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9-3 カノジョが見たノゾミ

『ーーー1番アクセスポイント抜けた!!アクセスポイントゴールイン!!

 一着 1番アクセスポイント!!鞍上の武谷雄一、今日2勝目!!武谷雄一、阪神 準メインの西宮ステークスを制しました!!』


「あー。外れたー。武谷さんっていう人、年取ってるのに強いのねー」


 里奈の母は自分の馬券を握りしめながら、悔しがる。一方の里奈はレースの結末を見るやいなや、すぐ立ち上がった。


「お母さん!!早く行かないとパドック見れなくなっちゃう!!」

「え?そうなの?」


 里奈は母の腕を掴み、パドックへと急いだ。

 エスカレーターを駆け下り、人混みを縫ってパドックへ向かう。しかし、そこは既に、ダービー馬と皐月賞馬を一目見ようとする人々で埋め尽くされていた。背の低い里奈は、人垣に阻まれ、ノゾミの姿を全く捉えられない。


「こんなになっちゃうのか・・・」


 里奈はそう言って肩を落とす。肩を落とす里奈を見て母は、申し訳なさそうに謝る。


「ごめんねお母さん。こんなになるとは知らなくて、レース見ちゃってたわ」

「ううん。私が調べなかったの悪かったの。たぶん馬券買いに行く人もいると思うから、ちょっとまってみる」


 里奈はそう言い、人の波が引くのを待つことにした。つま先立ちになって背伸びをしてみるが、見えるのは人々の頭ばかりで、パドックの様子は全く分からない。

 数分後、前方からざわめきがわずかに聞こえてきた。


「なんか、前騒がしいわね」

「ほんとだね。なんかあったのかなー?」


 2人は小首をかしげる。

 ざわめきは次第に大きくなり、怒号のようなものに変わっていった。


「おい!!ノゾミ!!なにやってんだ!!早く行くぞ!!」


 ノゾミを呼ぶ声が聞こえたかと思うと、突然、人垣が大きく動き出した。里奈は、まるで押し寄せる波に流されるように、どんどん前方へと押し出されていく。そして、ついに最前列へと辿り着いた。


「ブヒっ!!」


 里奈の目の前には、パドックを周回する馬たちの輪から外れ、「ひさしぶり」と言わんばかりに、悠然と佇むノゾミがいた。


「・・・ノゾミ?」


 里奈は目の前の出来事が信じられず、目をパチパチさせる。


「ヒンッ!!」


 厩務員の男性が「行くぞ、ノゾミ!」と声をかけているが、ノゾミは微動だにしない。まるで、何かを待っているかのようだ。


「あの・・・がんばってね!!私応援してるから!!!」

「ヒンッ!!」


 里奈が声をかけると、ノゾミは元気よく返事をした。そして、ようやく重い腰を上げ、ゆっくりと歩き出した。厩務員の男性に何か叱られているようだったが、ノゾミはどこ吹く風といった様子で、里奈は思わず笑ってしまった。

 予想外の出来事に、集まる視線に居た堪れなくなり、里奈はパドックの人混みから抜け出した。


「あっ、写真撮ればよかった」

「大丈夫!!お母さん撮っておいたから!!」


 里奈が少し後悔の念を零すと、母は少し得意顔でスマホを見せる。スマホを覗きこむとそこには里奈とノゾミとが見つめ合っている写真が写っていた。


「やったー!!宝物できちゃった!!」


 里奈は満面の笑みを浮かべた。


「よかったわねー」


 母は里奈の姿を見て目を細めた。

 なおSNSで、里奈とフッカツノネガイの関係を推測されていたのは言うまでもない。


 指定席への帰り道、母娘の心臓はまだ高鳴っていた。興奮の余韻が、まるで体温のようにじんわりと彼女たちを包み込んでいた。


「すごい人ね。午前中とは全然違う」

「うん。それだけフッカツノネガイとホワイトフォースに注目が集まっているの」


 メインレースが刻一刻と近づくにつれ、観客席は熱気を帯びた人々の波で埋め尽くされ、通路は肩がぶつかり合うほどの喧騒と興奮に包まれていた。指定席は当然のごとく満席となり、自由席に至っては、もはや空きを見つけるのは至難の業だった。


 周囲の人々の会話は、まるで祭りの囃子のように、ひたすらフッカツノネガイとホワイトフォースの名を繰り返していた。その2つの名は、まるで魔法の呪文のように母娘の耳に響き、今日のレースがマッチレースで特別なものであることを否が応でも物語っていた。


 スターターがモニターに映り、スタートの合図を送る。その瞬間里奈の心臓が早鐘のように打ち鳴らし、呼吸さえも忘れそうになる。始まりを告げるファンファーレが鳴り響いた。それに合わせ、観客たちの情熱的な手拍子が競馬場全体を揺さぶる。その迫力に圧倒されながらも、里奈もまた、高揚感を抑えきれずに手拍子を送った。ファンファーレが終わり、静寂が訪れた次の瞬間、割れんばかりの歓声が競馬場を包み込んだ。ゲートインが始まり、彼女は祈るように両手を固く握りしめた。


