11-1 残痕
電光掲示板の光が、三津の顔を青白く照らし出す。そこに刻まれた順位は、無情にも動かない。三津は、期待と焦燥が入り混じった感情を押し殺すように、下唇を強く噛み締めた。
「だめか・・・」
目の前では、ホワイトフォースの鞍上、ルメロが観客席に向かって高々と拳を突き上げている。それに応えるように、割れんばかりの歓声が競馬場を包み込んだ。興奮した観客たちは、立ち上がり、手を叩き、あるいは隣の人と抱き合って、勝利の喜びを分かち合っている。
「ブルルルルッ・・・」
一方、ノゾミは、まるで炎を纏ったかのように鼻息を荒くし、今にも地面を蹴り上げそうな勢いで立ち上がった。その目は、勝者であるホワイトフォースを射抜くように見つめ、その全身から怒りと悔しさが溢れ出ている。三津は、そんなノゾミを必死に宥めながら、計量室へと引き上げていった。
すると、息を切らせ、額に汗を滲ませたイマナミが、駆け寄ってくる。
「お疲れ様です!ノゾミ、大丈夫ですか!?」
「おそらく、大丈夫だと思う」
三津は、荒ぶるノゾミから慎重に下馬する。イマナミは、すぐにノゾミの足元をチェックし始めた。ノゾミはそれを嫌そうな仕草をするも、大人しく従った。
そしてあらかたチェックを終え、フゥーと安堵の息を漏らした。
「大丈夫そうですね。直線に入って、あれだけ減速したので、本当に心配しました」
「あれは、ノゾミが手前を替えたタイミングで減速する癖のやつだった。それにしても、今回は酷かったけど・・・」
イマナミが心配して駆け寄ってきた理由は、菊花賞での異常な失速だった。確かに、いつも手前を替えた時に、わずかに減速する癖はあった。しかし、今回は明らかに異常だった。
「おそらく、雨の影響だろうな。直線に入るまでは、器用にこなしてくれていたんけど・・・」
「やはり、この癖は根本的に治さないといけませんね」
イマナミの言葉に三津は頷いた。
「時計勝負になっても勝てるとは思ったけど、今日の減速は予想以上だった。完全に油断してた」
三津はそう言って、悔しそうな表情を見せた。
「今回の減速は怖いので、一応獣医師を呼んで、精密検査をしてもらいますわ。それで何かわかるといいんだけど・・・」
イマナミはそう言って、不安そうにノゾミを撫でた。
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「精密検査の結果ですが」
ノゾミの精密検査の日。心配で訪れたケイゾーとアオキとイマナミ、そしてノゾミは唾をゴクリと飲み込む。なぜ、馬も診断結果を聞いているかは聞いてはいけない。
「大丈夫です。健康そのものです」
「「「よっしゃー!!!」」」「ブヒー!!!」
獣医師である神埼のコメントを聞いてガッツポーズをする4人(3人と一匹)。弱点克服に向けてこの精密検査を通過することは必須条件だった。
そんな中、神埼は腕を組む。その表情は少し険しい顔のままだ。その様子に気づいたイマナミが尋ねる。
「神埼先生、何か懸念点あるんですか?」
イマナミの言葉に神埼は首を縦に振る。
神埼は書類を取り出し、ケイゾーに渡す。その書類を3人でその書類をのぞき込む。
「これは、ノゾミの右後肢の超音波検査です。ここを見てください。」
そこにはノゾミの右後脚の筋肉が不自然に切れている跡があった。
「筋肉の怪我ですか?馬ならよくあることだと思いますが・・・」
ケイゾーは目をパチパチさせる。
確かに馬の筋肉の断裂もケガの程度として軽くはない。しかし競走馬にとって致命的なケガである、『骨折』『屈腱炎』と比べると、大したものではない。実際競走馬なら多少の筋肉の断裂は経験しているもので、要するにそれが筋肉痛である。それを何故それを神埼はわざわざ説明して、そして問題視しているのか分からなかった。
「端的に説明すると、おそらく筋肉断裂は治っています」
「治ってる?」
神埼の言葉に3人は首をひねった。
それならばなぜ超音波検査で筋肉が断裂しているように見えるのだろうか。
