5-1 決戦へ
少し時は遡り、ノゾミが敗北した青葉賞の優勝者インタビューにて。
インタビュアーが、見事勝利を飾ったサンショクダンゴの主戦、武谷雄一騎手にマイクを向けた。
『優勝おめでとうございます!この馬の強みはどこにあるのでしょうか?』
数々の修羅場をくぐり抜けてきたベテラン、武谷騎手は、その問いにも慣れた様子で、柔和な笑みを浮かべながら答えた。
「この馬の強みはバネや競馬がうまいなどいろいろありますが、一番は勝負根性ですね。直線でライバルと並んだ時、もうひと伸びして競り勝つ、そんな心の強さがこの馬にはあります。この勝負根性は、これからも大いに生かされると思います」
『このあとはいよいよダービーですか?』
インタビュアーが笑顔で聞くと、武谷は頷いた。
「それは僕の独断では決めることはできないですが、おそらくそうなると思います」
その言葉が出た瞬間、東京競馬場は、地鳴りのような歓声と、無数のカメラのシャッター音に包まれた。
『武谷騎手といえば、ダービー5勝という前人未到の記録をお持ちですが、ファンの間では、6勝目への期待も高まっています』
「記録は、あくまで結果としてついてくるものだと思っています。これまでのダービー5勝も、馬たちが本当に頑張ってくれたおかげです。記録のことはあまり気にせず、サンショクダンゴと一緒に、一戦一戦全力で頑張りたいと思っています」
武谷は、あくまで謙虚に、そして爽やかな笑みを崩さなかった。
『これからこの馬と武谷騎手の活躍を期待しています』
「ありがとうございます。がんばります」
『勝利ジョッキーインタビューの武谷雄一ジョッキーでした。もう一度大きな拍手をお願いしま
プチンっ。
テレビの電源が切られた。国本厩舎の事務所にてスタッフたちは、ダービーで再戦することになるサンショクダンゴの青葉賞レースを改めて観戦していた。
「さて、スプリングステークス、青葉賞と連勝中のサンショクダンゴのレースを改めて確認したわけだが・・・」
「スプリングステークスではスローペースの上がり勝負を制し、青葉賞ではハイペースを圧勝。どんな展開でも対応できる自在性がありますね」
「青葉賞は、ノゾミが自滅したとはいえ、サンショクダンゴに7馬身以上の差をつけられての完敗でしたからな」
リベンジを誓う相手、サンショクダンゴの圧倒的な強さを改めて目の当たりにし、国本厩舎には緊張感が張り詰めていた。
「しかもダービーでの敵は、こいつだけないですよね。特に、無敗で皐月賞を制したホワイトフォース。皐月賞のレースを見ました?やばいですよ」
そう言ってイマナミは録画していた皐月賞の映像を流す。
画面に映し出されたのは、黒鹿毛のノゾミとは対照的な、白銀に輝く芦毛の馬体だった。群れの中でもひときわ目を引くその姿は、まるで神々しいまでの美しさを放っていた。特に見る者を惹きつけるのは、その雄大なストライドだ。
地面を力強く蹴り上げ、爆発的な加速を生み出すノゾミのフォームに対し、ホワイトフォースは、ゆったりと、しかし力強く、一歩を踏み出す。その一歩は、ノゾミよりもはるかに大きく、まるで風を切り裂くかのように、広大なストライドで疾走していく。馬体の筋肉は、滑らかな動きに合わせて、芸術品のように美しく収縮と伸長を繰り返す。
そのストライドによって、地面に接する時間は極限まで短縮され、まるで空を飛んでいるかのような錯覚を覚えるほどの、圧倒的なスピード感。
『4コーナーに回ってホワイトフォースは絶好の外目の3番手。中山の急坂を駆け上がる!
外からきたきたホワイトフォース!!すごい脚!!
一瞬で抜き去った!2番手にムーンパレット必死に追う!
