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巻き戻り4


 鏡の中の赤ん坊がぱしぱしと手を握った。まだ、足腰の立たない柔らかなあんよでポテンと、尻餅をつくように座る。


「ま、こんなものか」

 銅板を磨いただけの鏡で客観的に見てみたのだけれど、どこからどうみても赤子であった。

 まだまだ世間の荒波を知らないぱんぱんのおてては、まるで柔らかい白パンみたい。自分から香る甘いミルクの香りは、現実を忘れさせるのに十分な力を持っていた。

 リンさんの心配そうな目をよそに、自分の足で歩きながらベッドの側板に手をついた。

 部屋の全ては大きく感じるが、その実は、自分が小さい赤子の姿に変化したからだということは小さい脳みそでも考えることができた。

 もしかしたら、これならば熱心な信徒達をまけるかもしれない。


 しかしこの姿、余計にあれだな、力を使いすぎると威圧的だな。気を付けないと。

 心配そうな目を横に、玄関がある廊下を進むと段差があった。むう。この手足では難しい。四つん這いになって足から着地せねば。

 

 ちょいちょいと足先で床に触れてから体重をのせると、これほど慎重にことを起こしたにも関わらず、体勢を崩した。子供体型というのは頭のサイズが大きく、対照的に体は小さい。それすなわち重心位置が高く設定されているわけで。俺の体は重力に任せてすってんころりんと頭から転んだ。


 壁に接触するほんの少し前に手ですくわれる。怪我をしないように柔らかい毛布のような布もあった。抱き締められて、包まれる。元々の姿との扱いの違いは歴然だなぁ。


 よちよち歩きの幼児体型は彼女の母性本能を刺激したらしく、下ろしてと言っても全く聞く耳をもってもらえない。とりおり怪我をしていないか身体中撫で回されて居心地悪い。

「なんで一人で行動しようとするのですか。私が嫌いですか」

 例の虫君まで飛び乗ってきておくるみのなかに入ってくるのでさすがに泣いた。

 宿から飛び出すように運搬される途中、信者らしき人影に何度か遭遇した。彼らは全く興味がないといった様子で、いもしない邪神に捧げ物を持ってきていた。「おまえはこれから邪神様への捧げ物になるんだ」と子供の手を引いたお父さんが言っていたのを、悪夢のように呆然と見守った。あんな贈り物をするなんて、いったい何が欲しいのだろうか。そしてそれは、本当に等価値なのだろうか。


30分ほどで、外と内とを分ける検問所が見えてきた。体重5キロほどもある赤子を抱えて走ってきたリンさんは破裂しそうなほど心臓が高鳴っていた。


 二人の兵士が槍と鎧姿で荷物の検査を行っている。出るものよりは、入るものの方が手荷物検査は厳しかったが、それでも身分証がないという現状はかなり厳しいものがあった。身分を証明できないために押し返される人も多くいた。


 リンさんに至っては、仕事着のままであり、みるからにしてお尋ね者の受付嬢であった。服も着の身着のまま、汚れていた。しかもその腕のなかには、布でぐるぐる巻きにされた赤子がいる。


 検問で荷物検査される、何もない連中を羨ましくみつつ、自分達の番が来るのを待った。


 豪奢な毛皮を着た人はほとんど検査されずに笑顔で通される中、貧乏そうな人は鞄をひっくり返されて荷物検査だ。その上、金品まで要求されている。この国は、貧しい。

 やがて自分達の番になった。


「金を持っているか」

 錆が浮かんではいるが、鋭い切っ先の槍を向けた兵士が俺たちを見据えた。そして物色するように不躾な視線で値踏みを始める。近くによると、その身体中から腐敗したような甘い香りが漂っているのが良く分かった。ハエの夫婦に大変好かれそうである。


一人の兵士が手に持った羊皮紙と俺達を見比べる。誰かを捜索するために顔の描かれた羊皮紙を持っている。

「まあ、なんだ。形式的な調査だから。ついてきてくれ」


 リンさんの露骨に表す警戒を解くよう、柔和に笑った兵士の笑顔は、微妙に歪んでおり、前歯は2本足りなかった。

 検問で足止めを食っている人々はごった返すほど。

 連行され行く姿をじろじろと見る視線をある程度無視して突破口を探した。門は木製である。あれならば簡単に破壊できるだろう。鉄とかでできていると、それなりに乱暴なことをしないといけなくなるが、鉄は国中に行き渡らせるにはとても高価だった。


