27-3 そして最終決戦へ
年の瀬の喧騒がざわめき始める、有馬記念公開枠順抽選会。その会場であるプリンスホテルは、煌びやかな照明と、無数のカメラフラッシュ、そして競馬というドラマに魅せられた人々の熱気でむせ返っていた。
その渦の中心へ向かうイマナミの隣で、ひときわ異彩を放つ男がいた。
「いやーどうもどうも、お久しぶりです、イマナミセンセー! ウチのノゾミがいつもお世話になっております!」
そう言って、フッカツノネガイオーナーの河合敬三はイマナミのギュッと手を握る。
「いえ、こちらこそ・・・。このような前代未聞のローテにご理解いただいてありがとうございます」
「何を言いますか! 君が厩務員時代からノゾミを支え、ここまで導いてくれた。君が考え抜いたローテなら信じるしかないだろう」
そう言って、ケイゾーは顔中の皺を喜びに綻ばせる。その言葉は、春の陽光のように温かい。だが、イマナミはどうしても、その太陽の如き男の出で立ちから目を逸らすことができなかった。
「あの、河合オーナー・・・。その格好は・・・?」
「ああ、これですか?」
よくぞ聞いてくれた、とケイゾーは天を指差すかのように胸を張った。純白のタキシード。純白の蝶ネクタイ。そして、磨き抜かれた純白の革靴。その白は、この絢爛な宴会場において、祝福の色というよりは、むしろ狂信の色を帯びていた。
「三年前、ピンクのネクタイで臨んだら、見事ピンク帽の8枠16番を引いてしまってね」
「ええ、存じ上げていますが・・・」
イマナミの声が、知らず硬くなる。嫌な予感が確信へと変わっていく。
「ということはだ、イマナミセンセー!!全身を白でコーディネートすれば、自ずと1枠が我が腕に転がり込んでくるという寸法よ!」
くるり、と巨体が軽やかに一回転する。その遠心力で、純白のジャケットの裾がふわりと舞った。靴下まで白で揃えるその徹底ぶりに、イマナミは眩暈すら覚えた。
「・・・まさか、今回もご自身がくじを?」
「はい? いけませんか?」
きょとん、と首を傾げるオーナーに、イマナミは天を仰ぎたくなる。
「いえ、駄目ということはありませんが、慣習として、まずは騎手が、いなければ調教師が引くというのが一般的でして・・・」
「大丈夫、大丈夫! テレビ局の偉い人から『是非オーナーに引いてほしい』と言われたので!」
誰だ、そんな無責任なことを吹き込んだのは。イマナミが周囲を見渡しても、悪戯っぽく笑うテレビマンの姿は見当たらない。完全に「かかっている」オーナーを前に、彼は小さくため息をついた。
国本だったら、この状況をどう乗り切っただろう。巧みな話術でオーナーを言いくるめたか。あるいは、腹を抱えて笑いながら「面白い、やってみましょう」と背中を押したか。
どちらにせよ、自分のような若輩者に、この奔流を堰き止める術はない。
「さて、行こうかイマナミセンセー! いざ、運命の舞台へ!」
ビシッと宴会場の扉を指差すケイゾー。その姿は、もはや喜劇王のようだった。
「・・・そうですね。早く行きましょう」
周囲から突き刺さる好奇と困惑の視線から逃れるように、イマナミは半ば自棄になって歩みを速めた。煌びやかな光の中へ、二人、白い男の影を長く引きながら、吸い込まれていった。
ーーーーーーーーーー
抽選会そのものは例年通りスムーズに進行された。
まず開会の言葉があり、歴代の有馬記念馬の映像が流され、コースの説明と何故枠順抽選会がここまで盛り上がるのかの説明。各陣営の紹介、そしていよいよ抽選方法の説明の段となる。
そんな中、関係者席のあちこちで、同じ話題がひそやかに、しかし熱を帯びて交わされていた。
「今年のプレゼンター、一体誰が来るんだろうな」
「いつもならCMプロモーションの女優さんだが、これだけ情報が出てこないってことは・・・何かサプライズがあるんじゃないか」
「いっそ野球選手とかどうだ?豪快な一発を期待してさ」
「いやいや、やっぱり年の瀬のグランプリは華がないと。アイドルか、世界的なモデルか・・・」
そんな結論の出ない予想が飛び交う中、ふっと会場の照明が落ち、巨大スクリーンにスポットライトが灯った。
『皆様、お待たせいたしました! それでは、今年のグランプリの運命を占うボールを引いていただくスペシャルプレゼンターにご登場いただきましょう! この方です!』
アナウンサーの張りのある声が響く。会場の誰もが固唾を飲んでステージを見つめた。
『今シーズン限りでターフを去られました、伝説の名伯楽! 国本英雄さんです! どうぞ!』
「――えっ!?」
イマナミの口から、マイクが拾うほど大きな驚きの声が漏れた。
同時に、静まり返っていた関係者席が、驚きと納得が入り混じった大きなどよめきに包まれる。誰もが、壇上にゆっくりと昇っていくその男の背中に、畏敬と、そして「してやられた」という笑みを浮かべていた。
(あの人・・・! 絶対にわざと黙ってたな・・・!)