しかし差があっという間に広がる!2馬身!3馬身!これはどこから見てもホワイトフォース!!
ホワイトフォース、圧勝でゴールイン!!
まずは1冠!!史上4頭目の無敗の3冠馬へ!!
タイムはなんと1分56秒2!!皐月賞レコードです!!ダービーでこの馬を止める馬は現れるのでしょうか』
「まったくふざけた馬だ。最後の100mくらいは流してたぞ」
クニモトは、憎々しげにホワイトフォースを睨みつける。皐月賞からダービーは距離が400m延長されるが、ホワイトフォースの父はかつて長距離を得意したゴールドシップ。距離延長は全く問題ないだろう。
暗雲立ち込める国本厩舎。誰もが、ホワイトフォースの圧倒的な力に打ちひしがれかけていた。しかし、その瞳の奥には、静かに、だが確かに、闘志が燃え上がっていた。
「確かに、ホワイトフォースは怪物だ。だが、怪物だからといって、勝てないわけじゃない」
クニモトは、静かに、しかし力強く言った。
「ノゾミだって、ただでは終わらない。勝つためにノゾミも成長した」
イマナミも、拳を握りしめ、力強く頷いた。
「俺たちも、ノゾミを信じる。そして、できる限りのことをする。このダービー、絶対に諦めない」
他のスタッフたちも、静かに、しかし熱く、その言葉に同意した。
重苦しい沈黙の中、彼らの瞳は、まるで研ぎ澄まされた刃のように、鋭く輝いていた。暗い見通しなど、彼らの闘志の前では、ただの霧に過ぎなかった。
「競馬雑誌も、テレビも、ホワイトフォース、ホワイトフォースって、本当に嫌になりますよねー。サンショクダンゴだって、重賞連勝。うちだって、京都新聞杯を圧勝してるんですけどね・・・」
雑誌をめくりながらボヤくイマナミ。
「それだけ世間は、3冠馬を求めているんだろうな。」
イマナミのボヤきに苦笑いを浮かべるクニモト。
「あ、競馬雑誌とテレビと言えばウチにも何件か・・・」
国本厩舎の事務の女がFAXからいくつかの紙を取り出してクニモトに渡した。
「『国本厩舎、最後の挑戦』と銘打ったテレビドキュメンタリー、並びに専門誌からのインタビュー取材依頼が来ております。テレビ放送はダービー後を予定しているとのことです」
国本英夫の最後の雄姿を撮ろうと、メディアが躍起になっている。それを察して、クニモトは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「三津にも来てるらしいぞ。なんて言ったって5年ぶりのダービー騎乗だからな。」
スタッフの一人がスマホを見ながら言う。
「なんだかんだウチも話題にはなっているんですね」
「まぁ、なんというかダービー優勝候補!!っていう内容じゃないっすけどね」
国本厩舎のスタッフたちは、ノゾミはホワイトフォースに決して劣らないと信じているだけに、不満の残る取材内容だった。
「どうします?取材、断りいれます?」
「俺のドキュメンタリーは断ってくれ。柄じゃねぇー。ただインタビューはうける。お世話になってる雑誌だしな」
「あとノゾミ自身にも取材依頼来ているんですけど」
「なんだ?」
受付の女から書類を受け取るクニモト。
「震災復興のテレビ取材で。ノゾミの故郷で放送するそうです。聞く感じ以前から取材していたみたいで、河合牧場に確認とったら、河合牧場では好きに撮らせていたみたいです。できればダービー前のノゾミの様子に撮らせてほしいと」
しばらく考えた後、クニモトは頷いた。
「やらせてやれ」
クニモトの言葉に従業員が微かにざわめいた。クニモトは取材に否定的ではない。そのためクニモトに関する取材や厩舎に対しての取材は積極的に引き受けている。しかし馬になると話は別だ。短時間の取材なら引き受けるが、ドキュメンタリーなどの長時間のカメラが入るのは繊細な馬にとってよくないという理由で断りをいれてきた。