「ノゾミくんの場合はおそらくトレーニングなどの運動的負荷によって断裂したわけではなく、外的要因によって断裂したと考えられます」
「外的・・・要因」
思い当たることは一つしかない。
2年前の震災である。その時になんらかの原因で体を傷つけてしまったのだろう。
「どんなものが、刺さったのか分かりません。きれいに取り除かれてはいましたから。しかしその何らかが右後脚の筋肉に深くまで刺さってしまったのでしょう。そしてそれが古傷という形残っているんだと思います」
神埼は「あくまで私の予測ですが」と付け足した。
「そうなんですか・・・」
「ここまで深いケガです。おそらくですが、負傷後ノゾミくんは痛みで動けなかったはずです」
神埼のことばにケイゾーとアオキはハッとした。ずっと疑問だった。ノゾミは賢い。それなのになぜ震災後直ぐに河合牧場に姿を現さなかったのか。
現さなかったのではない。現せなかったのだ。それがやっと時間経過によって怪我が治り、痛みを引いたからやっと河合牧場を探し始めたのだろう。
「俺が探しに行くべきだった」
ケイゾーは後悔の念を零す。あの1年は自分たちのことで精一杯で、馬のことは思い出しては悲しむ程度で探しに行くということはしてこなかった。あの津波を見たら、もう馬の生存は望めないと諦めてしまった。どうしてほんの僅かの可能性にかけて探しに行かなかったのか。
少し離れたところにいたノゾミが4人の元にそそくさとやってくる。
「ノゾミ・・・」
「ブヒッ」
ノゾミは神埼の頭をカプリと噛んだ。
「おい!?ノゾミ何やってんだ!?」
アオキとイマナミは神埼とノゾミを引き離す。ケイゾーは頭を赤ベコのように何度も何度も下げる。神埼は「大丈夫です」とアハハっと笑う。
ノゾミの進撃はそれでは終わらない。ドスドスとケイゾーの顔にグイッと近づける。
「ヒヒン」
「な、なんだよ・・・」
「フンっ!!」
ノゾミはケイゾーが持っている紙を奪い取った。「おい、ノゾミなにすんだ!!」とケイゾーは驚きながらもノゾミを叱る。
そしてその紙をグチャグチャにして
食べた。
「おいおいおい!!!ノゾミ!!お前何食ってんだ!!!」
「ノゾミ吐き出せーー!!」
ケイゾーとアオキはノゾミに駆け寄る。
馬の消化システムは草や穀物などの植物性の食物を消化するようにできており、紙のようなセルロースが主成分でも、栄養価がなく消化しにくい。そのため普通の馬は食べない。がノゾミは普通の馬ではないらしい。
「ブホー!!」
芝を走るかのように、ノゾミは縦横無尽に走り出す。
その姿には、ケガの影など微塵も感じさせない。風を切り裂く蹄の音が、まるで自由の讃歌を奏でるかのように響き渡る。見る者はみな、その雄姿に息を呑んだ。
「河合さん。ノゾミくんのケガは確かに酷かった。それはあの超音波検査の写真を見ればわかります。過去を振り返れば確かに探しに行けば見つかりノゾミくんの処置も早くなってたでしょう。しかし今のノゾミくんをみるべきではないですか?」
神埼はノゾミの雄姿をみながら言った。
「アオキ。俺たちはノゾミに叱られたのかもしれないな」
「はい。俺もそう思いました」
彼が求めているのは、苦楽を共にし、一つの目標に突き進むパートナーである。断じて愛玩動物のように可愛がってくれる飼い主ではない。
ケイゾーは神埼の方を見て言った。
「先生。あれだけ動けるということは特に問題はないんですよね」
「問題がないか。どうかは分かりません。おそらく手前を替えると減速する現象はこの古傷が原因でしょう。もしかしたらまだ痛みがあるのかも知れない」
神埼は一息ついて言った。
「しかし、ノゾミくんがこれほどに走るのを望み、オーナー側も走らせたいと考えるのなら、一緒に克服のメニューを考えていきましょう」
そう言って、神埼は改めてケイゾー、アオキ、イマナミを見た。考えてみれば、ノゾミはもともとハンデを抱えていた馬だ。ここまで順調すぎたのかもしれない。こんなことは覚悟していた。
「わかりました。よろしくお願いします」
ケイゾーは神埼と握手を交わす。こうしてチームノゾミに一人メンバーが加わった。