そう心の中でぼやきながら、ため息をつくイマナミ。
ざわつく会場など我関せずと、国本は悠然と壇上の中央に立つ。そして、会場の隅々までを見渡した。
『さて国本さん。どうですかこの壇上に立ちまして』
「いやぁー、いいですねー。なんというか、有馬記念の命運を握っている気がしてワクワクします」
『流石、名伯楽!!これだけ刺されるような視線に見つけられてなお、全く動揺を見せません!!それでは、早速ボックス前に移動お願いします!!』
国本の飄々とした物言いに、客席のイマナミは知らず口元を綻ばせていた。
「・・・相変わらずですねセンセー」
誰に言うともなく呟いた言葉は、会場の喧騒に溶けて消えた。
国本は抽選ボックスの前に立つと、もう一度、静かに会場を見渡した。そして、暗闇の中のイマナミと、一瞬だけ、確かに目が合ったような気がした。
『さあ国本さん、記念すべき最初の一頭、お願いいたします!』
国本はゆっくりと、しかし迷いのない手つきでボックスに腕を差し入れ、無数のカプセルの中から一つを掴み取る。カチリ、と軽い音を立ててカプセルを開け、中の紙片を広げた。
『おぉぉぉ!!!ビジョンコメコです!!!』
会場にどよめきが広がる。
ビジョンコメコ。
4歳5歳とスプリンターズステークスを連覇。5歳時は高松宮記念勝利。6歳となった今年の上半期は低迷したが、下半期は復活。そんな短距離路線を蹂虙し尽くした快速馬が、キャリアの集大成に選んだのは、あまりにも無謀な2500メートルという舞台。話題性に事欠かない挑戦者。
そして
現最強スプリンターである。
壇上には今浪厩舎調教助手のサカイと鞍上の戸中啓太郎が上がる。
『さて、ビジョンコメコ陣営の方々にお越しいただきました。さて、最強スプリンターが有馬参戦ということですけど、さてどちらがクジお引きになるのでしょうか?』
「あ、それは僕が」
そう言って一歩前に出たのは、関西最強の呼び声も高い戸中啓太郎だ。
『狙う枠はズバリ?』
「そうですねえ・・・」
戸中は少し考える素振りを見せ、悪戯っぽく笑った。
「やはり距離ロスが少ない内の方でしょうかね」
『なるほど・・・それでは早速引いていただきましょう!』
一呼吸置き、戸中はボックスに手を入れる。掴み取ったカプセルを、ゆっくりと、しかし確信に満ちた手つきで開け、中の紙を広げた。
『おぉぉ!!2枠④番。注文通りの内枠。戸中流石のドヤ顔!!レースはまだ始まっていません!!ただクジを引いただけです!!
