドで、自分から行動する姿を見せたことで他の受験者に勝ち誇った顔を思わずした。
そしてハインツは、もっともみすぼらしい格好をした受験者を相手に指名した。
体は細く、あまり食べれていないのはすぐに想像できた。そのわりに、なぜだか高級そうな金の腕輪をしているが、気に入らない。誰かから盗んだものだろう。そうでなければ売り払っているに違いない。
貧乏な家のやつは盗みをする。生きるためだとか彼らは言い訳をするが、楽をして生きようとする様は全くヘドが出るくらいだった。
「おまえ目障りなんだよ。おまえが来ていい場所じゃない。早く帰れ」
「忠告ありがとう。たぶん来年までに生き残るのはここにいる半分にも満たないだろうね」
見知ったような口を利くガキだった。そのくせ、一番形の悪い木剣を手にとってさっさと構えた。
何の剣術も学んでいないような構えだった。それこそ、拾った棒きれを構えているような様は、回りの人間の嘲笑を呼んだ。
普通、少しでも長いものを使うのが有利なのだ。自分には相手の攻撃の当たらない範囲で、自分からは一方的に攻撃が出きる。その有利をこのバカは自分で捨てていた。
「なんだおまえのそれ!」
「腰がひけてるぞ!」
「もっと体重をのせにぁ!」
見物人も盛り上りを見せている。
ハインツは自身の勝利を確信した。
そればかりか相手をどうやって傷つけるかばかり考えていた。
自分よりも弱いやつが回りの大人達の注目を集めていることが許せなかったし、貧乏人が試験を受けていること事態、全く許さなかったのだ。
だから、開始の合図を待たずして上段の構えから流れるように剣を翻して距離を詰めた。
速い。大人も驚くその速度にはスキルの力が乗っている。
それは、人に対して使うべきではなかった。本来、魔物討伐に使うようなスキル。例え木製とはいえ重さのある訓練用の剣で相手の頭をとらえれば骨折を免れない。そんな一撃が、しっかりと打ち出されていた。
みすぼらしい少年の頭に当たったとき、不思議なことが起きた。
木剣が根本から折れ、粉々に砕け散る。
殴られた少年は膝達で崩れ落ち、涙を流しながら赤子のように泣きじゃくる。それを見て、他の子供達からはバカにするような声が上がった。
しかし、大人達、戦闘職をめしの食いぶちとする人達は今しがた見たものに言葉を失った。
避けれなかったのではない。避けなかったのだ。それも身動き一つとらず、まばたきすらしなかった。
自分の顔に剣が向かってくるというのは恐ろしいものだ。剣の戦いで死んでいった戦士には手のひらに傷が残る。それは本能的に自分に向かってくる刃を手で掴もうとして出きるものであるが、その少年はその動作すら行っていない。
加えて、崩れ落ちたのは剣が完全に砕け散ったその後であり、武器がなくなったことを良く見て、さらに自分が無害であることを証明するために崩れたのだ。泣いているのもさらさらおかしい泣き真似であることは彼らには分かっていた。
「ギルマス。こいつは合格だ」
「そりゃそうでしょうとも」ハインツは誇らしげに胸を張った。
「おめぇじゃねぇ。そっちの倒れてる方だ」
ギルマスは何も言わずに頷いた。
そのうえ、腰に下げていた蛮刀を抜き出すと、その青白い刀身から白い煙を当てながら袈裟懸けに振り抜いた。
地面に倒れていた少年はひるりと飛び上がってそれを避ける。
全く刃物の挙動を見ていなかったのに、である。
そればかりか、振り抜かれた刃のうえに手をついて逆立ちしている。
そして、痛むのか、金のブレスレットをしきりに気にしながら四つん這いで地面に降り立った。
「何するんだ」
「おまえ、魔族か」
「違う」
「ではなぜ、自分の力を隠す」
魔族という言葉を聞いていっせいに見物人が距離をとるなかで、一人、自分だけが正しい反応を得られていないと感じていたハインツはやれやれと言った風にギルマスの前に立った。
「僕がここにいるのにそこの雑巾と話なんてしないでくれないか」
「おまえは失格だ。さっさと帰れ」
「はぁ? どういうことだよ!」
「ルールを無視した。それで理由は十分だろ」
さっさと退けと言わんばかりに手で押しのいたギルマスは鑑定スキルを発動した。
「あん?」
そこには何も表示されなかった。そればかりかスキル欄に見知らぬ名前が列挙されていたのである。
さらにおかしなことに、その文字列は書き変わる。世渡り、交渉術、笑顔など当たり障りの無い、見知ったスキルに変わっていったのだった。
見間違えたのだろうか。いや、なにかしらの幻術か。
ポテンと地面に座り込んだ少年を囲うようにして他の受験生がいっせいに殴る蹴る等して試験は中止に追い込まれた。
折れた歯が転がる様を見てハインツは胸がせいせいする気分だった。これが魔物?こんなに弱いのに?そんなわけ無いじゃん。
その青年は相変わらず金のブレスレットを手で押さえるばかり。その様子を見て大人達が距離をとるなかで、ハインツは近づいていく。
「これはお前にふさわしくない。僕が持ち主に返してあげるよ」
ハインツの指がその腕輪に触れるか触れないかといったタイミングで、黒い指がハインツの腕に絡み付いた。
「え?冷たい?」
それは血の気の引くような冷たさだった。その世の幸せや楽しさといった感情が全部無くなってしまったような冷たさだった。
「うそ。え……?」
「だぁ!もうでできちゃダメだって!!」
それは青年の影の中にいた。いそいそと這い出てくると、地面に転がった歯を拾ってきてひとしきり青年の口のなかを確認しておろおろとやっている。
その最中、その塊は大人達に鎖鎌やブロードソード出きりつけられるが、まるで煙を切るみたいに刃は虚空を切るだけだった。
やがてその影は青年の口に異常がないことを確認すると、はぁーと深く息をついて肩をおとした。
そのまま振り返って攻撃を加えた受験生を見る。
その背中や腹からは数十本の腕が延び、手には包丁、下ろしがね、曲がり鎌、鉈、果物ナイフなどありとあらゆる武器が握られている。
それらの道具は全く手入れされておらず、真っ赤に錆び付いた色が、まるで獲物の返り血のように輝いていた。
「やらないで!」
こくっと頷いたのは安心させるためか。それとも一瞬で終わらせるからねという意味だったのか。
その日、暗い森の街、イズガのギルドは壊滅した。ただ一人の生存者ハインツの姿を見たものは、むしろ楽にさせた方が良いのではと口を揃える有り様であった。






