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5-4 決戦へ

「お客様。苦しいところはありませんか?」


 デパート上階、紳士服売り場の試着室。暴れ馬も手懐けるアオキが、まるで拷問にでもかけられているかのように体を強張らせていた。真新しいスーツに身を包み、鏡に映る自分を見ては、まるで別人を見ているようだった。


「は、はい。大丈夫です!!これ買います!!」


 店員に声をかけられ、アオキは飛び上がるように答えた。スーツの着心地よりも、早くこの場から解放されたい気持ちでいっぱいだった。「ありがとうございます」と頭を下げる店員に、アオキは心の中で謝罪した。


「それではお会計です」

「は、はい」


 アオキは、まるで借金取りに追い立てられるかのように、ジャラジャラと現金を払い始めた。


「領収書はよろしいでしょうか?」

「え?いや!河合牧場でお願いします!!」


 アオキは「河合牧場」宛の領収書を受け取り、深々と頭を下げた。そして、この居心地の悪い場から一刻も早く離れようと、そそくさと歩き出した。店員は、アオキのあまりの挙動不審ぶりに、少し引きつった笑みを浮かべていた。

 店を出てからも、頭を下げ続けている様子をみて、アオキは恐怖心を覚えた。ようやくケイゾーの車を見つけ、飛び乗ると、全身の力が抜けた。


「はぁー疲れた・・・」

「おー帰ってきたかー」


 疲れ切った表情を見て、ケイゾーはニヤニヤ笑った。


「2回目ですけど慣れないっすわ。今日はオーダースーツ受け取りに行っただけなのに」


 アオキはそう呟きながら、シートベルトを締める。それを確認して、ケイゾーは、車を運転し始めた。


「お前、ノゾミがダービーに出走するっていうのに、リクルートスーツじゃあ格好つかんだろう。一張羅くらい買っとけ」

「10万くらいしたんですけど、これホントに河合牧場持ちでいいんですか?」

「あぁ。それは大丈夫だ。京都新聞杯の賞金があるからな」


 ケイゾーはニヤリと笑う。

 5000万円。これが京都新聞杯でケイゾーが得た賞金である。

 その賞金によって河合牧場はかなりの余裕ができており、10万くらいの出費は痛くも痒くもないだ。そんな成金のような笑みを浮かべるケイゾーに、アオキは苦笑いを浮かべるしかない。


「いやーここまでポンポン上手くいくとは思わなかったですね」

「俺はうまくいくと思ってたぞ」


 鼻高々のケイゾーに疑いの目を向けるアオキ。青葉賞を惨敗した時には、「もうおしまいだ。いい夢を見させてもらった・・・・」と嘆き悲しんでいた人が何を言ってるんだと思ったが口には出さない。


「しかし、枠順もそろそろ決まるんじゃないんですか?」


 アオキは車の窓にひじをつきながら、外を見つめながらそう言った。外には震災によって更地になった土地が広がっている。


「あぁ。そうだ。午後2時にクニモト先生から連絡がくるらしい」

「内枠がいいっすよねー」


 アオキの言葉にケイゾーも頷く。


「もちろん。そりゃーダービーだからな」

「ダービーは内枠が有利ですもんね」

「あぁ、だが知ってるか?ダービーは『最も運がいい馬が勝つ』っていう格言は知ってるだろ?」

「はい。有名な格言ですよね。ダービーは内枠が有利で外枠が不利ってやつでしたっけ」


 アオキの反応にケイゾーはしたり顔になった。アオキは(これはウンチク言うときのケイゾーさんだ)と思ったが嫌そうな顔は出さない。


「じつはそれもう古い格言になってるんだ。

 確かに今までダービーは、強い馬に対して、内の先行馬が、ポジショニングやコース取りによって、本来の能力差を覆して勝っていたんだ。」

「最近は違うんですか?」


 ケイゾーのウンチクに付き合ってやるアオキ。ケイゾーはアオキの期待通りの質問に気分よくして続ける。


「だが最近のデータを見るとな、ダービーで、内枠の馬、外枠の馬で成績に差がつかなくなっているんだよ!だからな、ダービーに枠順なんて気にする必要がないんだ!なんて言ったて強い馬が勝つんだから!!」

「へぇーそうなんですか」


 どこから仕入れてきたのか分からない情報を自信満々に語るケイゾーに適当に相槌を打つ。「逃げ馬はロスなく内に回れる内枠の方が良いに決まってるだろ」という本音はそっとしまった。

 車の時計は既に2時を過ぎていた。ケイゾーは落ち着かないらしく何度も何度も携帯をチラッチラッと確認している。携帯はBluetoothをつないでおり、ハンドレスで通話する準備は万全である。