「分かりました。でも珍しいですね。ドキュメンタリー番組に馬を出すのは、あまり好きではないイメージがありましたが」
事務の女が驚いた表情でクニモトに言う。クニモトは頭を掻きながら言う。
「あぁ。好きじゃねぇーよ。だけど、ケイゾーさんとこの前飲んだときに、この馬には「被災地に明るい話題を届ける」という願いも込められているって言われてな。馬主の意向には応えたい。
ただ、取材を受ける時は3人態勢だ。ノゾミに負担がなるべくかからないようにしよう」
「「「はい」」」
クニモトの言葉に一斉に返事する従業員たち。
「これで解散する。あ、そうだ。イマナミだけ残ってくれ。おつかれさん」
クニモトの言葉で従業員たちは三々五々、厩舎を後にした。五分もすると、厩舎内にはクニモトとイマナミだけが残された。
「なんすか、クニモトさん。ノゾミのことですよね?」
クニモトは冷蔵庫にあった缶コーヒーをプシュッと開けた。そして、イマナミにも缶コーヒーを渡し、「ありがとうございます」とイマナミも受け取った。
「あぁ。イマナミには、ダービーまでノゾミだけに集中してもらう」
イマナミは、目を丸くした。
厩務員は通常、二頭の競走馬の世話をするのが通例である。それを一頭だけに専念させるというのは、国本厩舎では異例中の異例だった。
「それはありがたいですけど、大丈夫なんですか?」
「あぁ。お前が担当してた馬は、サカイにやってもらう。アイツは今1頭しか担当してなかったからな」
そう答えるクニモト。クニモトの表情は真剣だった。
「わかりました。それにしてもクニモトさん、ガチでダービー獲りに来ていますね?」
イマナミはクニモトを茶化すように言った
「・・・そう見えるのか?」
クニモトは、狐につままれたような表情を見せた。イマナミは、自覚していないクニモトに驚いた。
「だって、いつも作戦会議はG1でも厩務員と調教師だけでやってましたよね?それを今回は従業員全員でやるなんて、気合入っているなって皆で喋っていたんですよ。
それに、一匹だけを世話すればいいなんて、俺、初めて言われましたよ。それだけ、このダービーに賭けてるんだなーって思ったんですけど」
「そうか・・・」
「本当に自覚なかったんですか?」
クニモトは自らの胸中に渦巻くものを整理しようと、静かに目を閉じた。
ダービーに、特別な感情を抱いていたわけではない。GIレースは他にもある。勝てていないレースも、当然ある。巡り合わせも重要だ。だから、ダービーに勝てなくても、それは仕方がない。そう、自分に言い聞かせていたはずだった。
しかし、《これまでの行動》と《これからしようとしていた行動》。その差異を冷静に見つめ直した時、ダービーへの意識が、いつの間にか過剰なまでに高まっていたことに、彼は気づかされた。
心の奥底に潜む、普段は意識すらしない感情。それを自覚した国本は、ふうと静かに息を吐き出した。そして、敢えていつもの調子で、冗談めかして言った。
「イマナミ、やっぱり二頭、面倒を見てくれ」
「ええっ!?」
冗談交じりの言葉に、イマナミは見事に顔をしかめた。その様子を見て、クニモトはくすりと笑った。
「冗談だ。ただ、ノゾミの取材対応は、お前が中心で頼む。私も協力する」
「了解です。それでは、ノゾミの様子を見てから帰ります」
「分かった。お疲れさん」
「お疲れ様です」
そう言って、イマナミは厩舎を後にした。一人になったクニモトは、カレンダーに目をやった。カレンダーには、ダービーの日に赤い丸が付けられている。
「勝てるものなら勝ちてぇーよ」
独り言を呟き、クニモトは残った仕事を片付けるため、パソコンに向かった。その日、厩舎の明かりが消えることはなかった。