それでは、まず戸中騎手にお聞きます。ビジョンコメコとはコンビ二戦目ですがいかがでしょうか?』
「いやー、正直最初はじゃじゃ馬なイメージがあったんでビクビクしながら乗ったんですけど、いざ跨ってみたらびっくりするくらい操縦性が良くて。有馬記念も楽しみです」
戸中は満面の笑みで答える。その自信に満ちた表情に、会場の期待感がさらに高まる。
『おーっと、力強いコメントを頂きました! さて、サカイ調教助手。本馬はスプリンターとして一時代を築きましたが、やはりファンの皆様が気になるのは距離。持ちますでしょうか?』
「もともと3歳時は中距離で活躍してもらおうとした馬です。胴も長いですし、気性さえ改善すれば有馬記念も走破できると思います」
サカイも落ち着いて応答する。その答えに国本は黙って頷いていた。
『なるほど。わかりました。国本さん、ビジョンコメコはかつての自厩舎の馬だったわけですが、一言お願いします』
「もともとビジョンコメコは中距離馬だと思って育てていた馬なので、自分の目が正しかったと証明して欲しいと思いますね
サカイ頑張れよ」
「は、はい頑張ります」
サカイは苦笑しながら頷く。
『おっと!予想外からのプレッシャーですが、頑張ってもらいましょう。さて、早速次へ参りましょう国本さんよろしくお願いします!!』
国本はくじを引く。カプセルを開けそしてわずかに見えた文字を見て笑みを浮かべた。
そして紙をオープンする。
『おぉぉ!!まさかの同厩舎のフッカツノネガイです!!3年前の有馬記念優勝馬!!怪我からの復活を目指します!!』
フッカツノネガイ。
彼ほど栄光と地獄を行き来した馬はいない。デビュー前に、被災する。しかしなんとかデビューに漕ぎつけ、ダービー制覇。そして同年の有馬記念を制覇する。しかし次の年の大阪杯でゴール後骨折。競走能力喪失どころか命の危険まである大怪我だった。
だがそれから執念の治療でなんとか3年ぶりにターフに帰ってくる。
復活をかける天才である。
壇上には、緊張でこわばるイマナミと、純白のオーナー、ケイゾーが上がる。
『騎乗予定の三津康生騎手ですが、今日は地方のレースに騎乗ということで欠席になります。
さてフッカツノネガイ陣営に来て頂きましたが、全陣営笑ってしまっています。では一応聞きます。フッカツノネガイオーナーの河合敬三さん。その格好はなんですか?』
「いやー。今回は枠の色に合わせてみました」
ドヤ顔で言い放つケイゾーに、会場は爆笑の渦に包まれた。
『端的で分かりやすい説明ありがとうございます。引くのは?河合オーナーですか?』
「はい私です!狙う枠はズバリ純白の1枠です」
『わかりました!!それではそのパワーで1枠を勝ち取ってもらいましょう!!それでは河合オーナーおねがいします!!』
ケイゾーはゴクリと息を呑み、両手でアクリルボックスを掴むと、ガシャガシャと祈りを込めてカプセルを混ぜる。そして意を決して手を差し込み、一つのカプセルを掴み取った。
祈るように両手で包み込み、震える指で、ゆっくりとカプセルを開け、紙を広げた。
『1枠②番!!』
時が、止まった。というより、ケイゾー自身が、まるで彫像のように固まっている。やがて、その口から絞り出すような声が漏れた。
「よ、よっしゃーーー!!!」
ケイゾーはガッツポーズを決める。それはまるで一着でゴールインしたかのようだ。
『さて河合オーナー念願の1枠ですが、いかがでしょうか?』
「いや!!めちゃくちゃ嬉しい!!見たか!!アオキ!!オレだってやる時やるん・・・」
ブツリ。無情にもマイクのスイッチが切られる。イマナミは、恥ずかしさと、それを遥かに上回る安堵に、思わず天を仰いだ。
『失礼しました。それでは、イマナミ調教師に伺います。3年ぶりの出走ですが、フッカツノネガイ。状態は如何でしょうか?』
「抜群、と言えると思います。ここに来るまでに重ねてきた調教も、時計、動きともに、文句のつけようがありません」
『なるほど・・・枠は抜群と言ってもいいのでしょう。そうなると逃げるのでしょうか?』