 そして2時5分。スマホが鳴った。


「は、はい!!ケイゾーです!!」

『お世話になっております。クニモトです。ノゾミの枠順が決まったので電話させてもらいました』

「は、はい」

『それでですね。早速なんですけどノゾミの枠順は』


 ケイゾーとアオキはごくりと息を呑む。一瞬の静寂。


『1枠1番でした』

「うぉぉぉー!!!内枠やった!!!」


 アオキとケイゾーは抱き合った。それはまるで、長年連れ添った夫婦が宝くじに当たったかのような喜びようだった。


 ーーーーーーーーーーーーー


「それでですね・・・あっ切れた」

「喜んでましたね。ケイゾーさんたち」


 イマナミは電話越しのケイゾーたちの喜びように笑みを浮かべた。クニモトは後でかけ直そうとスマホをポケットとしまう。


「そりゃー逃げ馬で最内なので、うれしいっすよねー。オレも嬉しいですもん」


 そう言ってイマナミも笑った。ノゾミにとっての最高の枠で国本厩舎は沸き上がった。クニモトは冷静に落ち着こうとしているが、それでも嬉しさを隠しきれていない。


「あぁ。レースでやるべきことも単純になった。スタートを決めて、真っ先に逃げて、逃げ切る。直線では後続馬に5馬身はつけておきたい」

「あぁ。そうですね。ノゾミもトップスピードは悪くないんですけど、手前を変えるときにスピードが落ちるんですよね」


 ノゾミは器用な馬である。しかし過去4戦すべて直線で手前を変える時に減速してしまうという変な癖があった。原因を探ったがイマイチ分からないままであった。


「そうなんだよな。それさえなければもっと競馬に幅が広がるんだが・・・」


 クニモトは頭をガシガシ掻く。


「まぁ、それは今すぐにできることではないですからね。やれることをしていきましょう」

「そうだな。アオキの言う通りだ。ない物ねだりをしても仕方ないよな」

「三津騎手とも連絡取らないとですね」

「あぁ。それでノゾミなんだが前日輸送・・・」


 ダービー制覇へ運は向いている。あとは自分たちが掴みきれるかどうか。国本厩舎はダービー制覇に向けて全力で動き出した。


 ーーーーーーーーーーーーー


「よし、もうこのままダービー見に東京まで行っちまうか!!」


 ケイゾーの心は、好枠を引いて高揚していた。胸の奥にマグマのような熱いものがこみ上げ、今すぐにでも東京へ飛び出したい衝動に駆られていた。


「ケイゾーさんそんなことしたら、ミクさんにドヤされますよー。ただでさえ前日入りすると言って眉をひそめられたんでしょ?」

「うっ・・・確かに」


 アオキは、ケイゾーの興奮を冷ますように現実的な言葉を投げかけた。ケイゾーの脳裏には、妻ミクのしかめっ面が浮かび、一気に現実に引き戻された。


「それに引き継ぎも終わってないんですから。河合牧場に帰りましょう」


 アオキは念を押すように言った。ケイゾーは、まだ興奮冷めやらぬ体で、東京の標識を名残惜しそうに見つめた。


「・・・そうだな」


 ケイゾーは渋々、河合牧場へハンドルを切った。体裁上は冷静を保っているつもりだったが、ラジオから流れてくる曲に鼻歌を混ぜていた。ご機嫌なのは一目瞭然だった。


「それにしてもケイゾーさん枠順は関係ないって言ってたのに・・・」


 アオキは、ケイゾーの内心を見透かしたように意地悪なコメントを放った。


「うるせーわい!そんなもん気休めにネット探ってたに決まっているだろ!!」


 ケイゾーは開き直った。確かに、枠順なんて気休めだと思っていた。だが、好枠を引いたことで、ノゾミの勝利を確信してしまったのだ。

 そんなことを言い合っている間に、ケイゾーの車は河合牧場に到着した。


「はぁー心休まる場所に帰ってきましたねって、なんですか?誰かいますけど」


 アオキは目を細めながら、河合牧場を遠目にした。ケイゾーも、見慣れない光景に目を疑った。


「うん?小学生とその保護者か?」


 河合牧場に見慣れない光景が広がっていた。河合牧場に手をつないでいる子ども1人と30代ほどの女性がいた。

 その2人を対応しているのは先月採用が正式に決まり働き始めた、河合牧場授業員であるカンナヅキであった。カンナヅキはケイゾーの車を見つけると走り寄ってきた。


「カンナヅキさん。どうしたんですか?」


 車を降りてカンナヅキに尋ねるアオキ。するとカンナヅキは困った表情で現状を説明した。


「いやー、昨日テレビ見たって言う人が今日結構来ていて。大人は全員帰ってもらっていたんですけど。今お子さんが来ていて。どうしようかと迷っていたんですよ」

「あーそうか。昨日放送だったな。」


 ケイゾーは納得した。昨夜、被災地向けの地方テレビで、ノゾミがダービーに挑戦するドキュメンタリー番組が放送されたのだ。

 番組は、ノゾミの生い立ちやケイゾーたちの奮闘を丁寧に描いた感動的な内容で、ケイゾー自身も涙を流したほどだった。SNSでも「涙なしには見られない」と評判になり、全国放送も検討されているらしい。

 その影響で、今まで競馬ファンしか知らなかったノゾミが、地元の人々にも応援されるようになった。それは喜ばしいことだが、ダービー3日前のこの時期に、ノゾミがいないはずの生産牧場に人々が押し寄せるという事態を引き起こしてしまった。


