5-3 決戦へ
オークスが終わり、ダービーウィークが始まった。テレビ局や記者などの外部の人間がダービーの耳寄りな情報を仕入れようと、西と東のそれぞれのトレーニングセンターに押し寄せている。
競馬界の熱は、来たるべき3日後のダービーに向けて最高潮に達していた。
「おい聞いたか?」
クニモトは隣の厩舎の調教師の高柳に話しかけられた。
「ああ?なんだ?」
「ホワイトフォースだよ。とんでもない調教だったらしい」
そう言って高柳はタブレットを取り出し、クニモトに見せる。画面にはネット記事が映し出されていた。
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東京優駿(日本ダービー)1週前追い切り(5 月28日、栗東トレセン)
日本ダービー・G1(31日、東京)の出走予定馬が28日、東西トレセンで1週前追い切りを行った。無敗で皐月賞を制したホワイトフォースは、ルメロ騎手を背に抜群時計をマーク。無敗の二冠に向けて、不安のない仕上がりだ。
別次元だと言うしかない。ホワイトフォースは栗東・Cコースでサイクルロード(5歳3勝クラス)とクールパル(3歳1勝クラス)を追走。直線の入り口で仕掛けられると、並んでいた僚馬2頭を瞬く間に抜き去った。四肢の筋肉を躍動させて疾走。持ち前の雄大なストライドで駆け抜けた。後続を2馬身半突き放してのゴールで、6F81.5~5F65.7~4F50.7~3F37.4~1F12.1秒と破格のタイムを叩き出した。
引き揚げてきたルメロ騎手に話を聞いた。
以下インタビュー
記者 ルメロ騎手。ホワイトフォースの最終追い切りの感想はどうでしたか?
ルメロ いいかんじでした。僕の指示にも従ってくれましたし。促したらビュンと伸びてくれました。皐月よりかなりいい状態だと思いました。
記者 本番で意識している馬、ライバルの馬を教えてください。
ルメロ どの馬も強いのです。ですが、今日の調教通りの走りをすれば勝てると思います。ダービーを勝って菊花賞に行きたいと思います。
記者 ダービーは通過点にすぎないと
ルメロ どの馬も強いですが、僕とホワイトフォースなら他の馬より強いと思います。
強気の発言が飛び出た。3冠への視界良好だ。
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「ありがとう」
そう言ってクニモトはタブレットを高柳に返した。強いとは思っていた。ただ、ここまでとは。
クニモトから思わずため息が漏れる。
「クニモトのとこはどうよ?フッカツノネガイ」
「あぁ。順調だよ」
「いやーフッカツノネガイも出世したよなー。最初はあの馬がいたら、暴走して迷惑かけられるかもって思って、皆避けてたのにな」
そう言って高柳の調教師はアハハと笑った。それに対してクニモトは苦笑いで返すしかない。
そうだった。ほんの3カ月ほど前、ノゾミは言うことを聞かず、競走能力にすら疑問符が付いていた馬だった。あんな状態から重賞を制し、ダービー出場までもぎ取ったのだ。別に優勝しなくても、それだけで偉業だ。
(だからたとえダービーを取れなくたって・・・)
誰にしているのか分からない、慰めとも言い訳ともつかない思考が、クニモトの頭の中を駆け巡る。
「お話中すいません。クニモトさん!」
後ろから声をかけられる。
声に振り向けば、顔なじみの新聞記者だった。彼が新人のころから知っており、もうかれこれ5年くらいの仲である。
「どうした?佐藤」
「すいません。ダービーでコメントもらってほしいって上から言われて」
「いや囲み取材は答えたはずだろ」
佐藤と呼ばれた新聞記者はゴソゴソとボイスレコーダーとメモ帳を取り出しながら言う。
「いやーそれがですね。普通の質問してくんな!最後のダービーに対する思いとかを聞いてこい!って言われて戻ってきました」
佐藤記者はそう言って、エヘヘと笑った。
「・・・なるほどな」
クニモトは苦笑いを浮かべる。
名伯楽の最後のダービー挑戦。それがメディアにとって、非常にキャッチーな話題に思えるらしい。しかし、そんな裏事情を調教師本人に素直に言ってしまう佐藤は、なんというか記者らしくない。
だが、記者らしくない裏表のない佐藤を、クニモトは気に入っていた。クニモトは高柳に断りを入れ、席を外してもらう。最後に「頑張れよ」と言って、彼は自身の厩舎に戻っていった。
「で、質問はなんだ?特に急ぎの用事はないが、なるべく早く頼むぞ」
クニモトは厩舎の端っこにある椅子に腰を下ろし、目の前の佐藤に視線を向けた。
「はい!!それではまず、改めてセンセーにとってフッカツノネガイはどんな馬でしょうか?」