「自在性のある馬なので、逃げるかどうかは、これから全体の枠順を見て決めたいと思います。ただ、どんな戦法になろうとも、勝ちに行くということだけは、ファンの皆様にお約束します」
イマナミの、僅かに震えながらも決意に満ちた声が、会場に響いた。
『おぉー!!叩きなんかではない。あくまで勝ちに行くという力強い宣言を頂きました!!さてここも国本さんに伺います。フッカツノネガイどこに強みがあるのでしょうか?』
国本は少し考える素振りを見せ、マイクを握りしめた。
「この馬は、走るということに天賦の才があります。馬体だけを見ても、非の打ちどころがない走るための体をしていますし、レースの流れを読むのが非常に上手い、器用さも兼ね備えている。そして何より、勝ち切るための『心』を持っている。私がこれまで見てきた数多の競走馬の中で、ここまで心技体が整っている馬は見たことがありません。だからこそ、常識を覆す走りを見せてくれると期待したいですね」
『おぉ・・・。名伯楽のこれ以上のない評価。ありがとうございます。それでは続けて行きましょう・・・続いてお願いします』
国本はカプセルを取り出し、紙を開いた。
『おぉー!!まさに今年のクラシックの主役のライジンショットです!!』
ライジンショット
今年3歳クラシック二冠馬。皐月賞こそデビューが遅れ、間に合わなかったものの、日本ダービー、菊花賞とともに3馬身差で圧勝。満を持しての古馬戦線と激突する若武者である。
そして、壇上に上がるのはこれも若きデビュー5年目の若月八起である。その表情にはわずかに緊張があった。
『さて、若月騎手。初めての有馬騎乗。そして初めて抽選会ということですが、お気持ちはどうですか?』
「は、はい! このような、えー、歴史と伝統ある有馬記念というレースに、16頭しか出られないという、その、一員としてですね、出場できることに、ただただ感謝しか、ございません!」
まるで暗記した作文を必死に思い出しながら発表する小学生のように、一言一句を絞り出す。その初々しさに、会場からは「がんばれー」という温かい、しかし明らかに面白がっている空気が流れた。
『はい。その感謝の気持ち、大事にしていただきたいですね。では、そんな大舞台で、ズバリ狙う枠はどこでしょう? 多くの先輩方が見ていますよ!』
アナウンサーが追い打ちをかけるように振ると、若月はキョロキョロと会場を見渡し、まるで許しを乞うかのように言った。
「そ、正直、どの枠でも全力で乗るだけなんですが、その・・・厩舎の先輩方からですね、『いいか、八起。どの枠でも文句は言うな。・・・ただ、大外の⑯番だけは地獄だぞ』と、それだけは、昨晩から何度も・・・」
見事なまでに、自ら破滅へのフラグを打ち立てた。会場のベテラン陣は、もうこの時点でニヤニヤが止まらない。
『ほぉー、先輩からのありがたいアドバイスですね! では、その地獄を避けられるか! 早速引いていただきましょう!!』
若月は、まるで断頭台へ向かうかのような足取りで、ソロリソロリとボックスへ近づく。汗でじっとりとした手を、恐る恐る差し入れた。ガシャガシャとカプセルをかき混ぜる音だけが、やけに大きく響く。意を決して一つを掴み、取り出した瞬間――。
ツルッ。
無情にも、汗で滑ったカプセルが手からこぼれ落ち、コロコロとステージを転がった。慌ててそれを追いかけ、拾い上げる若月の姿に、会場は堪えきれなくなった笑いに包まれる。
やっとの思いでカプセルを手に戻し、今度は開けようと試みるが、これがまた開かない。緊張で指先の感覚がないのか、小さなプラスチックの塊と格闘すること十数秒。なんとか、カプセルを開け、紙を広げることに成功する。なんとか一仕事終えたことに少しだけホッとした様子だった。
しかし広げた紙が大惨事だった。
『おっっと!! 大外8枠⑯番だァーーッ!! 見てください皆様! 若月騎手、完璧なフラグ回収です! もはや芸術の域! 彼の魂が、今まさに中山競馬場の上空へと旅立ちました!