「頑張れ・・・ノゾミ!!」


 全頭のゲートインが完了し、一瞬の静寂が競馬場を包む。


 ゲートが開いた。

 ⑤番フッカツノネガイがまるで風のように飛び出した。絶好のスタートだ。そのすぐ後ろ、二番手を固めたのが⑬番ビジョンコメコ。続いて⑦番ボウハツが3番手、そして内側から⑯番ルーチェット、③番ホワイトフォースが4番手をキープしながら、各馬が殺到してくる。


 会場にどよめきが起こった。絶好のスタートにビジョンコメコがついてきたからだ。ビジョンコメコは圧倒的最下位人気で、そんな馬が圧倒的1番人気に絡むことにとって、フッカツノネガイが潰れてしまうのではないかと悲鳴をあげる者もいた。

 しかし、ノゾミは動じない。まるで「かかってこい」と挑発するかのように、流し目でコメコを一瞥する。その眼差しに応えるかのように、コメコも必死に追走する。


「行け・・・行け・・・」


 向こう正面に入り、馬群は一時的に膠着状態となる。だが、コメコの鬼気迫る追走が観客の目を釘付けにする。

 食らいつこうと懸命に脚を伸ばすコメコ。その姿に観客たちは心を打たれ、二頭の激しい競り合いに息を呑む。

 そして、運命の第四コーナー。コメコの勢いが徐々に衰え始める。後退していくコメコ。入れ替わるように、一気に加速してやってきたのは、③番ホワイトフォースだ。

 競馬場のボルテージは最高潮に達する。待ちに待ったノゾミとホワイトフォース、一騎打ちの様相だ。ノゾミが手前を変えた瞬間、僅かに減速する。そこを逃さず、ホワイトフォースが猛追する。差は4馬身3馬身2馬身と縮まっていく。


「いけーー!!!ノゾミぃぃ!!!負けるなぁぁ!!」


 里奈は思いの丈を思いっきり叫ぶ。

 ノゾミが再び加速し、詰められた差を広げていく。


『フッカツノネガイ先頭でゴールイン!!』


 実況の声が、歓声の残響と溶け合うように、競馬場に響き渡った。ノゾミがゴールラインを駆け抜けた瞬間、時が止まったかのような静寂が訪れ、そして爆発的な歓声が競馬場を包み込んだ。


「勝った・・・ノゾミが勝ったんだ・・・!」


 その声は、秋風に乗って競馬場の隅々まで届き、観客たちの興奮と喜びを一つにするようだった。

 母親は、そんな娘の姿を、目を細めて見つめていた。娘の喜びが、そのまま自分の喜びであるかのように、胸に温かいものが込み上げてくる。喧騒の中で、娘の純粋な笑顔だけが、スローモーションのように、美しく、そして鮮明に映し出された。


「本当に、すごいね・・・」


 母親の言葉は、娘の心の奥底に染み渡り、静かな感動を呼び起こす。娘は母親を見上げ、二人の視線が交差する。そこには、言葉では表現できない、深い愛情と喜びが満ちていた。


「これからも、ノゾミと一緒に応援しようね。」


 娘の成長を、そして共に夢を追いかける喜びを、母親は噛み締めていた。それは、ノゾミの勝利と同じくらい、いや、それ以上に、母親にとってかけがえのない瞬間だった。競馬場の興奮が冷めやらぬ中、親子の間には、静かで、しかし確かな絆が、より一層強く結ばれていた。


 ーーーーーーーーーーーーー


 神戸新聞杯が終わって直ぐに計量室にて


「スイマセン。マケマシタ」


 そう調教師に詫びを入れるのはホワイトフォースの主戦クリスチャン ルメロである。


 クリスチャン ルメロ。

 彼はフランスで騎手としてのキャリアをスタートさせ、そこで成功を収めてた後にJRAに移籍した騎手である。

 技術は折り紙つき。スタートが上手く、折り合いをつける技術、位置取りの判断力、そして大レースでの勝負強さやペース判断力など、競馬騎手として必要な全ての要素を高いレベルでもつ。まさに穴のない騎手である。

 そして昨年ついに武谷の年間最多勝を更新した、まさにJRANo.1ジョッキーである。


「まぁ、ここは負けてもしょうがない。調教も抑えていたからね。だがフッカツノネガイに2連敗しているのも事実。次は勝ちに行くよ」


 調教師は、ホワイトフォースの熱中症対策に水をかけながら、静かに、しかし力強く言った。


 前哨戦は、あちらの勝利。だが、本番は譲れない。


 ホワイトフォース陣営は、リベンジに向け、着々と準備を進めていた。

 調教師は、フッカツノネガイ陣営がいるであろうウィナーズサークルを見つめ、その目に、静かな闘志を宿した。計量室を後にする彼の背中には、次戦での勝利への決意が、滲み出ていた。

 まるで、宿命のライバルとの再戦を予感させるかのように。

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