巻き戻り2
結果から言うといつまで待ってもギルマスは来なかった。
お酒の飲みすぎでトイレとお友達になっていなければ、何か火急の用件で仕事を離れられないのかもしれない。かつてあった事件(正確にはこれから起きる事件だが)を考えれば、俺が起こした傷害事件はたいして重くもない、面白味もない事件だった。
「私が作りました、スープですが、あの、もしよければ」
リンさんが鉄鍋からスープをすくって進めてきてくれるがあまり食欲をそそるものではなかった。可愛らしい動物の絵が書かれた皿ではあったが、具材が豆と根菜のみ、という坊さんもビックリな精進具合である。いや、それがこの世界の普通の食事なのだが、もうちょっとこう、香辛料であるとか、肉であるとかが入っているものが好みであった。
よそってもらったのにも関わらず口をつけないというのも憚られ、一口食べるがやはり味はほとんどしなかった。
全体的に味が薄い。根菜はきちんと切れていなくて繋がっている。皮が剥かれていない芋や、虫食い芋があった。温かいことだけが取り柄と言えなくもない。
「ん?」
リンさんが首をかしげてこちらを見ているので、こちらも精一杯の笑顔でそれに答えた。
「おいしいですね、これ」
「アハハハ……それ!猛毒のマンドラゴラ入り!」
「はっはっはー。何を言っているのかな?」汗が吹き出る。人のために作ったものではなかったのか。
「人間のふりが下手ですね」
「いや、人間なんですがね」
最悪だ。今食べたのは魔物を殺すための撒き餌だったのだろう。ゴキブリをやっつけるために家の中にホイホイを仕込むように、この世界では魔物にエサをやる風習があった。だから味付けが何もないのだ。
「あーー目が回るぅ」幸いにもその毒には聞き覚えがあった。マンドラゴラは猛毒の毒草。食べると嘔吐、腹痛の他、意識混濁、幻覚、幻聴なのどの効果があった。さらに耐性がない人は死に至ることもある。
「メッチャクチャオイシー!」なんなら意識混濁するふりをした。
「毒に対する完全耐性をもっていますね」
「あ、ウス」床に倒れて吐き出す真似などしている最中、見下ろす彼女はこの世のものとは思えない笑顔で見下ろしてきていた。
悪い意味でこの世のものとは思えなかった。普段は大人しげで、荒くれ者から詰め寄られるほどの美貌を有している彼女が、下卑た、それこそ耳元まで口が広がっているのではないかというほど口を歪めて笑っているのだった。さながらその様子は、巨大なガマガエルのようである。
場合によってはその笑顔は何かしらの意味を含んでいると思ったが、口からでかかった疑問は飲み込む他はなかった。
それから空き部屋に案内されてベッドでふて寝した。
干し草が詰められただけのマットレスが気にくわなかったかと聞かれればはいとは答えるが、部屋と廊下を仕切るドアの向こうから誰かの気配を感じているので何も口にすることはできなかった。
そこにいる誰かに聞こえるように咳払いをして「はーあ。良く寝た。そろそろご飯でも探しに行くかな」といってドアを開ければ彼女がいた。
ただし、何かしら別の意図があってそこにいるのは明らかだった。
「あくま様!おはようございます。このような粗末な食事ではございますが是非にお口に運びくださいませ!」あたまをガッと左に振って首をさらけ出す受付嬢。
「いや、俺は人間て言うか……」
「私だけには!言ってもよろしいかと!!!わたくしは!!!食料ですから!!!」
「あの、ご飯は普通の、人間と同じものを食べますので」
「わた、私はそのお体に入れる価値すらないと!?」
「そんなことは言ってはいない」
この状況には理由があった。
その世界の2大宗教は、聖典守護教会と邪教の2種類に別れている。
邪神崇拝には複数の宗派が含まれるが、それらは全て約束された報酬が存在する。邪教の神様は貢ぎ物をすると必ず力を授けてくれるのだった。力というのは概念であって、金や名声はもちろん、スキルや、人間が邪神となることすら叶えることができる宗教だった。冗談のような話だが、隠れ教会では実際にそのようにして力をつけた元人間が宗教を司っている。