 俺を運ぶリンさんはとても落ち着いていて、目線を隠すように前髪が垂れている。サラサラとした髪質の奥にはギラギラと光る赤い目があって化粧ののりも良く、彼女の顔立ちを引き立てている。


 というかこの人、俺を抱えながら隠してナイフ握ってる。いや、ヤバすぎだろう。人を襲うつもりか。


 ナイフを持ちながら全体的に可愛いで落ち着かせているのもすごいけど。

 目の座り具合が尋常ではなかった。小声で武器を捨てるように伝える。

 

「醜いガキだな」ひょいとつままれ、机の上に着陸させられる。着陸というよりはむしろ墜落。硬い机表面が背中に当たる感触に普通の赤ん坊だったら泣いているだろう。今は赤ん坊のふりをするべきなので、おもいっきり声をあげて泣いた。


「なにするの!?」

「ガキ一匹で騒ぐなよ」けらけらと薄ら笑いで制する彼を彼女が説得できるようにもっと泣いた。ビエビエとこの世の物ではないのではないかというくらい泣きわめいて、そのくせ、誰も助けに来ないのだという無力さを演出して、遠巻きにこの人が悪いことをしていますよ、と回りに周知して回った。


 さぞ居心地悪かろう!!!皆見ろ!!この腐った政府の犬の姿を!!とまぁ、なるように泣き叫んでやったのだが、異変がそこに発生した。


 朝だというのに、視界が暗くなった。回りの人も同じらしく、しきりに空を見上げる。そこには確かに銀色に輝く天体、太陽があった。

 しかしこの場所ときたら、暖かい日差しや、輝く光に全く見捨てられてしまったかのように暗く、薄ら寒かった。


 やがて地面に黒い沼ができた。

 その沼から、土葬のはてに虫達に食い荒らされたような、骨と皮ばかりになった腕が延びて、手首にまいた黄金の腕輪がジャラジャラと音を立てた。


「おや、こんなところに赤子がおる」


 穴から取り出したる左腕には無数のおもちゃ。どれも古びており、人形の多くは噛まれた痕があって根気よく縫い合わされた箇所が見受けられた。


「強い子がなぜこのようなことに……悲しきこと……わたしとくるかい?」


 こちらの意思など確認するつもりは無いらしかった。ぶつぶつと繰り返される子守唄を聞きながら穴の中に引きずり込まれるその最中、リンさんの短い悲鳴が聞こえたのだった。


 穴の中は別世界だった。


 夜なのか当たりは暗く、木々は枯れて垂れ下がった皮膚のように樹皮が腐れていた。

 黒い乳母車に俺をのせた乳母は、甲斐甲斐しく人形で劇をやって見せたり、お腹がなれば、袋に積めた乳を飲ませてくれるなどした。


 怖いのは、その乳母というのが大変に大きいことである。腰を曲げた状態で慎重が3メートルはあった。さらに、乳母車から少しでも出ようものなら、抱き上げて戻される。その上、自分が至らなかったのではと人形を増やし、劇を変え、おしめを取り替える。


なにかしら、悲しい過去を待った亡霊であろう、と思われた。おそらく一人ではない。複数の母親が作り出した亡霊。無くした子供をあやすことのできなかった母親が、他の子供をさらって子育てをしているのだろう。


 幸いにも、子供の異体はなかった。たぶん、彼女が興味のあるのは子供を育てることであって、拐うことでは無いのだろう。


 それに気がついてから、1日に一年ほどの感覚で成長した。性格には変装スキルによる幻覚なのだが、乳母はとても喜んだ。


 毎日、歌を歌いながら部屋を一周するようになった。

 乳母車が小さくなれば、子供用ベッドに代わり、子供用ベッドが小さくなれば、大人用のベッドとなった。


 ある日、食事の準備をする乳母が急に手を止めて泣き出した。泣くと言っても顔がないので、ボタボタと雫が暗い影から降り注ぐだけであったが。


「もうすぐ、君が、私の手を離れるのが嫌」

「そんなこと言わないで。親として立派に育て上げたんだろ?じゃあ俺の門出を祝してくれ。子供はいつか大人になる。それが今日という日だった。今までありがとう。もういいんだよ」


気がつけば、検問所に戻ってきていた。大人の姿で、ただ、手首には見慣れた金の腕輪が巻かれていた。なにか特別な気がして外そうとは思わなかった。まだ見守りたいというような意思を感じるのだった。


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