しかしカメラさん、各陣営の顔を映してください! 満面の笑顔です!これが期待への若手への洗礼か!?』
各陣営は大外というババがなくなったことに拍手とともに満面の笑みの各陣営。
『まさかの大外ということで。どうでしょうか。』
「ま、まぁ、大外も悪くないと思います。・・・そう、悪くないと思います。・・・はい。たぶん」
自己暗示をかけるように繰り返される言葉は、次第に消え入りそうな声になり、最後は引きつった笑顔のまま、彼は静かに燃え尽きた。そのあまりにも見事な散り様に、会場からはこの日一番の、同情と爆笑が入り混じった盛大な拍手が送られたのであった。
ーーーーーーーーーー
『さて、ここまで抽選はつつがなく進行しております。ここで前半で確定した枠順を見ていきましょうか』
1枠①番
1枠②番 フッカツノネガイ
2枠③番
2枠④番 ビジョンコメコ
3枠⑤番
3枠⑥番 ブリーズブレイカー
4枠⑦番
4枠⑧番 ソードオリバー
5枠⑨番
5枠⑩番
6枠⑪番 アロマエッセンス
6枠⑫番
7枠⑬番 アズールゲイル
7枠⑭番 セツナノカゼ
8枠⑮番
8枠⑯番 ライジンショット
『国本さん。ここまで、枠順如何でしょうか』
「いやー、今年のダービー馬のライジンショットが大外に行ってしまったことに皆さんがっかりしたかもしれませんが、この馬はダービーで大外から差し切って勝っていますからね。決して悪いポジションではないんですよね。そしてどの陣営もなんか納得の表情をしているので、今のところ、どの馬も力を出し切れるんじゃないかと思います」
『なるほど、それでは、抽選に戻りたいと思います。国本さんよろしくお願いします』
国本はカプセルを開け、紙を開く。
『ここで来ました!!サンショクダンゴ!!』
その名が呼ばれると、会場の空気がピリリと引き締まる。
サンショクダンゴ
安定感はあるが勝ちきれない、そんな善戦マンと言われた馬が、そんな評価を覆し、この秋、天皇賞を圧勝。今がまさに全盛期。
最強の挑戦者である。
『さて、サンショクダンゴ主戦の武谷ジョッキーに来て頂きました。サンショクダンゴは2年ぶりの参戦という形ですが、今年はどの枠を目指すのでしょうか?』
壇上に上がったレジェンド、武谷は、落ち着き払った様子でマイクを受け取った。
「そうですね。まだ白い枠が一つ、余っていますので。そこを頂きたいですね」
『つまり、1枠①番ということでしょうか!』
アナウンサーの興奮した声に、武谷は静かに頷く。その堂々たる宣言に、会場は息を呑んだ。
『さて、レジェンドの宣言で一気に引き締まった抽選会場ですが、早速引いていただきましょう!』
武谷は、まるで決められた手順をこなすかのように、スマートにボックスへ手を伸ばす。迷いなく一つのカプセルを掴み、流れるような動作で紙を取り出し、ひろげた。
『い、1枠①番!?!? す、凄すぎる!? 何者なんだ!?この男は!!』
アナウンサーの絶叫が響き渡る。武谷は、軽く片手を挙げてガッツポーズを見せるだけ。そのクールな姿に、会場は畏怖にも似たどよめきに包まれた。
『1枠①番ということで、まさに注文通りの枠になりました。しかし、お隣にはフッカツノネガイもいます。この並び、どうでしょうか』
「最高ですよね。今のサンショクダンゴは、今までで一番強いサンショクダンゴです。その馬で、最高のライバルたちの隣からリベンジ出来るんですから」
『ズバリ、ライバルになりそうな馬は?』
「私たちはあくまで挑戦者なので、どの馬がライバルかということは言えません。ただ、今まで苦汁をなめさせられ続けたホワイトフォースとハナマンカイ。そして、フッカツノネガイには、リベンジしたい。勝ちたいと思います」