聖典守護教会が、誰もあったことの無い神様に祈るのに対して、邪教は確実にそこにいる神様に祈る宗教なのだった。
邪教の神様は生理的に受け付けがたい見た目をしている上、突拍子もなく命を奪うことがあるため、意味嫌われ、それを信仰する人間もまた迫害の対象となった過去があった。
彼女は邪神信者である。
「あ、あのお噂は何度も聞いていて、あの、聖典も2000回以上読んでて、あの、特に、第2章137節の生まれながらにして異形の姿でありながら自分らしくいきることの大切さをといているところがとても好きです!!」
パーンと音を立てて頭を下げた。先ほどから固い床材の木板に何度も頭をぶつけている。
「良く聞きなさい。俺は人間である」
「世を忍んでこうしていらっしゃったと!」
「そういう話ではない。俺は生まれたときから今まで他の神を信仰したことはないし、体も人間そのものだ」
「クヒヒヒヒ」気持ちの悪い笑い声だった。空が彼女から発せられていると理解するのに一瞬の間が必要だった。
「本物なんだぁ……。自分より強い邪神をご存じない。それってそういうことではないですかぁ」
何度説得しても全く聞く耳をもたない姿勢に深いため息をつく。ひょっとしたら自分は邪神で、なにか悪いことをしに来たのではないかという錯覚にとりつかれてしまいそうだった。マンドラゴラの毒素が実は効いているのかもしれない。
床に擦り付けていたおでこをあげて、リンさんは元通りの笑顔を作り上げる。
「あくま様はなにゆえここに。わたくしめはその用事の従順なるしもべとしてぼろ雑巾のようになるまで使っていただければ恐悦至極におもいます」
「俺は普通の人間では、ない」
「そうでしょうとも」
「だが普通に生きたい」
「それは到底無理と言う話でしょう」
リンさんが良い方向に向きかけた話題を地の底に引っ張り込む。
いや、邪教でいう天国は地の底にあるのだが。
「俺はどこから見ても人間だよな?見破れるはずなどないと思うがな?証拠を見せろ証拠を」
ん?証拠?自分で言ってておかしいぞ。
1挙動でリンさんがナイフで俺の脇腹を刺してきた。ビックリして反応するのが遅れた。体勢が悪く避けられない。
服を貫通した刃は肌へと達するが、そこでクルリとアルミのように丸まって突き刺さることはなかった。生身の肌に。そのような刃物で傷付くようなレベルでは既になかった。
「あらあら、まぁまぁ」丸まった切っ先を眺めたリンさんは丸まったナイフと同じくらい目を丸めた。
「ごめんなさい。遠回りの話は好きではなくて。なんですこれ?」
「いや、あの、話すと長くなる」
「説明をいただけますか。これの」
もう一度刺される。今度は曲がった切っ先が折れたが、肌には傷ひとつできていない。もしかしたら、肌の下に甲冑を着込んでいるのかもしれないね。
もしそうだとしても人間をやめている。
そして、どう弁明しようとも普通の生活を送ることはできなくなるだろう。普通の生活をしなければかつてのパーティーメンバーに再開することすら難しくなるに違いない。
リンさんは小さな咳払いをして「邪神は勇者の剣をもってしても傷ひとつつけること、これあたわず」「けっこうかかりそう?」邪神ではないと伝えたかった。なぜか睨まれる。
「否定するのは結構ですが、文献にも記されている証拠をこのように見せられて、なお、否定できると思われるのですか?」
「証明するために刺してこようと言うのもどうかと思う」完全に非難したつもりだったが、なぜかリンさんは目を輝かせる。褒められたと思ったらしい。まずい。また自分が邪神方向で間違いないと明言しそうになっている。
「何度も言うが、俺は邪神ではないの!」パン!と床を叩いた。力加減を間違ったために、床に直径30センチくらいの穴を空けて、さらにその下にあった地面まで凹ませて手が止まった。
「邪神様。あくま様」
「だから!!俺は違うって!」
「はい。私に信仰されましょうね。尽くしますよぉ。だから加護を!!くらはいねぇ」
「後半言葉になってないんだよ!本音が出たな!」