佐藤は目を輝かせ、矢継ぎ早に質問を投げかけた。それに対して、クニモトは腕を組んで、思案顔になった。
「どんな馬って・・・それは三津騎手やイマナミのほうが知っていると思うぞ。」
「もーそう言って囲み取材もほとん喋ってくれなかったじゃないですか」
佐藤はクニモトの掴めない返答に眉を下げた。
「だって、それは事実だろ?俺も当然調整内容は考えるが、実際世話したり騎乗することはないんだ」
「うーん、確かにそうですね。じゃあ質問を変えます」
そして佐藤はペラペラとメモ帳をめくり、次なる質問を探す。そして続いて質問をした。
「何故フッカツノネガイを引き受けたんですか?」
佐藤はメモ帳から顔を上げ、クニモトの目をじっと見つめた。
「だからそれはオフレコでという条件で話しただろう?酒に酔って引き受けちゃったんだって」
「いやいや俺、センセーはそんな無責任なことをするような人でないことは知っていますから」
佐藤はピシャリとそう言い切った。そう言う佐藤の表情にはクニモトに対する確かな信頼があった。
「確かに、センセーはお酒で気が大きくなることはあります。しかしそれで馬を引き受けるほど、貴方は無責任な人ではない筈です。ということはフッカツノネガイには何か惹かれるところがあったということですよね。センセーは、フッカツノネガイの何に惹かれていたんですか?」
佐藤は身を乗り出し、クニモトに問いかけた。その問いかけに、クニモトは過去の記憶を辿り始めた。
あの時、クニモトは文字通り、抜け殻だった。国本厩舎の期待の星が、シンザン記念でまさかの大惨敗。惨敗しただけならいい、もう1回立て直せばいいのだから。しかしその後歩様が怪しくなり獣医師の診断は右第1指骨剥離骨折。休養の見込みは5カ月以上の言う診断。その時クニモトの最後のダービー挑戦は、幕が開く前に強制終了した。
フラフラとしながら僅かの希望を求め訪れたのが河合牧場である。
しかしそこで出会ったのは、どう見ても「ダービー」の文字とは無縁の、ガリガリの馬だった。四肢だけは立派だが、体はまるで棒っきれ。失意の中、河合牧場の牧場主、河合敬三の必死の営業を適当に誤魔化し、その場を後にした。
美浦に戻り、一人寂しく酒を煽る。だが、あのガリガリ馬の姿が、どうしても脳裏から離れない。そして朝。そして、翌朝。クニモトは、なぜかその馬を引き取ることを決めていた。
一体なぜ?
あの時、自分でもわからなかった。だが、今ならわかる。
ノゾミは、自分と同じだったのだ。
ダービーという夢を追い、挫折した者同士。だが、二人は全く違っていた。クニモトは、酒で忘れようとした。しかし、ノゾミは違った。どんなに不利な状況でも、夢に向かってひたむきに走り続けていた。
その姿を見た時、クニモトの心に、熱いものが込み上げてきた。
そうだ俺もまだ終わってない。
ノゾミの瞳に宿る、夢、希望、そして野望の炎に、まるで魂を吸い込まれるかのように魅入られてしまった。そして自分も、もう一度、夢を追いかけたいと思ってしまった。
「センセー?」
長い沈黙を不安に思ったのか、佐藤が遠慮がちに声をかける。クニモトは、ハッと我に返り、焦点の定まっていなかった視線を佐藤へと向けた。
「ああ、すまない。少し、考え事をしていた。佐藤、悪いんだが、やっぱ今日の取材は無しにしてくれるか」
「あ、そうですか。わかりました・・・」
佐藤は、戸惑いを隠せないまま、「ありがとうございました」と頭を下げ、踵を返した。その背中に、クニモトは抑えきれない衝動のまま、再び声をかけた。
「佐藤!」
驚いて振り返る佐藤の目に飛び込んできたのは、先ほどまでの沈黙が嘘のように、決意をみなぎらせた彼の姿だった。
「サンショクダンゴ、ホワイトフォース。相手は確かに強い。だが、そんなことは関係ない。俺は、最後の心残りだったダービーに、全てを懸ける。必ず、勝つ。それだけは言える」
そう宣言するクニモトの瞳には自分のキャリアと技術のすべてを賭ける覚悟が宿っていた。
「あ、ありがとうございます。これは記事には?」
「いいよ。好きに使ってくれ」
そう言い残すと、クニモトは再び踵を返し、迷いのない足取りで厩舎へと向かって行った。佐藤は、その堂々とした背中を、しばらくの間、ただ呆然と見送っていた。
そして、ハッと我に返ると、佐藤は逸る気持ちを抑えきれず、新聞社へと駆け出した。手には、まだインクの匂いが残る取材ノート。興奮した様子で編集長に電話をかける。ホワイトフォースを主体にする予定だった紙面のレイアウトを大幅に変えてもらうためだ。
大見出しはこれがいいだろう。
《国本英夫。悲願のダービーへ》