武谷らしからぬ熱い宣言に、会場は再び大きくどよめいた。
『ありがとうございます! 続いてまいりましょう! 国本さん、お願いします!』
国本は、少なくなってきたカプセルの中から、迷うことなく一つを引き、紙を拡げる。
『来ました!!ハナマンカイ!!』
その名が呼ばれると、会場はひときわ大きな歓声に包まれた。
ハナマンカイ。
その名を知らない競馬ファンは、世界にいないだろう。まさに世界を渡り歩き、勝ち続け。
日本競馬、いや世界の競馬の歴史を変えた女傑である。
『ハナマンカイ陣営、中内調教師、そして日本での主戦・舘山騎手、ステージへどうぞ! さあ、どちらがこの運命のクジを引かれますか?』
壇上に上がった舘山は、緊張で顔をこわばらせている中内調教師の肩を叩き、ニヤリと笑った。
「ここは先生、いけますね?」
「・・・えっ、私ですか!?」
「はい。お願いしますよ」
突然の指名に、中内調教師は観念したかのように頷いた。
『では中内調教師、意気込みと、狙いの枠を教えてください!』
「えー、どこでも大丈夫、と言いたいところですが・・・」
中内はゴクリと喉を鳴らし、意を決したように言った。
「去年、この馬で勝たせていただいた縁起のいい枠がまだ空いていますので・・・5枠⑩番を、狙いたいと思います」
『なるほど、去年の再現を狙うと! それではクジ、お願いします!』
一呼吸置き、覚悟を決めたように中内調教師がボックスに手を入れる。掴み取ったカプセルを、祈るように見つめ、そして、ゆっくりと開いた。中の紙片に目を落とした瞬間――。
『おっとー! これは!! ハナマンカイ、5枠⑩番!! 狙い通りの枠です! そして隣で手を叩いて満面の笑みの舘山騎手!』
「おー。中内先生、成長しましたね」
「え? 褒められてるんですかね、これ・・・あ、ありがとうございます」
舘山の予想外の称賛に、中内調教師は動揺しながらも深々と頭を下げる。
『さあ、ハナマンカイ、希望通りの枠になりましたが、舘山騎手、いかがでしょうか?』
「はい。最高ですね。そして、これ以上ない最高のメンバーでラストランを迎えられることに感謝したいと思います。元々去年で引退する予定だったんですが、有馬記念を勝利したということと、まだ一度も勝てていない馬が来年帰ってくるという話を聞いてね。オーナーとも相談して、待っておりました」
『ほぉ、ちなみにその馬とは?』
「フッカツノネガイです」
間髪入れずに放たれた言葉に、会場からどよめきが広がる。
「そして、こうして有馬記念に戻ってきてくれて本当に嬉しく思います。ここで完全優勝を果たし、最高の引退レースにしたいと思います」
『ありがとうございます! 今年は力強い言葉が多くて、こちらも力が入ってしまいます! それでは次、参りましょう!』
国本は、残った数少ないクジを拡げる。
『来ました!!日本最強馬、ホワイトフォース!!』
ホワイトフォース。
この名を日本人で知らない者は少ないだろう。去年の有馬記念を除けば、古馬になって全勝。
まさに日本競馬の絶対王者である。
その名にふさわしいオーラが、会場を支配する。
『ホワイトフォース陣営、横山調教師とルメロ騎手、どうぞ! さあ、どちらが引きますか?』
「ワタシが引きます」
流暢な日本語で、世界的な名手ルメロが淀みなく歩み出る。
『力強い宣言! ズバリ、狙いの枠は?』
「大外じゃなければ、どこデモOK! でも、デキルナラ・・・6枠がいいですね」
『6枠は⑫番が空いております! それでは、ルメロジョッキー、お願いします!』
ルメロは迷いなくスッと手を伸ばし、カプセルを掴む。まるで中身が見えているかのような素早さで開け、紙片を広げた。
『おっとー!! こちらも要望通り! 6枠⑫番!』