「どうします?」


 アオキがケイゾーに尋ねる。


「どうするも何も、餌やりくらいやってもらうか?」

「それがいいですね」


 ケイゾーの提案にそれだ!と指をさすアオキ。


「アオキ、子ども相手できるか?」


 ケイゾーがアオキに尋ねる。


「出来るわけないでしょ。ケイゾーさんこそお子さん居たんだから、多少は子どもの取り扱いはわかるでしょ」

「俺ミクに任せきりだったんだよなー」


 ケイゾーは苦笑いした。子育ては妻に任せっきりだったため、子どもの扱いは全く分からない。


「だから今尻にひかれているんですよ!!」


 アオキの鋭いツッコミに、ケイゾーは言葉を詰まらせた。確かに、ミクには頭が上がらない。


「もう!2人とも!いいです!私がやります!とりあえず餌やりですね!!

 2人は餌の準備と、どの馬に餌やるか大人しそうな馬選んでください!!」


 尻込みする2人に、カンナヅキは呆れて指示を飛ばした。2人は「はい!!」と素直に従った。



「わぁ、馬だ・・・!」

「ブヒっ!」


 テレビでしか見たことない競走馬に喜ぶ子ども。


「あまり驚かせないでねー。静かにしてねー。じゃあニンジンあげてみようか」

「はい」


 子どもは恐る恐るニンジンを手のひらに載せる。するとカプリとニンジンを食べた。それを見た子どもはうれしそうに口角を上げた。頬も心なしか火照って見える。


「本当知らないまま来てすいません。なんかふれあい牧場のようなものだと勘違いしていました」

「いえいえ、うち公式サイトもSNSしてないんで調べてもわからなかったと思います」


 頭を下げる女性に慌ててフォローを入れるケイゾー。インスタグラムくらいはやっておくべきだったとケイゾーは後悔した。


「あの子、小学生ですよね?学校終わりですか?」


 沈黙はまずいと思い、母親に質問を投げかけるケイゾー。


「そうです」

「馬は好きなんですか?」

「いや、むしろ動物は好きじゃなかったはずなんですけど。あのテレビを見て。応援したいって言われて。ネットで調べたら河合牧場の場所だけ分かったので来たんです」


 母親の言葉に、ケイゾーは驚いた。ノゾミのドキュメンタリー番組が、動物が好きではない子どもまで応援したいと思わせるほどの影響力を持っていることに感心した。


「ノゾミに会わせてやれなくてすいません」


 ケイゾーは申し訳なさそうに言った。


「いえいえ、こちらこそすいません」


 母親は恐縮した様子で答えた。2人は互いに謝り合いながら、馬と戯れる少女を見つめた。その純粋な姿に、ケイゾーも母親も頬が緩んだ。


「そのテレビでやっていたんですけど、フッカツノネガイが出るダービー?っていうのは応援に行けるのでしょうか?」

「いや、ダービーは人が多いんで、たぶんお子さん行っても何も見えないと思います」


 ケイゾーは正直に答えた。

 日本ダービーは、競馬関係者だけでなく競馬ファンにとっても特別なレースだ。全国から何万人ものファンが訪れるため、指定席を取らない限り、背の低い女の子ではノゾミの姿を見ることすら難しいだろう。


「あぁ。そうなんですか」


 母親は残念そうな顔をした。


「たぶん負けても勝っても、ダービーが終わり次第、放牧という形になると思います。それで落ち着いたら連絡差し上げます」

「何から何まですいません」


 ケイゾーの提案に頭を下げる母親。そんなやりとりをしている間に餌やり終えた少女がケイゾーと母親の元に駆け寄ってきた


「ごめんなー。フッカツノネガイは今、別のところにいるんだよ」

「大丈夫です。それより突然来てごめんなさい。私フッカツノネガイに渡したいものがあって来たんです」


 そう言って少女はランドセルから一枚の絵を差し出した

 その絵には勿論ノゾミが描かれていた。そして「がんばって!」という言葉も添えられていた。


「最近暗い話題ばっかりだったから、頑張ってるっていうフッカツノネガイのを見て、自分も頑張らなくちゃ!って思って。

 それでフッカツノネガイも頑張って!って伝えたいと思って居ても立ってもいられず来てしまいました」


 自分たちの馬が、被災した少女に元気を与えていたことにケイゾーの目頭は熱くなった。


「・・・あぁ。ノゾミも喜ぶと思う」


 ケイゾーは涙を堪えて言った。

 そして施設を少し案内して少女は河合牧場を後にした。


「競馬好きに応援される馬はたくさんいるっすけど、競馬に縁のない人たちに応援されるのはなんというか新鮮っすね」


 アオキは、少女の純粋な気持ちに感動した様子で言った。


「そうだな。ノゾミは本当にすごい馬だ」


 ケイゾーは、ノゾミの存在が多くの人に希望を与えていることを改めて実感した。地元の住民の応援を背にノゾミはダービーへと向かう。

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