ルメロと横山調教師は顔を見合わせ、固い握手を交わした。
『ルメロ騎手、いかがでしょうか?』
「バッチリです。今回はハナマンカイにリベンジ。そして、もう1頭、とても楽しみなライバルがいます」
『おー、そのライバルとは・・・』
「フッカツノネガイです」
またしても、その名前。イマナミは、もはや苦笑するしかない。
「フッカツノネガイは、もしかしたらホワイトフォースより強いかもしれない、と初めて思った馬です。このレースで、決着をつけたいですね」
『ありがとうございます! では本番に向けて一言お願いします!』
「とてもいいメンバーの有馬記念で走れることを、嬉しく思います。そして、ホワイトフォースは日本のナンバーワン、いや、ワールドホースです。最後も1番でゴールして、有終の美を飾りたいです」
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『さあ、長きにわたる抽選会も、ついに全ての枠順が確定いたしました!!』
アナウンサーの声が響き渡り、スクリーンに最終的な対戦表が映し出される。そこには、ただの数字の羅列ではない、幾多の物語と因縁が刻み込まれていた。
【有馬記念 確定枠順】
1枠①番 サンショクダンゴ
1枠②番 フッカツノネガイ
2枠③番 アシタノカガヤキ
2枠④番 ビジョンコメコ
3枠⑤番 ソードライド
3枠⑥番 ブリーズブレイカ
4枠⑦番 アクアマリア
4枠⑧番 ソードオリバー
5枠⑨番 タイガーショック
5枠⑩番 ハナマンカイ
6枠⑪番 アロマエッセンス
6枠⑫番 ホワイトフォース
7枠⑬番 アズールゲイル
7枠⑭番 セツナノカゼ
8枠⑮番 ユニゾンスフィア
8枠⑯番 ライジンショット
神の悪戯か、必然の配置か。年の瀬のグランプリ。戦いの幕は、静かに、そして確かに上がった。
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抽選会が終わり、会場が熱気と安堵と、そして新たな戦いへの期待がない混ぜになった喧騒に包まれる中、イマナミはただ一人、その流れに逆らうように人垣をかき分けていた。目指す先は一つ。旧友たちに囲まれ、祝い酒を片手に談笑する、かつての師の背中。
「センセー!!」
ほとんど叫びに近い、切羽詰まった声だった。
その声に、クニモトはぴたりと動きを止め、旧友に「すまん」と目配せをすると、ゆっくりとイマナミの方へ向き直った。その顔には、悪戯が成功した子供のような笑みが浮かんでいる。
「俺はもうセンセーじゃねぇよ。どうした?イマナミ」
飄々とした、あまりにも落ち着き払った声。その余裕の態度に、イマナミは必死に息を整えながら詰め寄った。
「どうして、言ってくれなかったんですか?」
その声は、怒っているというより、拗ねているそれに近い。
「いや、言ったら面白くないだろう?だからサプライズってわけだ。びっくりしただろう?」
クニモトは、はっはっは、と心の底から愉快そうに喉を鳴らした。お前のその顔が見たかったんだよ、とでも言うように、楽しそうにイマナミを見ている。
「はい。びっくりしました・・・」
イマナミは、もうそれ以上何も言えず、がっくりと肩を落とした。この人には何を言っても無駄だ。その諦めと共に、張り詰めていた気がふっと抜けていく。
「・・・で、イマナミ、初めての有馬はどうだ?」
クニモトはそうイマナミに聞いた。
「最高ですよ。馬も厩舎も最高な状態です。」
そう言って改めてクニモトの目を見た。
「だから、この最高の結末を、特等席で見届けてくださいよ、センセー」
それは懇願ではなかった。弟子が、その全てを懸けて師に叩きつけた、魂の挑戦状だった。




